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生み出されなかった女の子

 あの後、結局何も聞けないままジアンは帰ってしまった。笑顔で「また来ます」と言い残して。ハイネはカウンターに本を積み上げて、ハイネの記憶を探していた。オリジナルのハイネはジアンの過去を知っていたのだろうか。彼を苦しめる過去を。知りたいと思った。知って、彼を救いたいと思った。そして、それ以上に彼の特別になりたいと思った。

「ハイネさーん!」

「きゃっ‼」

メンテナーのトーカが突然、カウンターの陰から顔を出した。ハイネは驚いて声を上げる。

「なっ、何ですか、いきなり!」

「いえいえ、何だかとても熱心に記憶を探してるなーと思いまして。」

「そんなことありません。」

「本当ですかねー?僕の忠告はちゃんと覚えてますよね?」

「……もちろんです。」

トーカはニッと笑う。

「それで?進捗はいかがですか?」

「あまり、良くはありません。」

「どうやら、そのようですね。」

トーカは積み上げられた大量の本を見てそう言う。

「物語は何千、いや何万年も前から絶えず生み出されています。そして、今日この瞬間も、どこかの誰かが物語を綴っている。そんな無限のタリナから彼女の記憶を探すなんて、無謀にも程があります。」

ハイネは聞き分けのない態度で、黙々とタリナの不具合を探す。

「そこまでして、彼女になりたいんですか?」

ハイネは何も答えない。トーカはため息をつき、一冊の本をハイネの目の前に差し出した。その本は装丁も、作者の名前も、出版社の表記も何もない。

「これは?」

ハイネは訊ねる。

「タリナの内部監視を行っているパトローラーから報告がありまして。なんでも、実際には存在しないはずの物語が紛れ込んでいたようです。」

「存在しない……?」

「はい……僕にもよく分かりませんが、これ装丁がないでしょう。誰が作ったのかも、どこで出版されたのかも不明です。」

「そんなものがなぜ……。」

「おかしいですよね?」

そう言って、トーカは歯を見せずに笑う。

「もしかして……」

「はい。もしかすると、ハイネさんの記憶の影響かもしれません。」

ハイネはトーカを見上げる。

「ですので、こちらの調査をお願いできますか?ライブラリアンのハイネさん?」

ハイネはトーカが持っている本を受け取る。

「でも、行くなら気を付けてくださいね。」

「え?」

「これは、本来は存在しないはずの物語です。なので、存在はとても不安定。」

「どういうことですか?』

「いつ消えて無くなってしまうか分からないってことです。」

「消える……。」

「はい。なので、気を付けてください。あなたが物語の中に入った状態で消滅が起これば、あなたは物語や登場人物たちと一緒に消えてしまうかもしれません。」

ハイネは唾を飲み込む。

「それでも行きますか?」

ハイネは黙って、力強い視線をトーカに向けた。



 ハイネは目を開けると、そこには可愛らしい街並みが広がっていた。レンガ造りの石畳の道に面して、カラフルな建物が立ち並んでいる。建物の一階はパン屋さんだったり、おしゃれな生活雑貨のお店だったり、道に面した窓には赤や黄色の花が植えられた植木鉢がぶら下がっていたり、どこかで見たことあるようなそんな街だった。街を見渡しながら、謎のタリナの調査と分かっていながらも、一体どんな物語が始まるのかと内心わくわくしていた。

「泥棒よ!誰か捕まえて!」

突然、女性の大きな声が聞こえた。ハイネが振り返ると茶色い帽子を被った男性が、布袋を抱え、道の真ん中を凄いスピードで走って来た。

「どけぇーーーっ‼」

男性はそう言いながら、ハイネの脇を通り過ぎていく。

「待ちなさいッ‼」

すると、女の子の高くてはっきりとした声が街中に響いた。声は上の方から聞こえた。ハイネが空を見上げると、そこには大きなつばのとんがり帽子を被った女の子が、箒に乗って空を飛んでいた。その少女は長い黒髪を三つ編みにして、紫色の瞳をキラキラと輝かせている。

「私から逃げられると思わないでよッ‼」

女の子が箒を強く握り、力を込めると箒は猛スピードで逃げる男に向かって飛んでいく。そして、少女が杖を取り出し男に向け呪文を唱えると、男が抱えていた布袋が男の腕から離れ宙に浮き、少女の手元に飛んできた。

「くそっ!」

男は布袋を諦め、必死に逃げる。

「まだまだッ‼」

今度は、道に置いてあったロープに杖を向け、呪文を唱える。すると、ロープが男に向かって飛んでいき、男を縛り上げた。その場にいた町民らは歓声を上げる。少女は得意げな顔で女性に布袋を返した。

「ふふッ。また何かあったらすぐに呼んで!いつでも駆けつけるからッ!」

少女はそう言葉を残し、飛び去っていった。ハイネはその一部始終を見終え、側にあったベンチに腰を下ろし、膝に頬杖をついた。

「魔法少女のお話か。」



あるところに、サニーという女の子がいました。

サニーは魔法使いでした。

彼女は明るくて活発で、困っている街の人々の役に立つのが大好きでした。

街のみんなもサニーのことを頼りにしていました。

サニーが朝食を食べている最中でも、

「サニー‼街に山賊がっ‼」

「はいッ」

サニーが買い物をしている途中でも、

「サニー‼家が火事にっ‼」

「はいッ」

サニーが夜パジャマで寝ているときでも、

「サニー‼部屋に大きい蜘蛛がっ‼」

「任せてッ」

サニーがお風呂に入っているときでも、

「サニー‼川が決壊して、水が街にっ‼」

「はいッ」

サニーが疲れて休んでいるときでも、

「サニー‼街に巨大なドラゴンがっ‼」

「はいッ‼」

サニーは嫌な顔一つせず、ボロボロになりながら笑顔で、街のみんなのために頑張りました。

「あなた、怪我はない?」

ドラゴンを退治し終わったサニーは近くで見ていたハイネに声をかけた。サニーの顔はドラゴンの放った炎で出た煤で汚れていた。

「え?ええ、大丈夫。ありがとう。」

「それなら、良かったッ。」

ハイネはサニーが何度も何度も街の人たちを救う姿を見てきた。しかし、ただそれだけで、物語が進む気配も終わる気配もなかった。彼女は永遠、街の人たちのために戦うのだろうか。ハッピーエンドも、バッドエンドも訪れず。

「あなたは、どうしてこんなに街の人たちのために頑張っているの?」

「え?どうしてって、私は困っている人のことを放っておけないのッ。」

「困っている人を助けるために魔女になったの?」

「そうよッ。」

サニーは自慢げに答える。ハイネは話を進展させる何か要素がないかを探った。

「魔法はどこで習ったの?魔法学校?それとも有名な魔女の弟子になったとか?」

「いいえ。魔法少女になりたいって願ったら、魔法少女になれたのよッ!」

「設定雑だな。」

「私は選ばれし者だったみたいッ!」

「そう……だけど、どうして一人で?あっ!親元を離れて独り立ちしたら、一人前に魔女になれるとかそういうしきたりがあるとか?」

サニーは首を傾げる。

「いいえ?」

「……。」

ハイネは冷める。

「サニー‼畑の雑草が‼」

またサニーを呼ぶ声が聞こえてきた。

「ごめんなさいッ、行かなくちゃッ。」

そう言って、サニーは颯爽と箒にまたがって飛んでいった。

「畑の雑草くらい自分たちで何とかしなさいよ。」

ハイネは呟きながら、サニーの背中を見つめていると、突然、サニーが向かった先に真っ黒な穴が現れ、徐々に穴は広がり街を侵食し始めた。建物や石畳がばらばらと崩れて、黒い穴に吸い込まれていく。

「な、何ッ⁉」

サニーは叫ぶ。

「フリーズ‼」

ハイネは人差し指を立てて、停止の呪文を唱える。しかし、効果はない。サニーは必死に逃げる。しかし、黒い闇が手のようにサニーの身体に絡みつく。

「嫌ッ‼やめてッ……誰か助け……」

サニーは手を伸ばす。しかし何にも届くことなく、穴に吸い込まれていった。

「これは、もしかして、物語の消滅……?」

ハイネはトーカが言っていた言葉を思い出した。現実の世界に戻るべきか……しかし、ハイネの記憶が影響しているなら、それを回収しなければ……悩んでいる間にも、物語の世界の崩壊は進んでいる。ハイネの身体も何かの力に吸い込まれそうになった。ハイネは必死に抗うが、今にも暗闇がハイネの身体に触れてしまう。ハイネが記憶の回収を諦めて、仕方なく元の世界に戻ろうとしたとき、崩壊が一瞬止まったようにハイネは感じた。しかし、またすぐに街を飲み込み始める。

「何あれ……?」

ハイネは街を飲み込んだ真っ黒な空間に微かな光を見た。ハイネの足元まで侵食が届いた。光に目を凝らすと、その光から一直線にガラスのような、氷のような透明な足場ができていることに気が付いた。

「これはっ……」

ハイネは意を決して、真っ黒な空間に飛び込み、透明な足場に足をついた。ハイネが着地した瞬間、ひび割れ崩れ始めた。

「嘘でしょ⁉」

ハイネは必死に走った。奥の方へ、奥の方へと。足場が崩れ落ちる前に。すると光がどんどん近づいてきた。そして、ハイネは真っ白な空間に包まれた。



 気が付くと、そこは図書館だった。ハイネは席に座ってノートに何かを書いている女性の正面に立っていた。眼鏡をかけたその女性はハイネに気付いた。

「す、すみません!」

女性は咄嗟にノートを閉じて言った。

「え?」

ハイネは突然、謝られたことに驚いた。

「え?図書の閲覧以外の利用を注意しに来たのでは?」

「あ、いえ、違います。」

「へ?」

「確かに、図書の閲覧以外の利用は原則禁止していますが、今の時間、利用者は少ないですし、席が埋まっているわけではないので、大丈夫ですよ。」

「そ、そうですか。すみません。ここ、とても落ち着けるので、執筆が捗るというか。」

「作家先生なのですか?」

女性は慌てて両手を上げて否定する。

「ち、違います!私なんて全然……まだ一冊も出版されてないんです……。」

「そうでしたか。それなら小説家の卵ということですね。」

女性は俯いて微笑んだ。

「卵……そうですね。でも私の卵はもう孵ることはないでしょう。」

「え?」

「これまでもたくさん書いてきました。だけど、何一つ世に出ることはありませんでした。」

女性はノートの表紙に手を添える。ハイネがノートを見ると、ひし形の模様が浮かび上がっていた。オリジナルのハイネの模様だ。

「これはどんな物語なのですか?」

「え?」

「よろしかったら、私に聞かせてもらえませんか?」

ハイネは女性に笑いかけた。女性はノートを開き、ページをめくる。

「魔法使いの女の子のお話です。女の子はとても元気で、明るくて、活発で、みんなの人気者。女の子が魔法を使って、困っている人々を助けるの。」

装丁もない、作者名もない、出版社名もない、あの話だとハイネは思った。

「みんなを元気にする、まるで太陽のような女の子を書きたかったの。昔読んだ魔法使いの女の子の話みたいに、読んだら元気になれる話を。」

女性はページをめくった。次のページはぐちゃぐちゃに破られていた。

「でも、物語には何か出来事が必要でしょ?楽しい出来事だけじゃなく、簡単には乗り越えられない困難や挫折。でも、彼女を傷つけたくなかった。彼女に困難なんて与えたくなかった。失敗なんてさせたくなかった。ただただ良い子でいてほしかった。そうしたら、ただただつまらない話になっちゃった。」

女性は笑った。

「さっき、夢……みたいなものを見たの。あなたが来る前に。そこには私がイメージした通りのサニーが箒に跨って空を飛んでいた。私の理想を詰め込んだ女の子が命を吹き込まれたみたいに動き回っていた。嬉しかった。」

そう言うと、女性は途端に悲しそうな表情に変わった。

「だけど、消えちゃった……暗闇に吸い込まれて、全部……ごめんね、サニー……あなたを作ったのは私なのに、あなたをこの世に産み出してあげることができなかった……。」

女性は両手で顔を覆い、肩を震わせた。ハイネは左手にした指輪をノートに添える。すると、ひし形の模様が浮かび上がり、そして砕け散った。砕けた欠片はハイネの指輪に吸い込まれた。ハイネは記憶を回収した。


*+++*-*+++*-*+++*-*+++*-*+++*-*+++*-*+++*-*+++*-*+++*


 薄茶色の髪の小さな男の子が本棚の前に立って泣いていた。

「どうしたの?」

ハイネは男の子と同じ目線になるようにしてしゃがむ。しかし、男の子は何も言わない。

「何か辛いことでもあったの?」

男の子はただただ涙を流すだけ。ハイネは男の子が持っている本をみた。それは『フランダースの犬』だった。

「この本を読んだの?」

男の子は頷く。そして、口を開いた。

「どうして、こんなに悲しい物語があるの?」

「え……?」

「家でも学校でも、悲しいことばっかりなのに、こんな悲しい話読んだら、心がぐちゃぐちゃに潰れちゃうよ。」

男の子は本当に苦しそうな声でそう言った。

「そうね。どうしてかしらね。でも、悲しい気持ちのときに、悲しい物語を読むと、その気持ちに寄り添ってくれる。そして、何でもない日常がとても愛おしく感じる。この毎日はこんなにも幸せだったんだって気付くことができる。楽しいことだけじゃ、強くなれないでしょ?」

ハイネは男の子の頭を撫でた。

「君はとっても優しい子なのね。君は強くなるわ。」


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女性の考えた話は、確かに抑揚がなく退屈なものだったけれど、サニーはとても魅力的な女の子だったとハイネは感じた。彼女ならきっとどんなに辛い困難も乗り越えることができる。ハイネはいつかまたサニーの明るい笑顔に会いたいと思った。

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