08 閑話 マイアから見たお嬢様
今回は見習いメイドのマイアちゃん10歳から見たお話です。
ケーニスタ王国。百年前までは大陸でも中規模の国家であったが、当時起こった魔族との戦争により周辺の小国を統合し、現在は大陸でも有数の大国である。
三つの魔族国家との数十年の戦争の末、人間国家群は二つの魔族国家を討ち破り、最後の魔族国家が残った魔族達を纏めて撤退したことで戦争は終結したが、領土を奪われることを嫌った魔族は占拠していた領土に魔物を放ち、人間どころか魔族さえも容易に入り込めない魔の領域へと変えてしまった。
人間国家は戦争には勝ったものの領土を奪い返すことも出来ず、賠償金も得れなかったせいで衰退しかけたが、そこをいち早く纏めて盛り返したのがケーニスタ王国だ。
他の国家は、その為に旧ケーニスタ王国が兵や資金を出し渋っていたのではないかと疑っていたが、戦争終結から幾つか世代が変わると次第に忘れられていった。
ケーニスタ王国東方に位置する辺境伯領アルセイデスは、以前は独立した小国であったが、魔族国家の一つと隣接してた為、領土の半分を失い、軍の派遣と支援を得る為にケーニスタ王国の一部となった。
その昔は亜人も多く牧歌的だったその土地は、王国の貴族が入ることでだいぶ様相が変わり、この地に住む貴族達にはすでに人族至上主義が根付いている。
過去はアルセイデス公国の王族であろうと、現在は先々代にケーニスタの王女も降嫁したケーニスタの上級貴族なのだ。
そんなアルセイデス辺境伯家に『取り替え子』であるハーフエルフの『忌み子』が生まれた。
母親は産まれた瞬間から育てることを拒絶し、貴族の乳母さえ決まらなかったその子は、雇われた平民の女性達から乳を貰い、平民の使用人達の手で育てられた。
家族で雇われ五歳の頃からこの城で下働きをしていた平民の少女マイアは、10歳となってメイド見習いになり、その忌み子――キャロル付きのメイドとなった。
母であるメイヤは以前からキャロルの世話をしていたので、話を聞いていたマイアはそのお嬢様のお世話をすることを愉しみにしていた。
ケーニスタ王国の貴族は、魔族の被害を受けたことで『人族至上主義』に拍車は掛かったが、市井の民までそんなことはない。
旧王国があった王都周辺ではあまり見ないが、戦争時に亜人の傭兵や冒険者が魔物を多く狩ったことで、王都以外の平民達は亜人を普通に受け入れていた。
もちろんマイアにも偏見はなく、それどころか、森の民と呼ばれるエルフは冒険者以外、滅多に人間の街に来ることはないので、ハーフエルフであるお嬢様に憧れさえ持っていたのだ。
「お母さん、私、お嬢様にお仕えするのが楽しみですっ!」
「マイア、お仕事中はお母さんと呼んではダメよ? それとキャロル様は少し可哀想なお方なのよ……」
初めてキャロルを見たマイアはとても驚いた。
確かにエルフ族は皆容姿端麗で、その血を引くハーフエルフも綺麗な顔立ちをしている者が多かったが、その美しさは人の血が入った事による親しみやすい美しさなのだ。
ところがキャロルは、生粋のエルフを片親に持たない『取り替え子』であるのに、マイアが街で見たどのエルフよりも綺麗に思えた。
雲ひとつ無い新月の夜空のように煌めく黒髪。歪みなく整った綺麗な顔立ち。
どこの土地でも生粋の人種は居ないと言われる混血の進んだこの大陸で、純血のエルフであるハイエルフと純血の人間から生まれたハーフエルフなら、このような美貌もあり得るのかと思えるほどだった。
(……でも)
まだ三歳のその子は、笑わなかった。泣かなかった。感情を見せなかった。まるで冷たい“人形”であるかのように。
マイアは母親の言った言葉の意味をようやく理解した。
家族にも母親にも愛されなかった子供。全ての貴族から疎まれる子供。
貴族の子女であるだけの上級侍女に粗雑に扱われ、あからさまに侮蔑されても声一つあげずにじっとしているだけのお人形さん。
なまじ見た目が整っているだけに、マイアにはその姿がとても悲しく思えた。
それがある日を境に変わった。ほんの少しの変化だったが、毎日穴が開くほどお嬢様を見つめていたマイアにはそれが分かった。
琥珀色かと思っていた硝子の瞳は黄金に輝いて、メイヤやマイアを含めた全てを興味深そうに見つめていた。
碌にキャロルを見もしなかった上級侍女のイラリアは気付かなかったが、もし気付けていたら、あの可愛らしい声を聞けていたのかと思うと、マイアはあの意地悪なイラリアに対して優越感も感じた。
ほんの少し……わずかな動きだけど、その仕草が悶えるほどに可愛らしく、マイアは思わず抱きしめそうになるのを我慢するのに多大な労力を強いられた。
冷めてしまった食事でも美味しいというキャロルを不憫に思い、思わず涙ぐみそうになると同時に、あのイラリアが食事を運ぶ途中で他の上級侍女とお喋りさえ始めなければ、と握りしめた拳がプルプル震えた。
お部屋のお掃除の時は母のメイヤがお嬢様をお風呂に入れて、その間にマイアが掃除をしていたが、母が役目を代わってくれて一緒にお散歩に出掛けられた時は、思わず舞い上がってスキップしてしまった。
キャロルの紅葉のようなお手々は普通の三歳児よりも小さく感じたけれど、ふっくらとすべすべして、チラリと上目遣いでマイアを見ながらキュッと指を掴む小さな手の温もりに、マイアは奇声を上げるのを我慢しなければいけなかった。
お嬢様は意外と好奇心が旺盛で、花や植物の名前などを知りたがった。
やはりエルフ族だから草木が好きなのだろうか。言葉数は少ないけれど、声が聞けることが嬉しくて、温室に興味を持っていたみたいだったが、そちらに案内出来ないことが心苦しかった。
あの温室は代々この城の夫人が、美容と健康の為に薬草やハーブ類を育てていたもので、王都の貴族が入ってきた時から徐々に夫人は足を向けなくなり、今の夫人が嫁いでからは城の夫人が立ち入ることはなくなったと、温室を管理している庭師のお爺さんが話していた。
例え使われなくなっても手入れを怠る訳にはいかず、それでも一般の使用人は入ることが躊躇われるその場所に目を付けたのは、この城の嫡男であるディルクだった。
マイアはディルクが苦手だった。マイアより二歳年下の八歳だが、身体が大きくて力が強く、歳の近いマイアにもよく悪戯をしてきた。
都合の良い温室という遊び場を手に入れたディルクは、味や香りの強いハーブなどを使用人の食事やベッドに入れる悪戯をよくしていた。
温室に毒の強い薬草がなかったのがまだ救いだったが、上級使用人と比べて質の劣る平民用の食事にそれをされるのは、マイアにとって涙が出るくらい悔しかった。
さっさと温室から離れようと思ったが、運悪くディルクに見つかった。
ディルクは当たり前のようにキャロルを蔑み、平民であるマイアを嘲った。平民のほとんどは無属性の生活魔術しか使えないが、属性持ちの貴族にとっては魔術が使えないと同じ事で、それを汚れた血のせいだとディルクは蔑んだ。
マイアの父と母も外見は人間だが、少しだけ獣人の血が混じっている。そのせいで魔力が少ないマイアを汚れた血と罵るディルクに、マイアは唇を噛んで耐えるしかなかったが、そのディルクが突然落ちていた小石に足首を捻った。
マイアはキャロルがこっそり小さな石を捨てているのを見て驚いた。
この小さな子が、“主”として自分を守ってくれようとしたのだと理解して、マイアは涙が止まらなかった。
その小さな手に引かれながら涙ぐんでいたマイアは、キャロルがどのような立場になろうと最後まで仕え、何があっても信じようと心に誓った。
だがその試練はすぐにやってきた。あの奥様と意地悪イラリアが、食事に酷い意地悪をしかけてきたのだ。
エルフ族は獣肉を食べない。正確に言えば死んだ血を汚れとして受け付けない。
だからもし肉を出すとしても、ベーコンやハムのような加工されたものを少量か、長時間煮込んでアクと脂肪を丁寧に取り除いたものしか出していない。
キャロルがエルフよりマシなハーフエルフだとしても、血の滴るステーキなど食べられるはずがない。
だがそれに文句を言えば、マイア達家族はこの城を追い出されると言われた。
マイアも母のメイヤも、そうなったとしても阻止したかったが、料理人である父にそうなったら誰がキャロルお嬢様を護れるのかと説得され、泣きそうになりながらも受け入れるしかなかった。
だが幼いながらもマイアのお嬢様は普通ではなかった。
お伽話でも語られるように、この国では複数の魔力属性を持つ者は、精霊に愛されやすいと言われている。
特に純粋で無垢な心を持つ少女が精霊はお気に入りで、その気に入った者に危害が加えられると、加護を与え反撃さえするらしい。
無理矢理お肉を食べさせられそうになったお嬢様の側に何か“黒いモノ”が現れると、咆吼をあげてイラリアの髪を食い千切った。
イラリアは『呪い』なんて叫いて逃げていったが、マイアはそれを【闇の精霊】の加護だと確信して、唖然として驚いている母の後ろで小さくガッツポーズをした。
闇の精霊は珍しく、印象だけで貴族では忌避されているが、平民からしてみると全ての精霊は等しく敬う存在で、闇の精霊は夜の安らぎを与えてくれる大事な精霊だ。
エルフ種は精霊と仲が良く、キャロルから感じる仄かに眠たそうな雰囲気は、きっと闇の精霊に愛されているからだろう。
こんな可愛らしくて素晴らしくて、とても可愛らしいキャロルお嬢様が貴族に虐げられて嫌われているなんて世界の損失だ。
マイアはメイド見習いになったお祝いに買って貰った日記帳に、お嬢様の素晴らしい可愛らしさを書き綴り、明日からみんなに話してあげようと思いながら、お嬢様の夢を見る為に眠りに就いた。
次回は、魔女ッコになってしまったキャロルの能力検証。