閑話ー紗和子・導きー
どこに向かうわけでもなく、何を目印にするわけでもなく、それでも何か手がかりが欲しくて、紗和子は二条大橋を渡った小路を歩いていた。
こんなことをもう半年もしているのに、何も見つけられない。
焦る気持ちなど、もう湧かない。
ただ、悔しい。悲しい。――苦しい。
自分の気持ちに押しつぶされそうになる。だから、歩く。それが責務としてなのか、恋慕なのか、ただの苦行なのか。ぼろぼろの心がただ千切れてこぼれていくまま、紗和子は京を歩いた。
紗和子の家名は西川。琵琶湖のそば、京から半日ほどの三上藩、剣術指南役を多く排出する西川家の現当主辰教の次女で、自らも奥方の別式の任を拝する武芸者である。
そして、その許嫁は同じく剣術指南役を多く排出した上田家の嫡男、早翔。と言っても、上田家はこの早翔とその母を残すのみ。そのため義母となるきねは、息子の婚儀を待ち望んでいた。
早翔と紗和子の婚儀が行われるはずだったのは三月前。
しかし早翔は一年前、藩主の孫、遠藤永富と共に八人で京へ行ったきり、約束の三月が過ぎても戻って来なかった。
誰一人手紙も寄こさず、宿も引き払い姿を消したことで、脱藩かと騒がれたが、しばらくして二人が戻って来きて、永富が名前は伏せたいとある塾での勉学を望んでおり、戻るのが遅れる許可を求めた。
幕臣として順調に地位を固めている遠藤にとって、永富の行動が計れないことは痛手にしかならない。
ましてや今、京は尊王攘夷の中心である。
藩の中ではすぐ連れ戻せという者がほとんどだったが、永富の父が息子を信じて欲しいと頭を下げ、あと二月、京の滞在が許された。
が、永富らはそれ以降、本当に姿を消した。
脱藩である。しかし、藩はそれを隠した。
当然、今も数名の家臣が永富らを見つけようと動いている。
紗和子がその一人として名乗り出たのは、早翔の許嫁だったこともあるが、きねの懇願に負けたのもある。
上田家は、早翔の子が継がなければ一家断絶となってしまう。それが耐えられないときねが泣くのだ。
だから、紗和子は京に来た。
脱藩してしまえば、藩法の違反者として処分される。だが、藩が表沙汰にしていない今のうちに戻れば、お咎めはないかもしれない。
早く見つけなければ。初めは焦りが勝っていた。今なら間に合う、と。
けれど手掛かりのないまま、婚礼の日を迎え、紗和子の中で何かが崩れた。
二つ年上の早翔とは、紗和子の兄が早翔と同じ年なこともあり、幼馴染である。
上田家の嫁にとの話が出たのは、早翔の兄が亡くなった五年前。
知らぬ仲ではないこともあり、紗和子にも不満はなかった。
きねの懸念を重く感じることはあっても、穏やかな人となりの早翔となら平穏に暮らせるだろうと思っていた。
その早翔への信頼が、崩れたのだ。
見つけ出さなければいけないと息まいて、でも見つけ出したらどうしたいのかはわからない。
千切れる心の苦しさを、ただ歩くことで紛らすだけ。
自分が正気でいるのかも、もはやわからなくなっていた。
剣を握る時だけが唯一の安らぎだった。
特に叶神社で琳子と剣を交える時は、本来の自分の姿に近い者になっているように思う。
「天照大御神様、御使いの八咫烏様 菊理媛神様のご縁を…」
今朝、琳子が教えてくれたまじないを口ずさむ。
店の並ぶこの辺りは人も多い。
このうじゃうじゃと蠢く人の中に、なぜあの人は見つからない!
叫べない紗和子の代わりに、じゃりっ、と草履の底が道の土をなじる。
その時、すっと紗和子の顔の横を黒い鳥が通り過ぎた。
思わず目でその影を追った先。
店から出てきた三人の男の一人。
聞こえるはずのない距離なのに、はっきりと聞こえた名前。
――早翔。
紗和子は凍っていた心から一気にあふれ出た熱さに息さえ忘れた。
それから二日。
早翔たちの居場所数か所を確認した紗和子は、藩に知らせる前に人を使って早翔に手紙を渡した。
二日後の明け六つごろ、糺の森の白山叶神社に一人で来てほしい。
来るか来ないかは賭けである。
でも、来てくれると信じたかった。
琳子がかけてくれたまじないの通り、菊理媛神のご縁があると、思いたかった。
次から本編に戻ります。
今回の用語のメモ。
【別式】女性の武芸指南役。




