51 宰相令息
「さっさと歩けっ。この私がわざわざ迎えに来てやったというのに、やはり亜人は劣等な生き物だな」
「……………」
現在私は、突然私の研究室に押し掛けてきた男の後ろを歩いています。
そりゃあ身長が30センチ近く違うんだから歩幅も違うし、高校生くらいの男の子がスカートの女子中学生に気も使わずにスタスタ歩いているんだから遅れて当然です。
私と同じ最上級生なのでまだ15~6歳だと思いますけど、完璧に人族至上主義に嵌まっていますね、この陰険メガネ。
陰険メガネ……この人、アレですよね? 攻略対象の一人、宰相の息子ですよね? もう一人会っていない攻略対象者の王太子のお使いで来たのだから、たぶん腰巾着の彼だと思います。
……でもおかしいですね。
私の微かな記憶だと、乙女ゲームで彼は、あの色々やらかしてくれた悪い宰相を父に持ったことで悩み、主人公が何度も会うことで悩みを打ち明け、それからも何度も悩みを聞いてあげるだけで主人公に傾倒していく比較的攻略が簡単な、ツンデレだと記憶していましたが、ここまでキツい感じではありませんでした。
まぁ、デレるのは主人公であるアリスにだけで、他の人にはツンなままなのかもしれませんけど、主人公は何を話していたんでしょうね?
ゲームだとちゃんとした会話があるのはイベントシーンだけで、通常の会話やお悩み相談は『今日も悩みを聞きましょう』ってログがあるだけで終わっちゃうから、内容は分からないんですよ。
「あっ、イアン君」
「おお、アリスっ」
そうそう、そんな名前でしたね。イアンが速度を緩めないので私と距離が空くと、そこに偶然通りかかったアリスが声を掛けました。
「イアン君、お家のほうは落ち着いた?」
「ああ、この前話したように農場のほうは復興したが、船のほうはあれだけの船になると簡単に造れないし、口の堅い船乗りがなかなか揃わなくて困ってるんだ……。しかも襲ってきた竜に乗った女が魔王だなんて噂まで出て、船乗りが怯えてる。どうせ酒の飲み過ぎで幻覚を見たに決まっているのに、くそっ」
ああ、五年前に潰した、交易船に見せかけた海賊船のことですか。
何しろ大陸間を交易できる大型船でしたから、そう簡単には作れないでしょう。しかも海賊行為もするから口の堅い犯罪者風味の船員を揃えないといけない。宰相はあれでかなり稼いでいたみたいですから、それがなくなったら痛いでしょう。その口ぶりだとイアンもかなり関わっているようですね。だからゲームよりも酷い感じになったんですか?
でも、魔王? そんな噂があるのですか? 竜に乗る程度なら竜騎士スキル50もあれば普通に乗れるでしょうに、不思議です。
「イアン君っ、気は持ちようだよっ。悪いことばかりじゃなくて前向きに努力すれば、今はダメでも、きっと船乗りさん達も分かってくれるよっ」
アリスのくせに意外とまともなことを言う。
「だが、本当に悪いことばかりが起きるんだ。麻や……気分が良くなる草もまだ本格的な生産に入れないし……」
「そんなイアン君には、私が良い壺を売ってあげるよっ」
……ん?
「私が精霊達の力を借りたような気がして作ったこの壺をお部屋に飾れば、運気がぐんぐん上がるよっ」
「そ、そうなのか? 精霊の力が籠もった壺か……でも高そうだな」
「今ならレンタル、イアン君がやっている商売の純利益、月々1%でいいよっ。毎月の純利が大金貨100枚なら月々たった一枚で済むのに、儲けはきっと10倍だよっ」
んん~~~……?
「おお、それならお買い得だなっ! アリス、君は何て素晴らしい女性なんだ」
「金運なら、この黄色い壺に水を入れてお部屋の西側に飾ると良いよっ。色々な運気を上げる方法をこの本に書いたから、小金貨5枚で譲ってあげるっ。特別だよ!」
アリスはイアンの手を両手で包み込み、不必要なほど顔を近づけて、可愛らしく満面の笑みを浮かべると、イアンの頬が赤くなって彼は勧められるままに色々な開運グッズを買わされていました。
相変わらず、すげーなこの子。そしてバカなんじゃねーか、イアン。
イアンはすっかり攻略というか籠絡されているので、私のことを思い出す前に帰ってしまおうかとゆっくり後ずさりすると、
「ああっ、キャロルさんっ! どうしてここにいるのっ!」
絡まれました。
「おお、そういえばそこの亜人を連れていく途中だったな。さっさとこい、うすのろの亜人め。すっかり遅くなったじゃないか」
「…………」
こいつ……斬り落としてあげましょうか?
「ダメよ、イアン君っ。キャロルさんが意地悪な人でも、みんな仲良くしないと」
「アリス……君は優しいな」
「キャロルさんはエルフだから、緑がなくて苛ついているだけなのっ。ほらっ」
アリスは辺りを見回すと、下水の蓋の脇に生えていたぺんぺん草を引っこ抜いて、まったく他意のない純粋な笑みで私に差し出した。
「はい、食べて良いよっ! エルフは自然志向だから洗わないで食べるんだよねっ」
「………【Fire Arrow】」
私の魔法がぺんぺん草を焼き尽くし、少女の可愛らしい悲鳴が辺りに響き渡った。
***
まぁ、色々とありましたが問題ありません。
アリスがビックリして尻餅をついて、それを見たイアンが怒りだし、悲鳴を聞いた何も知らない一般生徒が私を悪者と決め込んで責め立てた程度です。
普段から『忌み子』と言うだけで嫌がらせもされるので、その程度のことは気になりませんね。フレアと対面で商談するほうがよっぽど寿命を削られます。
それでも煩いので魔力を冷気に変換しながら放出していると、あっと言う間に静かになりました。
その中で精霊に全自動で護られているアリスだけは、何が起きたのか分からずキョトンとしていましたけど、何故か、王太子の招集にアリスが一緒についてくることになりました。
「キャロルさんは照れているだけなのっ。今までこの世の全てから呪われて石を投げられてきたから、優しくされるとどうして良いのか分からないのよ。だからきっと王太子であるジュリオ君にも酷いことをすると思うから、私がキャロルさんをフォローしてあげるっ」
余計なお世話です。
しかしまぁ、よくそこまで自分に都合の良いようにポジティブに考えられますよね。何も事情を知らずにそのシーンだけを切り取れば、アリスは天使のように見えるかもしれません。
そんなアリスに陶酔しているイアンは断るわけがなく、私も異次元脳みそと会話が成立すると思えなかったので、特に何も言いませんでした。
本題の王太子のところに向かう前に疲れますね。これ以上は何も無いと良いのですけど。
「あら、キャロル。陰険クズメガネや金ブタを引き連れてどこにいくのかしら?」
「…………」
ここで少しだけ、補足というか解説をさせていただきますと、この学園は基本平等という建前がありまして、上級貴族でも従者を連れて歩けません。
さすがに王族は護衛が必要ですが、ちゃんと節度を守って離れて警護していますし、私もマイアが付き添うのは登下校時と研究室だけで、宰相の子であるイアンでも自分で私を迎えに来ました。
でもその人物は、暗殺者メイドを数名侍らしているだけでなく、学生の取り巻きを引き連れて……引き連れて? 私には屈強な男子生徒が上半身裸の四つん這いで首輪に付いた鎖を引っ張られて喜んでいるようにも見えますね。
「い、陰険クズメガネとは誰のことだ、フレアっ!」
その人物――世紀末覇王フレアに、勇敢にもイアンが食って掛かる。私も普通にそう思っていたので、ツッコミを入れるの忘れていました。
「あなたの他にこの世界で誰がいるというの?」
「こ、この…っ」
「酷いわ、フレアさんっ! イアン君からメガネをなくしたら特徴が全く無くなるのを知ってて、どうしてそんな非道い事を言うのっ」
非道いなアリス。私もフレアも、そこまで非道いことは言ってない。
「アリス……君は私を庇って…げふっ」
「邪魔よ」
あれ?洗脳されてる?的な台詞を吐こうとしたイアンを前蹴りで的確に顎を射貫き、フレアは苦悶するイアンの肝臓をピンヒールで何度も踏みつけながら、ゾクリとするような妖艶な笑みをアリスに向けた。
「あら、まだ生きていたのね。死ねと命令したのを忘れたのかしら? コレだから脊髄反射だけで生きている虫けらは困るのよ」
「虫さんを悪く言わないでくださいっ! 捕まえて食べればタダだから蝉を幾つか捕まえてますけど、炒め物にすると冒険者さんが泣きながら喜んでお金を払ってくれるんですよっ!」
ドン引き。
「ブタの食生活には興味は無いけど、ジュリオに黒光りする虫でも食べさせてあげようかしら? ふふっ。あいつ、虫が苦手だから楽しみね」
「何て酷いことをするんですかっ! ジュリオ君なら私の虫料理のほうを喜んでくれるに決まってますっ!」
王太子……可哀想に。
「ホッホッホっ、それは楽しみが出来たわっ。それとキャロル、あなたがどうしてここに居るのか答えてないわよ?」
「ん」
やっぱり逃がしてはくれませんか。仕方なく私はそこら辺の昆虫を捕獲し始めたアリスを横目に、下水の蓋の脇に生えていたぺんぺん草を引っこ抜く。
「それじゃ私は、雑草料理で勝負します」
「ホホホっ、それはステキねっ!」
「キャロルさんっ、負けませんよっ!」
普通に王太子によく分からないまま呼びだされたのを説明するのが面倒くさいので、適当な理由を付けたら、何故か料理勝負になってました。
世の中は不思議なことだらけです。
王太子まで辿り着きませんでした。すみません。
次回は今度こそ王太子。