06 ビロードの魔女
ヘイト表現がございます。
その男――ロルフはあまり裕福ではない家の三男として生まれた。
先祖は由緒ある貴族だったらしいが、数代前に平民の商人に騙され、爵位も領地も名誉も奪われた。
商家による貴族家の乗っ取り。当時は珍しくなかったが、それを聞いて育ったロルフは、自分から貴族の名誉を奪った平民を蔑むようになる。
ロルフは家族の中で唯一魔術の才能があった。
平民にも魔術師はいるが、この国で伯爵家以上の上級貴族はほぼ全員が魔術師で、その事実が自分に貴族の血が流れていることをロルフに強く意識させた。
ロルフは家族が平民に頭を下げて仕事をすることが許せなかった。家に来る平民を馬鹿にして横柄に振る舞うロルフに家族は怒り、ロルフを家から追い出した。
平民と仕事が出来ず、行き倒れていたロルフを救ったのは伯爵家の令嬢だったお嬢様だった。その美しさと貴族としての力に魅入られたロルフは、お嬢様に恋をして、彼女の為に魔術や武術を鍛え、彼女に仕えた。
そんな彼にお嬢様――メリーも心を許し、歳の近い彼に興味も持っていたが、メリーにはすでに親が決めた婚約者がいた。
相手は辺境伯の嫡男で、メリーの幸せを願ったロルフは執事として彼女に仕え、生涯彼女を守ると心に誓った。
辺境伯家に嫁いだメリーは無事に嫡男を産むことは出来たが、その幸せは長くは続かなかった。二人目に産んだ子が、人族至上主義の貴族で忌み嫌われる『取り替え子』である『忌み子』だったからだ。
メリーは嘆き悲しみ、忌み子を手に掛けようとしたが、祝福に来ていた司祭にそれを止められ、その司祭が良い噂を聞かない貴族にその子を売ることを提案したせいで、彼女には不名誉だけが残された。
不名誉を妻だけに押し付けた辺境伯と彼女の心は離れ、ロルフは彼女と森外れの泉で密会するようになり、メリーの身も心も慰め続けた。
そんなメリーの心の傷が癒える間もなく、忌み子が問題を起こした。
おぞましいことに、真面目に働いていた行儀見習いの令嬢に忌み子が呪いを掛けたのだ。それだけでなく、嫡男であるディルクにも呪いを掛けて足を挫かせたという。
その場は執事として収めたが、そんなおぞましい忌み子に憤慨するロルフに、暗い廊下の隅で抱きついてきたメリーは、秘密裏に忌み子の始末を頼んできた。
ロルフは愛する“お嬢様”の名誉を守る為、彼女の頼みに頷いた。自分の貴族としての名誉を奪った平民と同じ汚れた血をロルフも許せなかったのだ。
そしてロルフは、おぞましい忌み子を始末する為、その夜に娘を攫った。
***
夜遅く――明るい月の下で木々の影から影に移るように、一人の男性が私を抱えて音も無く駆け抜ける。
女子らしく悲鳴をあげたいところですが、口元まで毛布にくるまれているので、それほど効果は無いでしょう。相手を苛つかせる効果はありそうですが、そんなことをしても殴られるだけなので面倒なのです。
まだ敷地の中でしょうか? マイアが“離れのお屋敷”は四半刻ほど歩くと言っていたので、敷地の境界は有って無いようなものかもしれません。
少し経って水の匂いが感じられたところで、その誘拐犯は私を地面に放り捨てた。
毛布が無かったら擦り剥いていたかもしれません。でもほとんど痛くなかったのは、装備している【護りの首輪】のおかげでしょうか。
「泣きもしないとは……人間の感情すらないのか」
「…………」
明るい月の下。木々に囲まれた泉のような場所で、その人はそう言った。
綺麗な場所ですね……。男と女が逢い引きとして使うには良さそうな場所ですが、生憎と私達にそんな甘い雰囲気はありません。事案発生。
毛布の上にペタンと座った私に声を掛けた誘拐犯は、三十歳くらいの茶髪男性――あの魔銃暴発事件を収めてくれた執事さんでした。
そう言えば、私は感情を表すのが苦手でしたが、感情が無い訳ではありません。今も怖いですよ。ただ取り乱すのが面倒に思えるくらいには落ち着いています。
もしかしたらプレイヤーキャラになったせいでしょうか?
そんな疑問に静かに首を傾げると、執事の顔が嫌悪に歪み、言葉を吐き捨てる。
「人の言葉も理解できないのか、汚れた血めっ」
「…………」
汚れた血……。多分、亜人のことを言っているのかな?
細かいことは分かりませんが、とりあえずこの人が私を哀れんで、あの家から逃がしてくれるとか、そう言う甘い考えは捨てましょう。
この人の単独? いくら蔑んでいても当主の意向を無視してまで害をなそうとするのでしょうか? だとしたら――
「おかぁしゃま?」
「あの方を気安く呼ぶな、忌み子がっ!!」
逆鱗に触れたみたいです。
それまで顔を顰めても冷静だった執事が、怒りに顔を歪めて私を蹴りつけた。
「っ、」
痛っ! 結構痛い。蹴り飛ばされた私は、衝撃で声を出すことも出来ずに蹲る。
普通なら骨折……ううん、三歳児だったら内臓破裂しててもおかしくないですが、装備している【護りの首輪】のおかげか、深刻なダメージはありません。
「あの方の…お嬢様の苦しみの百万分の一でも思い知ったかっ、クソガキっ!」
「………」
この人はお母様を『奥様』ではなく『お嬢様』と呼びました。
つまりこの執事は、アルセイデス辺境伯に雇われたのではなくて、お母様の実家からついてきた人なんだ。だからお母様をとても大事にしている。
「お前が生まれたことでお嬢様がどれだけ傷ついたか分かるか? どれだけ苦しんだか分かるか? お前さえ存在しなければ、メリー様は幸せでいられたのにっ!!」
「………」
お母様は“私”という存在の被害者。私さえいなければお母様は辺境伯夫人として、心穏やかに幸せでいられた。
「せめてひと思いに殺してやろうかと思ったが、あの方の痛みを少しでも思い知って、苦しんで死ねっ!」
「…っ」
また蹴りつけてきた執事の脚を、私は横に転がるように避ける。
「生意気に避けるなっ、呪われた忌み子めっ!」
叫びを上げた執事が距離を詰めてまた蹴りつけてくる。
今度は避けきれず咄嗟にガードした腕の上から蹴り上げられ、冷たい泉の中に蹴り飛ばされた。
「けほっ」
口に流れ込んでくる水を慌てて吐き出す。運良く泉はいきなり深くなると言う事はなくて、膝を付いたままでも顔を出せました。
「………」
……打開策が思い浮かびません。多少身体が丈夫でも、少しだけ冷静に対応出来るとしても、所詮は三歳児です。大の大人から殺すつもりで攻撃をされて、いつまでも躱せるはずがありません。
せめて魔法が使えたら……。いえ、せめて大人の身体があったら何とかなったかも。所詮はどちらも無い物ねだりですが。
命乞いをしても無駄でしょう。彼の言葉からは汚れた血――亜人に対する明確な憎悪を感じました。それがなくてもお母様の件で、私を生かしておく理由がないのです。
今回のことはお母様に命令されました? それとも彼の意志で?
確かに、私が生まれなければ、というお母様の不幸は理解できますが、それでも私は死にたくありません。
「かふっ」
泉に入ってきた執事が私の顔を泉に押し付けた。
「苦しいか? ハハッ、もっと苦しめっ!」
「……ぁ」
「おらぁ!」
本当に私をひと思いに殺すのではなく、何度も持ち上げて何度も私を水に沈める。
……私、ここで死ぬのかな?
予定とは違ったけど、もう一度生まれ変われることが出来たのに……。
「どうだっ、思い知ったかっ! お嬢様が味わった苦痛はこんなものではないぞっ! お前のせいでメリー様の名誉は傷つけられ、あのお優しかったご実家の奥様方にまで、二度と戻ってくるなと言われたのだぞっ!!」
――――はぁ? なんですかそれ?
一瞬だけ諦めそうになった私の心に“怒り”の炎が灯る。
随分とまあ、くだらない理由で殺そうとするのですね?
実家の母親に拒絶されたから、自分が産んだ娘を母親が殺すのですか?
私、少々気が弱くなっていたようですね。頑張っても死亡フラグは回避出来そうにないし、あの家族と離れられたのに新しい家族はそれ以上にどうしようもありませんし、みんなして私を罵って蔑んで殺そうとしましたから。
本当に何てくだらない世界なのでしょう。
少し……腹が立ってきました。
泣き寝入りも逃走も、私らしくありませんね。そうでしょう? お爺ちゃん。通り魔に反撃して死ぬような私が、大人しすぎましたよね。
――『今度こそ、長生きして幸せにおなり』――
「………」
「このガキ、まだ抵抗するかっ!」
私が執事の腕を掴むと、彼は憤って私の首に手を掛ける。
私、全力で足掻きます。
逃げ出す? 誰が? 私は戦います。悪役令嬢として。
誰にも負けたくありません。お爺ちゃんより長生きして、絶対に自慢しに行ってやるんだから。
「――Setup【Witch Dress】――」
***
ゴォオオオオオオオオッ!!!
ロルフは全身に強い衝撃を受けて、訳も分からず宙に吹き飛ばされていた。
「がはっ、なっ」
地面に叩きつけられ、咳き込みながらも強い気配が迫ってくることを察したロルフが全身の痛みを堪えて飛び退くと、“赤い影”が大地を砕きながら暴風のように通り過ぎていく。
「っ!?」
暴風が通り過ぎただけで捲り上がった地面と、盛大に巻き上がる土塊にロルフの顔が恐怖に引き攣る。
何が居る? 何が起こった? 先ほどまで憎き“忌み子”にとどめを刺そうとしてたはずが、突然“何か”の襲撃を受けていると、ロルフは混乱の中で恐怖した。
駆け抜けていった“赤い影”が大地を砕くように急制動をかけ、巻き上がる土煙の中から、またロルフに向かって襲ってきた。
「くあああっ!?」
悲鳴をあげ近くの樹木を盾にする。だがその樹木も一撃で砕かれ、破片と共に吹き飛ばされたロルフは、顔を歪めながらも一瞬だけ見えた、通り抜けていった人型の影に奥の手でもある魔術を行使する。
「『万物司る炎よ。炎の矢となりて、我が敵を穿て』【火矢】っ!」
唱えた呪文に炎の矢が数本出現し、赤い影に撃ち出された。
第一階級の攻撃呪文。炎と土の二属性であるロルフは、それが貴族の血によるものだと自分の魔力に絶大な自信を持っていた。
撃ち放たれた【火矢】に、急制動で舞う土煙の中で“赤い影”が微かに揺れて……
「【Fire Arrow】」
知らない言語と共に“赤い影”からも【火矢】が撃ち出され、ロルフの放った火矢をことごとく打ち落とした。
「馬鹿な…っ!?」
単音節の呪文の発動。それは研究された呪文に制御された“魔術”ではなく、呪文を理解した術者に制御された“魔法”であることを意味する。
「ひっ、」
身体能力も魔力も、あまりにも掛け離れた実力の差を感じたロルフは、再び迫り来る気配を感じて周囲の林の中に逃げ込むと――
ズパァアアアンッ!!!
「ひぃいっ!?」
その瞬間、一抱えもありそうな樹木数本が一撃で斬り飛ばされ、地響きを立てながら地面に転がった。
その中で――舞い上がる木の葉の中、明るい月を背に、転がる樹の幹に片足を乗せた美しい少女の姿がロルフの瞳に映る。
「お…ま……」
月のように輝く金色の瞳に、夜空よりも暗い漆黒の髪から零れる長い耳。
ビロードのような光沢の真っ赤なミニドレスには黒薔薇と黒い茨の刺繍が施され、膝上まであるロングブーツと、ヒラヒラ揺れる短い裾の間から見える脚の“肌色”がロルフの脳髄を刺激した。
年の頃は15歳ほどだろうか。その成熟していない未完成な美しさは、月の灯りに誘われた妖精のようにさえ思わせた。
だが、その肩に担がれた、ロルフの身長程もある刀身のあまりの美しさに、我知らず身体が震えていた。
「…お前は……誰だ……」
「私は……」
少女の唇から澄んだ声が零れ、その可憐な顔に氷のような微笑が浮かぶ。
「私は……“魔女”よ」
夕方にも更新予定です。
次回、プレイヤーキャラクターの戦闘力。