6段目 魔物がわくわく砂漠の冒険(2)
前回のあらすじ
あまりに虫に糞を投げつけられるので、マントを改造した幸子。
その効果を試すべく出歩いてみるが、どうも雲行きが怪しい……?
試作した糞防護機能付きマントを身に着け砂漠を進む二人だが、待ちわびるときに限ってフンケトバシはなかなか現れない。
「他の魔物は無限に涌いて出てくるのにな」
「まあ、私の運ならそうなるかなって」
間をおいて少し冷静になった幸子は、鹿の上で目線を逸らした。
はしゃぎ倒した数十分前の過去を消し去ってしまいたかった。記憶を消す道具はないかとバッグを探してみようかとも思ったが、まずノボルにそんなものがあるかどうかを聞かねばイメージが結べず取り出せない面倒な仕様である。そもそも、彼が素直に記憶を消してくれるとも思えなかった。
「ねえノボルくん、頭を叩けるハンマーみたいなもの、ある?」
「突然だな。危ないから出さないぞ?」
取り落として怪我されたら嫌だし、と言われ、ぐうの音も出ない。
何十匹目かの魔物を切り捨てて、ノボルが周りを見渡しポツリと呟いた。
「風が出てきたな」
「ノボルくんも砂塵予防のゴーグル着けようよ。砂が目に入って下手したら失明するよ」
「視界が悪くなるから好きじゃないんだけど……」
舞い上がる砂で、視界はどんどん白くなる。
ぶつくさ言いつつも、ノボルは幸子が差し出したゴーグルを受け取った。
一陣の風が吹いた。鹿が「きゅう」と鳴き、その身を細かく震わせる。
「……どうしたの?」
「カバンくんは危機察知ができる。魔物の群れが近づいているのかもしれない。身構えておこう」
「わ、わかった。七方障壁を張ったらいいかな?」
「いや……」
ノボルの魔法道具の一つ、七方障壁はダンプカーの直撃にも耐えうるバリアーを半球状に張ることができる。デメリットは三つ。時間制限があることと張ってる間動けないこと。そして、地面からの攻撃に弱いことだ。
「足元が柔らかい砂漠には鮭みたいに砂を潜って下から攻撃してくる魔物が多い。それよりは、もともと乗ってるカバンくんに避けてもらう方が良いと思う」
「この……鹿に」
幸子は今自分を運んでくれている動物を見る。確かに、幸子自身よりは機敏に動けそうではあるが。
「そんなに激しく動くなら、シートベルトも作ればよかったなあ。絶対何らかの要因で振り落とされるよ。紐とかベルトとかって、入ってる?」
「あー、無くはないけど。それよりもカバンくんに掴んでもらう方が速いんじゃないか?」
「掴んでもらう?」
幸子が首を傾げると、幸子の後ろ、鹿の尻から二本の腕がにょっきりと生え、幸子の腰をがっちり支えた。
なるほど、シートベルト要らず。
「わ、私が乗ってるものis何」
「カーバンクル。額の赤い宝石を核にした不定形生物。TPOに合わせて色んな姿になれる。移り気なあなたのペットから十徳ナイフにデスマスク、潜入任務の相棒まで」
「わーいお買い得に見えるけど全部一個体で済ませようとするのは中々の狂気じゃない?」
「かわいいからいいんだ」
この異世界、たまに正気を疑うようなものを見る気がする。
風が舞い上げる砂で、とうとう天の階も見えなくなってきた。
このトンデモ生き物が跋扈する砂漠で、四方の視界が塞がれるのはひどく嫌な気持ちになる。そわそわと周りを気にしながら、幸子は己にできることを考えた。
「蜃気楼対策に風見ひまわり出しとくね」
「ああ、事前に出してくれるとありがたい」
これは初日にノボルから聞いた情報の一つだが、地球とは違い、この世界の蜃気楼は魔物が起こす。砂の中に生息する蛤が幻を吐いて、旅人を惑わし、疲れ果てたところをゆっくりと食べるのだそうだ。幻は風に流れてやってくるから、蛤は風上を探せばすぐに見つかる。
問題は、遠景を幻と判別するのが難しい点だ。何もない砂漠で現在地点を見失えば、家への帰還が遅れることは間違いない。
幻は磁場をも狂わせるため、普通の方位磁針を持っていても景色が幻だとは気づくことができない。そこで常に赤い太陽のある方向を向く風見ひまわりと時刻を参照することで、ようやく蜃気楼だと理解することができるのだ。
一度目は幸子が気を張っていたために気づき、蛤を倒すことができた。
もう一度見比べておこう、と手元に方位磁針を出したところで、ノボルが鋭い声を出した。
「カバンくん、回避よろしく」
腰から白銀の剣を抜き、前傾姿勢を取る。
その眼前に距離をとって並んでいるのは、トカゲに蛇、ハゲタカ、凶相のラクダや剣山を背負った亀など、砂漠の魔物オールスターズだ。
大きさはバラバラ、種も一致していない。
別の種族が徒党を組むなど、幸子が今日一日見た限りでは始めてのことだ。
「もしかして、蜃気楼?」
声に漏れた思いつきに、しかしノボルは首を振る。
直後、鹿が今までにない荒々しさで飛びのいた。
それまで鹿がいた場所に顔を出した鮭が、ノボルに首を落とされる。
「本物だ。──まさか、魔物同士が協力してるのか?」
その一言を合図に、魔物たちは一斉にノボルたちを目掛けて襲い掛かった。
何匹もの鮭が吐いた石油がノボルの頭上に雨のように降り注ぎ、避けきった先では赤色トカゲが火を浴びせかける。砂の上の石油に引火し、他の魔物も巻き込んで爆発する。それでもノボルに傷をつけることはできないが、一瞬の隙を目掛けて他の魔物がノボルに襲い掛かっては切り捨てられていく。
「カバンくん、碓井さんを連れて離れて! 逃げる!」
ミスリルの剣がトカゲの顎を貫き、引き抜いた柄でラクダの鋭い前歯を粉砕する。足首に噛みつこうとする蛇の頭を踏み砕き、しなる尾を切り捨てようとして──たたらを踏んだ。
その隙を突こうと襲いかかる亀に舌打ちし、甲羅に指を突き立て掴んでそのまま周囲の魔物を凪ぎ払う。
足元に積もる死骸を蹴り散らし、毒々しい色の血を頭から被るその姿に、致命的な危なげは一切ない。
一方幸子はというと、跳ねる鹿の首に縋りつくのに必死であった。遊園地のアトラクションでもこうはいかないだろうという緩急に、ノボルでなくとも酔いそうだ。飛んで跳ねて宙で返って、まるで自分がゴム毬になったかのように錯覚する。
これではとても、状況の確認などできない。
鹿自身はノボルの命に従い魔物の群れから離れようとしているのだが、空を飛ぶハゲタカや鮭の吐く石油に阻まれ、できないでいる。
「碓井さん、蜃気楼だ! さっきから手ごたえのない魔物が混じってる! 幻影で魔物の数が嵩増しされてるんだ! 気をつけて!」
ノボルの叫び声に余裕はない。自分に襲い掛かる魔物を処理しながら、幸子の方に向かう魔物が少なくなるようコントロールしているのだ。
ときどき放たれる短剣が、幸子の元に集う魔物の急所を的確に捉えては数を減らしているが、幻影による空振りもある。膨大な武器が入っているマジックバッグは幸子が持っている。残弾も厳しいだろう。
マジックバッグを持つ幸子が、どうにかする必要があるのだ。
「鹿くん……ううん、カバンくん。私の言うようなこと、できる?」
飛び跳ねる最中、鹿の形をした不思議生物に幸子は話しかける。蜘蛛や鮭と同じで幸子の良く知る生物とは大きく異なり、言葉も話さない、得体の知れない生き物だ。
しかし、ノボルを慕い、幸子を気遣い、守ってくれている。
言葉を解する知性が、信頼に値する心が、あるはずだ。
そして、カバンくんは顎を引き、確かに頷いた。
幸子がカバンくんの首にしがみつくと、彼の後ろ脚が変形した。より脚力が高く、長い脚に。
跳び回り、魔物の目を惹き付けるために。
幸子のすぐ隣をハゲタカの鋭い爪が掠める。ヘルメットにラクダの吹いた礫が当たる。カバンくんがギリギリ回避できなかった攻撃が、幸子のマントを痛めていく。
けれど、そんなことは気にしていられない。
跳ねて、跳ねて。
見るのは鮭。
その視線を誘導し、位置を合わせ、──呼吸を合わせ。
「今!」
一匹の鮭から黒い弾丸が放たれた瞬間、幸子は掌を掲げ真正面から掴んで見せた。──否、弾丸は液体であり掴むことはできない。
手に触れたその瞬間に、亜空間へと飛ばしたのだ。
「何を!?」
戸惑うノボルに声をかける余裕はない。
二発、三発と受け止めては消していき、受け止められなかったものはマントにかかる。視界の端で汚れ落としの効果を確認し、マスクの下で苦笑いをする。これだけでも、作ってよかった。
黒く汚れたゴーグルを手袋で拭い、数の変わらぬ魔物たちを見渡して、幸子は急造の相棒に合図した。
理論上は、きっとできるはずなのだ。
近づくのは、魔物の中心。
今なお鋭く剣を振るう、ノボルの元。
素早くノボルにマントを被せ、自分たちは一際高く飛び上がった。
幸子は掌を下に向け、イメージする。
広く薄く広がった、黒い液体を。
勢いよく散布された石油は雨となって魔物たちに降り注ぐ。
同時に出された炎の剣と共に。
瞬間、爆発が生じた。
ノボルに群がる魔物達は皆一様に石油を浴び、よく燃えた。全くの無傷である魔物も、ノボルを見失いキョロキョロと辺りを見回している。
幸子のマント──気配遮断、冷却、浄化の効果を持つマント──の下で、小さな呟きが漏れた。
「──ああ、燃えてるのが本物か」
刹那、魔物に突き刺さる、炎を纏った剣へと手を伸ばしたノボルは、燃える魔物を選んで切り捨てる。
「っし! 次は、風上に!」
ラクダのコブを踏みつける長い脚を促して、幸子は背の上でナイフを取り出す。魔物の蛤だ、ただのナイフを幸子が使っても、傷ひとつつけられないだろう。だが、
「馬鹿にしたの、謝らないと」
カバンくんが今度は前肢を変形させ、上腕へ。魔物の群れから離れた何もない砂の上を、思い切り叩いた。
衝撃に、地面が揺れる。
そして、幸子は見つけた。
舞う砂の中に、巨大な二枚貝が踊っているのを。
カバンくんの背から飛びかかり、毒の触手が伸びるよりも早くナイフを突き立てる。
──ノボルの、どんな貝でも砕く殻剥き器を。
パキ、ンと音がして、硬い殻に容易く罅が入った。
すぐに追いついたカバンくんの後ろに隠れ、毒を警戒しながら様子を伺う。
くぱ、くぱと呼吸をしていた蛤はやがて動きを止め、沈黙した。
戦闘を終えたのち、ノボルは幸子たちを叱った。
「視界を塞がないでほしかった……」
「うえっ、ご、ごめんなさい……」
確かに、戦闘中に視界を塞がれたらたまったものではなかっただろう。無我夢中だったが、ノボルのことを考えると悪手だった。
カバンくんと共に項垂れると、ノボルがぽん、ぽんと二つの頭を軽く撫でた。
「まあ、無事でよかったし、助かったよ。仲良くなったみたいだし、マントも有用だったし」
ノボルが幸子の右手を取る。その掌には、蝶の紋の上に赤い切り傷があった。ナイフを取り出した際に、刃に触れてしまったのだ。
ノボルは一度目を眇め、取り出した軟膏の容器を左手に渡し、マントを幸子の肩に返した。
「透明化……?」
「傷薬だよ。無茶はしないように、頼むよ」
それだけ言うと、ノボルは幸子のそばから離れ、カバンくんの頭を再度撫でる。
許されたのだろうか。
許して、くれたのだろうか。
ほっとして、体から力が抜ける。
いや、未だ幸子は危険に満ちた砂漠の真ん中にいるのだ。力を抜いてはいられない。
緩んだ頬をぺしりと張って、状況を確認しようとする。
「そうだ、マント。役に立ったんだよねぷっ」
べしゃり、そう音をたてて、茶色いものが顔に当たった。
糞対策は、まだ終わらない。
■蜃気楼
砂漠に棲息する蛤。気を風に乗せ、幻を見せて獲物を惑わせる。気に混ぜて磁気を持つジャマーも拡散させるため、方位磁針をも狂わせる厄介さを持つ。
炙った二枚貝の上で身と一緒に日本酒を暖めると、出汁が染み出して大変美味なのだが、幸子の手前ノボルは自重した。
■赤いトカゲ
火蜥蜴である。幸子が名前を覚えないためにこんな登場になった。砂漠や火山地帯に棲息している。




