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喫茶店長と幼馴染  作者: スルメねこ。
2/2

【後編】幼馴染の密かな恋

遅くなってすいません

序章


 そんなこんなで僕とエリィは晴れて恋人となった。そこには聞くも涙語るも涙、さまざまな艱難辛苦(三角関係含む)を乗り越え流星が舞い散る夜空のもとでの告白と言ったドラマがあるのだが、これは今話すべきことではないのだろう。


 今回語るべきは僕の愛すべき幼馴染の恋路についてだ。


1章


 ラーンはただいま絶賛お説教中である。


「ラーンさん。何故呼び出されたか分りますか?」

「はい」

「エンチャント工学Ⅱが30点でしたよね」

「はい」

「赤点はクラスの平均の半分だってのは知っていますね?」

「はい」

「今回の赤点ラインは34点です」

「はい」


 ラーンは俯いたまま動かない。なぜならそれが最も手っ取り早く説教を終わらせる方法だと学習しているから。反抗しても結局正論には勝てない。学校という環境の中では先生の言うことこそが正論、先生に反抗的な態度はすべて悪いことだと見なされる。先生がよほど分かりやすく間違えていなければ、それこそ犯罪でも起こさない限り先生は学校という閉鎖社会の中では頂点なのだ。

 態度は落ちこぼれそのもの。そんなことは気にも留めない。勉強が全てだと言って真面目ぶっている奴に何が分かる。結局才能のない奴はなにしたって出来はしないのだ。努力?笑わせるな。そんなものさんざんやった。それでもできない。

 才能のあるやつは決まってこう言う「努力が足りないだけだよ」ふざけるな。ならお前らは努力をしたのか。努力が足りているから点が獲れるのか。バカをいうな。まともな努力などしたことないくせに。

 あの幼馴染だってそうだ。冗談交じりに勉強しろと叱ってくる。あの言葉がどれほどラーンを苦しめているのか絶対にあいつは知らない。気づくそぶりも見せない。考えようともしない。あんな奴が主人公になるんだろうなと考える。勉強もできる。非の打ちどころがない。弱点らしきものが見当たらない。あるとすれば私のような弱者を本当に慮ることができないということだけ。どうせ今頃一目惚れでもした美少女と波乱万丈なラブコメでも繰り広げてることだろう。ああ、本当にこの世はクズばっかだ。不公平だ。死ねばいいのに。


「聞いてますか。ラーンさん」

「....はい」


 危ない。返事を疎かにしてはいけない。無視すると反抗的だと見なされてしまう。消極的な返事を繰り返し相手の気力を削ぐのだ。


「私の目を見てください」


 少し戸惑った。しかし従順に実行する。と、同時に少しだけ息を飲む。この部屋に入ってこの先生としばらく二人きりだったのに目を合わせるのは初めてだ。これも今気づいたことだがこの先生を見たことがない。若く、20代半ばの好青年といったところで、めったに動かない表情筋からはクールなイメージを漂うわせていた。こちらを見つめ続けるその瞳は私を委縮させるには十分な威力を誇っていた。

 しかし、そんなことはすぐに頭から消し飛ぶ。強烈な既視感がラーンの思考を一時的に全てリセットさせる。思わずまじまじと見つめてしまう。それを不可解に思ったのか先生が口を開こうとした。


 ディン、ドン。ディン、ドン。

 

 先生は一度、開いた口とともに出かけていた言葉を飲み込み改めて口を開く。


「もうこんな時間ですか。続きは後日にします。これ以上成績が悪化するようなら親を加えて話さなくてはいけなくなりますよ」

「親は、いません。死にました」

「...そうですか。失礼しました。では保護者にあたる方に来てもらいます」

「分かりました」


 それでは、とドアに手をかけた先生の背中を見て、「あの」と呼びかける。ラーンにとって先生という生き物は天敵のはずなのに。どうして呼びかけてしまったか分からないまま続く言葉を必死に探す。言いたいことがあったはずなのに。まるで千ピースのパズルを目の前に臆したように頭が働かない。働いてくれない。


「名前、聞いてもいいですか?」

「テラルです」


 今度こそ、その背中は去って行った。


2章


 

 今日はとにかく早く帰りたい気分だった。ベットに飛び込んで早めに就寝しようと決めた。いつも時間が許される限り寄り道して帰るのだが今日ばかりは違った。なぜだろうか。テストの結果を掘り返されたからだろうか。否、あのテラルとか言う先生と話したからだ。正確には顔を見たからというべきか。あいつの顔は見ていて落ち着かない。これは恋なのだろうか。あのイケメンに恋しちゃってるのだろうか。禁断の恋なのだろうか。


「ないな」


 ない。ありえない。一目惚れなんてするような奴がいたらそいつは真性のバカだ。運命とか信じちゃってる系の脳内お花畑糞野郎に決まってる。

 もっと違う理由だ。

 ああ、考えるだけでイライラする。思考をなにかが浸食する。このままでは何かに食い尽されてしまう気がする。

 どんどん、足が加速していく。歩幅が大きくなっていく。考えなければいい話なのに自分の脳は従ってくれない。自分の脳なのに。考えれば考えるだけイライラは増していく。気分とは裏腹に足と脳みそはフル回転し始める。地面を蹴る音がうるさい。肌にまとわりつくような風がうっとうしくてたまらない。空気が汚い気がする。呼吸するたび汚れた空気が肺を汚しては出ていくを繰り返している。些細なことが妙に腹立たしく感じる。


 家が見えた。少し落ち着く。はぁ~。と、息を思いっきり吐く。肺から汚れを吐きだすかのように。

 カバンから鍵を取り出し鍵穴に突っ込むカシャッという音とともに指先に鍵が開いた手応えが伝わる。ただいまと呟きながらドアを開ける。

 もう、なにもする気力がない。そのまま自室へ直行。カバンを放り出し、ベットに倒れこむ。あ~、極楽。ゼロだった気力がメーターを振り切ってマイナスに突入しそう。このまま眠るのはいいが制服にしわがつく。最後の気力を振り絞り、もそもそと制服を脱ぐ。脱皮を終えた後、手近なハンガーに吊るす。着替える気力はすでになく、下着姿のまま布団をかぶって寝た。


「...ーン!ラーン!ご飯できたよー」


 何時間くらい寝ていただろうか。疲れはほとんどとれて大分楽になった。起き上がり今行くと叫び返す。そこで今の格好を思い出す。いくら家の中だとはいえ、下着姿でうろつくわけにはいかない。これでも女なのだから。

 

 まだ重い瞼をこすりつつダイニングに向かう。椅子に座ると途端に腹が空腹を主張しだす。


「座ってないで少しは手伝いなさい」

「はぁい」


 お皿をテーブルに並べる。オカアサンとオトウサンは普段仕事でいないのでこうやって食べるのは久しぶりだ。オカアサンの手作り料理はいつ以来だろう。長らく食べていない。今日、オトウサンは帰ってきていないのでオカアサンと二人で夕食を食べる。


「いただきます」

「いただきます。...味はどう?」

「うん。おいしい」

「あら、腕は落ちていないようね」


 微笑ながらスープを飲むオカアサンを見ながら、久しぶりの手料理を味わう。作ってくれることが稀なので懐かしい味とは思わない。しかし、美味しいことは確かだ。


「学校は楽しい?」

「うん。楽しいよ」

「そうだ。ルル君とはまだ仲がいいの?」

「家が近くて通っている学校も同じだからね」


 質問の答えになっていないと自覚しながらもよどみなく答える。登下校もたまに一緒になるよと笑顔で話す。


「彼氏の一人くらいできた?」


 たまにしか会えない娘のことをよく知りたいのは分かるが、ラーンとて年頃の娘。その質問はいささか踏み込みすぎではないかと考える。しかし、気まずい雰囲気を作りたくないので、いやまだだよ、と拗ねた調子で返す。

 オカアサンはやたらとニコニコしている。そんなに娘に会えたことが嬉しいのだろうか。

 オカアサンはやたらとしゃべりかけてくる。いつもならとっくに夕飯を食べ終わり風呂に入っている時間までしゃべり続けた。なんだかんだいいながら、ラーンもオカアサンとのお喋りが楽しかった。


 それから風呂に入った。上がるころには日中の出来事とその気分もすっかり忘れ去っていた。風呂があいたことを伝えようとオカアサンの元へ行くとオカアサンは眠っていた。起こすのもどうかと思ったので、薄い布団をかぶせて自室に戻ろうとしたところでオカアサンが起きた。


「あれ?寝ちゃってた?」


 少し寝ぼけた様子で上体を起こす。その後、自分の体を覆っている布団を見てにやけ顔でラーンに「ありがとう」とお礼を言った。


「お風呂に入ったら?」

「ん、そうする」


 オカアサンがあくびを噛み殺しながら布団を畳む。そのまま風呂場の方へと消えていった。

 一人取り残された気分になった。そしてなんとなく、夜風をあびたい気分になった。本当になぜか。数十分後には止めとけばよかったと後悔することも知らず。


 その数十分後。テラルとかいう先生と夜道でばったりと出くわした。約数時間ぶりとなる再会だった。ほんと、無視できないくらいに。


「こんばんは」

「こんばんは」


 ほぼ同時に挨拶を交わした。テラル先生は相変わらずの無表情だった。軽く会釈し、この場を去ろうとしたラーンに声がかかる。


「こんな時間に女の子が一人で外を歩いていては危険ですよ」

「わかっています。もう帰るところだったので」


 家は目と鼻の先だ。


「そうですか。では気を付けて」


 その言葉は半ば無視し、テラル先生から逃げるように帰ろうとした時だった。


「ラーン。どこ行ってたの?」


 オカアサン登場。おおよそ最悪とも呼べるタイミングでオカアサンがやってきた。


「いや、ちょっと散歩に...」

「そちらは?」


 まあ、軽い挨拶とはいえオカアサンのタイミング的に会話していたように見えなくもないし。夜、男性と密会、男は若く恋愛対象になり得る、目撃者(娘が言うのもなんだが)娘大好き母。誤解が生まれても致し方ないといった状況。


「先生」


 早口で誤魔化すようにまくしたて帰ろうとする。


「あ、娘がお世話になってます」

「いえ、私はラーンさんの担任ではないので」

「そうなんですか」

「はい」


 当然のように挨拶をする。まあ当然のことだけど。


「ラーンは学校ではどうですか?」

「あまり詳しいことは知りませんがいい生徒だと思いますよ。成績はいまいちですが」


 テラル先生は誤魔化すように答えた。早く帰りたいのはお互い様のようだった。


「成績悪いんですか?」


 最後に付け足した言葉が余計だった。教師として言わなければならないということは分かるがそれでも余計な一言だと思わずにいられなかった。


「これからの頑張り次第といった感じですね」


 はぁ、と曖昧な答えを返すオカアサン。


「失礼ながら、ラーンさんとはどういったご関係で?」


 オカアサンがラーンのことを一度、娘と明言したはずだけれど。オカアサンも困惑した様子で「母です」と答えた。


「そうなんですか。ラーンさんから両親は死んだと聞きましたが」


 一瞬にしてオカアサンの顔色が変わった。...気がする。ラーンは怖くてオカアサンの顔を見れなかったためだ。


「私、先に帰ってるね」


 怖くなった。何かが壊れる気がした。そんな空気に耐えられずラーンは逃走した。


3章


「そう、ですか。まだそんなことを。この辺では有名な話なんですよ...」


 ラーンの生まれはここではない。もっと遠いところだ。血のつながった本当の親と暮らしていた時の話だ。ラーン一家は円満だった。夫婦仲もよく、ラーンはお母さんのこともお父さんのことも好きだった。ラーンの歳が二桁になろうかという頃だった。ラーンの両親が死んだ。他殺だった。強盗殺人だ。

 それはラーンが記念すべき10回目の誕生日。母の豪勢な料理を食べているところに突然の来訪者がやってきた。チャイムを鳴らしたそいつは対応すべく戸を開けたお父さんの喉にナイフを突き立てた。返り血を気にすることなくラーンとお母さんの元までやってきたそいつは悲鳴をあげさせる暇すら与えずお母さんを瞬殺しラーンにナイフを突き刺した。

 奇跡的にラーンは助かった。犯人がナイフの力加減を誤ってくれたのだろうか。しかし両親は死んだ。その後ラーンを誰が引き取るか問題になった。なにせ親戚がいないのだ。しかし問題はすんなり解決した。両親の友人だという夫婦が引き取りたいといったのだ。お父さんにでかい恩があるとか。割とあっさり決まった。

 とここまでが事の顛末。


 ラーンは家に着くなりすぐにベットに飛び込んだ。布団を頭までかぶっている。気分は一転、最悪と言っていい。自分はなににそんな心動かされているのやら。心当たりが多すぎて考えるのがばからしくなった。

 いつの間にか寝た。


3章


 夢を見た。飛びっきりの悪夢だ。お父さんとお母さんが生きていて、誕生日を祝っていた。ケーキには10本のローソクがささっていた。純白のホイップクリームをローソクに灯った火が赤く照らしていた。

「ハッピバーステイトゥユー、ハッピーバースデートゥユー」

 お父さんとお母さんが楽しげに歌っている。幸せだ。

 多分、これ以上の幸せはないだろう。

 しかし、知っている。これから起きることを。この夢は何度も見た。そして、例外なくバッドエンドだ。

 ピンポーンとチャイムがなる。ああ、何回目だろう。お父さんが少し不快げに席を立つ。

「止めて!!」

 何回目だろう。何回も何十回も叫ぶ。今まで見た夢の中でもこうして叫んだ。無駄だと分かっているのに。これは悪夢なのに。

 10歳の小さい体を躍動させお父さんを引き留めようとお父さんの正面に回り込む。お父さんはそんなラーンが見えていないかのように歩みを止めない。ラーンは力一杯抱きつく。いや、抱きつこうとする。その小さな腕は空を切り勢い余ったラーンは無様に倒れる。起き上がるとお母さんと目があった。いや視線が重なっただけだ。お母さんは不満そうに私の後ろ、お父さんの背中を見ている。すぐに振り返りお父さんのズボンをつかもうと腕を伸ばす。そして空を切る。まるで蜃気楼だ。否、幽霊だ。

  知っていた。知っていてなおこんな無様を晒す。誰かが見ていたとしても同じ行動をとるだろう。お父さんは部屋を出る。

 足が動かなくなる。何故ならラーンはお父さんに付いていかなかったから。この夢は記憶。記憶にない部分までは創れない。

 びちゃびちゃと、音がした。まるでバケツの水をひっくり返したような。続けざまにドスッと鈍い音が聞こえる。

 ここでようやく足が動く。一目散に玄関に向かう。そしてお父さんの死体を見る。喉に深々と刺さったナイフは血で汚れ、今なおドピュドピュと吐き出される血にうたれ続け、まさに血で血を洗うを表現していた。そんなお父さんに近づこうとする。蘇生を行えばまだ助かるかも知れない。しかし景色が遠退く。否。景色が巻き戻る。来た道を引き返す。知らず叫んでいた。わめき散らしながらお母さんの元へと走る。あの時、ラーンは混乱して逃げた。お母さんに助けを求めたのかもしれない。

 いつの間にか元の部屋に戻っていてお母さんに抱きついていた。お母さんは戸惑いながらも大丈夫と声をかけてくれた。ラーンを抱えあげて立ち上がる。お父さんの様子を見に行くのだ。ここでようやく記憶に縛られず行動できるようになる。しかし夢に干渉することはできない。過去に干渉することができないように。

 逃げてと叫ぶ。暴れる。しかしお母さんは意に介さず歩く。

 そしてお母さんが立ち止まる。目の前の男をしばし見つめる。そして視線は男の持つナイフに移る。赤く染まったそれを見て息を飲むのがわかる。そして表情は恐怖と困惑に歪み息が止まり口が開き悲鳴があが…らない。男がかけよりお母さんの口を手でふさぎナイフを振り上げる。ラーンが邪魔なので喉も心臓も狙えない。しかしナイフは振り下ろされお母さんの肩に刺さる。

「~っ!!」

 お母さんの先ほどとは別種の悲鳴が上がる。しかし男の手で満足に響かない。お母さんは倒れる。ラーンを下敷きに。

 私は叫ぶ。何をしてる早く退いて逃げろと。ドスと軽い衝撃がラーンを包む。そして生暖かい液体が顔にかかる。血だ。肩の傷口からあふれでてくる。びちゃびちゃと血がラーンの頬を濡らす。口に鉄臭い血の味が広がる。

 お母さんの顔色は悪い。死人のようだ。血を失いすぎている。それでも表情は穏やかだった。安心してと言いたげに微笑んでいた。

 ドサッとお母さんの体がラーンの上からどかされる。男はナイフを振り上げ、男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は男は。


「テラルせん、せい?」


 目が覚めた。悪夢から。そして現実が始まる。


4章


 密室でテラル先生と向き合っていた。正確に言うとテラル先生の家だ。先生は一軒家に住んでいた。先生という仕事はそれほど儲かるのだろうか。生徒相手に威張り散らしていれば良いだけの仕事で。

 ともかく、カーテンで締め切られ外から見られることもない密室。目の前にいるのは極悪非道の人殺し。そんな中、ラーンは驚くほど冷静だった。そして冷静なのは人殺し、もといテラル先生も同じだった。互いに無表情で見つめあう。


「よく、来てくれました。来ないと思っていましたが」


 ラーンもなぜ言われるがまま人殺しの家に来てしまったのか不思議だった。


「とりあえず…あなたの両親を、血の繋がった両親を殺したのは私です」


 オカアサンの存在を思い出したか、途中言い直した。


「私を殺したいですか?」


 あくまで無表情を崩さない。私が「殺したい」と言ったところで「そうですか」と返してくる気がした。


「はい」

「そうですか」


 テラル先生が立ち上がる。ラーンはそれをどこか遠くに感じていた。まるで本を読んでいるかのような現実的でない感覚。

 テラル先生はそのまま部屋を出ていった。それをなんとなく見送るラーン。テラル先生はすぐに戻ってきた。手に布で包んだ何かを持っていた。

「どうぞ」と丁寧に差し出してきた。「気をつけてください」その言葉を相変わらず遠くに聞きながら、ゆっくりと布をほどく。

 ズシッと重いそれはナイフだった。黒いグリップに黒い革のさや。刃渡りは人を殺すには十分すぎる長さを持っていた。

 鞘を外し刃を目にして、ラーンはようやく現実に引き戻された。視界も音も匂いもすべて鮮明になる。


「あなたの両親を殺したナイフです。私を殺すには十分でしょう」


 ここにきて初めて動揺した。複雑な感情が心臓を高鳴らせる。

 グリップをしっかりと握る。いかに力のない女子と言えどこのナイフを持てば人を殺すことは容易だ。腹でも刺してこの場を去ってしまえばいい。それだけで両親の敵は討てる。


「じゃあ、死んでください」


 ナイフを振り上げる。テラル先生は全てを受け入れるかのようにそっと目を閉じた。そしてナイフは振り下ろされる。


「殺したかったんじゃないんですか?」


 ナイフはテラル先生の服を掠め床に突き刺さっていた。


「わかりません」


 そもそも私はなにをしたくてここに来たのだろう。いやそれが知りたくてここに来たのかもしれない。


「帰ります」


 軽くお辞儀をして部屋から出た。


「死に損なった」


 ドアを閉める寸前、聞こえてきた呟きに妙に納得してしまった。いや、共感してしまった。


「私はあの時死に損なったのかな…」


 そう呟いて、出ていった。


5章


 帰り道。不思議な気分だった。夢の中にでもいるような奇妙な浮遊感。さまざまな感情が遠くで争っている。それを傍観している。

 前から一人の男が歩いてくる。帽子を深くかぶりサングラス、マスクといったいかにもな不審者だった。少し距離をとってすれ違う。

 

 だから気づかなかった。前から来ていたもう一人の男にこちらの男は怪しいところなど微塵もなく20代後半といった素顔を晒していた。

 何をされたかわからないまま、気を失った。


 ラーンが目覚めるとそこは薄暗い部屋だった。段ボールに包まれ埃をかぶったものが積んである。物置部屋といった感じだった。手足は縛られ逃げることはできそうにない。


「起きたか」


 物音を聞きつけたか外から声が聞こえた。


「私はこれからどうなるんですか?」

「ずいぶん冷静だな。もう少しパニクると思ったが」

「そういう気分じゃないんですよ」

「流石。一度殺されかけたことがあるやつは違うね」

「なんでもいいですから、早くここから出してください」

「だめだ。逃げ出さないよう見張ってろと言われてるからな」

「トイレに行きたいんです」

「耳くらいはふさいでおいてやるよ」


 どうやら、どうあってもここから逃がしてはくれないらしい。

 


「久しぶりだなテラル」

「なんの用だ?言っとくが俺はもう抜けてるんだ」


 テラルは普段の彼の姿を見ている者からすれば想像もつかないようなドスのきいた声で返答する。


「はっ。人を殺しておいてなにをほざいてやがる」

「数年間も連絡を寄越さなかったくせに何をいっている」

「おいおい、逃げたのはお前だろ?お前が教師なんてやってると聞いた日にゃ笑ったよ。どんな皮肉だ」


 テラルは確かに逃げていた。この男から、男達から。


「それでなんのようだ?」

「そう急かすなよ。久しぶりの対話を楽しもうぜ?」

「切るぞ」


 携帯電話を耳から離し通話終了ボタンを押そうとする。


「ラーン」


 その名前を聞いたテラルの手が止まる。


「彼女になにをした」


 今までよりも数段低く、聞けば腰を抜かしそうな程怒りを孕んだ声だった。


「ちょっと誘拐してんだよ。お前も来い」


 そして男は返事を待つ。テラルは軽く息を吸い、覚悟を決めたように、「どこだ」と問う。電話越しに男がニヤリと笑った気がした。「メールで送る」とだけ言い残し通話は終了した。


 ラーンが部屋から出ることができたのは目を覚ましてから30分後のことだった。乙女として大切ななにかは守られそうだ。


 ラーンは口に布を噛ませられ、手足を縛られ高そうなソファに転がされていた。そして数人の屈強な男に囲まれていた。その中で異彩を放っているのがこれまた高そうなスーツを着こなし、落ち着いているが嘲笑うような笑みの奥には獰猛な獣のような荒々しさが窺える。


「安心しろ。お前の役目はもうすぐ終わる」


 どこか含みを持たせた言い方だった。

 それはもうすぐ解放されると取っていいのだろうか。あるいは、


ガン!


 ドアが半ば蹴飛ばされるように開かれた。そしてテラル先生が立っていた。


「~!?」


 ラーンが驚きに声をあげる。しかし、噛まされた布に全て吸収されくぐもったうめき声になるだけだった。


「よく来たな」

「話を聞く気はない。彼女を解放しろ」


 普段のテラル先生と同一人物に見えないその口調にラーンは再び驚く。普段の無表情もすでになく凄まじい怒気を放っていた。


「まあ待て。話ぐらい聞け」


 挑発しているかのようにニヤニヤと笑っている、男に対してテラル先生は苛立つように声を荒げる。


「俺の部下になれとでも言うつもりだろう。言ったはずぞ。アラク。俺はここを抜けている」

「その通りだ俺の部下になれ。昔みたいにな」


 これ以上は時間の無駄だとばかりにテラル先生はラーンに近寄る。が、ラーンを囲んでいる男達の丸太のような腕がテラル先生の動きを妨げる。


「もう一度いうぞ?部下になれ。まだ俺が優しいうちにな」

「なんど…」


 アラクと呼ばれた男はどこからかナイフをとりだし投げた。ナイフは放物線など描かず鋭くテラル先生の足元に刺さった。


「行動で示せ。さしあたって過去の失敗をここで挽回してもらう」


 つまりラーンを殺せと言っているのだ。それを聞き、ラーンは体温が数度下がった気がした。

 テラル先生は無言でナイフを抜きラーンに近づく。

 ラーンは不思議と安堵していた。やっと死ねることにだろうか。


 今度は男達に阻まれずテラル先生はラーンの元へとたどり着く。そして、ナイフでラーンを拘束している縄をすべて裁ち切った。


 いや、テラル先生が近づいて来たことにだ。そしてこうやって助けてくれることを予期して。


「俺は抜ける」


 堂々と臆することなく宣言する。


「そうか。残念だ。…お前ら」


 ラーンを囲っていた男達が一斉に銃を構える。その数4人。アラクを含めて5人。その数をテラル先生一人で相手取れるはずがない。無理だ。ラーンとテラル先生はここで死ぬ運命だ。

 ラーンはなんとなく納得していた。ラーンはあの時に死んでいた。今まで生きていたのは惰性だ。なんとなく生きておいた。死ぬのが遅すぎた。

 テラル先生もゆっくりと手を上げ…振り下ろした。その手から放たれたナイフは正面にいた男の喉を貫いた。そして発砲を躊躇った残りの男たちの隙も逃さない。人1人が寝転べるほどのソファーを片足だけで蹴りあげた。おおよそ人間技とは思えない脚力だ。ソファーは二人の男に当たった。銃を持っていたためか受け身をうまくとれず昏倒していた。

 ラーンはと言うとソファーが飛ぶ様をソファー同様空中で見ていた。ラーンはテラル先生にソファーを蹴飛ばした反動で押し飛ばされていたのだ。

 ラーンの着地は銃声と同時だった。銃声が耳から離れず状況を確認しようと跳ね起きたラーンが見たのは拳銃をつかみ、男の腹に膝をめり込ませていたテラル先生だった。そしてテラル先生の肩から血が出ていた。

 しばらく固まっていた。そして思いだしたかのように膝を食らった男が倒れた。


「流石だな。だが、腕が落ちているぞ」


 その声の主はアラクだった。そしてアラクは肩からナイフを生やしていた。もといナイフが肩に突き刺さっていた。


「あれ…」


 ラーンの両親を殺した、あのナイフだった。というかいつの間に刺したのだろうか。


「昔のお前なら急所に刺せたはずだ」

「引退したといっただろうが」


 なんとなく、テラル先生もアラクもどこか楽しそうに見える。いや、懐かしむといった雰囲気だ。昔は仲がよかったのだろうか。


「俺は身を隠す。そのガキが生きてる限りいつ追っ手が来るかわかったもんじゃねえ」


 ナイフを肩から抜きテラル先生の足元に放り投げる。


「達者でな」


 アラクはそういい残し、部屋を出ていった。


終章


 平和だった。本当に平和だった。結局ラーンは怪我ひとつ負わず、テラル先生は肩に弾丸を貰っていたが医者が化け物と冗談交じりに評するほどの回復を見せた。まあ、化け物であながち間違いというわけでもないけれど。

 アラクの属していた組織は「悪魔の巣」といい犯罪者集団だった。ラーンの両親が殺害された事件、これはラーン一家ではなくラーンの父親のみを狙った犯行だった。しかしラーンの父親は常に警察として動いていたので暗殺しようにも隙がなくそれこそ年に一回、確実に家にいる日を狙わなければならなかった。だからといって家族全員惨殺する必要はないのだが、そこが悪魔と呼ばれる由縁だ。


「で?今度は何やらかしたんだ?」


 テラル先生が威圧的に問い詰めてくる。


「ちょっと赤点を…」

「またか」


 テラル先生はあれ以来ラーンの前でのみ言葉遣いを変えていた。こっちの方が楽でいいらしい。ちなみに無表情でもなくなった。丁寧な言葉遣いにしたら自然と無表情になるらしい。


「お前は卒業しない気か?」

「どうでしょうね」

「ふざけんなよ?」


 教師と生徒たったそれだけの繋がりだったはずだ。なにを間違えてこんなことになったのだろう、とラーンは説教を聞き流しながら思う。不思議な距離感。それも悪くないな、とラーンは思う。

重ね重ね遅れてごめんなさい。

内容が薄くてすいません。描写不足で分かりにくいところもあったかと思われます。ほんとうにすいません。展開が速いとか、文句はあると思います。その辺はお手柔らかにお願いします。

何はともあれこれにてこのシリーズは完結です。前後、読んで下さったのなら喜ばしい(もっとも、前編など無視した話なのですが)限りです。


また、やろうと思っていますのでもし気が向けばよろしくお願いします。



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