八
そんな私の思いも束の間。
その後の上午の議では、やはり面倒な事となってしまった。
上午の議とは、その時刻までにわかったことを検討し合うための場である。時が午刻前に行うので、上午の議と呼ばれている。
陰陽頭、陰陽助、陰陽博士、天文博士、歴博士、陰陽師はもちろん、課題を割り振られた者が得業生、学生でも出向くので、二十人程が一部屋に集うことになる。
ここで行われるのは、国の平安のための先読みだ。
例えば、天文博士から天の異変が報告されれば、歴博士と陰陽博士が過去の歴と文献を調べ報告し、差異があれば陰陽師が占を行い、その結果を論議する。これを関白様を通し天子様に奏上し、天子様が各部署に下知する、といったように。
また必要があれば害悪を退けるための祈祷を行う。
陰陽寮が担うものは大きい。
だからこそ優秀な才ある者が多くいる。そして、害ある怪異を見極めるために大半は見鬼の才を持つ。その見える者が、強引について来たエードラム――未知の力を持つ光る玉を怪異と言い出し、開始早々ひと騒ぎ起きてしまったのだ。
上午の議が行われるのは二十畳ほどの部屋。その上座には陰陽助の倉橋様。陰陽寮の出仕は一人一人の歴ですでに決められているので、陰陽頭がいないこともあるが問題はない。
私の席は倉橋様の隣に用意されていた。
姫の特権ということだろう。
仕方なくそこに座ると、すぐ後ろに光誠様が控える。そして、私の肩の上に止まる光る玉。
それまで静かだった部屋の気配が、一瞬で私に集まった。
そして、
「そなた、その光る怪異はなんだ!」
天文権博士の横に座る若者がこちらを指差し声を上げる。怪異とは、エードラムのことだろう。
自慢気にこちらを指差すのは、私より年若い、少年? 学生なのだと思うけれど、権博士が諌めないということは、二人共に私に対して「何か」あるのだろう。
やはりこういう者が現れるのか。
『琳子の言ってた通り、ほんとに文句言ってきたよ』
呆れる私の肩で、エードラムがけらけら笑う。大人しくすると約束させて連れてきたのに、もう破ってる。まあ、エードラムのこの様子までわかる人はこの中にはいないと思う。
エードラムのことは、私の部屋に現れてすぐに光誠様が倉橋様に連絡をしてくれいたらしく、同行させるならば咎めないと許可をもらっている。そしてそれは各博士に連絡済みだと聞いていたのだけれど。
さてどうすれば、と思いながら倉橋様に目をやれば、流し目で私の後ろを指される。
後ろには、光誠様?
振り返ると、うつむいたままの光誠様の口元がかすかに動いている。言送りの式でやり取りをしているらしいが――口元に、笑み?
「なんとか言ってはどうだ、姫陰陽師!」
更に言い募る少年に、
「中尾、控えよ」
倉橋様が釘を刺す。
「告知した通り、本日よりこの橋元琳子殿が《姫陰陽師》として正式に出仕した」
静かな部屋の中に、倉橋様の声が響く。
叩頭不要と言われていたので、私は部屋の中を見回した。
明らかに不満がありそうな者は数名。逆の者も数名。他は陰陽師らしく腹の中を表には出さないようだ。
「再度申すが、この《姫陰陽師》は斎院様より賜った役職である。官位は従七位上とし、本来の陰陽師と同様の権限を持つものとする」
中尾と呼ばれた少年が、呆然と目を見開く。
おそらく、学生の官位は少初位、良くて大初位。私の官位とは八つ違う。その上官に向かって指差しで暴言を吐いたのだ。権博士の口車に乗せられたのかもしれないが、厳罰が下ることもあるだろう。
「更に、斎院様の姫君である《姫陰陽師》は斎院様の代理でもあり、賀茂斎院と同等の権限を行使することも許される。故に姫君を補佐するため、賀茂斎院の代行として小野光誠殿が随行されることとなった」
本来の《陰陽寮が斎院様の姫に付けた随行者》ではなく、光誠様自身を賀茂斎院の一員として扱うことで陰陽寮での立場を作ったということか。
陰陽寮にも事務方として陰陽允という役職がある。それと同等の権限が光誠様にあるならば、官位は私と同じ従七位上。博士と並ぶ官位だ。
知ってこの場にいた者。知らずにこの場にいた者。ざわざわと荒れる中、倉橋様に促され光誠様が倉橋様と私の間に席を移す。
流れるような所作で座ると、一変、かっと目を見開いて部屋を見渡した。睨みの呪が部屋を覆い、静寂が戻る。
先程の言送りの式で見せた不穏な様子に、いったい何をする気なのかと心配になる。
「小野光誠と申す。賀茂斎院の代行として申し伝える」
凛とした声が、下知の如く響く。そして、光誠様の呪が更に部屋に満ちる。
「《姫陰陽師》、及びその使役する怪異は賀茂斎院が認めたものなり。何人たりともこれに否を唱えること許さず。またこれは賀茂斎院が有する《ヒメの系譜》に関わることなり。これがわからぬ者の一切の関与を許さず。わかる者はその持てるすべてもって《姫陰陽師》に仕えよ」
静まり返った部屋をぐるりと見回し、
「以上承知願い申し上げる」
声の余韻をわざと残し、芝居がかった大げさな動きで立ち上がると、光誠様は再び私の後ろに座った。
肩の上で、エードラムが術の無駄遣いだとけらけらと笑う。
確かに、話しているわずかな間で随所に呪も術も使って、黙らせて、脅して、従わせて。青い顔で震えている数名が気の毒になる。
そっと後ろの様子を伺えば、妙に満足げな光誠様。さっき見てしまったあの笑みは、これの許可をどこかから得たせい、とか? 優しいみつたか兄様だけではない光誠様は、父様同様面倒な人なのかもしれない。
とはいえ、こんな大げさなことも、もし自分が下座に座る立場だったら、守る対象は可能な限り厳重に守られるべきと納得するだろうけれど。そもそも、物事を平らに見れない者が陰陽道に関わっている事自体がだめだと思う。
さて、これで私も立派な虎の威を借る狐。ため息が出そうになるが、なんとか堪えた。
それにしても、《ヒメの系譜》って?
初めて聞く言葉を問いたくても、今は無理。部屋に戻ったら聞かなければと思っていた――のに。
その後いつも通りに進められた上午の議の議題は、先日から空に見え始めた箒星について。一三三年の周期で現れる箒星が、天正十四年と享保十四年の大地震を引き起こしたという事例がある。享保十四年から、今年で一三三年。今回現れた箒星がそれと同じものかという検証がされた。もし同じならば、天子様の凶方で再度大きな地震が起こるかもしれないのだ。
過去の箒星の周期の年と、その前後の災害、事件などの検証。
過去二回は避けられなかった大地震を、どの様に避けるか。
祈祷には何を使うか。
日の本の地、それ自体の五行に乱れはないか。
やらなくてはいけない事は数限りない。
その中から陰陽頭、陰陽助が事案ごとに何をいつまでと決めて書簡にしたため、上午の議の出席者が内容を確かめ連名をし、関白様と禁裏付に送るまでが上午の議の流れだ。
そんなやり取りの中、手持ちの議題がない私は、話を聞きながら倉橋様の手元にある占の結果にずっと引っかかっていた。
京の都の略図に、陰陽師の占が書き込まれたものが四枚。その左京に私の占で出た点々と散らばる陰と陽の火の気が一つもないのだ。
右京の南と西に陰の水の気が強いのは私も同じ。申と庚の方角に陽。卯の方角には陰。おおよそは合っている。
なのに、左京の火の気の占がまったく違う。おそらくこれは、何を思って占をしたかの違いだと思う。けれどそこから導かれる「あるかもしれない」結果が看過できない。
そして私の占にだけ現れた、もう一つの違いと共に、更に危険な結果を導き出そうとしている。
もう一つの違い、それはうちの叶神社を起点に左京を動く陽の水の気。これが、点在する火の気と重なるところに陰の木の気が現れる。木剋土。木の気は土の気を食らう。土の方角は中央、つまりこの京では内裏。内裏が象徴するものは、もちろん天子様だ。
「あるかもしれない」看過できない結果――もしこれが天子様に害をなす占だったら?
不安の根拠はある。けれど所詮手慰みにした占の確証が持てない。こんないい加減な物を議題にしていいのかがわからない。
それと、もしかしたらこの陽の水の気が紗和さんかもしれないという仮定が頭の隅から離れない。左京を思ったとき、しばらく探し回ると言った紗和さんのことを考えずにはいられなかった。
倉橋様だけにでも伝えるべきか迷ったけれど、他の議題の邪魔をするようで言い出せなかった。
そうしてその日は上午の議を終えると、倉橋様に言われるがまま、すぐに帰路についた。
16日更新、ギリギリ間に合いました。
17日中にあと3話公開予定です。
陰陽寮は書いてて楽しいのですが、調べることが多くて進みが遅くなります。
今回の用語のメモ。
【午刻】11時~13時
【斎院様と賀茂斎院】今まで区別しないで書いていたが、この話から「斎院様→朔子様」「賀茂斎院→斎院様に仕える組織」と書き分けている。
【133年周期の箒星】スイフト・タットル彗星。地震があった年も本当。関連があるかは、陰陽師のみぞ知る。
【禁裏付】江戸幕府の職名のひとつ。 天皇の住まう禁裏御所の警衛や、公家衆の監察などを司った。
【申】方位。東北東。
【庚】方位。西南西。
【卯】方位。東。




