1-1 出会いと出会いと出遭い
「ナラティブ・オブ・フィクションの世界へようこそ。神無月 鏡衛様」
気づけば現実のようで、現実でないような場所に立っていた。
現実の俺の部屋の面影はあるものの、窓の外や影になっている部分。壁などが0と1で埋め尽くされた場所。
そして目の前には何やら頭に男心をくすぐる、ヘッドホンじみた制御装置みたいなものを装着した銀髪の女性が立っていた。
「それで、ここはどこだ? なんで俺こんなとこに居るんだ? 」
「? ナラティブ・オブ・フィクション……。NOFというゲームを起動したからに決まっているじゃありませんか。別のアプリケーションと間違えましたか? 」
「嫌味に聞こえるのは気のせいか? 」
開幕からわけのわからない状況。百歩譲って、ここがゲームの世界ということは良いだろう。最近はフルダイブ型のVRMMOが一般にまで普及して誰でも遊べるようになっている。
だが、NOFとやらを俺は聞いたことも無いし、そんなものが俺のデバイスに入っていた覚えも無いし、もちろん起動した覚えもない。何かの事故かと思ったほどだ。
「申し遅れました、私はナビゲーションAI、NO.0021。クロスヴァ―トと申します。以後、お見知りおきを。……気軽にクロって呼んでもいいですよ?」
「アッハイ」
ちろりと舌を出して『やっちゃった』というような可愛らしげな仕草をする。
目が柔らかに細められているのもあり、誰しもが目を向けてしまうようなものだった。
けれど、キャラがつかみ切れていない時にそれをやられても冷めるだけなんだ……。ただ、なんなんだこいつ、といった目を向けるしかないんだ……。俺は一人芝居を見せられているのか?
「ちなみに。今神無月鏡衛様の思考データは筒抜けになっておりますのでご了承ください。なにぶん情報をダイレクトに伝える為にシステムが脳と直結していますので」
「えっじゃあさっきのも丸聞こえ? やだなぁ……」
「はい丸聞こえです。ではNOFについてどうやらご存じないようなので説明から入ります」
「そこスルーなんだ」
その脳に直結しているシステム、というのはおそらく『オーレン』、という特殊なデバイスの事だろう。
骨伝導イヤホン、と言ったらいいだろうか。耳に懸けるデザインの、昔普及していたというスマートフォンに成り代わる物。あのような画面が全て視界内に映し出され、操作できる。創作物によく描かれていたSFの世界を実現させたのだ。
開発者は伏せられているらしいが。
「……様。神無月鏡衛様。聞いていますか?」
「……聞いてませんでしたすみません」
「知ってます。では、また最初から、最初から説明をさせていただきますね」
心なしか、笑顔が冷たくなった気がした。
まあ俺が悪いんだけど。筒抜けの思考と言うのも考え物だなあ。
「NOFは簡単に言えば、仮想世界で特殊能力を持つ、オンリーワンのアバター……いわば自分の分身を纏って殴り合ったり決闘したりなんなりと、現実世界を基にマップが作られたもう一つの世界でなんでもできるゲームです」
「例が闘争にまみれてるんだが……。で、そのアバターってのはどこで手に入る? 今ここで貰えるのか?」
ただただ疑問にまみれてはいたが、オンリーワンと聞いて心が躍らない者がいるだろうか?
気に入らなかったらアンインストールすればいい。アプリケーションに溢れた世界では常識のような事を思い浮かべながら、気が付けば口が勝手に動いていた。
「その前に。神無月鏡衛様。NOFをダウンロードしてから12時間以上経過していますか? 」
「気づいたらあったから多分経過してると思うけど。つーかフルネームでいうのやめない? 長いから好きに縮めていいよ? 」
「では衛ちゃんと」
「なぜそこをチョイスした!? 」
「ではチュートリアルの場所に転送します。妙な感覚にお気をつけください」
反論する間もなくクロが言った通り変な感覚、エレベーターに乗った時のような浮遊感に似ている感覚を味わいながらこの空間から消え去った。目が焦げるような強烈な光を添えて。
「転送完了しました。衛ちゃん」
クロのその言葉に先ほどまで光から避難させていた両目を開ける。
立っているのはふかふかの柔らかい腐葉土。その上に広がる古風な日本的レイアウトの植物たち。
特に目立つのは中央付近に雄々しく立つ一本松だろうか。
とても見覚えのある光景だ。というかここ……。
「俺の家の庭じゃね? 」
「はい。そうですよ衛ちゃん。ではチュートリアルを開始しますね」
「ああ……ツッコミてぇ……」
クロは手を広げて歴史を語るかのように話し始める。
「この世界は開発者の願いによってつくられた世界です。『各々の胸に秘める願い、欲望、目的。現実ではできないことをここで叶えてほしい』という願いが込められています。
簡潔に言えば、与えられたアバターで自分の望みを叶えちゃいましょう。と言ったものですね」
「望み……?そんなもの、俺は持ってはいないよ」
「あろうがなかろうが良いんです。なんなら、自分の目的を見つける事すら、望みに入るのかもしれません。この世界に来た以上は、中途半端に投げ出すことは出来なくなりますよ? 」
二コリと慈愛の籠る笑みを浮かべ、クロはおもむろに手を上げる。薄緑色の燐光が瞬いたと思えば、いつの間にかその手には長方形の薄い板が握られた。腰にはちょうどその長方形がハマりそうな窪みと矢印の先のようなレバーのようなものが付いたベルトが現れる。
そのまま手に持った長方形を滑らかにベルトに差し込み、レバーにむかって右腕を振り下ろした。
『エナジーチャージ』
ベルトからバリトンボイスの癖の強い音声が流れ。その後徐々にクロを覆うようにして人ひとり入れる透明なカプセルのようなものが構築され。真っ白い霧がカプセル内を埋め尽くした。
ガシャンガシャンと機械音がしたと思うと、カプセルが開く。
『チェンジ。エナジーオブ【空想未来】』
またベルトから発せられた音声と共に、カプセルを破る勢いで腕が現れる。陶磁器のような真っ白な、そして滑らかな人工皮膚のようなつるりとしたものだった。
空気の檻を破り霧の中から現れたのは、ぴっちりとした白のスーツで全身を覆い、各部には機械的なアーマーが装着され、瞳孔などが見当たらない白一色の目が光る姿に変わったクロであった。
「アバターはこのような形で展開します。自分の望みが形になった、自分だけの分身ですので大切に扱ってくださいね? 」
「望みって……、俺はそんな御大層なものは持っちゃいないぞ?」
「深層意識やNOFを起動した目的などをスキャンして製造担当が丹精込めて作っているのですよ。さあ、私がやったようにしてみてください」
やたらとウキウキした様子で急かしてくるクロに押されて、俺は右手を広げて出てこい、と念じながら待つ。線だけで作られた箱のように、緑の線で長方形が形作られていく。じわりと着色されていって黒い表面が露わになり、同じ大きさの金属を握っているような、ずっしりとした存在感が右手にのしかかった。
「俺の……真っ黒だな」
「それはアバターと同じく人によってカラーリングやデザインが異なるんですよ。規格は同じですので安心して使用できますね」
右手のものとクロのベルトに嵌ったものを見比べる。
クロの長方形は真っ白で、パイプみたいな意匠と角ばったハートみたいな浮彫の紋章があったのだが、俺のは黒くのっぺりとした、これと言って特徴のない本体に中央に走る放射線状の模様を複雑にしたみたいな、例えるならば風力発電機の羽を増やしました……みたいな紋章だった。
「じゃあそのユニットをベルトにはめ込んじゃいましょう」
「それは正式名称? 」
「はい。四角いのがユニット。ベルトがアルターですね。呼称する際に使う程度で深い意味はありません」
俺の疑問に答えながら、クロ──先ほどの音声通りだと【空想未来】というらしい──がずいっと迫る。
早くアバターを展開しろと言わんばかりの無言の圧力がかかってきて、その熱視線から逃げるようにしてユニットをアルターとやらにはめ込んだ。
数秒待つが、何も起きない。
「私のやった通りにやってくださいといったんですよ? ちゃんとレバーを押し込んでください。接続しただけではアバターは展開できないのですしっかり起動しないと。わかりやすく言うのなら、武器は装備しないと意味がない、と似たような意味でしょうか」
「寄るな寄るな……餌を与えられた鯉かよ」
青筋を浮かべ、力んだ腕でレバーを押し込んだ。
『エナジーチャージ』
先ほどと変わらないバリトンボイスが二回目でもう愛しくなってきた。
と、そんな事を思っていると急にアルターから黒い煙が勢いよく噴き出す。
故障?変身失敗?
そんなことを考えるか考えないかの間に今度は煙が形を成して仮面に胸甲に関節プロテクターに圧縮されていき、俺を覆った。
ぬわっ!? 仮面からドロッとしたものが身体の線を這って流れ落ちてく気持ち悪い!
最後に煙が俺の身体に吸着されていき、以降変化はなかった。
『チェンジ。エナジーオブ【虚構】』
締めとばかりにバリトンボイスが響いて、俺の変身は完了した。
「おお……」
「うわあ……」
二人の声が同時に耳に届く。
俺の声と、クロの声。
……。声音でお互いの抱いたコイツの第一印象が何となく察せた。
「暗色系主体でデザインはいいじゃないか」
「黒すぎてちょっとした闇を感じますねコレ」
また、同時だった。
だが聞き捨てならん言葉をこの毒舌AIは吐いたな。
「これのどこに闇を感じるんだ。俺は清楚潔白泣く子も黙る優等生だぞ? 」
「私、アバターを見れば色々と解析できる機能が搭載されてるんですよ。製造元は憧れとトラウマ……あまり見ない組み合わせで出来ましたね」
「見た目通りの機能だな。他には? このアバターだと何ができる? 」
「そんなに急かさないでください。物事には順序ってものがあるんです。食事におけるマナーと一緒ですよ。がっついてはいけません」
「あー……わかったよ」
ふと、こいつと話していて……思った。人間と話しているかのような会話が出来る人工知能と言うのはあまり聞かないものだ。人間を超えられるといけないだとか、その他諸々の事情からAIはある程度の段階まででそれ以上の性能のものは作られてないと聞いていた。
このよくわからないゲームのナビゲーションAIというのが特別なのか、俺が無知なだけで意外とあるものなのか……。考え物だな。
「じゃあ、続きを」
了解。と答えようとした刹那、何かが割れて、爆発するような爆音が大気を震わせた。
仮面越しでも解る、驚愕の表情で音の発生源の方へ向いた。
つられて俺もそちらを伺う。
「さあてニュービー。突然の超上位者の登場だ。狩られる準備はオーケイ? 急な理不尽に振り回される覚悟は? 」
「チュートリアルの最中になぜ他者が干渉できるのですか!? ここには侵入すらできないはずなのに! 」
「極めればそれが出来るのがこの世界だろ? プレイヤーに力を持たせすぎちゃ、破綻するぜ? 」
あれほど余裕を保っていたクロが、焦りの声で叫んでいる。
冷静さを失って、心底驚いたような声で。むしろ恐怖しているとすらいえるだろう。
天を仰ぐ。太陽が見えた。
だが、それは違うと状況と恐怖の感情が訴えてきた。
今逢うべきではなかった相手。
羽毛のような鎧を纏い、日輪を体現する焔の翼を背に宿すそれ。
鳥を模したのだろう兜より覗く視線。
果てなき頂きに今、座している者。
すなわち。
不死鳥を人の身に宿した存在が……空を踏みしめていた。
「負けイベントだ、生まれたばかりの新星さんよぉ! キラッキラに輝く恒星の、糧にしてやるよ! 」
オーレンだとかそういう細かいのはあくまで世界観づくりのフレーバーテキスト程度(予定)なのです