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目が覚めると、すぐ隣に運命の人がいました〜婚約者でもないのに絡んでくる馬鹿王子に疲弊した侯爵令嬢は、自分を理解してくれる伯爵令息と幸せになります〜

作者: 朧月 夜宵

これは、疲れすぎた侯爵令嬢と、彼女が好きすぎる伯爵令息、そして馬鹿な王子の物語。


加筆・修正行いました‼︎(10/7)

 ああ、疲れた。名のある名門学園で好成績を修める才色兼備な侯爵令嬢、私、ローゼリア・レガートは疲れている。

 

 いや、才色兼備は言いすぎたかもしれない。好成績とはいえ、首席ではない。首席になったことはない。自分でいうのもなんだが、銀髪に濃紺の瞳というまさに美少女な私だが、この学園の先輩には国中の男が一度は惚れると言われている美女中の美女の皇女殿下がいらっしゃるし、私の学年にも100年に一度と言われている美しい男爵令嬢がいる。そう、『才』をとっても『色』をとっても上には上がいるのだ。ただ私がちょうどいいぐらいに両方を持っているという、それだけのことなのだが、正直、どちらも手放してしまいたい。


 私は侯爵令嬢だから、常に好成績を取り続けることを求められる。常に美しい淑女でいることを求められる。友人と会話するにも楽しく笑い合うことはできない。私の権力目当てに近づいてきた人たちの薄っぺらい微笑みを相手にして、「うふふ」と淑やかに会話することが求められるのだ。周りを気にせず「あはははは」と笑い合う下級貴族や平民が羨ましい。こちらはその薄っぺらい貴族の相手が面倒なのだ。


 ある子爵令嬢がこう言った。


「レガート侯爵令嬢は学が深くていらっしゃいますし、とてもお美しくて羨ましいです。身の程知らずにも、レガート侯爵令嬢のご友人という座の末席に加えていただきたいと思ってしまいます」


 これが面倒なのである。なんと答えても角が立つ。友達になりたいなら「友達になりませんか?」と言ってくれればいい。権力が目当てなら分かりやすく「取引しませんか?」と言ってくれればありがたい。それなら喜んで応じよう。だが、この場合は違うのだ。


 例えば、「貴女も良い成績を残しているのではございませんか?特に作法の分野では5本の指に入ると聞きましたわ。それにわたくし、貴女の髪もとても綺麗だと思いますわよ?」と褒めてみると、「いえいえ、わたくしなどレガート侯爵令嬢の足元にも及びませんわ。ほら、この間の…」となり、この先は水掛論だ。


 「友人の座には決められた席があるのではございませんわ。わたくしと親睦を深めたものが友人であって、それ以上でもそれ以下でもございませんわよ?」(あなたとは別に仲良くないんだから、友人なわけないじゃない)と遠回しに断ってみると、「レガート侯爵令嬢は未来までも予測することができますのね。流石でございますわ」(未来のことはなってみないとわからないじゃない。友人になろうともせずに私は友人じゃないって決めつけないでくれる?)と返される。


 結局、答えはyesしか残っていないのだ。


 面倒なのはこのような令嬢相手だけではない。第二王子だ。何かと私に話しかけてくる。この第二王子、見目はそこそこだが、とにかく頭が悪い。王子なのだからそれはそれは質の良い家庭教師が付けられているはずであるのに、王族のコネを使って成績を誤魔化さなければならず、やっとのことで誤魔化しても平均程度の学力しかないという、困った奴なのだ。奴なんて言うと不敬罪で捕まるかもしれないが、聞いていなければ問題ない。周りの貴族が皆そう思ってしまう程度に、要は馬鹿なのだ。

 

 ただ無駄に身分だけは高いから話しかけられたら無視できないし、誘われたら断れない。大方私の見目が気に入っているだけだろうけど、こっちとしては迷惑極まりない。第二王子とよくお茶会をしているからと「第二王子殿下とのご婚約が内定していらっしゃるのではないのですか?」と言われた時には、本気で吐き気がした。誰があんな奴と婚約なんて。こいつが同学年じゃなければよかった、せめて同じクラスじゃなければと何度思ったことか。不敬罪?口に出さなければ何を思っても許されるんだから気にしない。


 両親は良くも悪くも私を放置する。子供は放置しても勝手に育つと思っている。成績が良いのは当たり前で、成績が落ちたと報告しても別に怒りはしない。「そうか、その程度の人間なんだな」という目で見つめられて退室を促される。悔しくて、悔しくて、死ぬほど努力したけど、両親が私を褒めることはなかった。


 先ほど、『常に好成績をとることを求められる』と言ったが、面とむかって言われたことはない。両親の冷たい視線が怖かったのと、周囲の人間の無言の圧力と、自分で自分に課した枷だ。薄っぺらい貴族令嬢が同意を得たかったのか、「お母様の期待がプレッシャーなんです」と言った時には、曖昧に笑うことしかできなかった。成績が悪かったら怒ってくれてもいい。ちょっとでも、ほんのちょっとでも、私に期待して、成果が出たら褒めて欲しかった。


 とりあえず私は疲れている。精神的に疲れているのもあるが、昨晩は今日の小テストの勉強でほぼ徹夜で、そうでなくともここ数日間精神的疲労でずっと眠れなかったのだ。肉体的にも疲労困憊である。とりあえず少し寝たい。精神疾患で眠れないという症状があると本で読んだが、昨日までの私がそうだった。今はもうそれを越してしまっている。逆に眠い。もうすぐ授業は終わりそうだ。だが、終わるのを待っていられない。このままでは授業中に寝てしまう。一番後ろの席とはいえ、授業中に寝るなど、侯爵令嬢にあるまじき行為。でももう限界だ。仕方ない。授業を抜けることにしよう。「失礼します」と一声掛ければ、教師も私が出て行くのを止められない。私が権力を持っているからだ。こういう時こそ権力を使わなければと訳のわからないことを考え始めるほどに、私の頭は睡眠を求めていた。


「先生、失礼します」


 すっと手をあげて教室を出て行こうとした。やはり、教師は私を止めなかった。だが、私を止める奴がいた。例のあいつだ。


「ローゼリア、どこへ行くんだ?今は授業中だぞ?」


 そんなこと、ここにいる誰もがわかっている。普段このような行動をしない私だから、何か特別な事情があるのだろうとか、もしかしたら体調が悪いのかなとか、普通は察せられることが、察せられないのだ。この馬鹿は。


「申し訳ございません、第二王子殿下。少々席を外させていただきます」


「俺もついていく。教師、いいだろ?」


「えっと、ですね。王子殿下におかれましては…その、授業に…」


 はあ。どうしよう。これ失敗したやつかな。


「王子殿下、先生を困らせるのはお控えになった方がよろしいかと存じます」


思わぬところから助けが入った。この教室で私より身分が高いのはこの馬鹿王子しかいないはずなのに。


「ん?誰だ、貴様?」


「カーナト伯爵家嫡男のシエルと申します。ご許可なく口を開いたご無礼をお許しください」


「そうだ。貴様っ!無礼だぞ。俺の許可なく口を開いていい人間がここにいると思っているのか?」


「いいえ、と、とんでもございません。し、しかしながら、この学園が我が国の王室と深い関わりを持っているのはご存知でしょう?先生を困らせれば、先生は王子殿下のご様子について国王陛下にご報告なさるかもしれません。『婚約者でもないレガート侯爵令嬢につきまとっていて侯爵令嬢も私も困っています』と。もしも、もしもご報告なされたらどうなさいますか?」


 カーナト伯爵令息は少々早口で言った。緊張しているのだろう。無理もない。彼の発言は王子の行動を真っ向から批判しているからだ。侯爵令嬢である私ですらこのどうしようもない馬鹿と話す時は緊張する。何せ、ちょっとしたことで怒って、すぐ不敬罪にしてしまうからだ。


「貴様、何を偉そうに!」


 伯爵令息はひっと肩を上げた。けれど深呼吸をしてもう一度発言した。


「一度お考えになってみてください。それにレガート侯爵令嬢を困らせるのも得策ではありません。中立派であるレガート侯爵家が第一王子派を全力で支援すれば、いくら殿下が正室の子で、第一王子殿下が側室の子でも、かなり厳しくなると思われます」


 政治の話を出されれば、あの馬鹿は反論できない。反論できるだけの知識も頭脳もないからだ。王子は舌打ちして、押し黙った。『帰ったら母上に言い付けてやる。この教室にいる者全員不敬罪だ』と小声で呟き、この馬鹿の前の席だった気の毒なご令嬢は、恐怖に身をすくめた。そして私は、教師にもう一度失礼しますと言って、静かに出ていった。

他の貴族たちもカナート伯爵令息の行動に驚きを隠せない様子ではあったが、私が出て行くのに後ろを振り向くことはなかった。まあそこは貴族だ。弁えるべきところは弁えている。


 これだけのことがあれば眠気も冷めそうなものだが、1分ほど廊下を歩いていると、また睡魔が襲ってきた。どうやら重症らしい。


 どこに向かうかだが、もちろん、第二図書室だ。元々読書が好きなのもあるが、第二図書室には古代語の本など古い本ばかり集めているから、新しい物好きの若い令嬢・令息達がここに来ることはほとんどない。そしてここは古びた書庫の状態だから、司書もいない。第二図書室の存在を知っている人自体ほとんどいない。第二図書室、私にとっての天国への行き方は足が覚えている。だから、頭がぼんやりする中、足だけが動いて、ふらふらとそこへ向かった。


 第二図書室の扉を開けて、椅子に座ると、そのまま眠りに落ちた。起きた時に覚えていなかったとしても、人は眠っている時に夢をみているのだと、本で読んだことがある。しかし今思い返しても、この時ばかりは、意識が深淵に沈んでいたと表現したらいいのか、少なくとも夢など決して見ていなかったと本気で信じている。


 目が覚めると、窓の外が夕焼けに染まっていた。まだ頭が痛いし、フラフラする。とは言え、もう夕方だ。今は日の入りが早い季節だから、おそらく5時とかそのあたりだろう。案の定時計を確認すると、4時55分を差していた。6時半には馬車が迎えにくるから、それまでには帰らなければならない。その前に、先生に声をかけた方がいいかななどと考えていると、突然声をかけられた。


「あの、大丈夫ですか?」


 うわあっ。


 声を出さなかっただけ褒めてほしい。誰もいないと思っていたところから声をかけられたのだ。けれど、さっき誰かが入ってきた気配はなかったから、ずっと前から隣に座っていたらしい。全く気づいていなかった。気づかなかった。やはり疲れているようだ。あまりに急に声をかけられた(ように感じた)ので、声には出さなかったが、体は大きく反応してしまった。体がビクッと動き、椅子に座ったままではあったが、声がした方向から大きく体を逸らした。


 深呼吸、深呼吸。どうやら声をかけたのは先ほど助けてくれた伯爵令息らしい。


「驚いてしまい、申し訳ございません。カーナト伯爵令息、どうしてここにいらっしゃるのですか?」


「救護室には来ていないと言われましたので、ここかなと思いまして」


「どうしてここという結論に達するのかぜひお聞きしたいところですけれど…。先ほどは助けてくださり、ありがとうございました。助かりましたわ」


「いえいえ、私がしたくてしたことですから。それで、レガート侯爵令嬢は大丈夫なのですか?まだ随分と体調が悪そうにお見受け致しますが…」


「大丈夫ですわ」


 言いながら、自分の顔色がよくないことは自分でもよくわかっている。短時間の仮眠で治るようなものではないから仕方ない。


「…」


 カーナト伯爵令息の表情は、彼が私の大丈夫を全く信じていないことを物語っていた。


「…正直にいうならまだ頭が痛みます。それに…眠い、です」


「それだけですか?正直におっしゃってください」


「うっ、その、まだすこしフラフラします」


「そうですか、もう少しお休みになってはいかがですか?救護室に行かれなかったのにはご事情がおありなのでしょう?

よろしければ、私が適当な時間に起こして差し上げますよ」


「ありがたいお言葉ですが、その…」


「婚約者でもない男性を前には寝られませんね。無神経なことをお聞きして申し訳ありませんでした」


「…」


 どう答えたのか良いのかわからなかった。厚意を無下にするのも気が引けるが、侯爵令嬢として婚約者以外の殿方の前で寝られないのも事実で…


「その、代わりと言ってはなんですが、少々わたくしの話し相手をしてくださいませんか?」


「はい、もちろんです」


 まだ体調は全くよくなかったけれど、ゆっくりと話し始めた。何の話をしようか迷ったが、この前の、対応に困る子爵令嬢の話をした。急に王子殿下に付き纏われて困っているなどと言っても、対応に困るだろうから。子爵令嬢の発言に対して、「こう言ったら、こう言われる」というのをいくつか話して、「どう言うのが正解だと思われますか?」と尋ねたら、彼は真剣に悩んでくれた。


 学問についての話題を持って来て、意見を求めたら、真剣な答えが返ってきた。私が今まで悩んできた問いに対して別視点から切り開かれたような気がして、世界が広がったような、そんな気分がした。


 話していると、彼がかなり成績優秀だと言うことが伝わってきた。聞けば、いつでも上位5位以内に入っていて、首席を取ったこともあるらしい。死ぬほど努力してやっと上位10位に入れるかどうかという私とは大違いだ。それに彼は、成績が優秀であることを全くひらけかさなかった。まだまだ勉強中だと言う。それに、「実際には知識だけでは何にもなりません。経験が必要なのですが、私にはまだその経験が足りないのです」といった。この第二図書館では授業で学べないようなことも本で学べるから、時々来ているらしい。


「それにしても優秀ですのね。ここにある本はほとんど古代語の専門書でしょう?それを読んでご自分の知識にされるなんて」


「いえ、私が読んでいるのは、専門書の中でも入門書の部類です。難しいものは、私にもさっぱりわかりませんよ」


「いえ、それでもすごいですわ」


「そこまで褒めていただくことでもないのですよ。私の学力も一昨年までは平均程度で、こうして学問に向き合うようになったのも最近のことなのです」


「何かきっかけがおありなのですか?」


「はい、周りの人からしたら大したことのないことなのでしょうが、私にとっては大きな変化となるものでした」


「何があったのですか?」


「すみません。その…」


「言いにくいことなら、言わなくて大丈夫ですわ」


「すみません。いつか、お伝えしたいと思っております」


「ええ。楽しみにしていますね」


 気がつくと、頭痛が軽減していて、フラフラするのも改善された。肉体的な疲労は変化していないけれど、精神的な疲労は随分と改善されたと、そう感じた。


「カーナト伯爵令息、とても楽しいお話ばかりでした。そろそろ迎えの者が参りますので、失礼致します。その、またここで会ったら、今日のように、話しませんか?」


「もちろんです。レガート侯爵令嬢。身の程知らずにも一つお願いをしてもよろしいですか?」


「構いませんよ。何ですか?」


「2人きりの時だけで構いません。私のことをシエルと呼んでくださいませんか?」


「では、わたくしのことはルーナリアとお呼びください。体面もありますので、本当に2人きりのときだけになってしまうかもしれませんが、わたくしもルーナリアと呼んでいただければ嬉しいです、シエル」


 カーナト伯爵令息ことシエルは、堪えきれずにといった様子で微笑みを浮かべた。


「また話しましょう、ルーナリア」


「ええ。それでは、わたくしは先生に一声かけて帰りますね。ごきげんよう」


 夜、今までにないほど熟睡できた私は、次の日の足取りも軽かった。学園に行くのが楽しみだと思えたのは随分と久しぶりのことだった。けれど、この時の私は忘れていた。この学園には、否、私のクラスにはあの馬鹿王子がいることを。いくら馬鹿でも王子は王子で、母親には溺愛されているということを。


 教室に入ると、なぜか空気がどんよりしていた。よく見ると、シエルの姿が見当たらない。身分別登校だから、伯爵令息である彼は私より早い時間に登校するように決められているのに。そうしていると、例の馬鹿が登校してきた。いつもは授業が始まった頃に来るくせに、今日は早い。嫌な予感がしていると、王子が口を開いた。


「皆の者、よく聞くがいい。昨日俺に無礼を働いた伯爵令息には謹慎を言い渡した。期限は、俺が許すまで、だ。つまり、あいつはもう2度とこの学園に来ることはない。これから、あいつとその一家は笑い物だ。いい様だな。皆も俺に無礼を働いたらこうなるから、覚えておくが良い。ルーナリア!何をぼけっとしている?俺に反論してきたあのうるさいやつがいなくなったんだ。俺が登校してきたら跪け。そして挨拶しろ。いいか?お前が逆らう度にこのクラスの者を1人ずつ来れなくしてやるからな。王族の力を舐めるなよ。お前にこのクラス全員の地位がかかっているんだからな。ほら、わかったなら今すぐ跪け!」


 絶対に、許さない。私に頭を下げさせるだけならまだしも、シエルを実質上の退学にするなんて。お前だけは、何があっても、絶対に許さない。お前よりもそこらの平民の方が価値があると、本気で思う。シエルとは比べるまでもない。天と地の差、月とスッポン、こういう言葉はこういう時に使うためにあるのだと思う。けれど、私に選択権はない。例えこのクラスの人たちに特別な思い入れがなかったとしても、このクラス全員の地位がかかっている以上、私は従うしかない。それが、高位貴族としての義務、ノブレス・オブリージュだから。私1人が頭を下げて、それでこの馬鹿の気が済むなら、それでいい。


私はゆっくりと頭を下げた。


「ルーナリア!俺を馬鹿にしているのか?地に膝をつけろ。王族に対して最上級の挨拶もできないのか!だが、俺も鬼ではない。地に頭をつけて許しを乞うのなら、今日だけは許してやろう」


 周りから悲鳴が上がった。まさか、貴族令嬢にそのようなことを命じるとは、誰も思わなかったであろう。皆、「それは流石に」と思っているが、下手に口出しはできない。自分の身がかわいいのは仕方のないことだ。彼らは悪くない。そして私は、命令に従うしかない。


 屈辱に塗れながらも、頭を下げようとすると、身体中に力が入った。それでも、下げなければと、謝罪しなければと頭を下げようとすると、誰かが、教室に入ってきた。


『やめなさい』


 今まで聞いたことのないような底冷えのする声だった。間違いなく、この声の持ち主は怒っている。いや、もはや怒っているなどという可愛らしい言葉で表現できる度を過ぎていた。ただ確かなのは、この声の持ち主の周りは空気が氷点下で、このクラスに彼を中心とした吹雪が吹き荒れているようだったということだ。もちろん比喩である。だが、比喩には思えないほど現実味があったと、彼をこれほど怖いと感じたことはないと、後に思うのだった。


『ルーナリア、馬鹿な真似はやめなさい』


 振り返ると、氷点下の空気を纏ったシエルがいた。


 返事もできなかった。この時の私には嬉しさと、恐怖と、色々と混ざっていて、ただ頷くだけで精一杯だった。


『殿下、何ということをしてくれたのですか?許しませんよ。私の婚約者に手を出しておいて、楽に死ねると思わないでくださいね』


 シエルに婚約者などいただろうか?なぜか胸が締め付けられたようで苦しくなって、胸を押さえた。


「な、何を偉そうに!まず、貴様がなぜここにいる?謹慎のはずだろう?そ、それに、貴様の婚約者には手を出していない!」


『ルーナリアに手を出しましたよね?』


「き、貴様の婚約者ではないだろう?ルーナリアは誰とも婚約していないはず…」


『ついさっき、婚約の手続きを済ませてきたんですよ。それよりも、どうしてあなたがルーナリアを呼び捨てにするんですか、殿下?』


 それを聞いて、嬉しくなった。許可も出さずに勝手に婚約を結ばれてしまったというのに、彼の婚約者であることも、呼び捨てにされたことを怒ってくれたことも嬉しかった。こんな時に嬉しいなんておかしいのは自分でもよくわかっているけれど、それでも、嬉しいと思ってしまった。


「そ、それは、こいつの方が身分が低いから許されるのだ!」


『ほう?身分が低い?それはどうでしょうね?』


 侍従の1人が肩身の狭そうにどころか、今にも倒れそうな様子で声を上げた。


「カーナト伯爵令息様、ご到着になられたようです」


「わかりました。貴方はもう下がって大丈夫です。さて、殿下。ここからはバトンタッチさせていただきます」


やがてまた1人、教室の中へ入ってきた。そう、国王陛下である。馬鹿王子を含め教室にいるシエル以外の全員が真っ青になり、頭を下げた。半分近くの者は気を失ってしまった。


「このようなところまでご足労くださりありがとうございます。陛下」


「うむ、カーナト伯爵令息もここまでご苦労。ここからは余が仕切ろう。ウィゼル。お前には失望した。お前は正室の子だからといつか改心すると期待していたのだが、どうやら無駄だったようだ。お前の行動については全て調べがついているぞ。家庭教師の授業を受けずにカジノに入り浸り、見目の麗しいご令嬢を見つけては追いかけ回し、平民の女と無理やり関係を持ち、罪のない多くのものを不敬罪として断罪した。とても王族の行動とは思えぬ。だがそれでも、学園に通って真なる友人を見つけることで、改心すると思っていたのだが。ちょうど余も、お前くらいの頃、家庭教師の授業を抜け出して市井に降りて遊び回っておったし、何人もの女子と関係を持っておった。お前は余に似ておる。だから…、いや、もう全てなくなった可能性だ。お前は今日より勘当する。お前の名を呼ぶ日は二度と来ないだろう。これからは平民として慎まやかに生きるように。せめてもの情けだ。地方の直轄地に家を用意してやろう」


「し、しかし父上!全てこの2人が悪いのです!この伯爵令息とルーナリアが!」


「まだわからんのか、この馬鹿息子!お前はもう余の子ではない。そしてお前には平民として生きる未来しか残っておらぬ。お前の母上、余の正室も国家の予算を横領していたことが発覚し、生涯幽閉すると決定した。だがお前はまだ若い。今からなら、平民としても生きていけるだろう」


「すまぬな。カーナト伯爵令息、レガート侯爵令嬢。それから、このクラスの者たちも。馬鹿息子の賠償は余の私財から払おう。本当に申し訳ない」


「ルーナリア・レガートでございます。どうか、謝らないでくださいませ。わたくしが第二王子殿下、いえ、ウィゼル様を許すことはないでしょう。そして、一侯爵令嬢である私が、陛下の謝罪を受け入れることはできません。ですが、ウィゼル様のお父上からの謝罪は受け入れます。ここにいる皆も同じ気持ちだと思います。陛下、どうかウィゼル様に一言与えてやってくださいませんか?」


「この馬鹿息子。いや、ウィゼル。お前の名を呼ぶのはこれが本当の最後だと心得よ。……ウィゼル、余はお前を父親として本気で愛していた」


ウィゼルはしばらく魂が抜けたように突っ立っていた。そして、気づけば、頬に熱いものがつたっていた。


   ◇ ◇ ◇


次の日、ルーナリアは、なぜかシエルに頭を下げられていた。


「申し訳ありません、ルーナリア。勝手に婚約をしてしまいました。本当にごめんなさい。それにあの時、ルーナリアと。その、2人きりの時だけという約束でしたのに」


「それは全然構わないのだけど」


「ありがとうございます。ルーナリアの優しさに心からの感謝を」


「そ、その、あなたさえ良ければ、このまま婚約を続けるのはどう、かしら?もちろん、互いに両親の許可は必要になるけれど」


「本当ですか?本当に?私の婚約者でいてくれると?」


「ええ、その、あなたとはもっと仲良くなりたいと思っているし、そ、それに、あなたが別の人と婚約したら、モヤモヤしてしまう、から。も、もちろんあなたが嫌なら無理強いしないわ。身分も気にしないで。嫌なら嫌と…」


「そんなわけありません。嬉しい、です」


ルーナリアがシエルを見上げると、2人の目が合った。どこか気恥ずかしくて、お互い顔を赤くして俯いてしまった。




一方、ウィゼルは父親の愛に気づいて、心を入れ替えたのだった。もちろん、いきなり聖人君子になった訳ではない。だが、ウィゼルは今まで迷惑をかけた人全員に手紙を書いた。勘当された手前、会いに行って謝罪はどう考えても不可能だ。だから、手紙を書いたのだという。もちろん、手紙を書いたからと言って、ウィゼルの勘当が消えるわけでもなければ、周りの態度が急に好意的になるわけでもなかった。自己満足にしかすぎないが、ウィゼルにはどうしても書かずにはいられなかったのである。


ルーナリア・レガート様へ

 俺が勘当されたのは知っていると思う。勘当されたから、お前に会いに行くことはできない。だから手紙を書いた。まあ、お前とかいう言葉使ってる時点で俺不敬罪って言われても文句言えないんだけどな。何せ平均だし。まあ、置いといて、色々済まなかったな。お前にはその、無理強いしてしまうことがよくあった。お前がやりたくないことも、たくさんやらせてしまったと思う。本当に済まない。こうして言葉で謝っても全然足りないことはわかってる。だけど、謝らせてほしい。もちろん受け入れなくていいんだ。ただ、俺の自己満足だと思って、笑ってくれ。

 …そのー、俺さ、実はルーナリアのこと好きだったんだよな。美人だし、勉強できるし、なんか、そのオーラが好きで。これまでも色んな女を追いかけたり引っ掛けたりしてきたんだけど、やっぱりルーナリアが一番好きだった。気持ち悪いだろ?じゃあなんであんなことしたんだよ?って思うだろ?ほんと、好きな女の子に嫌がらせしたくなるって、何歳の子供だよって話だよな。笑うなり、恨むなり好きにしろ。どうせ俺がお前に会うことはこの先二度とないだろう。辺境の直轄地で大人しく平民として生きることにしたんだ。重荷のない平民暮らしって案外楽しそうだと思わねえか?まあ自由に楽しく生きることにしたから。

 それとお前の彼氏、なかなか執着強そうだから気をつけろよ。あいつが氷点下で『やめなさい』って言った時、俺本気で死ぬかと思ったし。それほど愛されてるってことだな。まっ、せいぜい頑張れよ。     ただのウィゼルより


 この先、あの王子のことを馬鹿と言うことはなくなった。ルーナリアはあの王子をウィゼルと呼ぶことにしたのだ。そして、1ヶ月が経った。


「ねえシエル」


「どうしたの?」


「どうしてあの時あんなに速攻で婚約したの?」


「ああ、あれは単純な理由だよ。陛下に直接意見を奏上するには侯爵家以上の身分が必要だから。ルーナリアと婚約したら、侯爵家の身分を得られるから、直接陛下に奏上した。そうでもないと謹慎されている身で、そこからでたら処罰対象になってしまうから」


「でも、そんな危険な道を渡らなくても、普通にしばらく謹慎されてればよかったんじゃないの?」


「ルーナリアはウィゼルの視線気がついていなかったの?」


「視線?」


「そう。あいつ、明らかにお前への好意があったよ。私が謹慎している間にあいつと何かあったら絶対に嫌だから」


「じ、じゃあ、その頃から私のことを?」


シエルが俯いた。耳が赤くなっている。


「も、もっと前だよ。ほら、学問に向き合うようになったきっかけがあるって言ったの、覚えてる?」


「ええ、ここ、第二図書室で今みたいに話してた時でしょ?」


「そう、そのきっかけね、ルーナリアだよ」


「え?私?」


「そう、2年前、私たちがこの学園に入学してきて、確か、2年前は違うクラスだったけれど、ルーナリアがウィゼルから男爵令嬢を庇っているのを見たんだよ。君にとっては大したことないことだったかもしてないけど、私にとっては衝撃だった。それまで私は身分はどうしようもないもので、逆らうことはあってはならないと教え込まれてきたから、そう信じていたんだよ。だけど、ルーナリアは臆することなく王子に意見した。それで、君に興味を持ったんだ。

 

 それから、君のことをよく見ていると、君の歩き方、話し方、学力、全てがその努力の賜物だと言うことが感じられた。私は自分が恥ずかしくなったよ。伯爵令息であるから、成績は平均程度あれば十分だと思っていたんだ。努力をして成績をとって身分が上の方に目をつけられてはたまらないとね。それから、血の滲むような努力をした。そうしてやっと君のいるところまで辿り着けたんだ。


 そうやっているうちにも、君を目で追っていたらどんどん君のことが好きになってきてしまったんだ。もう絶対に手放せなくなってしまうと思った。だから、今年、同じクラスになった時も、特別ルーナリアと関わりを持とうとはしなかった。とは言いつつも、君が通っていると気づいた第二図書室を度々訪れていた。この間、専門書を読んでいると言ったけれど、それは本当。ただ、目的はそれだけじゃなかった。自分の中でも相反する感情があって、こんな行動に出てしまっていたんだ。


 でもあの時、具合が悪そうな君があの馬鹿王子に足止めされていたから、思わず口を出してしまった。あの時君の居場所がすぐにわかったのも、それが理由だよ。本当は、救護室にも確認していないんだ。君は第二図書館にいるという確信に近いものがあったから」


ルーナリアは何と答えたらいいのかわからなかった。けれどこれだけの気持ちを示されたなら、気持ちで返すべきだと思った。だから、躊躇いがちに口を開いた。


「シエル。なんていったら言いかわかんないんだけど、あのね、私もあなたに伝えることがあるの。あなたが私を好きなのと同じくらい、うんう、あなたよりもずっとシエルが大好きだよ。もう私シエルなしじゃ生きられないと思う」


シエルは耳まで真っ赤にすると、ふいっと顔を背けた。


「全く君は…。私の負けだよ」


「ルーナリア、ひとつお願いを聞いてくれない?」


「もちろん。なあに?」


「ルーナって呼んでもいい?」


この国で愛称で呼ぶと言うことは、お互い気を許すと言うことだ。家族であっても、気を許していなければ、愛称で呼ばれることを許すことはないし、呼ぶこともない。


「もちろんいいんだけど」


「だけど?」


「それってさ、ちょっと不公平じゃない?『シエル』って名前短すぎて愛称も何もないじゃん。私をルーナって呼びたいなら自分の愛称も考えてよ」


「自分の愛称なんて考えられないよ。ルーナが考えてよ」


「じゃあ、エルでどう?安直すぎる?」


「うん、いいと思う。気に入ったよ」


「アハハ、あはははははッ」


「ルーナどうしたの急に?」


「なんか幸せだなあって思って」


「私も幸せだよ」


「ええ?エルより私の方が幸せだって。私今、今世紀最大の幸せに包まれてるから」


古びた図書室に差し込む明るい日差しは、どんな宝石よりも美しくキラキラと輝いていた。




数年後、シエルとルーナリアは結婚式を挙げた。いつもは基本放置のルーナリアのあの両親が「幸せになりなさい」と言ってきたり、王都でお披露目をしているとウィゼルによく似た村人の青年が手を振っていたりしたのはまた別の話である。


最後まで読んでくださって、ありがとうございます!


誤字報告ありがとうございます。修正させていただきました。

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