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春の風は優しく  作者: 長岡更紗


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2/7

02.出会い

 その翌日に、琴子と一暉(いつき)は正式に出会った。

 (すめらぎ)家は琴子にとって御殿かと思うほどに大きく、祖父の大助のせいで狭いアパート暮らしの琴子にとっては、まるで場違いなところだ。

お洒落なフォーマル服など持っていないので、まだ入学していないが中学の制服を着ていった。近くの公立の中学のセーラー服である。これで失礼はないはずだ。

 応接間のようなところに通されると「よく来てくれた」とすめらぎ商事の会長である幸聖がこちらを見て笑っている。その隣には、スーツを着ているが琴子と同じくらいの年代の男の子が立っていた。


「初めまして。皇一暉です」

「あ、初めまして。井垣琴子です」


 ぺこりとお互いに頭を下げる。一暉の身長は、琴子とそれほど変わらなかった。黒い髪に切れ長の瞳だが、できる男というよりは、少し大人しそうで真面目な印象を受ける。おおらかそうな彼の祖父の幸聖に比べると、どうしても物静かな感じの方が際立ってしまった。


「いやあ、かわいいお嬢さんですな!」

「いやいや、皇さんのところの坊ちゃんは、やはり利発そうな顔をしておられるのう!」


 祖父は祖父同士、和気あいあい話しているのに対して、琴子と一暉はソファに座ったまま沈黙していた。

 祖父たちの話によると、どうやらこの一暉という少年は琴子と同い年らしい。なるほど、それで結婚は『十八歳になってから』だったのだ。もしも相手が年上だったりしたら、琴子が十六歳になった年に結婚させられていたかもしれない。


「一暉、お前もなにか話しかけんか」


 なにも喋ろうとしない一暉に、幸聖が促している。その言葉で彼はようやく口を開いた。


「琴子さん、もしよかったら、外に出ませんか」

「え?」


 予想外の言葉にどう答えていいかわからず、ちらりと大助を見て確認する。


「おお、そうじゃの。散歩でもしながらなら、話も弾むだろうて」

「そうですな! 一暉、話が終わったら、ちゃんと琴子さんを家まで送ってあげなさい」

「わかってます」


 話は勝手にそう決まり、「行こう、琴子さん」と言われるがまま一暉の後についていく。

 広い玄関を抜けて外に出ると、一暉はそっと息を吐いているようだった。


「ちょっと、そこの公園のベンチで話そう」


 その提案にコクリと頷き、少し歩いた先の公園のベンチへと腰を下ろす。

 公園内には桜の木も植えられているが、まだ咲き始めたばかりのようだ。春の風がそよそよと優しく、琴子の頬に触れては過ぎ去っていく。

 子どもの数はそれほど多くないようで、小さな赤ちゃん連れの母親らが話をしているくらいだ。

 琴子と一暉はまだ咲いていない藤棚の下のベンチに座ると、ようやく顔を向かい合わせた。


「ごめんね」


 一暉からの最初の言葉がそれである。

 なんに対しての謝罪の言葉かわからず、琴子は首を傾げた。


「なにが? ……ですか?」


 同い年と言っても、相手はあのすめらぎ商事の会長の孫だ。一応丁寧な言葉で言い直しておく。

 しかしなんと儚げな少年だろうか。身長はさほど変わらないというのに、どこか大人びた雰囲気が逆に消えてしまいそうに感じた。

 少し長めの前髪は、風が吹くたびに彼の優しい瞳を覗かせる。


「琴子さんに迷惑を掛けてしまった。まさか、こんなことになるなんて……」

「あの、話がよくわからないんですけど」

「うちのおじいちゃんさ、もうあんまり長く生きられないんだよ」


 いきなりの告白に、琴子は言葉を詰まらせる。

 おじいちゃん、というと、あの幸聖のことだろう。琴子の祖父の大助に比べてすごく若く見えるし、明るく元気そうだった。長く生きられないと言われても、そうですかとすぐには受け入れられない。


「元気に見えるけど、色々と体を悪くしててさ。三年後の生存率はゼロって言われてる。どれだけ生きられるかは、神のみぞ知るってやつかな」


 一暉の顔は真剣で、嘘を言っているようには見えなかった。


「それ、本人は……」

「知ってるよ。だから俺の嫁探しとか、いきなり始めちゃってさ」


 深く息を吐いた姿を見て、琴子はなんとなく察しがついた。


「生きてるうちに安心しておきたかったんですね、幸聖さんは」

「そういうこと」

「でもそれで、どうして私なの……なんですか?」

「それが……」


 一暉は言いづらそうに琴子の目を見てから、諦めの息とともに教えてくれた。


「おじいちゃんが俺に、好きな女はいないのかとか、どういう子がいいんだとかうるさく聞いてきてさ……」

「うん」

「君、先週に青空デパートに行ったろ?」

「え、うん」


 いきなり話が飛んで、首を傾げながらも頷く。確かに行った。母親の買い物の付き合いをしていただけだったが。


「ちょうど目の前を通りかかった君を、『あの子がいい』って指さしちゃったんだよ」

「……は?」

「いや、だから、見も知らない子ならもう会うこともないと思って、適当に決めたのが君だったんだ」


 適当に決めたのが琴子だった。

 確かに琴子は青空デパートでなにかをしたわけじゃない。

 迷子の子どもを助けたり、年寄りの荷物を持ってあげたわけでもない。

 そういうところを見て決められたならまだロマンティックだったというのに、理由は『適当』だ。

 なんとも思っていない相手とはいえ、ちょっぴりショックである。


「あはは……そうですか……」

「一瞬すれ違っただけの子なら、おじいちゃんも諦めてくれると思ったんだけど。舐めてたよ、一代ですめらぎ商事を大きくした皇幸聖のことを。俺のおじいちゃんは君や家族のことも調べ上げたんだ。君のおじいさんが賭け事好きだと知ると、それを利用して君を無理矢理に俺の婚約者にさせたってわけなんだ」


 どうやら、大助は幸聖に利用されていただけだったらしい。それにまんまと引っかかってしまう大助も大助だが。


「だから俺は、こんな婚約は望んでない。君もそうだよね?」


 それは当然だ。相手も望んでないなら結婚なんてする意味がない。盛り上がっているのは祖父同士だけなのだから。

 琴子が大きく頷くと、一暉もホッと息を吐いて笑顔を見せてくれた。初めて見た笑顔は、思っていたよりも爽やかで。春の風が似合う人だな、なんて少し思った。


「じゃあ、ひとつだけお願いがあるんだ」


 その一暉の願いは。

 彼の前髪をそっと揺らす風よりも、もっともっと。


 優しい、優しい、願いごとだった。

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