変化
「――つー訳で、お前の言ってたカジノ拠点、もう潰してきたみたいだぜ」
「いや何してんの、あの人?」
あっけらかんと言い放つネア姉に、俺は思わずそう聞き返していた。
あの、そこ一応、ゲームの本編にも関わってくる、割とデカい拠点なんですが……そんな、散歩みたいにふらっと行って、過去形で「潰してきましたよ」で終わらせられるような場所じゃないんですが。
「『いやぁ、なかなか敵が強くて、楽しかったです』だってよ。マスターがそう言うってこたぁ、まあまあ苦戦したんだろうな。帰ってきた時、いつもみてぇに無傷だったが」
いやそりゃ、敵のかなり大きな資金源の一つのはずなんで。
当然警備も厳重だったはずだし、五十人とかもっと構成員がいて、決してモブではない名前持ちの敵キャラとかもいたはずだが……話を聞く限り、どうやら全滅させてきたようだ。
あの人の言う全滅とは、本当に一人残らず肉塊に変え、ヒトをヒト『だった』と過去形に変える行為である。
きっと、それはもう良い笑顔で、血塗れになりながら敵をすり潰していったのだろう。
「……動くなら手伝うっつったのに」
「はは、マスターはお前と比べてもかなりぶっ飛んでる方だが、良識は強いかんな。子供に血生臭いことはあんまさせたくないんだろうよ。未だにあたしが作戦に同行すんの、渋る時があるんだぜ?」
「……そりゃ、俺だってネア姉が危険なことすんの、止められるなら止めたいが」
「あたしは、そっくりそのままの言葉をお前に返すぜ。ま、あとは、あたしらが『魔宴杯』に出るってことも、もう知ってっからな。その準備や練習の邪魔になることは、させたくねぇんだろうよ」
「……そうか」
今はまだ、魔宴杯に関するアレコレは、本格始動していない。
ただ、妹情報だと選手選考とかはもうほとんど終わっていて、各競技の練習の調整なども済み、今週中にも最初の説明会をやるらしい。
魔宴杯準備のせいで、妹はまたすごい忙しそうにしており、俺より遅く帰ってくる日が多くなっているのだが、ストレス解消のためなのかイブキにダイブしてそのモフモフの毛皮に顔を埋める姿を、よく見かけるようになった。
どうもユヅキは、イブキのことを本当に気に入ったようで、家にいると「イブキー!」とか言って構いたがるのだ。
で、イブキはやれやれと言いたげな様子ながらも、まるで姉のような面持ちでユヅキの好きなようにさせ、そしてペロペロと妹のことを舐めてやるのである。
……まあ、年齢で言えば圧倒的にイブキの方が年上だからな。そうもなるか。
とにかく、そんな訳で俺達が忙しくなるのもすぐそこであり、あまり余計な心労を掛けないようにと、ナヴェルのじいちゃんが気を遣ってくれているということなのだろう。
彼は「気にしないでください。これは私の仕事の一環でもありますから」なんて笑って言ってくれるが、本来は俺がやるべきだった仕事を、どんどんと彼が肩代わりしてくれているような形である。
戦ってる時こそ、その……何と言うか。
アレな感じになる人ではあるが、誰よりも心優しき人なのは間違いない。
良識を持った、良い大人なのだ。
だからこそ、悪を為しながらも悠々と暮らしている悪人が許せず、その返り血とか肉片とかを浴びた時に恍惚としてしまう訳だが。
「……ナヴェルさんには、頭が上がらんな」
「はは、あたしもだ。生き方から戦い方まで、何もかもあの人に教わっちまった。少しでもその恩が返したくて仕事を手伝ったりしてたんだが、溜まってく一方だな」
肩を竦め、笑うネア姉。
「……一緒に、ちょっとずつ恩を返していくか」
「おう、頼むぜ。あたしの分も手伝ってくれ。一人だとどうにも先行きが長くなりそうだからよ。ヒナタなら、その分の借りが溜まっても、きっとあたしに作る貸しの量の方が多くなるだろうから、問題無ぇし」
「……それもそうだな」
ネア姉がナヴェルのじいちゃんに恩を積み上げているのならば、俺はその二人ともに恩を積み上げている状況だ。
このままだとその内、恩で首が回らなくなってもおかしくないだろう。
「よし、ネア姉。肩でもお揉みいたしましょうか」
「セコいところで恩返そうとすなや」
「じゃあ、耳でもお揉みしましょうか」
「お前の中では耳>肩なのか……?」
当たり前だろ。
「まあ、安心しろ。ネア姉の小っさい肩も全部可愛いぞ」
と、俺は、その後にいつものように「生意気だ」と言われて、ぶん殴られそうになるところまでを想定していたのだが。
「…………」
「? ネア姉?」
「……何でもねぇ、こっち見んな!」
「ぐえっ」
やっぱり殴られた。
解せぬ。
◇ ◇ ◇
ネアは、戸惑っていた。
ヒナタに「可愛い」と言われたことを、想像以上に嬉しく感じている自分がいることに。
夏頃までならば、ヒナタにそう言われても「生意気言うな」と小突いて終わりだったが……こんなにも急激に、自分の感情に変化が訪れるとは。
……だが、その原因は、わかってる。
シノンだ。シノンのせいだ。
あの後輩がニヤニヤしながら、色々……もう、本当に色々言ってくるので、否応無しに意識せざるを得なくなっているのだ。
どうやら、彼女は何か企んでいることがあるようで、最近レイハにコソコソと話していたり、自分に色々言ってきたり、ヒナタを誘惑したりしているのである。
いや、ヒナタを誘惑するのは別に好きにしてくれればいいのだ。
シノンにとって、ヒナタは命の恩人だろうし、奴は顔も悪くなければ性格も……まあアホであっても悪くはない。
善性で、他人のために命を張れる奴で、『男』として『女』を大事にしようとする思いがあるのはわかる。
惚れるのも無理ないだろうが、何故かそこに、自分のことも巻き込もうとするのだ。
レイハはわかる。
ヒナタとレイハの二人はもう……離れられないだろう。
むしろ、あの状態で二人が別れるようなことがあれば、ヒナタに「何したんだ!」と問い詰めるくらいはするだろう。
対し、己にとって、ヒナタとは『弟』だ。
バカで、生意気で、だが誰よりも頼りになる弟。
それ以上でも、それ以下でも……無かったはずなのだ。シノンの奴は、「楽だから、そうやって思い込んでるだけなんじゃないの~?」なんてニヤニヤしながら言いやがるのだが。
……どうなのだろうか。その通りなのだろうか。
……いや、そんなことはないはずだ。
奴が弟なのは事実。いや全然事実ではないが、形容するならばそれ以外に相応しい言葉は存在せず、それ以上でもそれ以下でもない。
それなりに親しい……今後もずっと一緒にいるのだろうと、何の疑いもなく思えるだけの弟だ。
――なお、普通の姉弟はずっと一緒になんていない、という至極当たり前の事実には、ネアは気付けなかった。
「……まさかあたしが、こんなことで悩む日が来るとは」
よし、アイツのことで悩まされたのがなんかムカつくから、あとで一発ド突こう。
うん、そうしよう。
今回はそこで思考を止めてしまったネアであったが、シノンの計画は、着々と遂行されていた。




