帰宅
「ただいまー」
そう言って家に帰ると、トトト、と玄関に駆け寄ってくる音がする。
「お帰りなさい」
ニコリと小さく微笑みを浮かべ、俺を出迎えるのは、レイハ。
制服の上にエプロンをしており、恐らく晩飯を母と一緒に作っていたのだろう。
うーん、可愛い。
いつ見ても、レイハのエプロン姿は似合ってるな。
レイハは、「行って来ます」と「行ってらっしゃい」、「ただいま」と「お帰り」が好きだ。
いや、そもそも挨拶をするのが好きだ。
それが、己一人ではできないものだからだろう。
「お疲れ様。今日の晩ごはんは、シチューよ。まだ作り始めだから、もうちょっと掛かるけれど」
「おー、美味そうだな。母さんと一緒に作ってるのか?」
「ん。色々、美味しく作るコツ、教えてもらったわ。エンリさん、とても料理上手」
「はは、母さんにそう言ったらきっと喜ぶぜ。そうか、二人で作ってくれた晩飯、楽しみだ」
「ん。私、家であなたの生活を、なるべくサポートするわ。ヒナタ、また私にお留守番させるつもりみたいだし」
そう言って、少しジト目で俺を見上げてくるレイハ。
「……い、いや、近衛騎士団本部のパス持ってるの俺だけだし。それに、今度入ろうと考えてるダンジョン、侵入出来んの一人だけだから、しょうがないだろ?」
「わかってる。だから、今回、連れてってとは言ってないわ。前回は、お留守番してたのに、それでも迷惑掛けちゃったから」
「おう、瞳に『不承不承』の色が思いっ切り出てるが」
「そう。ヒナタと、瞳で会話が出来るようになって、私、嬉しいわ」
「お前と知り合って、そろそろ半年だからな。そりゃあもう、大体はわかるさ」
俺がそう言うと、レイハは少し感慨深いような表情をする。
「……そっか。学園に入学して、もう五か月は過ぎたものね。あっという間だったような、とても長かったような……」
「少なくとも、とんでもなく濃くはあったな。お前と知り合ってからの日々は、もう激動につぐ激動だったぜ」
「それは、私のセリフ。ヒナタと知り合ってから――ヒナタが、入学式の日に話し掛けてくれてから。私の日々は、一変したわ」
出会ったばかりの頃を思い出し、しみじみとした気分になる。
まだまだシナリオは続く。
大きなものは幾つも残っており、この世界で対処しなければならない問題は、数多く存在する。
だが、まあ……ここまでの日々は、良いものだった。
それだけは、間違いないと言える。
「……今じゃあお前、ウチに住んでるもんな」
「ふふ、ん。一年前の私に、今の生活を教えても、きっと信じてもらえないわ。――さあ、ヒナタ、何でも言って。疲れてるだろうから、お世話するわ」
「おー、それじゃあ、風呂で背中でも流してもらおうかね?」
と、俺は、「キモい」と言われる前提で、肩を竦めながらそう言ったのだが……レイハはかあっと頬を赤く染め、俺から視線を逸らしつつ、答える。
「……ヒナタが、望むなら……」
「……冗談だからな?」
「……!」
そう言うと、レイハは照れ隠しのようにパシパシと俺を叩き、来た時と同じように、トトト、と去って行った。
本当に感情豊かになったなぁ、お前。
◇ ◇ ◇
「あ、しまったぁ。牛乳足りないわ。もっとあった気がしたんだけど……」
夕食の準備を手伝っていると、ヒナタの母エンリさんが、冷蔵庫を覗き込みながらそう言う。
「それなら……私、買ってきます」
「ほんと? ごめん、助かるわぁ。それじゃあ、ヒナタと一緒にお願い。――ヒナター! レイハちゃんと一緒に牛乳買ってきてー!」
『うーい』
『もー、ただでさえお腹空いてるのに! 兄さん早く買ってきて!』
『そのまま餓死してろ』
『しないもーん!』
リビングの方から、そんな会話が聞こえてくる。
「あ、いえ、私だけでも……」
「ダーメ。いーい、レイハちゃん。こういう時に、遠慮したらダメよ? 特に、仲良くなりたいと思ってる相手にはね。自分だけでやらず、ちゃんと頼りなさい。それに、スーパーの場所、まだ知らないでしょ?」
「……わかりました」
コクリと頷くと、エンリさんはニコリと微笑んだ。
「何してんだ、レイハ? 行くぞ。ほら、上着」
「ん、ありがと」
「いってらっしゃい、二人とも」
そうして彼と共に、暗くなった夜道を歩く。
隣のヒナタは、すでに風呂に入ってさっぱりした様子で、仄かに良い匂いが漂っている。
リラックスしたような、気の抜いた表情。
やはり、ここが彼の地元であり、家であり、安寧を得られる場所、ということなのだろう。
自分も……そんな風に、思えるようになりたいものだ。
――ヒナタは、最近また、何かをやっている。
考えていることがあり、そのために近衛騎士団本部に通って過酷な訓練をしているようだが、その詳しいところを口にはしない。
いや……彼は、出会った頃からずっとそうだった。
何かをやっていて、でもそれを、人には言わない。
エンリさんに話を聞いても、昔からそういう子供だったらしく、親としては心配の毎日だったという。
まあ、心配なのは今も変わらないそうだが、彼はもう自分でどうにかするだろうからと、本人の好きなようにさせることに決めたらしい。
まだ半年の付き合いの自分ではあるが、エンリさんと父のカフウさんがその結論を出したことに、妙に納得してしまったものである。
そもそも今も、簡単に『近衛騎士団本部に通う』と言うが、それがどれだけとんでもないことなのかは、あまり物事を知らないレイハでさえよくわかっているのだ。
昔から、そういうことばかりやっていたのだろう。
今、いったい何を求めて動いているのか、気になりはする。
武器を取りに行くつもりだ、ということだけは教えてもらったが、しかし具体的にどこに行くつもりだとか、詳しいところは何も教えてくれていない。
勿論それも、別にいじわるではなく、何か理由があってのことなのだろうが……色々良くしてもらっているばっかりで、何もお返しが出来ていないレイハとしては、本当はそれも手伝いたかった。
だから、決めたのだ。
彼の、生活の部分を、自分が支えようと。
せっかく同じ家で暮らすようになったので、そこで彼の負担を、少しでも軽くしてあげようと。
……朝だけはキツいかもしれないが、どうにか起きて頑張るとしよう。
「おし、レイハ。ここが一番近いスーパーだ。つっても、他にスーパー無いから、近いとか遠いとか関係ないんだがな。コンビニも駅前にしか無いし。田舎だろ?」
「ふふ、ん。でも、静かでいいところよ?」
「そうか?」
「ん。私……この辺り、好き。何だか、時間が、ゆったり過ぎるような気がして」
「はは、ま、ゆったりした場所ではあるだろうがな」
実際、レイハはもう、この辺りを気に入っていた。
程良く明かりや店はあるが、それ以上に田んぼや畑が目立ち、近くに小さな山があり、わかりやすい田舎の風景が広がっている。
どこか懐かしさを感じさせる、ノスタルジックな土地。
ここにいると、ゆったりと心地の良い時間が過ぎ去り、精神が解れていくような、そんな感覚があるのだ。
それは、ここが『家』になったからなのか。
ヒナタが……隣にいるからなのか。
「……ね、ヒナタ」
「ん?」
「……んーん。何にも」
「何だよ」
「もうすっかり夜だなって思って。それより、早く買って、帰りましょうか。ヒナタも、お腹ペコペコでしょ?」
「いやもうホントに腹減ったわ。ユヅキの奴なんかも、リビングで溶けてやがったからな。きっと今頃『お腹空いたー!』ってブーブー言ってるぜ」
「ユヅキちゃん、学園だとしっかりしているけれど、家だとしっかり『妹』って感じで、とっても可愛いわ」
「おう、そうなんだよ、アイツ。家だと結構わがまま言うんだわ。まー、甘えてんだと思うがな。その内お前にも甘え始めるぞ、きっと」
そう話しながら、スーパーに入る。
二人はずっと、肩を並べたままで、離れることは、一度も無かった――。




