4段目 上げ膳据え膳の至れり尽くせり
前回のあらすじ
飛んだり吐いたりしたけど無事に遺跡から脱出できました。
きゅ、と蛇口を捻って温水を出していたシャワーを止める。
幸子の体に纏わりついていた糸は温水に溶けて流れ、ついでにボロボロになっていた服も脱ぎ、砂も洗い流した。そのため、現在の幸子は生まれたままの姿である。
ふかふかのタオルで体を拭い、下着をつける。下着は生乾きだが、さすがのノボルも女物の下着は持ち合わせていなかったのだ。仕方がない。
ノボルに渡された紙袋の中身を覗く。
中に入った衣服はノボルが今日都会で買った新品で、当然男物だ。だが、今後のことを考えるとあまりヒラヒラした格好ではいたくない。ユニセックスなデザインを選んで身につけていく。
ノボルの方が少し背は高いが、体格は幸子とそれほど変わらない。代用できるだろうと彼は判断したが、実際は脚回りが少しきつかった。
自分は大根足ではない。男子が細すぎるのだ。と念じて立ち直るのに数分かかった。泣いてない。
髪をまとめてシャワー室を出ると、ふわりと漂ってきた食欲を刺激する匂いに腹が鳴る。
くつくつと鍋が煮える音に誘われてキッチンへ足を踏み入れる。そこではノボルが料理を盛りつけていた。
「あ、おつかれ。晩ごはん食えそう?」
食卓に並んでいる2人分のメニューを見て、幸子は複雑な顔をする。
野菜のコンソメスープと小さめのグリーンサラダ、そしてトマトクリームのリゾット。
琥珀色のスープは一片の濁りもなく澄み渡り、ボウルの中の葉野菜は砂漠には不似合いなほど瑞々しい。トマトの赤は見た目にも華やかで、チーズの濃厚な香りに思わず生唾を飲み込んだ。
それらの品は、いずれもタイミングを計算したかのように出来立てホヤホヤだ。
そして、幸子が作るよりもずっと美味しそうだった。
実際、美味しかった。くやしい。
美味しさについがっついて、舌に火傷を負ってしまった。いつも気をつけているため、悔しさに拍車がかかる。
膨れた腹を抱えて背もたれに寄り掛かると、眠気がどっと押し寄せてくる。しかし、今眠るわけにはいかない。
「あの」
「うん、なんだろ」
対面で話を聞く姿勢を作ったノボルに、幸子は慎重に問いかけた。
「至れり尽くせり過ぎない? なんなら地元よりも文化的な生活送れそうなんだけど」
ちょっと居心地が良すぎて現状を忘れそうになった。
「一般的な文化レベルはもっと低いぞ。ここまで揃えたオレを誉めてほしい」
「情熱の方向性がわからない」
「それ誉めてる?」
最終的に出てきた10倍スケールのボス蜘蛛から逃げ果せた二人は、休息と旅支度のために遺跡の近くで一泊することにした。
ノボルは簀巻きになった幸子をどうにかすべく、四次元バッグから出したテントを速やかに組み立てた。
蝶模様のテントは一見して二人がなんとか入る程度の大きさであり、幸子は窮屈な寝床を覚悟した。幸い、野宿経験はあるのだ。贅沢は言ってられないだろう、と。
しかし、その覚悟は無駄になった。
ノボルが幸子を抱えて入り口を潜ると、3LDKの小綺麗な空間が広がっていた。しかもトイレ・シャワー・風呂完備である。
さすがにツッコんだ幸子だが、素気なく受け流され、そのままシャワー室に放り込まれた次第である。
「碓井さんはゲームってする? RPGとか」
皿を片付け、一息ついた頃。
紅茶を用意して幸子の対面に座ったノボルは、少し考えたあとそう切り出した。
ピコピコとコントローラーを握るジェスチャーに、幸子も同じようにして返す。
「それなりにするよ。まあ、ゲームって運が絡んでくるから、私にはほとんどクリアできないんだけどね」
どちらかと言えば幸子は運の絡まない格闘ゲームの方が得意である。昨日も勝ち越して父のプリンを手にいれている。どう相手を浮かすかが肝なのだ。
「なら分かってもらえると思うんだけど、この世界はゲームの世界に近い」
科学の代わりに魔法が発達し、人々が剣を取って魔物と戦う世界。
魔物と戦えばその死骸が金となり、その経験は著しい成長の糧となる。
魔物の巣食うダンジョンが至るところに出現し、腕に覚えのある者たちは果敢に挑戦し続ける。
そんな、ゲームの中にしか存在しないような、キテレツな世界なのだとノボルは言う。
「ただし、生き返る魔法はない。死んだらそのままだ。だから、怪我をしないように最大限気をつけてほしい」
「まあ、そうだよね」
死んでも生き返る。そんな易しい世界に幸子が来れるはずがない。
死の危険。
先ほど大蜘蛛と対峙したとき幸子を襲ったのは、耐え難い恐怖と後悔だ。しかし、初めてではなかった。
大それた不幸ではない。けれど、ふとしたはずみから、ささやかな不運が重なって、少し踏み外して。ちょっとした命の危機に至ったことは数度あった。
だからこそ、過度に恐れずに済んでいる。
腹に力を入れて、ひとつ、深呼吸をする。
五体満足で家族の元に帰るため、恐怖を飲み込み頭を働かせる。
これも、いつものことだった。
「身を守るためにはどうしたらいいかな? 私もノボルくんみたいに戦えるようになる?」
真剣な面持ちの幸子に、ノボルは無表情で頷きを返した。
「まず、この世界でも一日二日で人が戦えるようにはならない。魔物と戦って勝つことで少しずつ身体能力は上がっていくけど、碓井さんはあてにしない方がいい。もし碓井さんがゴリラより強いなら、話は別だけど」
「オーケー、ゴリラに勝てない至って普通のJCなので戦いません」
ピンク色のカバンからいくつも道具を取り出し、間接照明に照らされたダイニングテーブルの上に置く。
「このカバンには生活用品の他にも、色んな魔法道具が入ってる。これを、碓井さんに預けようと思うんだ」
「魔法道具って、傘とかこのテントとかのこと?」
「うん。魔法の知識や才能がなくても、魔法と同じことができる道具。空を飛んだり、火を吹いたり。それだけじゃなくて、身を守る道具もたくさんある」
そう言って、ノボルが手に取ったのは砂色の大きな布だ。麻でできているのか、少しごわごわとした手触りである。
「例えばこれは気配を消すマント。羽織っていれば大体の魔物に気付かれずに済む。音は消せないから動くことはできないけど、いざとなればこれでやり過ごしてほしい。こっちの盾は最大限展開すれば半球状になる。衝撃や熱に強いから、危険を感じたら使ってくれ」
「いいなあ、後のはダンプカーが突っ込んできたときとかに欲しい」
「……ダンプカーが突っ込んできたことが?」
「あはは、流石にまだないよ」
「良かった。転生経験があるのかと」
歳のわりに落ち着いてるから納得しかけた。そう呟きながら、ノボルは道具を出していく。そんな馬鹿な、と思うが、平坦な台詞は冗談か判断がつかない。異世界転移は実際に起こっているので、案外転生もあるのかもしれない。
ちなみに、幸子が牽かれかけたのはダンプカーではなく耕耘機だった。
「他にも、耐寒熱仕様の肌着とか衝撃を肩代わりする人形とかもある。状況によって使ってほしい。これは姿を透明にする軟膏。基本は武器に塗って使う。人には向かない。塗らなかった部分は透明にならないから全身くまなく塗っても内臓とかが見えてしまうんだ。こっちは魔法の胃腸薬頭痛薬風邪薬。自然派の人が作ったから珍しく材料がまともだしよく効く。普通に出回ってる薬は何が入ってるか分からないから口に入れない方が良い」
「待って、メモ、メモを取らせて」
急いでペンとメモを取り出すが、ペンはともかく、鞄の中に入っていた紙束は濡れて使える状態ではなかった。
困っていたらルーズリーフをノボルに差し出されたので、ありがたく使わせていただく。
「これは茶漉し?」
「どんなに汚れた油でも重油でも美味しい綺麗なサラダ油に変える油濾し器」
「重油はどう頑張っても食べられないんじゃないかな」
「なるんだ。魔法だから」
魔法ってすごい。
ノボルからより詳しい説明は望めそうにない。幸子は深く考えないことにした。
「他にもミルクをたちまち生クリームにする泡立て器やミスリルも削れる鰹節削り器、すべての貝を剥ける殻剥き器なんかもある」
「シリーズ化してるの? マジカル調理道具」
「うん。職人に頼んで作ってもらった」
「わざわざ注文したんだ……」
それだけ料理が好きなのだろう。
机に広げられた調理器具の数々に、少しげんなりする。幸子が使うことは滅多に無さそうだ。
「でもコレ全部、大切なものだよね? 私、すぐ物を落として無くしちゃうんだ。残念だけど預かれないよ」
「いや、それも魔法道具があるから大丈夫。どこでもスタンプ~」
「さては君、猫型ロボット好きだな?」
特徴的な高音を真似ながらノボルが取り出したのは、こぶし大のスタンプだ。昔幸子が水族館に行ったときに押してもらった再入場スタンプに似ている。
当時を思い返して、懐かし気に幸子は頷いた。
「溺れるととれちゃうんだよね、それ」
「何をどう検証したのかは聞かないけど。これは擦ろうが剥ごうが解除しないと取れないから安心してほしい」
「剥がないよ!? ノボルくん語彙が生臭い」
「いや、……ちゃんと柔軟剤の匂いだよな?」
「服じゃないよ、語彙の話だよ。それより、結局それはなんなの?」
「このアイテムは、印にものを封じ込めることができるんだ」
脱線もほどほどに、フローラルなノボルは手に持ったスタンプをバッグにポンと押しつけた。
次の瞬間、幸子は自分の目を疑った。ズゾッと音をたて、バッグはスタンプに吸い込まれ消えていったのだ。
ズゾッと。掃除機に吸い込まれるように。
えっ、こわい。
それをノボルが自分の手のひらに押し当てると、紺色の蝶がスタンプされる。
ヒラヒラと空であることを主張した手のひらには、瞬きの間に招き猫の人形が握られていた。そして、次の瞬間には手の中に消失する。まるで手品のようだが、種も仕掛けもないのだろう。
「本来はスタンプしたものを手ぶらで持ち運べるアイテムなんだけど、四次元バッグと組み合わせると大抵のものは出し入れできるようになる。これならなくす心配もないだろ。まあ、腕を切り離した場合は別だけど」
「それを言うと腕をなくしそうだからやめよう」
幸子はフラグ管理に敏感なのだ。何しろ命に直結する。
「ちなみに外すときは?」
「スタンプを同じところに当てたら取れる」
そう言って、ノボルは再度手のひらにスタンプを押し当てる。すると、ポンと軽い音を立ててピンクのバッグが手の上に出現した。
ふむ、と顎に手を当て幸子は一考する。
一連の流れを見るに、特に幸子にデメリットは無さそうだ。身を守れることもそうだが、バッグを預かることで自分の身柄の安全を保証できる、という意味でも魅力的な提案である。
持ち物のすべてを幸子が預かるということは、ノボルに対して質を取っているに等しい。卑しい考えだとは分かっているが、安全第一を信条とする幸子には、無視せずにはいられない。
しかし、懸念がひとつ。
「武器もその中に入ってるんだよね? いざというとき取り出せないんじゃ? 戦うときに困らない?」
「それも大丈夫。ある程度は出して身に着けておくし、時間がないときでもいざとなれば、中身を知っている人間が印に触れれることで、取り出すことができる。気にしなくていいよ」
幸子の迷いを断つようにノボルは懸念材料をひとつひとつ丁寧に潰していく。
誠実なのか、それとも何か思惑があるのか。無表情の鉄面皮からは彼の真意は読み取れない。
「ここに連れてきてしまったのは、オレの失態だから。帰すためならなんだってするよ。遠慮せず、使ってほしい」
戸惑いと共に、数秒悩む。
しかし、結局のところ、幸子にはノボルについていくしか無いのだ。
第一、彼が幸子を害するならば、道具など使わなくとも、その剛力で押さえつければ事足りる。
だから、申し出を受けることにした。
「わかった。大事に預からせてもらうね」
握手を求めるように手のひらを差し出すと、ノボルはわずかに頬を緩めた。
「うん。ありがとう」
出した手のひらに、ポンと軽くスタンプが乗る。桃色の蝶が手の中に降り立った。
試しにいくつか道具を出してみよう。
「……そういえば、こんな便利なものがあるのに、どうして女物のバッグをわざわざ出してたの?」
「日本の町中で何もないところから物を出したら不自然だろ? それにオレ、考えるのが苦手だから。思念の強弱つけないと、思いついたもの片っ端から出てくるんだ」
「なるほど」
試しに机の上の水差しに触れ、『入れ』と念じてみる。瞬時に水差しは消えた。
次に、手のひらを上に向け、『出ろ』と念じてみる。水差しは現れた。ただし、幸子の頭上に。
「……なるほど」
冷たい水を被り、実感する。
どうやら練習が必要らしい。
「もう一回、今度は湯船に浸かってくるといいよ。魔法で出してるから節水とかも気にする必要はない」
「砂漠にいるとはつくづく思えないセリフだね」
「このテントの中は異空間だから魔物に襲われる心配もない。安心して休んでくれ」
「ありがと。……ノボルくんは武器をもってどこへ行くの?」
「ちょっと、一狩り」
あの蜘蛛、お金になるんだ。
そう告げたノボルの声はどことなく浮き立っており、死んだ瞳はキラキラ、体はそわそわ。
言うなれば、ワクワクしているようにも見えた。
「──────そっかあ。気を付けてね」
文化レベル、一気に戻ったなあ。
誰もいなくなったテントの中で、幸子はとりあえず胃腸薬を飲んだ。




