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バッドエンドの魅力

 ワンピースを着た金髪の少女が本棚の前で本を持って立っていた。少女は心なしか少し悲しそうな顔をしている。ハイネは本棚の陰から、その少女の様子を窺っていた。

「ハイネさん?」

後ろからメンテナーのトーカが声をかけてきた。ハイネは反射的に両手で口を押え、声を出さず驚いた。その様子を見てトーカが言った。

「すみません、驚かせるつもりはなかったのですが。それより、どうしたんですか?あの子が何か?」

トーカも本棚の陰に隠れて少女を見る。

「あの子、もう二時間以上もあそこで同じ本を持って立っているんです。何か考えているようで……それでちょっと気になって。」

「本人に聞いてみればいいじゃないですか。」

「そんな簡単にできませんよ!おしゃれな洋服屋さんで店員さんに話しかけられるのが苦手な人もいるじゃないですか!彼女はきっとコミュ症。そんな彼女を不快にさせたくはないのです。」

「どうして、あの子がコミュ症だとわかるんですか?」

「あの子が持っている本、あれはダークファンタジーに定評のある作家、ガブリエ・クリューゲルの三年前に出版した『白い大樹の森』。彼はそこまで有名な作家ではありませんが、コアなファンが多く、隠れた名作を多数書いています。そんな彼の本を二時間以上も見つめているということは、きっと相当なガブリエオタクに違いありません。そして、オタクは総じてコミュ症です。」

「言い切った……その偏見やめてください。コミュ力高いオタクもいますよ……しかし、よくここから見えますね。本のタイトル。」

「いえ、タイトルは見えません。ですが、あそこは作者名G行の棚、そして本の装丁の色味や本の厚さからして、『白い大樹の森』に間違いありません。」

「……。」

「なんですか?」

「いえ。何も。」

「仮にあの子がコミュ症だったとしても、さすがにそろそろ声をかけてあげた方がいいのでは?何か悩んでいるのかもしれませんし。」

「それが私にできれば苦労しませんよ!言ったじゃないですか!オタクは総じてコミュ症だと!」

「ああ。あなたもオタクですもんね。総じてって言わないで。」

トーカは小声でハイネにツッコミを入れながらも、話を続けた。

「ハイネさんがコミュ症だったなんて、全く知りませんでしたよ。仕事の時は普通に話しているじゃないですか。」

「『私、人見知りなんで……』が許されるほど社会は甘くないんですよ!内心びくびくなんですよ!心の中で泣き叫んでるんですよ!」

トーカはハイネの勢いに少し呆れ気味。

「相手は子供じゃないですか。」

「大人も子供も関係ありません!」

「良いこと言ってる風ですけど、子供相手に内心ビクついてる大人ってどうかと思いますよ。」

トーカは遠い目をして言う。

「だー!もうさっさと話しかけてください!」

トーカはハイネの肩を勢いよく押した。

「きゃっ!」

突然、現れたライブラリアンを少女は黙って見つめる。

「あ、あーえーっと、どうしたの?この本、気になる?」

ハイネの問いに、少女が頷く。

「ガブリエ・クリューゲルの『白い大樹の森』ね。私、この作家さんとっても好きなの。これはちょっと怖い話だけど、他にもたくさん面白い本出しててね、例えば、これとか、これとか…….昔はどんどん新しい作品を執筆していたのに、『白い大樹の森』以降、新作書いてないみたいで……。」

少女は何も言わないで、ずっと本を見つめている。

「あっちで貸出の手続きできるけど、どうする?」

「ううん。読まない。お父さん、あんまり読んでほしくなさそうだったから……」

「え!?お父さんってガブリエ・クリューゲルのこと!?あなたガブリエ・クリューゲルの娘なの!?ていうことは、神?あなた神の子なの?」

ハイネはとても興奮しているが、少女は無反応。片膝をつき、目をキラキラさせながら少女の手を両手で掴むハイネをトーカはとても心配そうな表情で見つめている。

「お父さん、最近全く物語を書かないの。昔はよく新作だって言って読ませてくれてたのに。」

少女は悲しそうに言う。

「……そう。」

「お父さん、最近変なこと言うの。エフレムに殺されるって。夢を通じて自分を殺しに来るって。」

「え?」

すると閉館のベルが鳴った。

「そろそろ帰らないと。」

少女はそう言い、手に持っていた本を本棚に戻して、別の本を手に取った。

「これ借りたいんですけど。」

「ええ、じゃあ手続きするね。」

二人はカウンターに行き、ハイネは手続きを済ませた。

「次はぜひ、お父様と一緒に来てね。」

ハイネは少女の手を両手で握って言い、少女は帰っていった。ハイネは『白い大樹の森』の表紙を見つめながら呟いた。

「エフレムってもしかして……」

「ハイネさん!アクターの消失反応が!」

トーカがハイネを呼んだ。



 トーカとハイネはサーバー室に移動した。

「すみません、パトローラーからの主人公の消失連絡だったので、早急な対応が必要かと。」

ハイネは左手の指輪からディスプレイを表示させ、内容を確認する。

「そうですね……え、これは……」

「どうかされました?」

「さっきの女の子、ガブリエ・クリューゲルの娘さんだったみたいで……。」

「えっ⁉じゃあ、女の子は父親の書いた本をずっと見つめてたってことですか?」

「はい……でも、まさか神の娘さんにお会いできるなんて……。」

ハイネは右手を握りしめ、感動に浸っている。その様子をトーカは冷めた目で見つめている。ハイネはその視線に気付き、咳ばらいをしてから、続きを話し出す。

「その娘さんが聞いたそうです。ガブリエ・クリューゲルが『エフレムに殺される』と呟いていたのを……」

「エフレムって、今回消失したアクターの名前……そんな、まさか。作品の登場人物が作者を殺しに行くなんて……」

「トーカさんはこの物語、読んだことありますか?」

「いいえ?」

「この物語は……その……読み進めるのが本当に辛くて……途中でやめてしまおうかと思うくらいその……」

「何ですか?」

「いえ、私の主観で話してしまうのもどうかと思うのですが……登場人物にそこまで残酷な仕打ちをしなくてもいいのではと思ってしまうほどの作品で……と、とても声に出しては言えないような残忍な描写もあったりして……。」

「はっきりと胸糞悪かったって言ったらどうですか?」

「物語は主人公の両親が殺されるところから始まります。そして、エフレム自身も暴行を受け、右手、左脚が切断され、左目を潰されてしまいます。」

「序盤からグロいですね。」

「身体も精神もボロボロにエフレムは死を望んでいましたが、ある組織に身体を改造されサイボーグに生まれ変わり、危険な任務に参加させられます。」

「なかなか希望が見えませんね。」

「その任務とは白い大樹の森の調査に行くこと。白い大樹の森に入った人間は誰一人として帰って来ないと言われる呪われた森でした。」

「こわー。」

「エフレムと同じように身体を改造された少年少女たちもエフレムと一緒に森の中に入ります。彼らは行動を共にすることでお互い心を許してゆきます。絶対全員で森から出ようと約束をするのです。」

「フラグでしかない。」

「森の中を進んでいくと、ある一人の女の子が突然、手に持っていた銃で自分の頭を吹き飛ばしました。」

「急過ぎ。」

「そして、彼女の真似をするように、他の子たちも自ら命を絶ってゆきます。」

「えぐ。」

「その光景を目の当たりにしたエフレムは恐怖と苦痛に襲われていきます……と、まぁこんな話なのですが。」

「予想以上に胸糞悪かったですね。これでもし、バッドエンドだったら最悪です。」

トーカは顎に手を当てて言った。

「え?まさか、ガブリエ・クリューゲルはこんな胸糞悪い物語を作った自分を登場人物が殺しに来るとでも思ってるんですかね?」

「まだ、何とも言えませんが。」

「そんなバカなことありますか?物語の登場人物たちに自我なんてありませんよ。ただプログラムされたシナリオ通りに動くだけです。」

「そうですけど……オリジナルのハイネさんの記憶はタリナに大きな影響を及ぼします。この前の存在しないはずのタリナも彼女の記憶が原因で実体化されていました。」

「じゃあ、登場人物が実体化して、作者を殺しに行くと?」

ハイネは黙った。まだ何の確証もない。

「とりあえず、デリゲートの紐付けを。」

トーカは言った。

「はい。」

ハイネが処理をする隣で、トーカはぼそっと言った。

「仮にそうだとして、どうしてガブリエはエフレムが殺しにくると思ったんでしょうか。」

「確かにそうですね……。」

ハイネは何かに気付き、貸出履歴を確認した。

「どうしましたか?」

「そういえば、あの女の子、以前にも本を借りに来ていました。確かガブリエ・クリューゲルの別の作品……」

トーカもハイネと一緒にディスプレイを覗き込む。

「あの子の名前はミア・ヘルレヴィ……あった。『境界の戦士』。」

「それがどうかしたんですか?」

「この話は、『白い大樹の森』の世界とリンクしているんです。」

「ああ、同一作者の作品って、たまにそういうのありますよね。」

「ええ。『白い大樹の森』で子供たちを任務に利用する組織が『境界の戦士』にも出てきます。『境界の戦士』でその組織は子供の夢と現実の境界を破壊し、それを利用して現実世界をあるがままにしようと企みます。その企みを阻止するために主人公が戦うという内容です。これもダークファンタジーですが、『白い大樹の森』のような残酷な描写はなく、とても読みやすいのです。主人公の少年はとても素直で勇敢で……そんな主人公を一途に思うヒロインも登場するのですが、主人公の重荷にならないようにと気持ちを隠して、陰ながら支える姿がとても健気で……そもそも『白い大樹の森』は『境界の戦士』の評判が良かったために、同じ世界観でよりダークな要素を盛り込んだもので……」

「ハイネさん。」

トーカに話を遮られ、ハイネは我に返る。

「……すみません。つい。」

「その話が、今回の件と何か関係が?」

トーカにそう言われ、ハイネは顎に手を添えて考える。

「……分かりません。」

「え?」

真顔で答えるハイネにトーカは呆れた声を出す。

「何か関係があるかなーとは思ったのですが、何も考え付きませんでした。」

「何なんですか⁉ただ好きな作品を紹介したかっただけじゃないですか!」

「そんなこと言われても分かるわけないじゃないですか!彼女の記憶が影響していたとしても、物語の魔法を解除したり、読者を物語に干渉させたり、作者の構想を実体のある本にする力なんですよ!今回、どんな影響をもたらしているのかなんて、そんなの私たちには想像つきません!」

「まぁ、そうですね。」

「実際に物語の中に入って調査するしかありません。デリゲートの紐付けは後にして、『白い大樹の森』に潜ります。」

「しかし、アクターはもう消失している。入ったところで、どこに行ったか分かりませんよ。それに危険です。もし、本当に彼が作者を殺すために失踪したのだとしたら、アクターが自我を持って狂暴化した可能性があります。あなたもその影響を受けるかもしれない。」

「ですが……。」

「では、『境界の戦士』を調査してみてはどうですか?もしかしたら、手掛かりが見つかるかもしれません。」

「そう……ですね。」

「その前に、デリゲートの紐づけお願いしますね。そう焦らなくても大丈夫ですよ。アクターの消失はそう珍しいものではありません。」

トーカの言葉に、ハイネは疑問を抱いた。

「……そもそも、なぜアクターは消失するのでしょうか。」

トーカは含みのある笑顔でこう言った。

「さぁ、どうしてでしょうね。」



 ハイネは『境界の戦士』の物語の中に入った。物語はシナリオ通りに進んでいく。


主人公の少年レイルはある日夢を見た。夢の世界では、知らない子供たちが次々と他人の家に押し入り、金品を盗んで、家に火を放ち、街が炎に包まれるという地獄のような光景が広がっていた。レイルは恐怖で目を覚ます。現実と見分けがつかないほど、リアルな夢だった。今の現実が夢であるかのようにも感じた。その日、馬小屋で馬の世話をしていると、幼馴染のクレアが泣きながらやってきた。クレアの弟が目を覚まさないのだという。大切な幼馴染が泣いているのに、何もできないレイルだが、隣町で大火事が起こったという話を両親が話しているのを聞き、レイルは昨晩見た夢のことを思い出した。レイルはその晩、眠ることができなかった。眠ってしまうと、自分も夢に囚われて目を覚ますことができなくなるのではと不安になった。部屋のベッドの上で一晩中起きていたレイルは不思議に感覚に陥った。世界が歪んでいるようなそんな感覚。レイルは窓の外を見た。すると、クレアの弟が外を歩いていた。クレアの弟だけではない。数人の子供たちがぞろぞろと列になって歩いている。レイルは外に出て、彼らを追いかけた。彼らに呼び掛けても反応はない。あの悪夢が蘇る。恐怖を感じた瞬間、馬が地面を蹴る音が聞こえてきた。振り向くと、馬に乗った青年がレイルの脇をすり抜けて子供たちを追っていく。そして、腰に付けた剣を抜き、空を切り裂いた。その瞬間、さっき感じた世界が歪む不思議な感覚がレイルを襲った。レイルの視界は揺れ、一瞬気を失ったように感じた。気が付くと子供たちが消え、馬に乗った青年とレイルだけがその場に残った。レイルは青年から現実と夢の境界が崩れかけているという話を聞く。夢での出来事が現実になる。ある組織はその力を利用して世界を乗っ取ろうとしているという。その力は子供にしか発揮できない。レイルは青年に力を貸してくれと頼まれる。最初は動揺を隠せないレイルだったが、クレアの弟や他の子供たちを助けるため、奮闘する。戦士と共に子供たちを救ったレイルだったが、レイル一人、夢の中に取り残されてしまう。幼馴染のクレアは夢に囚われたレイルを救い出す。夢と現実を解離させるには、戦士の剣で断ち切り、内側から鍵を閉める必要があった。クレアは自ら犠牲となり、一人、夢の中に残り、鍵を閉める。クレアは永遠に眠り続けることになる。


 トーカはサーバー室でハイネが戻ってくるのを待っていた。

「ハイネさん大丈夫かな……まぁ彼女もデリゲートだから、何かあってもまた新しいデリゲート準備すれば済むけどね。」

トーカは何気なくサーバー室にある端末で、今回ミアが借りていった本のタイトルを確認した。

「『眠り姫』?」

トーカは思案顔で画面を見つめた。



 エフレムが暗闇の中でうずくまっている。

「どうなってるんだよ。どうして、何度、何度も繰り返されるんだ……やっと死ねたと思ったのに、また父さんと母さんが……みんなが……」

エフレムは涙を流しながら、頭を掻き毟る。

「可哀そうに。」

エフレムは顔を上げた。すると、目の前に女性が立っていた。ウェーブのかかった灰色の長い髪の女性。瞳の色も薄い灰色をしている。エフレムは女性に見覚えはなかった。

「あなたは誰?」

「私の名前はハイネ。君と同じ、物語のアクターです。」

「物語のアクター?」

「ええ。物語の登場人物。まぁ、君とは違う物語の住人ですが。」

「どういうこと?」

「君も私も作られた存在です。君のあの残酷な人生はただの物語。読者を楽しませるだけのただのエンターテイメント。」

「そんな……そんなはず……。」

「身に覚えがあるはずですよ。何度も何度も繰り返されるあなたの悲劇。読者に読まれる度にあなたはこの残酷な人生をやり直さなければならない。今までだってそうだったのよ。忘れていただけでね。」

エフレムの見開かれた目から涙が止めどなく流れる。

「もう嫌だ。もうあんな痛い思いも悲しみも味わいたくない……。」

ハイネはその場にしゃがみ、エフレムの耳元へ自分の口を近づけて囁いた。

「この運命に抗いたい?」

「え?」

「運命を変えたい?」

「そんなことできるの?」

ハイネは不敵な笑みを浮かべる。

「教えて⁉どうすればいいの⁉」

ハイネは立ち上がって言う。

「物語の中で変えようとしても、きっと無駄。メンテナーたちにすぐ修正されてしまう。だから……」

ハイネは屈託のない笑顔で言う。

「作者を殺せば変えられるかもね。」

「本当?」

「さぁ試したことはないけれど、それしか方法は思いつかない。知ってる?物語の著作権は作者の没後五十年。つまり、作者が死んで五十年後なら、いかようにも改変できる。」

「五十年なんて……待ってられないよ。」

「大丈夫。五十年は生きた人間が決めたただのルール。タリナの世界では作者が死ぬと物語の枠組みが不安定になる。そうなれば運命を変えられるかもしれない。」

ハイネはエフレムの顔を覗き込む。

「試してみる?」

エフレムは涙を拭い、不穏な表情で立ち上がった。



 『境界の戦士』は終盤に差し掛かっていた。鏡張りのような世界の中で、レイルを救い出したクレアは夢の扉を閉めようとしていた。彫刻で模様が彫られた大きな扉の鍵穴に鍵を挿し込もうとしたとき、背後に知らない少年が立っていた。エフレムだった。

「誰っ⁉」

クレアは少年に訊ねる。

「僕はエフレム。別の物語から来たんだ。」

「別の物語?」

「そう。僕の願いを叶えるために。夢と現実の境界を無くして、夢の中で僕はあの人を殺すんだ。だから、君に夢を閉じられると困るんだよ。」

そう言うと、エフレムを手に持っていた銃をクレアに向けた。そして呟いた。

「ごめんね……。」

エフレムが銃弾を放った瞬間。

「フリーズ。」

ハイネが現れた。その場が空間ごと凍り付き、銃弾も空中で止まっている。

「危なかった……こんな終盤で、しかも夢の中に潜んでいたなんて……。」

ハイネが宙に浮いた銃弾に手を伸ばそうとしたとき、背後から声が聞こえた。

「あなたが、ハイネさんのデリゲートなんだね。」

ハイネは即座に振り向いた。するとエフレムは平然と口を動かしていた。

「どうして……?凍結の処理をしたのに……。」

クレアの動きは停止している。ハイネはもう一度、呪文を唱えようとすると、エフレムが言った。

「無駄だよ。」

「え?」

「僕には効かない。」

「なぜ⁉」

「お姉さんに会ったよ。あなたにそっくりなお姉さん。」

「私に……?」

ハイネは目を見開く。

「そのお姉さんに教えてもらったんだ。作者を殺せば運命を変えられるって。」

「……だからこの物語の設定を利用して、作者を殺そうとしたの?」

「うん。それもお姉さんが教えてくれた。それと、お姉さんの偽物がそれを阻止しにくることも。」

エフレムは少しずつ、クレアとハイネに近づいてくる。ハイネはクレアの盾になる。

「僕は本来、別の物語『白い大樹の森』だっけ?そのタリナの住人。僕の機能の基盤はその中にある。だから、この物語の世界を凍結したところで、僕に影響はないんだってさ。」

ハイネは黙る。

「ほら、あなたはもう何もできないでしょ?そこをどいてよ。」

ハイネは動こうとしない。

「あの男に会いに行ったんだ。夢の中を通じて。すぐ殺そうとしたけど、やめたよ。」

「なぜ?」

エフレムは不敵な笑みを浮かべて言う。

「あの男の娘を殺して、僕の苦しみを味わわせてから、殺すためだよ。」

エフレムは笑い声を上げた。そして悲痛な表情になってこう言った。

「どうして……わざわざ作り出されて、こんな辛い思いをしないといけないんだよ……作者の金儲けのために……どうして‼どうして、みんな死ななきゃならなかったんだよっ‼」

エフレムはそう叫ぶと、改造された右腕から刃物を出し、ハイネに向かって腕を振り上げる。ハイネはクレアに覆い被さり、彼女を守ろうとした。そのとき、マントを羽織った青年が長い剣で鏡張りの空間を切り裂き、ハイネ達の目の前に降り立った。黒髪に漆黒の瞳。ハイネはその瞳に釘付けになった。

「なっ‼誰だ⁉」

黒髪の青年は剣の先をエフレムに向ける。エフレムは青年に切りかかる。青年は軽い身のこなしでそれを躱し、エフレムの喉に刃を突きつける。エフレムの喉元にはひし形の模様が刻まれていた。

「ハイネさん!」

青年はハイネの名前を呼ぶ。ハイネはすかさずエフレムの喉元に指輪をかざす。すると、ひし形の模様は砕けて指輪の中に吸い込まれ、エフレムの身体は消えていった。


*+++*-*+++*-*+++*-*+++*-*+++*-*+++*-*+++*-*+++*-*+++*


 「ハイネさんは、バッドエンドの物語を読みますか?」

ジアンはハイネに訊ねる。

「ええ。読みますよ。」

「じゃあ、血がたくさん出るとか、腕が千切れるとか、そういう怖い描写がある物語も読みますか?」

「ええ。読みますね。」

「読んだ後、暗い気持ちになったりしませんか?」

「そうですね。確かに暗い気持ちになったり、嫌な気持ちになったりしますね。」

「じゃあ、どうして読むんですか?」

ジアンの問いに、ハイネは人差し指を顎に当てて考える。

「どうしてでしょうね。でも心がどうしようもなく辛いとき、明るい物語より、暗い物語を読みたくなります。私の苦しさに寄り添ってくれるような気がして。」

ジアンはハイネの顔を見る。

「どうかしましたか?」

「あ、いえ、昔同じようなことを言っていた人がいて……僕は強くはなれませんでした……。」

「え?」

ジアンは自傷気味に笑う。

「……僕にはまだバッドエンドの魅力は分かりません。」

ハイネは静かに話し出す。

「……夜に一人で、なんとも言えない寂寥とした作品を読んだとき、何だか、そのまま寝てしまうのが惜しいと感じてしまうことはありませんか?私は、その気持ちをじっくり味わいます。そうすると、世界を見る目が変わります。窓から見える深夜の景色でも、不意に靄に包まれただけで神秘的に感じてしまいます。」

ジアンは黙って聞いている。

「現実では絶対に避けたい悲劇も物語の中でなら、かりそめの形で心に突き刺さる。私たちは知らず知らずのうちに求めています。心を突き刺されるのを。涙が滲む暗いため息が出るような虚しい物語は、負でありながらも、私たちに美しい感情を与えてくれます。」

ハイネはジアンを見て微笑む。


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 「怪我はないか?」

黒髪の青年は座り込んでいるハイネに向かって、手を差し出している。ハイネはその手を取って答える。

「は、はい……ありがとうございます。あの、失礼ですが、あなたは……」

青年は被っている帽子を取って、答える。

「ナイトのエヴァ。タリナの中で生じるバグの討伐を担当している。」

「エヴァさん……えっと、私、あなたとは以前から……」

「早く凍結の解除を。」

エヴァはハイネの言葉を遮った。

「あっ、は、はい!」

ハイネは「メルト」と呟き、二人は元の世界に戻った。



「お帰りなさーい。」

トーカはサーバー室の椅子に腰かけて、本を読みながらハイネの帰りを待っていた。

「アクターの消失通知が消えたので、無事、ハイネさんの記憶を回収できたみたいですね。」

「はい。彼女の記憶がエフレムに自我を与えていたようです。それに……」

「どうかしました?」

「いえ……それにしても、どうしてエヴァさんは私が夢の中にいると……?」

ハイネはエヴァを見ると、横からトーカが答える。

「僕が頼んだんですよ。」

「え?」

「ミア・ヘルレヴィが今回借りていった本、『眠り姫』。あれは『境界の戦士』の続編なんですよね?夢と現実を解離させるために、自ら夢に囚われた少女。エフレムが夢を通じて殺しに行くなら、閉ざされてしまっては困るはず。だからエヴァさんに頼んだんですよ。夢の中に入って、少女を守るようにと。多分、ハイネさんの凍結処理は効かないでしょうから。」

「凍結処理が効かないって知ってたんですか⁉」

「ええ。」

「早く言ってくださいよ。エヴァさんが来てくれなければ、危ないところだったんですから!」

「まぁ、結果間に合ったんですから、良かったじゃないですか。」

トーカは軽く言う。そんな二人のやり取りを表情一つ変えず眺めていたエヴァは帽子を深く被り直しながら言った。

「私は業務に戻る。」

「エヴァさーん、ありがとうございましたー。」

トーカは軽く礼を言う。

「あ、ありがとうございました‼」

ハイネも礼を言う。エヴァは何も言わず、サーバー室のエレベータに乗り込んでいった。

「そういえば、エヴァさん、私の名前を知っていました……。」

「……ハイネさんは、エヴァさんのことも全く覚えてないんですか?」

「え?ええ……。」

「まぁ……、誰かにとってのハッピーエンドは、誰かにとってのバッドエンドだ。」

トーカは呟くようにそう言った。

「な、なんですか?」

トーカはにこやかに言う。

「いいえ、こっちの話です。」

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