紅色に染まる夜
――喫茶店、『看板の無い店』のマスター。
ナヴェル。
高齢のエルフである彼は、常に笑みを絶やさぬ、物腰が柔らかな好々爺である。
十数人程の店の常連からは、ちょくちょく人生相談などをされるくらいには慕われており、付近に住んでいる住人達からも慕われ、治安の良くない地域であるため何かあれば彼を頼ることが多く――だが、その本性は、生粋の『戦士』である。
高齢になったことによる、自らの肉体の衰えを彼も感じているが、しかしそれは、彼にとってハンデにはならない。
長く生きたことにより、自らの肉体を余すところなく理解している彼は、手足の動かし方、魔力の扱い方、スキルの扱い方。
それら全てが熟達し、技の一つ一つが極致に至っているため、超人と呼ぶべき強さを有しているのだ。
彼は、今こそが、全盛期なのである。
長年、裏社会に身を置いているナヴェルは、とてつもない大きさの情報網を有している。
その気になれば、隣国の国家元首が今朝食べた朝食までをもその場で知ることの出来るナヴェルであるが……『杯の円』に関してだけは、彼の情報網を以てしても追うことが非常に難しく、ヒナタの持つ情報だけがほとんど頼りとなっている。
そして、そのヒナタとて、『杯の円』に関して何でもを知っている訳ではない。
幾つか敵の重要拠点などは知っているが、それはあくまでゲーム準拠のものであり、拠点など資金さえあれば幾らでも増やすことが可能なのだから。
だが、それで構わない。
自分達を脅かす者がいる。
それを誇示し続けることこそが、重要なのだ。
最近のナヴェルは、表の仕事として行っている喫茶店を臨時休業することが多くなっており、そしてそれは、その分だけ敵に不幸が訪れているということと、同義であった。
今日は、喫茶店は通常営業だったが、早めに閉めて行動を開始し――向かった先は、首都ヴェルダの一角に存在している、巨大カジノ。
暗闇が世界を覆った時間帯だが、多くの人気があり、煌びやかな明かりが周囲を染め上げている。
この辺りは『娯楽街』として娯楽・商業に特化しており、巨大カジノの隣にモンスター闘技場や競技場なども存在し、ホテルも数多く設置されているため、連日大量の観光客が昼夜を問わず訪れ、楽しんでいる。
表向きはクリーンに運営されており、政府もかなり力を入れて『掃除』を行っているが……大量の金銭が、それも毎日大量に流れ込む場所である。
裏が無い訳が無いのだ。
「ようこそおいでくださいました。お客様、招待状はお持ちでしょうか?」
「えぇ、こちらですね?」
「しばしお待ちを……はい、確認が取れました。セルマ様ですね? どうぞ、ごゆるりと、心ゆくまでお楽しみください」
ナヴェルが足を踏み入れたのは、娯楽街の中心にある巨大カジノの中でも、VIPだけが入室可能な特別な一画。
伝手を使うことで、正規の手段――なお、使っているのは偽名だが――で中に入った彼は、近付いてきたウェイトレスからシャンパンのグラスを受け取るも、それには一切口を付けず、微笑みを浮かべながらすばやく店内を確認する。
内部は、表の半分程の広さのようだが、それでも学園の体育館程はあるだろうか。
客は、どこを見渡しても有名人ばかりであり、ナヴェルが別件でマークしていた要排除対象の姿も見かけ、一瞬彼の眼光の鋭さが増すが、今だけはスルーして確認を続ける。
監視カメラ、十七。
魔導感知センサー、三十二。
警備人数、十五。
スタッフ、二十七。内、スタッフに扮したSPが、八。
視線を走らせる。
室内の構造、警備のそれぞれの位置……警備の配置に違和感有り。
意図的な死角有り。
絶妙に客の目から隠された、VIPルームのさらに奥。
――あそこですか。
ナヴェルは、スロットに座って遊ぶフリをしながら、思考する。
ヒナタの情報によってわかっているのは、このカジノのVIPエリアに『杯の円』の拠点が一つあるというもので、表向きは別の犯罪組織が資金調達を行っているが、その大部分が奴らへと流れ込んでいるのだという。
相変わらず、どこで得ているのか謎の情報収集能力であるが、ナヴェルにとってはもう、そこは気にするところでは無いので、彼が言うのならば真実なのだろうと考えている。
ヒナタという少年のことを、もうナヴェルもまた、よく理解しているのだ。
実際、少し探ってみれば彼が言った通りの情報が幾つか得られており、そこまでがわかったのならば、動くには十分である。
ヒナタは、「ナヴェルさん、動くなら手伝います。これは俺がやらなきゃならない仕事でもあるので」なんて言ってくれていたが、学生である彼の手を、あまり煩わせる訳にもいかないだろう。
それに、この程度なら……助けを呼ぶ必要も無い。
ヒナタの実力は非常に高く、そして従業員であり弟子とも言えるネアも、今ではとても頼りになる存在だ。
が、しかしカチコミにおいては、たった一人きりで、何百年も組織潰しをやってきたナヴェルに敵う程ではないのだ。
上品に中指を立て、にこやかに笑って「死ね」と挨拶を交わし、殺意で以て丁寧に臓物をぶちまける技術においては、二人はまだまだ。
そういう意味では、実地研修で連れて来ても良かったかもしれないが……まあ、あまり血生臭いことばかりをさせる訳にはいかない。
このまま日の当たる道を進んでくれるのならば、ナヴェルにとってはその方が全然嬉しいのだから。
と、その時派手な音と光の演出が始まり、ジャラジャラとコインが出て来る。
「……ふむ。初めてスロットなるものに触れてみましたが、案外と簡単なものですな」
他者に聞かれたら大分反感を買いそうなことを呟きながら、この場での作戦を考え付いたナヴェルは、スロットに満足するような素振りを見せて台を立ち上がる。
客の間を抜け、ただ、歩く。
――その一瞬の出来事を、視界に収めた者はいなかった。
カメラにすら、その一瞬だけは飾りの観葉植物に隠され、映らない。
不正防止のための魔導感知センサーにも、引っ掛からない。その時、純然たるナヴェルの身体技術だけしか、使われなかったからだ。
「…………?」
男は――要排除対象は、最初、何が起こったのか理解出来ていなかった。
痛みも、感じなかった。
ただ、首に違和感があるような気がしてそこに触れ、何か穴が開いていることに気付き――ドバシャアッ、と血が爆ぜる。
「ボス――ボス!?」
「ボスッ!! お、おい、誰か回復魔法使える奴を連れて来いッ!!」
「ボスッ、しっかりしてくれッ!! スタッフどもッ、何呑気に見てやがる、さっさと対処しねぇかッ!!」
要排除対象の取り巻き達が騒ぎ出し、血と物言わぬ骸を見て悲鳴があがり、にわかに店内が騒然とし始めたその時には、ナヴェルの姿は、先程発見していた意図的な死角の位置にあった。
そこにさりげなく立っていたはずのSPは、すでに意識が無く、近くの椅子で座るように眠っている。
人差し指に付いた血を拭った後、ナヴェルはただの壁にしか見えないそこに手を這わせ、幾つかの確認を行い……開ける。
そこには、扉があった。
どうやら幻影魔法と微弱な幻惑魔法で、隠されていたようだ。
それはナヴェルにも働いており、つい先程までは扉を認識出来ていなかったが、彼は周囲の構造からこの場所を怪しいと考えただけであったため、そのような者に幻は無意味であった。
騒ぎに気を取られ、誰も侵入に気付かない。
扉の奥に広がるのは、通路。
隠されていた、という事実が無ければ、ただのスタッフ用の通路にしか見えないシンプルな構造をしており、ただ地下へと続いているのがわかる。
ナヴェルは躊躇なく先へと進んでいき――殺気。
己の感覚を信じ、動く。
襲ってきたのは、六。
内、最初の交錯で二人刈り取ることには成功するも、四人に避けられる。
手練れ。
「ふむ、随分優秀ですな。そう広い訳でもないこの通路で、互いに射線を通し、攻撃してきますか」
場違いな程に穏やかな、まるで散歩の途中かのようなナヴェルの言葉に、敵の指揮官らしき者が忌々しげな様子で鼻を鳴らす。
「こちらのセリフだ、ジジィ。……エルフの老人、確か『紅月の死神』って奴か。フン、噂に違わぬ実力だな。よくもまあ、今の一瞬でウチのを二人も殺れたモンだ」
「おや、とうとう私の存在もバレてしまいましたね。……まあ、仕方ありませんか。最近は、数回程表に出てしまいましたし」
オーシャンシティでは、対面する相手のことごとくをすり潰したが、一人だけやり手の戦士がおり、深手は負わせたものの、その者には逃げられた。
学園の親善パーティでは、顔こそ隠してはいたが、自分という存在を多くの者に見せてしまった。
敵も、よほど間抜けでなければ、情報共有はしていることだろう。
「テメェ、色んなところで、随分と暴れてるようだな。だが、ここに手を出して、生きて帰れると思うなよ」
「……クク、クククッ」
笑うナヴェルに、男は苛立たしげに問い掛ける。
「……何がおかしい」
「いやはや……あなた達みたいな者は、誰も彼も言うことが同じだと思いまして。それに、捨て駒風情が、私と遭遇して、生き延びられるつもりでいらっしゃる」
普段、ヒナタ達には見せぬ、酷薄で、嘲るような微笑み。
まあ、ヒナタもネアも、彼の本性は知っているので、仮にその顔を見てもただ苦笑を溢すだけであっただろうが。
「……生き延びるさ。貴様を殺して、なッ!!」
男は、言った。
「死ねッ!!」
ナヴェルもまた、言った。
「死ね」
――その日、ヒナタが知る本来の流れとは全く違う形で、『杯の円』の資金調達場である、カジノ拠点が壊滅した。




