空の戦い《8》
リーゼル=シュレイアは、葛藤していた。
傷付き、倒れる味方。
必死な形相で、戦う者。
今、この事態は、己のせいで起きている。
生死を賭した戦闘が、己の存在が理由で起きている。
『リーゼル、早まるでないぞ。わかっておるじゃろうが、ここでお主が名乗り出て捕まったところで、事態は良くならぬ。むしろ、他の乗客らが虐殺される可能性すらある』
『……わかっています!』
この状況は、リーゼルがこの船に乗り込んだことが原因で発生した。
襲撃が起きたとヒナタに最初に聞いた時から、「もしや」とは思っていたが、先程現れた敵の指揮官らしき男の言葉で、それが確定となった。
だが、仮に彼女が「もうやめてください」などと言って、一歩前に進み出たところで、己の身柄を確保出来たため敵が遠慮する必要が無くなり、状況は良くならず悪化する可能性がある。
良心が咎めてそんな行動を取ったところで、良いことなど、何も無いのだ。
今、リーゼルが出来る最大限のこととは、自分と、隣にいるエルフの少女を守ることくらいである。
こちらは任せろ、などとヒナタに言っておきながら――情けない。
……いや。
戦うことは、出来なくもない。
己には、『バハムート』という半身がいる。
その力を使えばやれることはあるだろうが、しかしそれには、大きな制限があるのだ。
『……バハムート、今、私はどれくらい戦えますか?』
『全力で、二十一秒。出力を落とせばもう少々やれるじゃろうが、この敵ならば、全力でなければ危うい』
『二十一秒……』
その短時間で出来ることは、非常に限られる。
そしてそれを行ったが最後、自分は本当に何も出来なくなるだろう。
一切の魔力が使えず、己の身だけしか守れなくなる。シノンの身を守ることすら難しくなる。
考え、リーゼルは、決める。
『――バハムート。いざとなったら、力を貸してください』
『ま、しょうがあるまい。わかった』
すんなりと受け入れる己の半身に、リーゼルは少し拍子抜けする。
『止めないんですか? あなたは反対すると思ってましたが』
『儂はお主。お主は儂。お主の決定ということは、儂の決定ということじゃ。お主がそうと決めたのならば、反対などせんよ。しかし、言うておくぞ。リーゼルは儂を知覚出来るが、出来るだけ。使える力は、未だ限られる。さらに、儂のことが表に出るのは、決して良いことではない。それがわかっておるからこそ、今までずっと、誰にも言わず隠しておったのじゃろう?』
『えぇ。ですが、何やら敵は、私があなたと共にあることを、すでに気付いている節があります。こんな戦艦まで送ってきて私の身柄を求める以上、そうとしか考えられません。ならば、今更、でしょう』
『カカ、ま、そうかもな。その決断力は、好ましいぞ。ただリーゼル、明日、肉体に走る痛みは覚悟せぇよ? 恐らくまともに歩けん程身体が痛むはずじゃ』
『構いません、今を乗り越えてこそ、です』
『わかった、覚悟は十分なようじゃな。……と言うても、お主が普段からしかと運動しておれば、その痛みも大分軽減したはずなんじゃがな。じゃから、常日頃からもっと身体を動かせと、儂は言うておったのに。運動音痴なのは知っておるが』
『……い、今その話はいいでしょう!?』
からからと楽しそうに笑う己の半身に、リーゼルは良い意味でも悪い意味でも何だか気が抜けてしまい、思わず苦笑を溢す。
――気負い過ぎ、ですか。
もっと肩の力を抜けと……そう言いたいのだろう、己の半身は。
『……あなたは私の半身のはずですが、何だかそれより、母親とかそういったもののように感じます』
『カカ、ま、似たようなものではあるじゃろう。これからは儂のこと、母様と呼んでくれても構わんぞ?』
『結構です』
バハムートの軽口に、リーゼルは心が落ち着いて行くのを感じながら、次に隣の少女へ顔を向ける。
「シノンちゃん」
自分と同じ立場にある、今後必ず繋がりが残り続けるエルフの少女。
不安げにしながらも、目の前で起きている戦闘からは決して視線を逸らさず、毅然としていたシノンは、リーゼルを見る。
「あなたと私は、同じ立場にあります。私達は、奥深くで、繋がるものがある。……わかりますか?」
その問いかけに、シノンはリーゼルの目を真っすぐ見詰め、頷く。
「……うん、わかるよ。私とリーゼルが、近しいっていうのは。何となく……そうなんじゃないかって思ってた」
それは、初めて会った時から抱いていた感覚。
シノンは、リーゼルが、どことなく他人の気がしなかった。
どこか懐かしく、ずっと昔からの知り合いであるかのような。
あまり人付き合いが得意な方ではないシノンが、それでもリーゼルとすぐに仲良くなれたのは、その感覚があったからだった。
「……私の内に、何かが眠ってるのはわかる。リーゼルも?」
「はい、そうです。私の内には、『バハムート』という神なる龍がいます。私は彼女に、幼い時から力の使い方を教わって育ってきました。だから――見ていてください。私達が出来ることの一端を」
「……わかった。でも、無茶したらダメだよ」
「いえ。今だからこそ、無茶をするんです」
「……そっか。うん、そうだね。私は、戦うことは出来ないけれど。でも、ちゃんと……見てるから」
「フフ、シノンちゃんみたいな可愛い子が注目してくれると考えると、気合いが入りますね! 全く、ヒナタ君が羨ましいものです」
「ホントだよ。ヒナタはもうちょっと、私に感謝してもいいね」
肩を竦めるシノンに、リーゼルはクスリと笑い――戦場に向き直る。
『バハムート、準備は良いですか?』
『いつでも。たいみんぐは任せるぞ』
『はい。決断が私の役目ですから』
リーゼルは、見極める。
その観察眼でもって、状況を。
戦場の流れを。
己が動くことによって、状況が悪化する可能性は大いに存在する。である以上、行動するのは、決定的なタイミングでなければならない。
……天秤を、完全にこちらに傾けるためには、もう一手欲しいか。
「……ジェイク君、隙を見つけたら、仕掛けます。続いてくれますか?」
「ッ、あぁ!!」
ヒナタに託されたからか、自分達を守ろうと献身的に戦ってくれている少年は、短く頷く。
この少年の実力は、魔宴杯でも見ていたし、今もそれを十全に発揮して、敵を防いでいる。
よく周りが見えているし、何から対処しなければならないのか、という優先順位の設定が非常に優れているため、劣勢な状況でも均衡を保っている。それだけ、実戦慣れしているということだ。
他の生徒達と比べても、やはり頭一つ抜けているのは間違いない。彼がいなければ、パーティ会場はすでに制圧されていた可能性すらあるだろう。
緊急用の盾しかない状態で、よくここまで戦えるものだと、感心するくらいだ。彼ならば、こちらが動けば、きっと最適な行動をしてくれるはずだ。
――状況の変化が起きたのは、ジェイクに声を掛け、すぐ。
ドガンッ、と何か、爆発するような音が響き渡る。
それが連続し、床から伝わってくる軽い揺れ。
また、この船に対する攻撃なのかと思ったが……違う。
何事か通信が入った様子で、慌てだしたのは、敵。
その動きが、一瞬だが確かに乱れる。
好機。
『バハムートッ!』
『応ッ!』
その変化の過程を目撃したのは、彼女に注目していた、シノンだけだった。
一瞬にして、リーゼルが纏う空気が――変わる。
肉体から魔力が溢れ出し、それが、何か形を成していく。
「角と尻尾……?」
次の瞬間、リーゼルの姿が忽然と消失し、かと思いきや、ドンッ、という、鈍く、だが鋭いような打撃音が室内に響き渡る。
「むっ……」
「何ッ――!?」
シノンが声の聞こえた方に顔を向けると、そこにいたのは――学園長ギュンターと戦っていた敵の実力者を、殴り抜いたような格好で止まっている、リーゼル。
冗談のように、吹っ飛んでいく敵。
「娑婆は久方ぶりじゃ。短い時間じゃが、多少は楽しませてくれよ? 小童ども」
普段のリーゼルとは違う、縦に割れた瞳孔で、彼女はニッと不敵に笑った。




