60:ジョーカーさんと天然さんの出会い
えっと……私、最近出番の少ない御井玲奈です。
ということで、今日の一人称は、わ、わたひ…………私です。
彼と出会ったのは約二年前。私が高校の下調べに行ったときだった。
「ふわっ。結構大きいなぁ……」
大きく、見上げる。あそこ、屋上かなぁ?
当時、髪を短く切った私は前髪をピンで留めていた。
「嘘だろ……」
横から、声がして、私は振り返る。そこで、私は初めて彼を見た。
「あ、えっと……」
先輩かな? 下見に来てたのはいけなかったのかな?
急に不安になった私を見た彼ははっと我に返ったようにおろおろと慌て始めた。
「す、すいません……」
どうしようもなくなった彼はぺこんと頭を下げた。サラサラの髪が風に揺れる。
彼の声は透き通っていた。すっごく綺麗で、男の子なのに、高い凛とした声。でも、どこか、力がなかった。
「えっと、あの……貴方は……くしゅん」
思わず、くしゃみをする。彼は驚いて、そして、にこりと笑った。
「あ……すいましぇん」
「俺はこの高校に春入学するんです。貴方も、そうですよね」
「ふぇ……あ、う……ん」
「敬語じゃないほうがいいか……俺、篠塚陽向。同じクラスになるといいな」
「あ、はいっ。同じクラスになれるといいね。えっと、さっき、嘘だろって言ってたけど……」
私はおそるおそる聞いてみた。すると、彼――篠塚君の目が大きく開く。それから、せつなそうに息を吐いて笑った。そして、無理に笑っていた。
「聞こえちゃった? 恥ずかしいなぁ……ちょっと人違いしちゃって」
今まで笑顔の練習をしたけど、まだ、未熟であるような笑顔。思わず、ずきんと胸が痛くなる。
「人違い?」
「うん……うわぁ……初対面の人を人違いするのすっげー恥ずかしい」
「……ほんとうにそう思ってる?」
篠塚君の表情が固まった。それから、また、笑おうとしたけど、やめて、うつむいた。
「ごめん、思ってない」
「……大切な人を失ったんだね?」
「うん……」
篠塚君は下唇を噛んだ。私は少し、図々しいなと思ったけど、その時には彼から目を離せなくなっていた。
「まぁね、中学一年のときにね。すっごく君に似ていてさ。それだけの話。どこにでもある話。なぁ、俺はそんなに笑顔が下手だった?」
篠塚君が聞いてくる。私は少し考えて、笑って見せた。
「そうだね……その笑顔じゃみんなにばれちゃうと思うよ?」
「そうか……ありがとう。俺、頑張っちゃおっかな」
篠塚君がにっと笑った。今のは演技だと分かるまでに時間がかかるほど、綺麗に笑っていた。
「その調子! 今のはすっごくいいよ」
「ありがとう。あ、君、名前は?」
「え、えっと、御井玲奈です」
「そっか。御井か……宜しく頼むよ」
篠塚君が近寄ってくる。私は少し驚いたけど、ほんの少しだけ背の高い篠塚君を見た。
「んじゃ、俺がほんとうに心から笑えるようになったら、いっちばん最初に御井に見せるよ」
つんとおでこを人差し指で押された。「ふわっ」と声をあげて、少しバランスを崩す。
篠塚君はにっと笑った。
「じゃあな」
篠塚君が笑って、私に背を向ける。
私は、おでこを抑えて、篠塚君を見つめた。
少し、髪のばしてみようかな。
なんとなく、私はそう思った。
あれから、本当に篠塚君は笑顔が上手くなった。時々、無理に笑ってるなって思うときがあったけど、最近はすっごく綺麗に笑っている。あのときのように。
でも、やっぱり、どこか影があって本当には笑ってないことが分かる。
篠塚君は約束覚えてるかな? もう、2年も前になるし、覚えてるわけないよね。
昇降口で靴を履くと雨が降っていることに気付いた。 傘忘れちゃった。
私がどうしようか悩んでいると、後ろからドタバタと音がした。思わず振り返る。
「美紅、悪かったって! ごめんッ!」
「ゆ、ゆるさーん!」
篠塚君が靴を履いて傘を広げる。そこで、私に気がついた。
「傘忘れたのかよ。ほら、今、傘ないほうが、楽なんだ。さしてけよ」
半ば強引に傘を渡される。私は慌てて傘を受け取った。
「んじゃなっ」
篠塚君が駆け出そうとする。そのとき、篠塚君はまた、私のほうを振り向いて、耳に口元を寄せてきた。
「途中経過」
そういうと、篠塚君はにっとあの時と同じような笑い方をした。
「それじゃ」
篠塚君が雨の中走っていく。その後に美紅ちゃんが傘を差して、篠塚君を追いかけていった。
篠塚君、あのときの笑顔より、すっごく綺麗だったよ。
私は雨の中走る篠塚君にそっと呟いた。