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その光に泣く時  作者: 夏草枯々
二章 血が二人を別つまで
8/15

3

翌朝、早朝に目が覚めた。部屋には窓の隙間からぼんやりと青い光が差し込んでいる。俺は体を起こすとベッドから落ちそうなほど端にいる事に気がつく。と、同時に体の節々が痛んだ。ぼんやりとしながら隣を見るとヒカリが毛布から顔を出している。昨日はなんだかんだ遅くまで起きていたからぐっすりと寝ているのだろう。しばらくボーッと寝顔を眺め静かに立ち上がる。

ーーベッド、大きいのに買い変えなくちゃな。

軽く頷いて身支度を整えた後、あくびをしながら天井に向けて手を伸ばす。その後、朝食を買いに外へと出かけた。

もう季節は夏が始まってはいるものの、やはり早朝はまだ涼しい。今日のガラス工房もこの調子なら大丈夫そうだ。ゆっくりと町を散歩しつつこの時間からやっている出店を探した。


(まだ寝てるか)


俺は朝食を買ってから急ぎ足で家に戻った。幸いヒカリは朝見た時と変わらない調子で寝ている。それを見て俺はホッと息を吐き出す。朝起きて俺がいなかったら困るかもしれない、と気がついたのは朝食を買った後の事だった。

それから俺はヒカリが起きてくるまでやる事もないので朝食を片手にキャンバスへと向かう。

小さな机に絵の具を準備して朝食を置き、時々そこからつまみながら筆を動かす。騎士になるまで朝方こうして絵を描いている事は多かった。

どれくらいの時間描いていただろうか。


「おはよ」


そんな声がして顔を向けると体を起こしたヒカリがこちらを見ていた。俺は「おはよう」と返し椅子から立ち上がりベッドに腰掛ける。


「朝食あるよ。今日は行けそう?」


「んー…うん」


ヒカリはまだ少し眠たそうな調子で言って頷いた。


「まだ寝る?」


「んーん、大丈夫」


そう言った後ヒカリはあくびをした。俺にもあくびがうつる。それを見て二人でお互いの顔を見て小さく笑った。


「服…どうしよう」


ヒカリが毛布を体に巻いてベッドの上で朝食を食べながら言った。

俺は折り畳まれたドレスに目を向ける。昨晩までヒカリが着ていたものだ。


「一旦、お屋敷に帰って着替えるしかないかなぁ」


それにヒカリが「まぁ、そうだよね」と諦めたように言った。

俺は服からヒカリへと目を向ける。浮かない顔をして朝食のパンを食べている。きっとお屋敷に戻ればうるさく言われるのが目に見えているからだろう。

俺は目を閉じて唸る。服は兎も角、問題はドレスだった。家ではあんな高そうにドレスを管理することが出来ない。ふと、一つの案が思い浮かびあー、と言葉が出た。


「俺がお屋敷にドレスを持って行こうか?服はどこかで買ってさ」


ヒカリはしばらく目を丸くした後「いいの?」と言った。


「うん、いいよ。誰に渡せばいいとかある?」


「…来客用のメイドさんが出迎えてくれるはずだからその人に渡してくれればいいかな」


「りょーかい」


俺は何気なく頷く。

これで問題は解決したはずなのにヒカリの顔が次第に曇っていった。眉尻を下げてシュンとしている。


「ごめんね。こんな…小間使いみたいなこと頼んで」


今度は俺が目を丸くする。その後「小間使いって」と言って小さく笑った。


「そんな発想無かったよ。まぁ俺がしたかっただけだから」


ヒカリは「うん」と言って少し微笑みながら頷いた。

その後、ヒカリは手紙を書き、俺はそれを持って家を出た。手紙には屋敷から持ってきて欲しい服と家族に向けての連絡を書いたらしい。

屋敷では来客用のメイドがテキパキと仕事をこなして何事もなく服を受け取れた。

家に帰るとヒカリは服を受け取り紺色のシンプルなドレスに着替えた。昨日のドレスと違いシルクの生地でもなければレースもついていない。


「これなら目立たない…かな?」


そう言ってヒカリはドレスを見ながら裾を引っ張った。歩き方だとか小さな仕草から育ちの良さが滲むものだ。結局、ヒカリが何を着ていようと野郎どもの視線は勝手に集まるような気がした。


「大丈夫、似合ってるよ」


「えー私、地味ってこと?」


「言ってねー」


そんな事を話して家を出た。

ガラス工房に着くまでは暑かったものの風通しのいい工房の中は涼しかった。石で囲まれた工房で白い顎髭を生やした職人の方が炉の前に座って赤く焼けたガラスを鉄の棒で拭いている。俺はチラリとそれを見て静かに工房の壁側に広がる棚の方へと移動した。棚には出荷前のガラスで作られた商品が並べられている。透き通ったコップが多いもののインテリアらしき小物もちらほらある。興味は無かったけれど見ている分には面白い。久々に来たので知らないものが棚に増えていた。


「お邪魔してるよ」


俺はやってきたガラス工房で働く見習いの少年にそう声をかける。彼はそれに小さく頷いて工房の奥へと引っ込んでいった。


「これ」


隣で見ていたヒカリがそういった。

見るとチェスのナイトの駒の形をしたガラスの小物があった。殺風景な俺の部屋に一つくらいこういうのがあったって良い。


「どこで売ってるんだろうな」


「後で聞こうよ」


俺は頷いた。


「本当にチェス好きなんだね」


「屋敷で唯一の娯楽だったからねー」


「相手はいたの?」


「お父様は強すぎて、メイドさん達は私の我儘で駒の動かし方を覚えただけだったからつまんなくて、忙しそうなお兄様に渋々相手をしてもらってたなぁ」


チェス板を抱えて屋敷を彷徨うヒカリを想像する。微笑ましい光景だ。


「チェスは勝つにしても負けるにしても圧倒的じゃあ楽しくないよな」


「そうだね。久々にチェスしよっか」


俺は「いいね」と頷く。後で帰る時チェスを買うのを忘れないようにしないと。


「久しいな」


俺の背後からそんな声がした。


「お邪魔してます」


俺は振り返り職人の方に挨拶をする。

職人の方は白い顎髭を触りながら頷いた。


「これってどこに卸してるんですか?」


「そこを出て右の角の店だ」


俺は天井を見上げてここら辺の店を思い返す。確かに店は言われた場所に思い出してみればある。けれどなんの店かは知らない。看板の文字が掠れて読めないし、小さな窓からも中はあまり見えないからだ。


「言いたいことは分かる。ただ売れすぎてもいけない」


俺の表情が曇ったのを見てか、職人の方は頷きながらそういった。そういうものなのか、と俺は頷く。


「島に幽閉されるからですか」


ヒカリが突然、そう言った。

何かそう言う話があるのだろう。


「あぁ、職人の流出を防ぐためと言ってな」


「素人ながら見ただけでも美しいと感じる品々ですから、きっと価値が分かる人が見れば幽閉されてしまうでしょう」


「されてたからな。まぁこの歳になれば流石にもう上も追っては無いだろうが」


そんな話を聞きながら俺は置いてけぼりを食らっていた。なんのことやらだ。


「にしてもお嬢さん。そんな事、よく知ってたな」


「その島に行ったことが昔ですがあります」


「ほぉ。それは相当な金持ちのお家で」


そう言って職人の方は頷いた。


「こちらの方はお前の嫁さんかい?」


俺はこちらを見る職人の方に「いえ」と首を横に振った。そうなればどれほどよかっただろうか。


「でも…好きな人です」


叶わない思いと知りながら。俺はやけにハッキリとそう言った。

言った途端に両極端な感情が湧いて心が揺れた。ザラリとした痛みに似た感情、それとホッと息を吐きだす。

ーー臆病だ。

その言葉をヒカリに向ける事から逃げていたんだと自覚する。

やがてじんわりと胸の辺りが暖かくなっていく。俺は胸に手を当てて小さく笑みを浮かべた。


「…なるほど」


そう言った後、職人の方はヒカリの方を見て「先程までの無礼な態度に謝罪を。罰は何なりと受ける所存でございます」と床に膝をついて深々と頭を下げた。俺の返事に何かを察したのだろう。


「顔を上げてどうか立って下さい。私には何の権力もありませんから」


そう言ってヒカリは首を横に振り職人の肩に手をやる。それはあまりにも自然でどこか慣れた動作に見えた。

それから俺たちは職人の方の厚意で作業を近くで見させてもらえた。溶けたガラスをハサミで切ったり曲げたりと様々な工程を経て小物一つ一つが出来上がっていく。しばらくそれを眺めた後、俺たちはお礼を言ってから工房を後にし先程紹介されたお店に寄ってチェスの駒を白黒一対買い昼食を買いに市場へと向かった。


「あ」


そこで俺たちは偶然にしてはやけに出来すぎたタイミングで騎士団団長と対面した。俺は周りの人々と同じように深くお辞儀をしながら団長が過ぎるのを待った。団長が街中を、それも人の多い市場にいる事自体が珍しい。この町で生まれてからずっと暮らしているけれどこんな事は一度もなかったほどだ。


「…お父様」


ヒカリが隣でそう呟いたのが聞こえた。

俺は頭を下げたままヒカリの方へと視線を向ける。ヒカリのお腹の辺りで重ねた手が僅かに震えているのが見えた。俺は一度目を閉じてから小さく息を吐き出し顔を上げる。団長から娘とはもう会うな、くらい言われるかと思ったけれど顔を上げた俺を無表情に一瞥しただけだった。その後、ヒカリの方を見て「今日は帰ってきなさい」とだけ言って市場から去っていった。その口調は淡々としたものだったけれどちゃんと娘の心配をしている事に少し意外さを感じた。

その事を俺はヒカリに話す。


「心配はしてないんじゃない。勝手なことしてって怒ってはいそうだけど」


そうヒカリはりんごを見ながら言った後、こちらを向いた。パァッと明るい表情で何かを思いついた様子だ。


「この後さ暑いし近くの川に行こうよ!」


「…良いけどゴブリン次第だね」


ゴブリンが川で何匹もいるようなら流石に街に戻るつもりだ。

本隊の到着はまだ先らしいけれど村を滅ぼした先鋒隊が後どれだけ残っているのか分からない。


「ゴブリンの先鋒隊は新兵部隊でほぼ壊滅させたらしいし大丈夫だと思うよ。本隊の到着もまだだし」


「あれで壊滅させてたのか」


だったら大きな戦果だ。無事村を離れた住人は逃亡先まで逃げ切れるだろうし、今から町を離れる人も比較的安全だろう。ただその分の代償も大きかったけれど。

そんな話をしながら昼食用のパイを購入した。イチジク、キャベツに川魚の入ったパイは手のひらよりも大きい。一旦店で半分に切ってもらった後、それを持って川へと向かった。

青く澄んだ空の下、日に焼かれながら小高い丘を登った先にマイム川が見える。幸いゴブリンの姿は見渡した限りない。ただ去年友達達と川へ来た時はもっと村人や町の人で賑わっていのに、ゴブリンの影響か誰も居なかった。


「あつーい」


隣でヒカリが顔を手で扇ぎながら声を上げている。

確かに、と俺も額の汗を腕で拭いながら「一旦そこの木陰で休憩しよう」と近くの木を指差した。

近づくとビビビビと蝉の声がする。どこかに止まっているらしい。この声を聞くと少し早いけれど夏が始まった感じがした。


「これさくらんぼの木だ」


そう言ってヒカリが見上げている先には赤黒い小粒なさくらんぼが実っていた。手の届く範囲で摘んで取って二人同時に口に入れてみる。


「「酸っぱー」」


甘い香りはするけれどお互い口を窄めるほど酸っぱい。やはり野生のものはダメだ、と俺は顔を顰めた。

その後、木の根元に腰掛けて買ったパイを食べた。川が近いおかげか吹いてくる風は街に比べかなり涼しい。

突然の強風にヒカリがワッと声を上げる。抑えた白い髪が大きく風に揺らいで輝いていた。それからヒカリはうっとりとした表情をして目を瞑り「気持ちいいー」と声を上げた。

それを見ながら自分の髪も僅かに揺れるのを感じつつ俺は大きく息を吸い込んだ。川の湿った匂いがする。冷えた風が体の中まで届いているような感じがした。


「確かにね」


と頷く俺の前でヒカリは川の方へと向かった。

俺もその後に続き川辺に立って多分の西の方角であろう方向を見た。ここから川下へ進んでいけば村人が向かった西の国が見えてくる筈だ。


「冷たぁ!」


隣からそんな声がして、その方向を見るとヒカリがドレスの裾を持ち上げながら川へと足を入れていた。俺も同じように靴を脱いで川へと進む。


「冷てぇー」


そう声を漏らす。川は身震いが出るほどの張り詰めた冷たさをしている。下を見ると透き通っていて自分の足やその横を泳ぐ小魚が見えた。


「だーれも居ないね」


ドレスの裾を持ち上げたままヒカリはどこか遠くを眺めながらそう言った。

俺は「ゴブリンの影響だろうな」と口にする。


「なんか寂しいよな。今年は夏って感じがしないし」


「流石に異常事態だからね」


「なんとかなるかなぁ」


そう呟きながら教会の人が言っていた神の試練という言葉を思い出した。その試練は乗り越えられるのだろうか。現状何一つとして希望がない。援軍が来なければ騎士団は蹂躙されてしまう。


「多分、援軍は来ないだろうね」


ポツリとヒカリはそう言った。騎士の作戦会議に参加しているヒカリがそういうのだ。ならば援軍は絶望的だろう。俺は顔を顰めた。援軍は来ない、撤退も出来ないでは話にならない。


「その場合はどうするんだ?」


「国王陛下と領主様次第だと思う。戦えと言われたら私たちはもう戦うしかない。もしかすると南の傭兵部隊が来てくれるかもしれないっていう希望的観測は一応あるけど。既に本国の軍からは拒否されたらしいよ」


「そうなんだ」


もう既に俺たちは国から見放されたらしい。ここを俺たちがあっさりとやられてしまえばゴブリン共を止めることのできる都市は当分、無い。村人が逃げていった西の国の街では止めることは難しいだろう。この規模の城塞都市がゴブリンに落とされるなんてのがまず前代未聞だ。あの時の村以上に多くの人が戦いに巻き込まれるだろう。


「でも、南の傭兵が来てくれさえすれば逆転の芽はあるよ。精鋭の傭兵が多い国だから」


そうは言ったもののヒカリの表情は曇ったままだ。何か南の傭兵達にも難しい理由があるのだろう。

続々と俺たちは追い詰められていた。


「冷たいね」


そう言ってヒカリは川から上がっていった。

その後、またさくらんぼの木の下で喋った。沈んでいた空気が嘘のように何気ない会話は弾み、あちらこちらへと話題が飛んでいく。話したい事が後から溢れてくるみたいだった。

ただ一度だけヒカリがふと、話題を止めた瞬間があった。瞬間なので一瞬で次の話題に移ったのだけれど。


「さっきさ」


と、いうどこか含みのある言い方だったのが後になって気に掛かった。


「すっごくいい休日だったね」


と、言いながらヒカリはどこか眠そうだった。目がトロンとしているし首も少し傾いている。俺も少し眠い。なんだかんだ今日はかなり歩いたし、慣れないベッドで寝たせいで良い睡眠を取れていないのかもしれない。


「ね、こんな贅沢な休日は中々無いよ」


そう答えて俺はあくびをする。


「帰ろっか」


俺はそう言ってヒカリの前に背中を向けて座る。

眠いでしょ、と言うと「うん!」と弾むような声色が背後から返ってきた。眠くなさそうだ。

背中にヒカリが乗って俺は丘をゆっくりと登っていく。体づくりも騎士団でやったおかげかバテる事はなかった。

背後から「わー」と声がする。大方夕日でも見て喜んでいるのだろう。

街に着く頃にはかなり暗くなっていた。辛うじて地平線の彼方に赤色が滲んでいるのが見えるくらいだ。空はすっかり藍色に染まり星も指の数以上はパッと見で見える。

都市の前でヒカリを背中から下ろす。


「ありがとう」


そう言ってヒカリは頭を下げた。


「すっかり眠気は飛んだみたいだね」


「もう超ドキドキしてた」


ヒカリは目を輝かせながらそう言った。

まぁ、それはそれでよかったのかもしれない。


「また、明日も会える?」


街に入った後、隣でヒカリが言って俺の方を見上げてきた。

俺はもちろん、と頷く。明日も予定はない。籠城戦の準備に騎士団が動く中、明後日まで俺は暇だった。

やがて屋敷の近くまでやってくる。


「じゃあまた明日」


その日はそこでヒカリと別れた。

俺はその後軽い夜食を買ってから家に帰る途中、この街から出て行くかどうかで揉めている夫婦らしき二人を見かけた。なぜか道端で怒鳴り合いの喧嘩をしていて、目に止まる。

ヒカリはこの都市に残ってほしくなかった。それはただの俺の願望でしかないけれど。

家に帰ると酷く伽藍として見えた。さっさと買った夜食を食べて眠りにつく。


「明日はヒカリが迎えに来るって言ってたし…」

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