狼は何を待つか《4》
――五日目、試行回数九回。
死因のほとんどは、やはり多数の分身が出て来たことによって、処理が飽和して対応し切れなくなってしまうことだ。
慣れてきたことで、五体目の分身――六対一の状態になってもすぐに殺される訳ではないのだが、それでも俺の行動が一気に制限されてしまい、反撃が出来なくなって負ける、ということが多い。
だが、戦えている。
鎧袖一触にはなっていない。
一戦ごとに、しっかりと休息のインターバルを取るようにしたことで試行回数はかなり減っているが、その分戦いの密度が濃くなり、得られる情報も増えている。
狼からも、何となく楽しそうな感じの感情が伝わって来るので、ようやく俺も奴にとっての対戦相手になれたのかもしれない。
今まではきっと、雑魚を潰すだけの作業だったろうからな。スライムをプチプチ潰すようなものだ。
悪かったな、だがここからは、退屈はさせんぞ。
というか、ウチに来なさい。退屈させないし、美味いもの食わせてやるから。
――六日目、試行回数六回。
死因は、同じく分身。
一戦での最長時間が二時間半にも及び、だが俺の息切れによって死亡。
五体目を耐え、六体目が出て来ても死なず、しかし結局体力が切れてロクに動けなくなり、負けてしまった。大分悔しい思いをしたが、十分な手応えだ。
奴としても、どうやら六体を同時に出して操るのは難しいらしく、滅多にやってこないのだが、状況を動かすために投入したような感じだった。
分身は最大八体のはずだが、まだ見ていない。六体を滅多に出さないところから見ても、恐らく奴としてもそれは切り札であり、最終手段として簡単には切らないようにしているのだろう。
だが、同じように――俺もまた、切り札は一つも切っていない。
それまで使用すれば……やれる、という思いが、今の俺にはある。
糸口は見えた。
奴の動き、分身の動き、技の出し方。
戦い方は、覚えた。
狼を殺し切る。そのための手段と、道筋は考えた。
針の穴を通すような戦闘が続くだろうが……それをやらなければならないのならば、やるだけだ。
やれると、己を信じるだけだ。
そして――七日目、今日。
最終日。
簡易テントでしっかりと長時間の睡眠を取り、肉体の疲れを取った俺は、まず朝食を取る。
レイハが作ってくれた料理は、これと、あと昼の一食分。
全く飽きることなく、全てを美味しく食べることが出来た。この飯の美味さが、一週間俺の気力を繋いでくれたと言っても決して過言ではないだろう。
「……レイハ」
小さく、呟く。
アイツの顔が見たい。
会って、話して……アイツが笑っているところが見たい。
ネア姉と、シノンにも会いたい。
あぁ、全く、己がこんなにも他人に依存しているとは、露程も思わなかった。
こうして離れて、初めて実感した。
あの部室で、彼女達が笑いながらコーヒーを飲んでいる姿。
そのために、俺は生きている。
彼女らと、ただくだらない日常を送るためだけに、こんな血反吐を吐いて、腕とか足とかを食われながら戦っているのだ。
彼女らが、この世界の俺を、生かしてくれているのだ。
「……しっかり、勝って帰らねぇとな」
朝食を味わって食べた俺は、少しだけ食休みをした後、念入りにストレッチを行い、持って来ていた『瞬華』で素振りを行って感覚を整える。
同時に、頭の中で戦い方を何度も反芻し、装備の最終確認をして――俺は、『天空封印塔』の中へと入った。
相も変わらず、血のような紅色に輝いている刀身。
お前を手に入れたら、その柄と鍔は、綺麗なものに変えてやんねぇとな。刃と違って経年劣化がすごいし。
むしろ、よくまだ形を保てているもんだ。
鞘も、ちゃんと作ってやんないとな。
俺はいつも、武器は抜き身のまま手首のブレスレットに収納しているが、それでも無いよりはあった方がいいだろう。
あとでお前に、それぞれどんなのが欲しいか聞くことにしよう。
――七日目の今日は、まだ始まったばかりだが、俺はこの一回で勝つつもりだ。
ここに全てをベットし、勝つ。
負けた時のことなど、もはや考えない。
「よう、待たせたな」
フィールドの中央まで向かい、刀の柄に触れる。
瞬間、視界が変化し――いつのもように俺は、その刀を握った状態で立っており、狼が対面に出現する。
銀色の、美しい巨大な狼。
「お前にゃあ悪いが、『ヒナタの新鮮ミンチ肉』を提供する時間はこれでおしまいだ。ただ、安心しろ。ウチに来たなら、ちゃんと美味い飯は食わせてやるさ。俺は、これでもダンジョン攻略で稼いでるんでな。お前がどんだけ大食らいでも、ペット一匹分くらいの食費は賄ってやるさ」
『…………』
狼は、刀を咥えたまま、ただジッと俺を見る。
今なら確信を持って言えるが、コイツは俺の言葉を理解している。
ここまで結構話し掛けていたのだが、しっかりこちらの話を聞いているし、微妙に反応を示すからな。
なかなか、可愛げのある奴なのだ。攻撃は一切可愛げが無くえげつないのだが。
「つーわけで、俺はお前をはっ倒してでも連れ帰るから、そのまま我が家のペットになってもらうぜ。俺には、やらなきゃいけないことがあんだ。こんなところで躓く訳にはいかない」
俺は、『蒼焔』を己と武器に発動し、ゆっくりと刀を構える。
それに合わせ、狼もまた、ゆっくりと構えを取る。
「――狼。俺の、武器になれ。俺にはお前が、必要だ」
刹那、攻撃を開始。
一息にその懐まで跳び込み、斬る。
こちらの攻撃に呼応し、集中していなければ目で追えぬ程の速度で回避行動を取る狼。
お返しとばかりに特大刀を振られるが、半歩動くことでそれを回避。
そのまま、インファイトでの殺し合いが始まる。
狼は距離を取ろうとするが、俺はそれを許さず、詰め続ける。
お互い、初っ端からフルスロットル。
後のことなど考えず、ただ相手を殺さんと、斬撃を放ち続ける。
コイツとの戦闘では、俺は『蒼焔』以外のスキルを全くと言って良い程使っていない。
そんな余裕が無いからだ。
ジークムントとの模擬戦でもそうだったが、強者との戦いになればなる程、スキルを放つ暇が無くなり、少しの後隙でも狩られる可能性が増えるため、相手に当たると確信した時でなければ放つことが出来ないのだ。
……まあでも、それはゲームでも割とそうだったかもしれない。
『彼方へ紡ぐ』は、戦闘がシビアだった。タメの大きい技とか無理に使おうとすれば、下手すれば雑魚戦で死ぬことになる。
それでもゲームだったら、HPで受けることが出来るが、現実たるこの世界にそんなものは存在しない。
回復魔法こそあるが、致命傷を負えばそのまま死ぬ可能性はあるし、特にこういう相手との戦闘で大ダメージを食らった場合、立て直すことなど出来ないのだ。
「ハハッ!! 全く、お前との戦闘は楽しいなッ!! これ、あとでまた出来たりしねぇかッ!?」
笑う。
ギリギリで、必死で、何か一つでも間違えれば死ぬだろうが、それでも笑う。
強がりでも、内心冷や汗ダラダラでも、こんなものは余裕だと示すために、意識して口端を吊り上げる。
狼もまた、笑っていた。
余裕だと示すためなのか、それとも純粋に、この戦闘を楽しいと思ってくれているのか。
後者だったら嬉しいもんだ。
悠久の時を生き続けているお前の無聊を慰めることが出来ているのならば、食われまくった甲斐があるというものである。
まあ、安心しろ。
お前をここに繋ぐ鎖は、俺がここで断ち切ってやる。
ここに眠るもう一体は、お前と一緒に、俺が殺してやる。
その時、集中に集中を重ねていたおかげで、狼の大振りの一撃を避けることに成功。
インファイトの状態を保ち続けていたため、絶好の攻撃のチャンスだが――俺は、攻撃しなかった。
代わりにポケットから取り出したのは、ネア姉と取りに行ったアイテム、『追憶の犬笛』。
そして、それを、思いっ切り吹いた。




