証臺寺(上)
拝啓
楓はくれない 銀杏は黄金に華やかな錦の秋となりました
さて私儀この度自宅に釜を掛ける事が叶い 皆様に一服差し上げたくご案内を差しあげる次第となりました
ご多忙な日々と存じますが暫し日常から離れた時間を共にお過ごしいただければ幸いに存じます
返信用はがきにて八月末日までにご出席の是非をお知らせください
敬具
記
日時 令和四年十月二十日 十時席入り
住所 京都府伏見区久我 芦田宅
芦田早苗さんから茶会の案内状が届いた。
一回生の時に三宮の英会話スクールで、
「文学部よね」
と声を掛けてきてからだから、四十年来の友人である。
私は英語は得意だった。
某国立大学を一期二期とも落ちて、ほとんど人生を捨てた感じで大学に入学した私は学力には自信があった。
入学した私大の偏差値であれば、勉強しなくても高校の時の学力のままで秀が取れる。
早苗さんは市会議員のお嬢様でのんびりした人だから、英検一級に合格した私を素直に尊敬してくれた。
早苗さんのお母様はお茶の水の出身で、学長とは高校からの同級生である。
そのため、早苗さんは付属高校からその学校だった。
私は大学のある時期、ほんの少し引き籠ったことがある。
アパートにかかった電話にお出ず大学にも行かない私を、早苗さんは気に掛けてくれた。
それで、お父様をアパートの前に待たせて、箱いっぱいのケーキを持ってきてくれた。
早苗さんが部屋から出て行ったあと、二階の窓から見ると、お父様の黒いクラウンが停まっていた。
このケーキを全部食べるまでは、生きていようと思った。
面白いお父様で、ある時私は早苗さんの家へ泊まりに行って、テレビの前にジャージで座っていた。
早苗さんは朝から授業がある日で、お母様はどこかへ出かけていた。
昼から授業があるので着替えようと思っていると、お父様がリビングに入っていらして何か話しかけてこられた。
私は時間がないので、お父様とお話をしながらジャージを脱いでGパンと綿シャツに着替えた。
次の日、早苗さんがニコニコ笑いながら、肩を叩いた。
「お父さん、困ってたよ。
頼ちゃんが目の前で着替えるから、どこを見ていたらいいかわからなかったって言ってたよ」
「だって、いやらしいと思ってるみたいにしたら悪いと思って。
本当のお父さんみたいにしたほうがいいと思って」
と言うと、早苗さんは笑い転げた。
「私だって、お父さんの前で着替えたりしないわよ。
頼子ちゃんは地方の出身で真面目な子だから、貴方みたいなおじさんは女の子になんか興味がないと思っているのよ、ってお母さんが大笑いしてた」
と言う。
早苗さんは、とても幸せな家庭のお嬢様である。
立派なお父様と美しい朗らかなお母様、優秀な二人の弟さんがいらっしゃる。
三階の早苗さんのお部屋には、1階のリビングからエレベーターがついていた。
大学を卒業すると、衣料品の輸入会社に就職した。
やがて、医学部へ通っている上の弟の友人に得意の料理を振舞っているうちに、お付き合いするようになり二歳年下の脳外科医と結婚した。
結婚と同時にお父様が市内に買っていた土地に家を建てた。
甲斐甲斐しく家事をこなしながら趣味と勉強を続けて、豊かな人生を送っている。
お嬢さんにも厳しく言うことなく、二人とも少し前に大学を卒業した。
下のお嬢さんが先に結婚して、上のお嬢さんはマンションで一人暮らしをしている。
それで、今は夫婦二人暮らしでお茶を教えていた。
学生時代に私と同じ裏千家の先生に指示していたが、もう先生は一昨年亡くなられた。
毎年、利休忌に出席していて、もう何年も前から
「頼子さんもいらっしゃいよ、心が澄む気がするのよ」
と言って、年賀状や暑中見舞いのたびに声を掛けてもらっている。
母の妹も早苗という名前だが面倒見の良い性格だ。
早苗さんも民生委員などをして社会福祉に力を入れていた。
そんな関係で頼子の両親が寝込んだ時にも、使える支援や法律があると事あるごとに小まめに連絡してくれた。
子どもたちには大学へ入学するまで、毎年素敵なクリスマスプレゼントを贈ってくれた。
ユニセフの活動をしている早苗さんは、自分の古くからの友人の子どもをここぞといった気持ちで応援してくれたのだろう。
この度は、茶の師匠や夫の関係者とは別に仲良しを呼ぶときに頼子にも声を掛けてくれたのである。
頼子も続けたかった茶道であるから、ぜひ出席したかった。
もう長く離れているが、構わないのであれば一度は友人の茶室開きというものに出席したい。
暇なときに電話をくれるようにラインを入れておいた。
昼に電話があって、今お稽古が終わった所だと言う。
仲良しの無礼講のお話会だというので、スーツで出席させてもらうことにした。
久しぶりにデパートで新しいスーツを買って、前の日に京都に着いた。
「明日は生徒さんが手伝ってくれるし、簡単な茶会なので特に準備はないのよ」
と言う早苗さんと瓢亭でお弁当を食べた。
ずっとラインのやり取りはあるが、スマホの写真を見せあって楽しい時間を過ごした。
今となっては生活レベルの差が大きいが、久しぶりにゆっくり語り合って一度に学生時代のように距離が縮まった。
今日は総菜を買って帰るという早苗さんと別れてホテルへ帰った。
翌日はホテルでゆっくりして、地元の饅頭とお祝いの包みを持って家を訪ねた。
頼子以外の客はみな色無地である。
遠方で茶道には素人であることを、皆さんにお断りした。
懐石、濃茶、薄茶と滞りなく運び、居間の横に掘られた囲炉裏の傍で、水屋のお弟子さんが煎茶を淹れてくれた。
末客は大学で民俗学を専攻していた人で、神泉苑の善女龍王の話をした。
空海が雨乞いをした時に、善女龍王を呼び寄せて雨を降らせたというのである。
この鉄瓶はその龍の姿を蝋型鋳造したもので、早苗さんの御夫君の実家から伝わったものだそうだ。
その時、徹の話が出たのである。
「あの西ノ京の量子力学の先生のとこでしょ。
同級生だったの」
「そう、直子さん。
五十前だったわよ。
下の子がまだ高校三年生だったからね」
「乳癌って、年を取ってなると結構治るんだけどね。
従姉妹とか近所の奥さんとか、職場にもいるんだけど、あまり亡くなりはしないんだけど。
若かったのね」
「証臺寺から東へ行ったとこの坂の上のお寺のお嬢さんよ」
と言う。
早苗さんは静かに微笑んでいた。
囲炉裏の上では龍を彫った鉄瓶がしゅんしゅんと音を立てて、柔らかな湯気を上げていた。
翌朝、ホテルのビッフェでグレープフルーツを口に入れた時、証臺寺という寺へ行ってみようと思った。
遠くから五重塔が見える。
フェロノサは薬師寺の東塔を「凍れる音楽」と表現したが、空に五重塔の見える町は私に現世であるという実感を抱かせた。
確かなのである。
門を入ると、正面に金堂がある。
金堂へ続く細い参道の左端を徹は竹箒で掃いていた。
まさかと思って立ち止まった。
向こうでもこちらを見たようだが、そのまま目を落として箒を動かしていた。
付かず離れずといった距離に、姿の良い白い犬が伸び伸びと寝そべっている。
成犬である。
裸足にサンダルを引っかけて、昔より柔らかい穏やかな空気をまとっている。
あなたは、なりたかったお爺さんになれましたか。
「お久しぶりです。元気で」
四十年ぶりの突然の再会だというのに不自然なほど自然である。
間がある。
「はい、お蔭さまで。友人が茶室開きをしまして、案内をいただいて来ておりました」
とこちらも妙に自然に挨拶をした。
「ああ、お茶は続けておられて」
話が続いてほっとする。
「いえ、したりしなかったりですが。友人の茶室開きは初めてで嬉しゅうございました」
「そうですね。
妻の実家が東の寺で、山茶花がきれいでね、いい茶室があります。
良かったら案内したいんですが」
亡くなった妻の実家へ昔の恋人を案内する人があるものか。
量子力学などと言う分野の仕事をしていた人には見えない軽さである。
「はあ」
と生返事をしていると、本尊が気になって上の空なのだと思うらしく、金堂を振り返って
「お参りはしなくていいですか。どうぞ」
と言う。
この人は今でも、私が神仏を厚く敬うと思っているのだろうか。
もう何十年も前から仏様に手を合わせたことはなかった。
自分に期待しなくなった時から、祈りは捨てている。
神仏に願い事をしてはいけない、と幼い私に教えたのは祖父であった。
「仏さんは、この子には何をしてやらないといけないのかちゃんとわかっている。
だから、ありがとうございます、とお礼を言えばよいのだ」
しかし、私は自分が幸せになれないことを確信して手を合わせなくなった。
無駄なのがわかっているのだ。
この人の中では今も私は十九歳の少女なのだろうか。
私がお参りをしたいと思っているらしく、箒の柄を両手で押さえて待っている。
仕方がないので、金堂の前へいって賽銭をあげて、手を合わせてしばらく目を瞑った。
やはり意地のように願い事はしない。
敬虔な仏教徒に見えているのだろうか。
私は自分が望みが叶わないことを知っている。
ゆっくりと頭をあげ、名残惜し気に仏様を見上げてから金堂に背中を向けた。
阿弥陀様は、この世の衆生を全てお救いになったら仏になると決められたと言う。
だから、阿弥陀様が仏になっておられるということは、この世のものは皆救われているのだそうだ、私も。
それならば、私に祈ることはないのである。
参道を歩きながら、徹のほうを見る。
箒に両手を添わせた目が鋭い。
「お元気で」
「ええ」
「皆さん?」
「ええ、元気すぎるくらいで」
「ははっ、何よりです。
私は十八年前に妻に先立たれまして。
乳癌で五年ほど治療をしたのですが、下の娘が高校生でした」
と言う。
育ちの良い子どものような軽やかな笑顔である。
「そうですか」
といってちょっと間があく。
屈託のない顔で、すらすらとそんな話をされてどう答えたらよいのかわからない。
「仕事のほうは、時代が良かったので順調で、研究所の所長にもなれて。
僕より優秀な研究者が何人もいたのですが、播磨先生が僕を押してくれて。
ずっと後押ししてくれました。
大学の時からだから、本当に頭が上がらない」
自分の幸運と成功を語る。
「お茶室は市内ですか。
この辺りは、京都の寺に関わっている数寄屋建築に精通した設計士がたくさんいるからいいのができるんですよ。
数寄屋大工もいいのがいますからね。
この向こうにも、裏千家の出入りの大工がいます。
もう、見ただけでも風貌が違う」
ああ、早苗さんが「おじさん」と言っていた人だな、と思ったが黙っていた。
お婆ちゃん子の徹は、お婆さんのお茶室を遊び場にして、お稽古に来た女性たちに「徹ちゃん徹ちゃん」と言って可愛がられて育った。
厳格なお父さんと几帳面なお母さんから逃げたい徹は、お婆さんを隠れ蓑にちょっとした思想犯みたいな毒舌の青年に育った。
アイドル歌手が白いワンピースを着て歌番組でシェルブールの雨傘を歌った、と言って激高したことがある。
「あんな歌い方をする話じゃねえ、重い話なんだ」
何が彼の心をそんなに捉えたものかシェルブールの雨傘は好きで、京阪神の大学生の源氏物語研究会「円居」で会う私に、通りすがりに何度も
「ジュヌヴィエーヴ・エムリみたいだな」
と、小学生の男の子が「お前の母さん出べそ」と言うような調子で言ってきた。
あまり何回も同じことを言ってくるので
「キム・ダービーのほうが可愛いわよね。可憐で」
と言い返すと、立ち止まって「へえ」という顔をした。
徹はよくそんな顔をした。




