貸したダルマ
「ねえ、このダルマ、ちょっとデカすぎない?」
と真紀が言った。
「ダルマってさ、大きさによって願いのグレードが変わるんでしょ? てことは弥生の願いもかなりデカいってことだよね?」
彼女の名は南原真紀。この部屋の主である相馬弥生の友達だ。
真紀はしょっちゅう弥生の部屋に来ては入り浸る。マンガを読んだりテレビを見たりして過ごし、適当な時間が来ると突然帰っていく、ネコのような友達だ。
今日もコタツにねそべり、みかんを食べ、スナック菓子をかじり、ペットボトルのジュースを飲み、ひたすら携帯ゲームで遊んでいた。そしてふと目をあげて、部屋の隅にあったダルマに気付き、突然ダルマの話をはじめたのだった。
弥生は答えた。
「そんなことないよ。店のおじさんが、このくらいが丁度いいよって言ってたもの」
すると真紀はアハハハと笑った。
「ダマされたんだよ。弥生はお人好しだから」
そして真紀は、ダルマの目に両方とも黒目が描かれていないことに気付いた。
「ああ、もしかして弥生は願いごとが決まってないのにダルマを買ったの?」
「違うよ。最初はこれにしようって願いごとがあったんだ。でもね、その願い、片目を入れる前に何か叶っちゃったみたいなの」
そして弥生は真紀にことのなりゆきを話しはじめた。
「私の願いは月並みだけど『彼氏が出来ますように』っていう願いだったの。そしたらね、
ダルマを買った翌日に毛利くん、その次の日に三沢くんから『付き合おうよ』って言われたの」
「ぐうぜんは恐いね」
「それで決めたの。付き合う人を決めたら、その人とうまくいくように願かけようって」
それを聞いた真紀はしばらく考えていたが、やがて目を輝かせて言った。
「おお、じゃあ私が弥生の悩みを解決してあげよう」
弥生は驚いて訊ねた。
「悩みを解決? 私、別に悩んでないよ」
「だってまだ黒目入れてないじゃない」
「それはそうだけど……」
すると真紀は弥生の肩をぽんぽんと叩いて言った。
「いいからいいから。私に任せて」
弥生は真紀に訊ねた。
「どうするの?」
「ナイショナイショ。私に1日だけダルマを貸して。そしたら弥生の悩みは全部解決。心も体もすっきりするよ」
そう言うと荷物をカバンにつめ、真紀は大きなダルマを両手で抱えて持っていってしまった。
次の日。
真紀が弥生の部屋にやって来た。
そして真紀は手に抱えていた大きなダルマの頭をポンポンと叩きながら、弥生に言った。
「ありがとう。このダルマのおかげで助かったよ」
弥生は真紀の一言に、首をかしげた。
「えっ? 私の悩みを解決してくれたんじゃなかったの?」
すると真紀は付け加えるように言った。
「そうそう。弥生の悩みもちゃんと解決したよ」
そして真紀は、ダルマを弥生の両手にほい、と手渡した。顔を弥生に向けているダルマ。そのダルマと目が合った瞬間、弥生の目は点になる。
ダルマの片目には、黒目が入っていたのだ。
「ちょっと待って。どういうこと?」
「ん?」真紀は別に悪びれるわけでもなく言った。
「だから全部解決したよ」
弥生には真紀の言っていることが理解できなかった。それで、弥生は真紀にこう聞き返すことにした。
「ダルマって片目に願をかけて黒目を入れて、願いが叶ったらもう片方の目に黒目を入れるんだよね?」
「そうだねぇ」
「片目でどうして全部解決できるの?」
真紀はアハハハと笑った。
「あのね、弥生。弥生は何で悩んでいるの?」
「彼氏」
「そう、そして片目に願をかけたのはどうしてだと思う?」
弥生は素直に答えた。
「もしかして真紀がかわりに願をかけたとか?」
「ブブー。はずれ。じゃあ答えを言うよ。片目が入ってしまったダルマはもう願をかけられないでしょ?」
「うん」
「これで失敗しても、次に彼氏が出来ても、次に2人あらわれても、3人あらわれても、弥生は一人の人と幸せにしてくださいなんてバカなことを言わなくて済むんだよ」
弥生は内心、「何それ?」と思った。だがそのことは口には出さず、こう言うことにした。
「分かった。ということは、真紀は何か願をかけたってことでしょ。じゃあこのダルマは真紀にあげるよ。願いが叶ったら、もう一方の目に黒目を入れてあげるといいよ」
すると真紀は両手をさっと出して掌を弥生に向けて言った。
「いらない。そのダルマは返す」
弥生はますます真紀の言っていることが分からなくなった。
「どんな願をかけたの?」
「それはヒミツ」
「どうしてよ?」
「弥生が願いを叶えちゃうかもしれないから」
「もしかして、叶えたくない願いなの?」
弥生は真紀の顔をのぞき込んだ。すると真紀は何か奥歯にものが詰まったような言い方をする。
「うーん。叶えたくない願いじゃないけど、でも半分は叶ったからもういい」
弥生は困ってしまった。
「でもねぇ。片目が入ったダルマは使い道がないし、それに黒目を入れなきゃお焚きあげにも持っていけなくていつまでも私の部屋にいることになるじゃない? それじゃあ意味ないよ」
真紀は渋々白状する。
「ゴメン。たいしたことじゃないんだ。『私の部屋をきれいにしてください』と願をかけたの」
弥生はあきれた。
「私の願いをそれで棒に振っちゃったの?」
「棒になんか振ってないよ。ダルマのお陰で、部屋の片づけが進んだし。半分は昨日片づけたから、今はちゃんと絨毯が見えるようになったしね。私はそれで満足だし。それにね、もとは弥生の悩みを解決する為に考えたことなんだ。つまりね、弥生が願い事を書き込めなくする為に、私も叶わない願いを考えることにしたんだよ。この際どんなにつまらない願いでも良かったんだ」
真紀は必死に説明した。
「ダルマの片目に願をかけるでしょ。そして部屋が圧迫されないようにダルマは弥生に返すでしょ。ゴミは毎日出るから私の部屋が永久にきれいになるはずがないでしょ。そのうえダルマは弥生のものだから返したら願いが叶っても黒目は入れられないでしょ。ほらね。願いは絶対叶わない。完璧じゃん」
「ヘリクツばっかり言ってないで、もう」
弥生はダルマを抱えたまま玄関の扉を開けた。
「行こう」
「どこへ?」
「真紀の部屋だよ。片づけに行こう。そしてダルマに黒目を入れよう」
真紀の部屋は、誉められた状態ではなかった。だが、真紀が昨日自分で片づけていたという話は本当のようで、以前弥生がここを訪れた時に比べると、幾分『まし』になっていた。
弥生はさっそく部屋の片づけをしながら言った。
「あのね、真紀。自分の部屋にいられないからといって、私の部屋にばかりいないで少しは自分の部屋を何とかするように考えないとダメだよ。……ああ、もう。ほら、食べ残しのお菓子の袋はゴミ箱に入れないと」
すると真紀は少し反省したようで、うなだれてこう言った。
「弥生、ゴメンね。ダルマに黒目を入れちゃって。でもね……」
「いいよ。分かったから。部屋を片づけて、ダルマに黒目を入れよう」
弥生は真紀の部屋を片づけ続けた。
そして日は暮れ、窓の外は暗くなった。
弥生が一日頑張ったおかげで、部屋は見違えるようにきれいになった。
そして……
「こんな感じで充分でしょ」
弥生が真紀の部屋を見回した。
「スゴイなあ。弥生はさすがだ。本当に部屋がきれいになった」
真紀は目を輝かせた。
すると、弥生は玄関先にあったダルマを持って来て真紀に渡して言った。
「じゃあ、ハイ。ダルマはあげるから、黒目を描いてお焚きあげに持っていくんだよ」
真紀はダルマを抱えて言った。
「ああ、やっぱりこうなっちゃったのか。こうなる気はしてたんだけどね」
そしてアハハと真紀は笑った。
「願い、ちゃんと叶っちゃったね」
それから数日たったある日のこと。
また真紀が弥生を訪ねてきた。その真紀の手には、大きな熊手。弥生は驚いて真紀に聞いた。
「何? 今度はなんなの?」
「熊手だよ。あげる」
そして真紀はこう言った。
「本当はね、ダルマに黒目を描いてしまって、悪かったと思ってるんだ。だからダルマのかわり。でもこっちの方がダルマよりたくさん願いごとが叶うよ。こっちの方がお得だと思ってさ」
それを聞いた弥生は思わず笑ってしまった。だが、弥生は首を横に振ると、こう答えた。
「もらえないよ。それは真紀が持っているといいと思う。でもね、こうしよう。私、その熊手を1日借りることにする。そして明日真紀にその熊手を返すよ」
今度は真紀が目を丸くする番だった。
「なんで?」
「ナイショ」
弥生が笑った。
「……それで」
喫茶店でコーヒーを飲みながら話を聞いていてた弥生の恋人、森川陽司が聞いた。
「1日だけ熊手を借りて、どうしようと思ったの?」
弥生はティーカップを持ったままで、話をはじめた。
「たいしたことじゃないよ。真紀は貸りたダルマで1個願をかけたから、私も熊手に1個願いごとをすることにしたの」
「どんな願い?」
「本当に素敵な人と、本当に幸せになれますようにって」
弥生は言った。
「実はね、あなたにはじめて会ったあと、偶然なんだけど、最初に私に声をかけてくれた毛利君と三沢君の2人は、私以外に付き合ってる人がいることが分かったの。私は突然2人の人に交際を申し込まれて、最初は2人しか見えてなかったのかもしれない」
陽司は弥生の話を聞いて、なにげなくこう告げた。
「じゃあもしかしたら、真紀ちゃんは最初からそれを知っていたのかもしれないね」
「え?」
弥生の手が止まった。
「ああ、そんな風に考えたことはなかったわ」
そして弥生はティーカップを皿に戻した。
「真紀は言ってた。『失敗しても、次に彼氏が出来ても、次に2人あらわれても、3人あらわれても、1人の人と幸せにして下さいなんてバカなことを言わなくて済むんだよ』って。でも私はその言葉を聞いて、大切なことは目の前の幸せじゃないのかもしれないと思いなおしたの」
陽司は弥生に言った。
「かなり大きなダルマだったんだろ? 真紀ちゃんの為にそんな風に考えられるなんて、弥生は本当にいい子だな。僕は弥生の、そんなところが好きなんだ」
弥生も陽司に言葉を返す。
「でも本当にダルマに黒目を描かなくて良かった。三番目の王子様がいちばん素敵だったからね」
すると陽司はふと、何を思いついたか、何やらポケットの中を探り始めた。そして弥生の手をとり、何かをにぎらせた。
弥生が手を開くと、そこにあるのは100円玉だった。
「何? これ」
「それはね、僕と弥生の気持ちだよ。真紀ちゃんと神社に熊手を返しに行った時、神様に『願いを叶えてくれてありがとう』って言うんだよ。2人分のお賽銭だ」
陽司は立ち上がった。
「そろそろ行こうか」
2人は喫茶店を出る為、会計カウンターに向かった。
すると入り口の扉が開き、入れ違いに真紀が入ってきた。
「あれ? なんだ、弥生もここにいたのか」
真紀の後ろには背の高い、眼鏡でクセっ毛の優しそうな男性が立っている。
「もしかして……」
弥生が思わず口にすると、真紀が嬉しそうに続けた。
「そうだよ、私の彼氏。熊手のおかげかも」
そして真紀は陽司の方を見た。
「森川くんは、弥生のことが好き?」
「もちろんだよ」
「良かった。そんなこと真面目に答えられるなんて、本当に好きな証拠だね」
そう言うと、真紀がポン、と手を叩く。
「そうだ。今からダブルデートをしよう」
真紀は弥生の手を引っ張り、喫茶店を出た。
そして弥生の耳元で囁いた
「森川くんなら、弥生は幸せになれると思うんだ。ちゃんと幸せになるんだよ」
弥生の顔もふっと笑顔になった。
「うん、お互いにね」
真紀と弥生は顔を見合わせて、笑い合った。