部活中、こっそり好意を伝えてくる子猫な後輩が可愛い
「エモい」
泣木原高校、文芸部の一室。
放課後の部活中。
いつものように読書に熱中していた一個下の後輩、七咲 雪菜がぽつりと言った。
小柄な体躯。
黒髪のショートカットに幼さの残る顔立ち。
くりりとまんまるな瞳は、小動物を彷彿とさせる。
「今、俺のこと呼んだ?」
文芸部部長の江茂井 太郎が、せっせと宿題を進めていた手を止める。
「呼んでません。この名作と、江茂井先輩が同列に立てるなんて烏滸がましい事この上無しです」
「確認を取っただけでなんて言われようだ」
太郎が咎めるように雪菜を見る。
「第一、私が先輩を苗字で呼び捨てにした事なかったじゃないですか」
「唐突に尊ぶ心がなくなったのかと思ってビビったよ」
「いち! おう! 先輩ですからね」
「今、『一応』って強調しなかった?」
「知りません、気のせいです」
言ったあと、雪菜がムッとした様子でぼそぼそと口を動かす。
「……はやく、先輩後輩以外の関係になりたいのに」
「なんか言った?」
「なんでもありません」
ぷいっと、雪菜は顔を背けた。
「それで、エモいがなんだって?」
「よくぞ聞いてくれましたね」
雪菜がふふんと得意げに笑って、今しがた読んでいた本の表紙を見せつけてきた。
「出た、文学的なタイトルと物憂げなヒロインの表情、キラキラとしたパーティクルのデザインが組み合わさった意識高いやつ」
「なんて無粋なこと言うんですか!」
しゃーっと、雪菜が目を剥いて身を乗り出してきた。
怒った子猫みたいに。
「すまんすまん、冗談だ」
「嘘ですね、さっきのは本気で言ってました」
「よくわかったな」
「やっぱり! もうっ、先輩は本当にもう、ロマンがないというか淡白というか!」
「今更だろう、俺に情緒的なリアクションを期待する方が間違ってる」
「……それもそうですね。感動系のアニメ一緒に見たときも、号泣必至のハートフル純愛映画を一緒に見に行ったときも、一滴足りとも涙を流しませんでしたもんね」
「雪菜は豪雨みたいに泣いてたな」
「わ、私のことはいいんです!」
見られたくない卒業アルバムを掘り起こされたみたいな反応をする雪菜。
「とにかく、先輩みたいな無機質でぶっきらぼうな人を理解できるのは、私くらいなんですから、感謝してください」
「そうだな。雪菜は俺のこと、本当によく見てる」
太郎が事実を言うと、雪菜がぼそぼそと口を動かす。
「……当たり前です。ずっと見てますから」
「なんか言った?」
「なんでもありません」
ぷいっと、雪菜は顔を背けた。
「それで話を戻すと、その本がエモいって話か?」
「そうなんです、エモいんです。特にドライで無感情だった主人公が、明るくて世話焼きな女の子と関わるうちに感情をわかっていって、終いには こく! はく! する場面がエモいんです」
「告白、強調した?」
「気のせいです」
ちらちらと、雪菜が伺うように太郎を見る。
一方の太郎はきょとんと、釈然としない顔をしていた。
「そもそもエモいの定義を教えてほしい」
「ああ……先輩はそこからでしたね」
「その出来の悪い生徒を見るような目をやめろ」
「エモい、という言葉はですね、ようするに、そのー、とにかく、胸がブーっとなって、体がカーッと熱くなって、なんかエモーショナルなんです!」
「ミリもわからんかった」
「んえっ? わからなかったのですか?」
「全く」
「うぐぅ……」
下唇を噛み締め、雪菜がわかりやすく拗ねた表情をする。
その子供っぽい仕草に、思わず太郎は口元を緩めた。
「先輩、よく笑うようになりましたよね」
「そうか?」
「そうですよ。一年前、私が入学した時は、ロボ……えっとー、ペッパー君みたいだと思いました」
「おい一瞬ロボットって言いかけただろ」
「い、いいじゃないですか、ロボット。ほら、神経無いので、冬は寒くないですよ?」
「全くフォローになってないんだが?」
「とにかく、先輩はこの一年でいろいろ変わったと思うんです。私とこうして無駄口を叩いてくれるようになりましたし、たまに笑ってくれるようになりましたし」
「あー、でもまあ、言われてみるとそうかもな」
ぽりぽりと、太郎が頭を掻く。
自分の性質を他者に表現されるのは、照れ臭い。
「……そんな、意外な一面をたくさん見せてくれた先輩のことが、私は」
「なんか言った?」
「なんでもありません」
ぷいっと、雪菜は顔を背けた。
「まあようするに、その本がエモいから読んでくれと、そういうことか?」
「ですです。一緒に感動を分かち合いましょう」
「お互いに感性が違うんだから、感動を共有するのは無理だろう」
「もー! またそういう無粋なことを!」
「すまんすまん……でも、いいのか?」
「何がです?」
「いや……雪菜にはいつも本を借りてるから、申し訳ないなって」
「今更そんなこと気にしなくていいですのに。私が好きで貸しているんですから」
「それならいいんだが……」
「だが?」
「いや、これで雪菜に本を借りるの、何冊目だろうなって」
「軽く1000冊は超えてると思います」
「そんなにか?」
「先輩、読むスピードがえげつないんですって。入部した時にお勧めした300冊を一週間で読破してきた時は、本当にロボットだと思いましたよ」
「せっかく勧めてくれた本だからな。読まないと、申し訳ないだろう」
太郎がなんでもないふうに言うと、雪菜が頬を朱に染めぼそぼそと口を動かした。
「……そういう誠実なところが、私は」
「なんか言った?」
「なんでもありません」
ぷいっと、雪菜は顔を背けた。
「とにかく、先輩にはもっと、『エモい』をわかってほしいのです」
「さっきの説明を聞いている限り、雪菜もわかっていなさそうだったが?」
「私はわかってるので、感覚的に」
「そんなのアリかよ」
「そもそもエモいは理屈じゃないので。感覚としてわからないと意味がないのです」
「俺、一生わからないだろそれ」
太郎が言うと、雪菜が不機嫌そうにぼそぼそと口を動かした。
「……私が一生をかけて教えてあげますのに」
「なんか言った?」
「なんでもありません」
ぷいっと、雪菜は顔を背けた。
「というわけで、貸して差し上げます」
「ありがとう。下校までには読むよ」
「いや、だから速すぎるんですって」
「宿題やりながらだから、遅い方だぞ?」
「先輩のマルチタスク脳、やっぱりロボットじゃないですか……」
それからは、雪菜が新しい本のページを捲る音。
太郎が本を捲る音、宿題を進めるシャーペンのカリカリ音だけが部室を満たした。
しばらくして、太郎がパタンと本を閉じた。
「読み終わった」
「どうでした?」
もはやスピードについてはつっこまないことにした雪菜が、太郎に尋ねる。
「面白かった」
「……!! そうですか!」
ぱあぁっと、雪菜が表情に花を咲かせる。
「だが、エモいはよくわからなかった」
「……そうですか」
しゅんと、雪菜がわかりやすく肩を落とした。
「加えて、一つ疑問が生じた」
「疑問、ですか?」
雪菜がこてりんと、小首をかしげる。
「雪菜が俺のことをよく見ているように、俺も雪菜のことはある程度見てきているつもりだ。このタイミングでこの本を俺に読ませたこと、さっきから俺に聞き取れない程度の音量でぼそぼそ言ってること、妙に顔が赤いこと、これらには相関関係があると見た」
「なあっ!? 顔は赤くしてないですってば!」
「鏡見て言え」
「鏡なんてこの世に存在しません」
「どんなしらの切り方だ」
「告白のシーンは、どうでした?」
話の舵を大幅に切って、雪菜が真剣に尋ねてくる。
「告白のシーンは、まあ……これまでの変化の積み重ねの集大成が詰まっていて見事だと思ったが……」
キャラの属性が、俺と雪菜に似ている気がした。
と口にする事を、太郎はすんでのところで引っ込めた。
何故かはわからない。
ただ、これも何故かはわからないが、言おうとした途端、顔の温度が急に……。
「先輩も顔赤くありません?」
「炎色反応を起こすための温度が顔に生じたら燃え散るため、赤くなることはない。QED」
「どんなしらの切り方ですか」
「そんなことはどうでもいい。それで、どうなんだ? このタイミングで俺にこの本を読ませたことに、意味はあるのか?」
太郎が尋ねる。
雪菜がじっと見つめ返す。
しばし黙考した後、雪菜の双眸に強い意志が灯った。
それから、太郎の手元に広げっぱになった宿題を見て言った。
「そういえば先輩、宿題は終わったんですか?」
話を逸らしたわけではない、という事を太郎は察した。
「ああ、99%終わった」
「残りの1%は?」
「朝からずっと取り組んでいるんだが、終わらないんだ」
「どんな問題でも一瞬で解いてしまう先輩が、珍しいですね」
「俺の専門外なんだよ」
ぺらりと、太郎がひとつの便箋を取り出して机に出した。
「今朝、下駄箱に入れられてたんだ」
「……なんて書かれてありました?」
雪菜が聞くと、太郎は務めて無表情で言った。
「江茂井先輩のことが好きです、付き合ってください」
「……それで、先輩のお返事は?」
「その返答が浮かばなくて、ずっと朝から悩んでるんだ」
太郎が言うと、雪菜はしょんぼりした様子でぼそぼそと言った。
「……そんな、悩むことなんですか」
「なんか言ったか?」
「言いました」
今度は顔を逸らさず、雪菜が太郎の目を真っ直ぐ捉えた。
決意の籠もった瞳。
「……先輩は、嫌、なんですか? その……付き合うの、とか」
「嫌、というわけじゃないが」
「じゃないが?」
「前提として、差出人が書かれてないから、誰からの告白かわからない」
「んえっ!? そんなはずは……あっ、でもよくよく思い返すと書いた記憶が無いような……」
雪菜が言うと、太郎が確信を得たと言った表情をする。
「やっぱり……雪菜だったか」
「やっぱりって……私以外いないでしょう普通に考えて!」
「確証がないだろう、俺のことを先輩と呼ぶ生徒は後輩合わせると300人はいるだろうし」
「んもおおおお、これだから先輩はもう、もう!」
ばんばんと机を叩いて、顔を真っ赤にしムキーする雪菜。
しばらくして落ち着いて、改めて雪菜は尋ねた。
「それで、どう……なんですか?」
雪菜がもう、しらを切ることもできないくらい顔を真っ赤にして尋ねてくる。
上目遣い、不安げに揺れる瞳。
そんな雪菜の様子に、何故か太郎の鼓動が速くなる。
「……正直、今までこういったものには無縁だったから、どう答えていいのかわからなくて……そもそも好きとか、よくわからないから、中途半端な気持ちで付き合うのはどうなのかと」
「もうっ、いつも変なところで真面目!」
雪菜が怒り2割、呆れ8割、の感情を表出させる。
「まあでも、そういうところも好きなんですが」
念押しとばかりに雪菜が言う。
終いに、100%の喜の感情を以って言った。
「好きという気持ち、私が教えてあげますよ。今まで私が先輩に教えられたように、これからもずっと」
その慈愛に満ちた表情を見て、太郎は胸に温かいものが込み上げる感覚を観測した。
「……ああ、わかったぞ」
「何がですか?」
「エモい、わかったかもしれん」
「本当ですか!?」
雪菜が身を乗り出す。
「ああ、なんというか……雪菜の事を見ていると胸がぽかぽかするというか、その一言、一挙動から離せないというか、とにかく雪菜の事で頭の中がいっぱいに」
「すとっぷすとっぷすとっぷ!!」
「どうした?」
「それ以上はダメです、私が沸騰死します」
ぷしゅーと頭から湯気を出している雪菜が、怪訝な顔をする太郎の両肩を掴んで言う。
「死なれるのは困るな」
「そうなんです、まだまだこれからだと言うのに、死ねないです」
ぶんぶんと頭を振って、ぺちぺちと両頬を叩いて。
雪菜が言った。
「私たち、付き合う……って事でいいんですよね?」
「……この宿題の答えで言うと、『はい』と解答する」
太郎が言うと、雪菜はわかりやすく表情に喜色を浮かべた。
にへへぇ〜と、口元をゆるゆるに緩み切らせている。
それから、ぴこーんと何かを思いついたように頭上に豆電球を灯してから、
とてててっと、雪菜が太郎のそばにやってきて言った。
「江茂井先輩、好きです」
「おう」
「先輩、好き好き好きです」
「お、おう」
「好き好き好き好き」
「バグったか?」
「溢れ出して止まらないんですよう」
ハグッ。
「うおっ!?」
急に、雪菜が抱きついてきた。
シャンプーでもトリートメントでもない、甘い香り。
自分以外の体温、柔らかい感触に、頭がショートしそうになる。
はじめてだった。
こんなにも、理屈が働かないのは。
「先輩も、言ってください」
耳元で囁かれる。
「何をだ?」
「私のこと、好きって」
「そんな急に……」
「言うと、エモいがもっとわかるかもしれませんよ?」
「言葉にするとエモいのか?」
「エモいです、超絶エモいです。エモすぎて尊死してしまいます」
「またよくわからないワードが出てきたな」
「エモの親戚と思ってください。それで……どう、ですか?」
「……あー」
エモさがわかる、ってのは建前だろうが。
それを引いたとしても、自分の胸の底から雪菜に対する熱い感情が湧き出してた。
愛おしさ、というのだろうか。
今まで抱いたことのないモノだった。
とても感情的で、エモーショナルで、そう、エモい感覚に突き動かされて。
言葉を、紡いだ。
「俺は、雪菜のことが──」
お読みいただきありがとうございます。
理屈野郎と猫っ子後輩とのラブコメ、いかがでしたでしょうか?
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