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冬の冥界の旅を、君と二人で

作者: 高良 揚羽


 雪史(ゆきふみ)はぼんやりと目を開いて、あたりが闇に包まれていることを確認した。そして、自分が死んだことを理解した。


高田雪史(たかだゆきふみ)、享年十七歳。短かったけど、いい人生だったなあ)


 しみじみと心の中で呟いて、冥界の空を見上げた。暗い雲に覆われていて、先が見えない。静かで寒くて、見えないけれどどこか綺麗な空気で、まるで雪史の冬の故郷みたいな空気だった。

 賑やかな声が静寂を切り裂くまでは。


「えーどこここー!?」

「うるさっ」


 冥界の旅路は雪史一人ではなかったらしい。目の前には、綺麗に切り揃えられたボブにチャーミングな笑顔が眩い女の子がいた。


「あれ、高田くんじゃん……やん!」

「おはよ、立花……」


 同級生の少女――立花悠香(たちばなゆうか)は、まんまるの瞳をかまぼこ型にキュッと変えて微笑んだ。彼女が「じゃん」を「やん」に言い換えたのは、決して何か色気的な効果音がついた訳ではない。どうやら立花悠香は、金沢弁を使いたいらしいのだ。


 彼女は、先月東京から引っ越してきたばかりで、方言というものに憧れがあるらしい。らしい――というのは、立花を遠巻きに眺めて得た情報だからだ。

 雪史は女子と交流する方ではないので、この転校生とも今日まで直接話したことはなかった。


「立花、状況わかってる?」

「んー、登校中に雪道で高田くんの後ろ歩いてて、トラックがスリッパして来たところまでは覚えてるんだけど」

「スリップね」

「やっぱり、私たち死んじゃったのかな?」

「恐らく」

「そっかあ」


 しょんぼりと彼女は項垂れた。無理もない。彼女だってまだ十七歳のはずで、やり残したことはたくさんあっただろうから。


「こんなことなら、金箔ソフト食べとくんだったな……冬だから我慢したのに!」

「ん?」

「のどぐろも蟹もブリもまだ食べてないのに……! 悔しい!」

「待て待て後悔の方向がおかしい」

「なんでよ! 食は人間の三大欲求の一つなんだから……なんやから!」

「無理して方言入れようとしなくていいって。俺も立花といる時あんまり方言出ないし」

「そうなん……?」

「うん」


 小首を傾げた立花に、『方言の使い方が若干おかしいからやめろ』とは言えなかった。「そうなん」の四文字のイントネーションさえ正直ムズムズする。


(無理して使わなきゃいいのに……。変なヤツ)


 冥界の旅の相棒は、話したことのない転校生で、変なヤツで――退屈しなさそうな相手だった。


「まあ、ここにいてもしょうがないしさ。冥界の受付的なところに行ってみようよ」

「おっ! 冥界の旅ですな!」


 立花がうきうきと立ち上がる。雪史が言えたことではないが、こいつも大概図太いやつである。


 そうして、順調に歩き始めたはずだった。……しかし。


「立花、その体勢はどうなの」


 雪史の隣で、海老反りのように背中を逸らして立花が歩いている。どうやら空をガン見しながら歩いているらしい。


「ここってさー、ちょっと金沢に似てない?」

「……そう?」


 冥界で目覚めた当初、自分も同じように考えたことは黙っておく。この奇行をする同級生と同じ発想と思われたくないからだ。


「似てるよー! 鉛色の空!」

「おまえな」


 無邪気に言われたが、『北陸は鉛色の空』というのは地元民の自虐のようなものだった。晴れている日が少なく、いつも空が暗い色の雲で覆われているから鉛色と呼ぶ。一年中雨や雪ばかりで、『弁当忘れても傘忘れるな』は北陸の民の人生の標語だ。


 外の人間の口から『鉛色の空』と聞くと、少しばかりネガティブないじりをされたのではないかと心がささくれだつ。

 しかし、阿呆面で空を見上げる立花を見れば、そんな考えは杞憂だとわかった。雪史の見えないものでもそこにあるのかと疑うほどに、彼女の意識は空に向けられている。


(何がそんなに面白いんだ? 確かに冥界の空はもの珍しいだろうけど……)


 訝しげな雪史の視線に気づいたのか、立花が視線は上にやったまま口を開く。


「私、普段もよくこうやって帰ってるよ」


 なるほど、通常運転だったようだ。……じゃなくて。


「いや、危ないだろ……」

「だってさ、空見ないと損じゃん!」


 ようやく彼女がこちらを振り向いた。とても真剣な目をしていて、戸惑う。雪史は、空にそこまでの価値を見出したことがなかった。


「……立花ってSNSに空の写真とか載せる人?」

「うん。こっちに来てから載せるようになった」


 雪史は少し目を瞬く。『こっちに来てから?』


「あ、こっちに来てからって冥界じゃないよ!

金沢に越して来てからだよ!」

「わかってるよ!」

「なら良かった」


 にこっと立花が笑う。雪史は、先ほどの彼女の言葉を咀嚼した。


「でも、どうしてこっちに来てから?」

「だって、東京と全然違うんだもん。夕日も地平線まで見えて、星がすっごく綺麗でさ!」


 そう語る彼女の目こそ、星みたいにキラキラしていた。


「……でも、鉛色の空じゃん」

「確かに雨とか多いよね。私こっちで傘一日に三回壊れたことあるよー!」


 そう言って、立花はゲラゲラと愉快そうに笑った。


「でも、けっこう新事実発見したよ」

「ほう、新事実とは」


 気づけば、彼女の続きの言葉を楽しみにする自分がいる。


「あのね、雪の日の夜は白いんだよ」

「……ほう?」


 大事な秘密を話すように、彼女は声をひそめる。


「雪が降ると地面は真っ白だから、夜になるとコントラストで白黒ですっごく綺麗になるかと思ってたの」

「うん」

「でも、雪が降ってると大体金沢の空は曇ってるから、空はなんか白いの……上手く説明できないけど、雪の日の夜はけっこう明るいの。雪あかりって、こういうことなんだって」


 雪史は、いつもの故郷を思い浮かべる。たしかに、明るい夜が多いかもしれない。


「……うん、確かにそうだ」

「コントラストを期待してたから、驚いたけど、明るいって初めて知った時は、けっこう、感動した」

「それは、よかった」

「へへ」


 立花が、静かに笑う。雪が降った夜みたいなほのかな笑みだ。


「あ、あれ受付じゃない?」


 立花の指差す方を見ると、確かにスタッフらしき人が立っている。案内人か何かだろうか。


「本当だ」

「次は天国への旅でもするのかなあ」

「地獄かもよ」

「そんな悪いことしてないよっ!」


 顔を見合わせて笑った。立花となら、地獄でもちょっと楽しいかもしれない。


「あのー、すみません」


 スタッフが話しかけて来た。性別のよくわからない、男にも女にも見える若い痩せた人だった。


「申し訳ないんですけどー、お二人死んでないので戻ってもらえますか?」


 立花ともう一度顔を見合わせる。今度は真顔だ。


「あのですねー、意識失ってただけなのですぐに回収されるはずだったんですが、お二人が勝手に動かれたのでー、座標を見失いまして今死にかけの状態になってます」

「……僕らが勝手に冥界を旅したために意識が戻るのが遅くなってるということですか?」

「はいー、なのでお二人の意識を急いで戻しますね」


 スタッフが、雪史と立花の頭に手を当てた。雪史が冥界の旅に連れて行ったから回復が遅れたなら、謝っておかなければいけない。雪史は隣にいる立花に声をかけた。


「ごめんな、立花。勝手にうろちょろ連れて行って」

「全然いいよ!」

「……旅、結構楽しかった」

「私も!」


 スタッフの手からじんわりとあたたかさが伝わってきて、意識が冥界から遠のいていく。薄れゆく意識の中で、立花の声がした。


「高田くん、あっちでも私と話してね」


 ◇


「雪史!」

「意識が戻ったんか!」


 父と母の声に揺さぶられて、雪史は冬の冥界から金沢に戻ってきた。視界に家族の心配そうな顔が映った。どうやら、病院のベッドで目覚めたらしい。


(怪我は……)


 視線を全身に巡らせるが、目立った怪我はない。


「雪史、奇跡的に大きな怪我がなかったって!」


 姉が安心させるように言ってくれた。

 その時、カーテン越しの隣のベッドからも「悠香、良かった……!」という声が聞こえた。


(良かった、立花も無事だったんだ)


 雪史は安心して、泥のように眠った。


 夜、家族が帰ったあと、意を決して隣のカーテンを開いた。こっちでは初めて話すから、少し緊張する。


「立花」

「高田くんやん!」


 わかっていただろうに、ちょっととぼけたように立花が言う。まんまるの瞳をかまぼこのかたちにキュッと歪めた。

 またヘンテコなイントネーションだ。きっと、方言への憧れだけでなく、転校生の彼女は僕らと仲良くしたいと思ってくれているのだろう。……でも。


「ずっと言えなかったんだけど……立花の方言ちょっと変」

「ひどっ」

「無理しなくていいから」


 以前もかけた言葉をもう一度伝えた。それでも彼女が不服そうな顔をするので、こう付け加える。


「立花の東京弁を、立花の言葉を聞きたいと思ってる」


 彼女の顔が薄く染まる。


(立花が僕らのことを知りたいと思ってくれているように、僕らも立花のことを知りたいんだ)


――だから、ありのままの君でいい。これから僕らは友達になるんだから。

 そう正直に言うのは少し恥ずかしいので、雪史はぶっきらぼうに告げた。


「もっと立花の話を聞いてみたい。冥界の旅、かなり、楽しかったから」 

「……うん!」


 嬉しそうに笑う彼女に釣られて、雪史も笑みが溢れた。

 笑い合う二人を、窓からほのかな雪あかりが薄く照らしていた。

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