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閑話ー光誠と村垣ー

 橋元の門を出ると、光誠は無言で足早に歩き出した。

 その後ろを追いながら、村垣はにやにやと笑う。

 出会ったのはもう九年も前。光誠が十四の頃。

 父親同士が同僚だった縁で、それからも何度か会う機会はあったが、こんな面白い男だったとは思っていなかったのだ。

「おい、光誠、どこに向かってるんだ?」

 短髪に狩衣という珍妙な後ろ姿に、わざとからかう調子で声をかける。

 振り返って、不貞腐れた顔で睨んでくるのがまた面白い。

「口裏合わせてあげたんです。黙ってついてきてもらえますか、村垣先生」

 剣のある物言い。

 これは相当に怒っているなと、村垣はため息をつく。

 長崎生まれの村垣は、外国奉行の父親に連れられて幼い頃から出島で異国の者たちと過ごした。そのため自然と言葉を覚え、読み書きも覚え、元服の頃には四か国の言葉を操るようになっていた。

 その才を買われ、江戸で語学の教鞭を取っていた一つが蕃書調所だった。

「へいへい。どうせなら、行き先は甘味の店がいいねー」

「俺は、嫌です」

 光誠の歩く速さが更に上がる。

 見失わない程度で歩速を合わせて、やれやれと村垣は光誠について行く。

 長崎からかなりの強行軍で京に着いたのは昨日。今朝も永井の家に寄って約束の文を受け取り、その足で本命の厚明の家を訪ねていた身には少々きついが、文句は言えない。これも、仕事だ。

 村垣が厚明の家を光誠探しの本命としていたのは、ここに来れば光誠が必ずやってくると厚明から聞いていたからだった。

 京から蘭学を学びに来ている厚明が光誠と知己だと知ったのは、厚明が陰陽師だと知ったことから。光誠が陰陽師の修行で京に行っていたことは初めて会った時から知っていた。京にはそんなに陰陽師がたくさんいるのかと思ったのでそのまま尋ねてみたら、厚明の家が修行場の一つで、その中に光誠がいた事をたまたま知った。

 まさかそのつながりが、後に役に立つとは思ってもいなかったが。

 暑いのに日陰になるようなもののない道を急ぎ足で歩く。昼間の京の裏道は、人もまばらだ。土壁の僅かな日陰で涼む振り売りや駕籠かきが、土埃を上げて歩く二人連れを目を丸くして見ていた。

 そうしてたどり着いたのは、人気のない鴨川の橋の下。

「逢引しに来たわけじゃないんだが?」

 思いがけない場所に村垣が口を開くと、光誠が睨みながら口元に指を立てる。

 黙れということか?

 光誠が連れてきたのだから、何か意図があるのだろうと思い従う。

 光誠は胸元から懐紙を出すと、その中から式札を一枚取り出し、天にかざす。

「吾はこれ、天帝の使者。これ、天帝の金刀なり。悪鬼、皆屈し、滅ぼす力なり。急急如律令」

 言い終わると、式札が金に光って光誠を中心とした花火のように弾け、消えた。

 陰陽師の呪を初めて目の当たりにして、村垣は呆然と光誠を見た。

「邪魔が入らないよう結界を張りました。さて、誰と誰が学友だった…」

「おい、なんだ今のは!」

 話しかける光誠を遮って、村垣が詰め寄る。

「…結界の呪ですよ。陰陽師の祭儀くらい見たことあるでしょう」

「生憎家は洋学かぶれなんで、陰陽師の歴なんか使っちゃいないんだよ。なんだよお前、こんなことできる奴だったのかよ。すげーなー、手妻(てづま)よりすげーよ」

 興奮する村垣を、光誠はげんなりと見つめた。

「見世のものじゃないんで、人前ではやりませんからね」

「じゃあ、蕃所にいたころもこっそりやってたのかよ」

「…必要な時には。って、村垣さん、あんた京に着いて半日で、何やってるんですか!」

 そーか、知ってたらなーとつぶやく村垣に、今度は光誠が詰め寄る。

「京に来てから? お前を探していたが?」

「だからって、手当たり次第に陰陽師に聞いて回るって、どういうつもりですか」

 怒る光誠に、よくわかったなと驚きながら村垣が答える。

「どうもこうも、炙り出されてくれないかと思って、かな?」

 悪気のない様子に、光誠の怒りが限界を迎える。

「あんたがそうやって考えなしに俺の名前をばら撒いてくれたおかげで、こっちは昨日から送られてくる呪の対応で大変な目に合ってるんですがね」

「そうなのか? すまんな」

 さらりと謝られて、逆に気が抜けた。

「…知らなきゃ、そんなもんですか」

 京の陰陽師の事情など、外から来た者にわかれという方が難しい。

 一概に陰陽師と言っても、陰陽寮に仕える者も陰陽師だし、在野の庶民を相手にしている陰陽師も陰陽師だ。それらの間にある微妙な感情や、力関係などわかるまい。

 そして今の京では開国を宣言する元となったアメリカとの条約や、それに反発した公家を幕府の大老が処罰したことで、町が尊王攘夷で荒れたと庶民でさえ幕府を煙たがり始めていることなど、伝えなければわかるはずもない。

 小野光誠という官吏陰陽師だった男を探す江戸訛りのある武士など、怪しいことこの上ないということ自体、村垣はわかっていないのだろう。

「迷惑かけたな」

 殊勝に謝られても、もう起きてしまったことは仕方がない。

 そのせいで随行者が自分であると琳子に事前に告げられなかったことも、保護の名目で賀茂斎院に取り込まれたことも、もう仕方がない。

 特に賀茂斎院の事は自分では踏ん切りがつかなかったこともあるので、光誠はこれで良かったとしても構わないと思っている。

 が、それと村垣のこととはまた別だ。

「謝るのなら、一色様に口添えお願いしてもいいですよね。小野は京を動きません、と」

「それができないのは、わかってるだろ」

 村垣の言葉に、光誠の顔に剣が増す。

「わかってますが、動きたくありません」

 だが、男には通用しない。

「でもなー、一色様の指示だからなー」

 困った様子でとぼけて見せる。

「あの、くそですか」

 更に剣を増す光誠を、村垣はにやにやとたしなめる。

「おいおい、実の兄に向かってその言い草はないだろ」

「大丈夫です。本人に許しはいただいています」

 くそと呼ばれて喜ぶ一色を想像して、村垣はげんなりとする。今回の光誠の江戸への招集が本当に仕事のことなのか、ただ末っ子に会いたいだけの兄の我がままなのか。いいように使われてるだけなら、とんだ迷惑というものだ。

 ただ、今のこの国の事情を考えれば、後者の可能性は低い。

「そう言われても構わないほど、手伝って欲しいと言ってるんじゃないのか?」

 少し声の調子を落とし、村垣は光誠を真っ直ぐに見つめた。

「通訳のために、わざわざイギリスまで行ってきたわけじゃないんで」

 四年間の異国暮らし。それが、どれほどのものか、海を渡ったことのない村垣にはわからない。しかもそこで、光誠は誰も習得したことのない技を身につけて帰って来たのだ。確かに、求められる能力がそれだけならば、不服にも思うのだろう。

 それも承知で一色は光誠を呼び寄せたいのだ。

 黒船がやってきて、大老の独断とはいえこの国は外国に『開く』ことを宣言してしまった。

 現在、外国に開かれている港は五か所。外国人が住み始めた開港場には、幕府の役人が出向き管理を行わなければならない。しかし、いずれの開港場も外国語が話せる者が少なく、通訳の人手が足りていないのが現状だ。

 村垣が国中を走り回っているのも、そんな言葉の問題を解決するため。外国人の管理という意味で、通訳の問題は緊急案件となっている。

 そんな中で、英語とフランス語を話す光誠の存在は貴重なのだ。しかも、言葉だけではなく、実際に外国人と過ごしたことのある、『相手のルールがわかっている』役人などほんの一握りしかいない。そういう意味でも、光誠に求められている役割は大きい。

 そんなこと、この頭のいい男はわかっているはずなのだ。なのに動かないという。それは?

「琳子殿を落とすのは、まだ無理じゃないか?」

 歯に衣着せずかけた鎌で、険しかった光誠の顔が一気に色をまとった朱に染まる。仕掛けた方も驚くその変化のまま、光誠は村垣を睨んだ。

「厚明がどんな入知恵したんです?」

 そんな顔で睨まれても、逆にこっちが照れるだろう。

 内心うろたえながら、村垣は口を開いた。

「あいつの妹にお前が懸想している。もうかれこれ十年以上? 本当なのか?」

 いっそ許嫁にでもなってしまえばいいのにな、なんて、厚明は笑っていたが。

「…彼女を誰より想っていることは否定しませんよ。彼女に知らせないなら、憶測も勝手にしてください」

 ふい、と顔を反らし、光誠は流れる鴨川の水面を見つめた。思い出すのは、初めて琳子と話した日の事。あの時も小川を見つめていた。

「それでいいのか?」

「橋元の家にはある程度話してますし、それが俺の行動原理ですからね。いいんですよ。彼女を悲しませることは俺がすべて取り除くって決めてますから」

 何も求めない諦めを決意した口調に、柔らかな笑み。

 昔馴染みの意外な一面に、村垣は茶化すこともできなくなった。

「…お前、色恋に興味のないふりして一途な男だったんだな」

「色恋じゃないです。彼女を守りたいだけです。だから、絶対ここからは動きませんよ。俺にとって大事なのは、国より彼女なんで」

 重症。厚明が言っていたことに間違いはなかった。ってことは、異国に四年も修行に行ったのは琳子のためだったというのも本当なのか?

 村垣は、鎌で藪を刈ったら出てきた蛇に頭を抱えた。

 これなら、確かに橋元を見張れば光誠に必ず出会えるはずだ。

 とはいえ、これでは国益にもかかわる問題が生じる、かもしれない? さて、どうしたものか。

 黙り込む村垣と、思い出に浸る光誠。

 無言の時が流れ。

「よし、決めた!」

 村垣の突然の大声を、光誠が睨みつける。

「光誠、お前、琳子殿にプロポーズしろ」

 プロポーズと聞いて、光誠の思考が真っ白になる。

 プロポーズ。意味は、結婚の申し込みをすること。つまり、求婚。

「な、何を言い出すんですか!!」

 真っ赤になって叫ぶ光誠に手のひらを突きつけて、村垣は真剣に問いかける。

「光誠、お前二十三だよな」

「…そう、ですが」

 思わぬ威圧に、光誠は素直に答えてしまう。

「琳子殿は?」

「…十七」

 頷いて聞くと、村垣はにやりと笑った。

「似合いじゃないか」

「だからそういうことは…!」

 望んでいない、望むべきじゃない。それが光誠の選んだ道だ。

 けれど、

「守るなら、男として守れって言ってんだよ。人生丸ごと差し出して、守らせてくれって請えってな」

 村垣の言い分に、否定の言葉が続かない。

 そういう道もあると、諭されたこともあった。

 こうしてそばに居られるようになったこれからの自分がそれを本当に望まずにいられるかなどわからないとも思う。

 でも、その一線を超える何かが、今の自分にないことはわかる。

 琳子を守る。

 今はそれが精一杯なのだ。賀茂斎院の一人としても、光誠個人としても。なぜなら、

「…彼女はそういうことをしてもいい立場の人ではないんです」

 琳子はヒメだ。

 この国が千年祀り守って来た欠片の一人。

 妙に頑なな光誠に、村垣はため息をつく。

「じゃあ、なんでも構わん。守るなら、お前の手の届く中に囲い込め」

「そんなことはとっくにしてますよ!」

「なら、あとは琳子殿次第か?」

 急に変わった矛先に、

「へ?」

 光誠は間の抜けた声で応えてしまう。

「まずは琳子殿のお前への好意がわからないと、だな。明日の琳子殿予定は?」

「あんた、何を…」

 なんとか言葉にした問を、問で畳み込まれる。

「琳子殿の明日の予定は?」

「…陰陽寮の出仕…だから、何する気です!?」

 悲鳴に近い光誠の叫びを、村垣は笑ってかわしてしまう。

「まあまあ。お前も当然いるんだよな。そうと決まれば」

 ぱん、と村垣が拳と手のひらを打ち付けると、ひらりと走り出す。

「村垣さん、何する気ですか!!」

 必死に叫んで、結界の中で捕まえようとした光誠の手をかいくぐり、ついでに結界まで「なんだ! ぴりっとした!」の一言で通り抜けると、

「さくっとプロポーズして、さくっと祝言して、夫婦で江戸に行くぞ! またな、光誠!」

 村垣は土手を登って消えていった。

 光誠はそれを、どこぞの陰陽師が放った式が結界でじりりと焼け焦げるまで、呆然と見送ったのだった。

予定よりかなり遅れてしまいましたが、連載再開いたします。


今回の用語のメモ。


【手妻】日本古来の手品のこと。

【開国を宣言する元となったアメリカとの条約】1858年(安政5年)、日米修好通商条約。

【それに反発した公家を幕府の大老が処罰】1858年(安政5年)から1859年(安政6年)にかけて江戸幕府が行った安政の大獄。

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