看板の無い店《1》
俺がこの世界に来て、三年近くが経った。
現在の歳は十一だが、来月で十二になる。
剣術、魔法の修練を行い、この世界についての知識を吸収し、ユヅキにせがまれて一緒に遊ぶ日々。
ただ、訓練の方は、ここらで一旦切り上げるつもりだ。
明らかに、レベル上げの経験値効率が悪くなってきたからである。
どうやら経験値――魔素というものにも質の差があるようで、俺が行ける範囲内にいる雑魚ではロクにレベルが上がらなくなっているのが、体感で理解出来るようになってしまったのだ。
考えてみれば、ゲームでも適正以下のレベルのモンスターは、倒したところで取得経験値が半分になったっけか。
そのため、最近はかなり遠くの地域まで向かい、地元近辺よりも一段階強い魔物を相手に訓練しているのだが、単純に移動に時間が掛かってそういう点でも効率が悪い。
ちょっと強いモンスターと戦えるようになったおかげで、金は貯まり始めてるんだがな。
モンスター素材は、売れるのだ。で、広く利益を確保するためか、素材を売るだけならギルドで登録していなくともいい。
つまり、身元の確認がされない。流石にチェックはされてるだろうが。
子供でも、「お父さんが狩った獲物を売りに来た!」と言って売ることが出来るのだ。俺の子供っぽい演技も、この生活でなかなか板に付いて来たぜ。
以前までは弱いのとしか戦っておらず、ソイツらは基本的に安いので放置していたが、今相手にしているレベルであれば、面倒でも慣れておらずとも、どうにか解体しようという気になるだけの金銭にはなるのだ。
ただまあ、子供が何度もそうやって売りに来れば、やはり怪しまれるとは思うので、量を調整してちょっとずつ、そして毎回必ず売り場所を変えるように気を付けはしたがな。
手間は掛かったが、おかげで今の俺は小金持ちだ。全部ダンジョン攻略につぎ込むつもりなので、一切無駄遣いは出来ないのだが。
とにかく、そういう訳でレベル上げが少々行き詰まってきたため、ここらで一度ダンジョンに挑んでみるべきだろう。
タイムリミットも近付いている。一度で攻略出来ずとも、中の様子をそろそろ確認しておくべきだ。
故に、そう考えた俺は今、地元から離れ一人でヴァーミリア王国首都、『ヴェルダ』へとやって来ていた。
攻略の、協力者を得るためである。
「この辺り……だったか?」
訪れたのは、首都に存在する繁華街の一つ。
人は多く、昼の今も煌びやかで、相応に治安も悪い。
まともなのよりゴロツキの方が多い、という場所で……ぶっちゃけ、ゲームだとここは、モンスター出現領域だった。
『ごろつきA』とか『不良B』とか、『盗賊C』とかな。現代ファンタジーの盗賊は森じゃなくて街に潜むのだ。
だから、こうなるのも、予想の範疇ではある。
「――よぉ、そこのお嬢ちゃん! お兄ちゃん達と一緒に遊ばねぇか?」
「俺達、楽しい遊びなら、いっぱい知ってるからさ。金はねぇけど!」
「大丈夫大丈夫、きっとお嬢ちゃんも楽しめるから。安心して」
ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら、俺の前方を遮るように現れる、三人の不良ども。
……街中でゴロツキとエンカウント!
モンスター扱いもむべなるかな、という登場の仕方だ。流石、治安の悪い区画。
「なあお嬢ちゃん、何か反応無いと、お兄ちゃん達悲しいぜぇ?」
「脅かしちゃったかな? 大丈夫大丈夫、お兄ちゃん達こう見えても、女の子には優しくするからよ!」
「手取り足取り優しくな!」
昼間っから酒を飲んでいるようで、酒臭く、ふかしているタバコも臭い。あと、無駄に付けている香水も臭い。
そして、何より俺が言いたいことがあるとすれば――。
「な、お嬢ちゃん――」
「お嬢ちゃんじゃねぇぶっ殺すぞゴロツキが」
「ウッ――!?」
「なっ、ジャック!?」
「こ、このガキッ、何しやがるッ!!」
不意打ちでみぞおちに一撃食らい、そのまま崩れ落ちた仲間の姿を見て、キレるゴロツキ二人。
あ、やべ、思わず手が出ちまった。
……まあいいや。
ゴブリンにも劣る低能ぶりだ。人を見たら怯えて逃げるくらいボコボコにしておくのが、世のため人のため、というものだろう。
そう、これは、社会貢献だ。
からかうための『お嬢ちゃん』呼びではなく、素で少女だと思われていることにキレてなどいない。コイツら絶対ボコす。
「何余裕かましてやがる、ガキィッ!!」
「お嬢ちゃん、やっちゃいけねぇことしたなぁ! もう謝っても許されねぇぜ?」
「息が臭い。頼むから喋んないでくんないかな」
タバコ臭くて酒臭くて香水臭くて息が臭いって、役満じゃねぇか。アンデッドと大差ねぇぞ、クソどもめ。
わかりやすく真っ赤になり、ポケットから折り畳み式のナイフを取り出すゴロツキ二人を見ながら、俺は拳を――握らなかった。
「――真昼間から子供に絡んでんじゃねぇ、アホども」
少女の声。
男達の、さらに向こうからそれが聞こえると同時に……うわっ、それは痛い。
「うぎゃぁあッ――!?」
突如悲鳴を上げて崩れ落ち、地面に転がってのたうち回り始める、ゴロツキの一人。
正面から見ていたので俺には何が起こったかわかったのだが、男の股の間に鋭く足が入り込み……まあ要するに、ナニを強烈に背後から蹴り上げられたのだ。
もう、遠慮なしの一発だ。あれはしばらく動けないな。
「ッ、何だテメェ――」
「お前らみてぇなののボキャブラリーって、みんな変わんねぇよなぁ」
最後に残ったゴロツキは、まだ状況を理解出来ておらずただ喚くのみだったが、その相手は容赦がなかった。
円を描き、ゴロツキの頭部へと叩き込まれるハイキック。
非常に洗練されたその蹴りは、良いところに入ったことで男の意識を簡単に削り取り、ゴロツキはどさりと地面に崩れ落ちた。
「相変わらず、この辺りは治安が悪ぃなぁ……お前、迷子か? この辺りはこういうアホがいっぱいだ。また絡まれる前に、とっとと家に帰りな」
荒い口調だが、確かに俺の身を案じている声音。
――そこにいたのは、背丈の低い、目付きの悪い燃えるような赤髪の少女。
ボブショートの髪型で、顔立ちは整っていて美少女そのもの。さらに、頭から生えている猫耳とクネクネしている尻尾、ちんまい背丈のそれらが相まって、子猫のような印象を受ける。
だが、それは、決して家猫などではない。
凶暴な、野生を生きる野良猫だ。
――あぁ、まんまだな、この人は。
ここで、この人と出会うことが出来るのか。
ネア=グラハル。
種族は、猫耳と尻尾からわかるように獣人族で、『ケット・シー』。
俺は、ゲームでは必ずこの少女をパーティに入れていた。
キャラごとに成長限度が定められている中で、ストーリー終盤まで使えるくらい成長性が高いから、という理由もあるが、単純に可愛いのだ、この人。
知れば知る程「うわ可愛い」となるキャラで、全然寄り付かなかった野良猫に餌をあげ続けていたら、だんだん近付いて来て最終的にメッチャ懐いてくれた、みたいな気分になる。
あと、俺とタメなんじゃないかと思ってしまうような背丈の具合なのだが、俺の歳から考えると、現在恐らく十五であるはずだ。
女性の中でもとりわけ小さいことを気にしている点も、可愛い人である。
「助けてくれてありがとう」
彼女と出会えたことで内心かなり高揚していたが、不審がられたくないのでその感動を胸の奥に押し込み、礼を言う。
「おう、気にすんな。ま、お前の様子からして、余計なお節介だったかもしれないがな。大したもんだな、嬢ちゃん」
「嬢ちゃんじゃねぇわ」
間髪入れずに否定する俺を見て、怪訝そうな表情を浮かべる獣人の少女。
「あん? ……え、もしかして、そんな可愛い顔で男なのか? いや、確かにそう言われると中性的じゃああるが、スカート穿いても普通に似合いそうだし……へぇ、じゃあお前、男なのに男からナンパされたのか。難儀な奴だなぁ」
「怒るよ」
ぶっきらぼうにそう言うと、彼女は楽しそうに笑った。
「ははは、悪ぃ。詫びがてらに、迷ってたんなら行きたいとこまで送ってやるよ。どこ行くつもりで、こんなとこウロウロしてたんだ?」
「えーっと、実は店を探してて……」
「店? 何の店だ?」
「ご飯食べるとこ」
俺の言葉に、一瞬ピクッと反応するが、恐らく彼女は「まあコイツ子供だし、関係ねぇか」とでも思い直したようで、普通の表情に戻る。
いいえ、大体あなたの想像通りです。
「ふーん……じゃあ、ウチ来るか? ウチも飲食店やってっからよ。あたしも今から向かうとこだったんだが」
お、ちょうどいいな。
「へぇ、じゃあ、お願い。アルバイトしてるの?」
「そんなところだ」
そうして彼女に連れられたのは、裏路地にひっそりと建てられた、存在感のない店だった。
看板は出ておらず、ただ扉に『OPEN』の札がぶらさがっているだけ。
そんな情報量の無さであるため、ここのことを知らなければ、ここが喫茶店であるということもわからないだろう。
ゲーム中での表記も、『看板の無い店』だったな、そう言えば。何とも見覚えのある姿だ。
いや、一応聞いてみるか。
「ここ、何て店なの?」
彼女は、店の扉を開きながら答える。
「いや、それがよ。あたしの雇い主――店のマスターなんだが、これが変な人でさ。『この店に名前は付けません』って言い張っててよ。だから常連の間だと、ただ『看板の無い店』ってだけ呼ばれてるな」
やっぱりそうなのか。
「マスター、戻ったぞー! 言われたモン買ってきた」
「えぇ、ありがとうございます。――おや、お客さんですか?」
こちらを見てそう言うのは、スラリと背の高い、シルバーの髪をオールバックにした男性の老人。
ニコニコと人当たりの良い笑みを浮かべ、全体のしぐさから、穏やかな印象を受ける。『ダンディ』という言葉がこれほど似合う人もなかなかいないだろう。
耳の長さから、彼がエルフであることがわかるが、エルフでこの外見となると相当な高齢だ。
実際、ゲームの設定だと、確か四百は超えていたはずである。
「あぁ、なんか飯食うとこ探してるってんで、連れて来た。あと頼んだわ」
それだけ言って、ネアは「じゃあな、ここの飯は美味いからいっぱい食ってけな」とポンポン俺の頭を撫で、奥へ引っ込んでいった。
残されるのは、俺と、店のマスター。
「では、メニューはこちらです。ごゆっくりどうぞ」
彼からメニュー表を受け取り――しかし俺は、そちらには目を通さなかった。
少し、考える。
俺は、ここのことを知っているが……それは本来、あり得ないことだ。
知っているはずのないことを知っている子供。
となると当然、相手は警戒するだろう。
そうならないよう、何か誤魔化す……いったい、どうやって。
ここに来るまでも、色々考えてはいたのだが……んー……。
「? どうかされましたか?」
メニューも見ず、何事かを考えている様子の俺に、不思議そうにするマスター。
その、ゲームの頃と変わらぬ眼差しを受け――いいや、やめだ。
ごちゃごちゃ考えるのはやめだ。面倒くせぇ。
だって面倒くせぇもん。
この人が相手なら、悪いことにはならない。俺はそのことを知っている。
だからあとは、俺がこの人のことを信じるだけだ。
俺は、言った。
「『暗き月の光を』」
その言葉を聞き、マスターは俺を見る。
こちらの真意を探るように、真っすぐと。
瞳に滲む警戒の色。
「……少年、勘違いではないですかな? 私の店に、そのようなメニューはありませんが」
「いいや? あるはずですよ。確かにここには載ってませんが」
メニューをヒラヒラさせながらそう言うと、彼は顎を擦って考える素振りを見せる。
「……ふむ。どこでそれを?」
「ゲームで」
「なるほど、答える気はないと。まあ、そうでしょうなぁ」
本当なんだけどね。
そして彼は、先程までの好々爺然とした表情から打って変わり、面白がるような、好戦的な笑みと共に言った。
「良いでしょう。何故、は問わないのがこの業界のマナーです。要件をお聞きしましょうか」
――この喫茶店、『看板の無い店』には、裏の顔がある。
それは、表に出せないような仕事を請け負う、非合法組織である、というものである。