24 魔の渓谷
何やら嫌なフラグを立てたような気がしますが、私は何となく元気です。
今日も朝からラジオ体操をしてお庭の散歩。……以前だったら屋敷の周りの森を30分くらい散歩できていたんですけど、こんな狭いお庭では5分で終わっちゃいます。
まだ五歳だから無理は出来ないんですけど、早く基礎体力を上げて大人になっていられる時間を増やしたいジレンマなのです。
そして恒例の、ディルクのお膝の上で朝食。……ホントにこの変態さん、どうにかなりませんか? まだ10歳ですよ、この人。将来が不安しかありません。
そんなディルクが聞きたくもない情報をくれる。
「カシミールが言っていた騎士団の見学だが、再来週になりそうだぞ。その前に魔の森近辺に演習に行くらしいな。本当にお前みたいな亜人が、王城で他の貴族の目に触れるなんておぞましいっ。ほらもっと食べないと綺麗な脚にならないぞっ」
「…………」
だからなんで脚を撫でるんですかっ。脚好きにも程があるでしょ。
そんな若干10歳で異様な性癖に目覚めつつある兄に鳥肌を立てるような朝食を終えて、午前中は呪文の解読をしたり、化粧品を作ったりと忙しいのですが、最近は貴族としてのお勉強も加わりました。
基礎教養や礼儀作法ですね。今まではどっかの貴族に売られるから必要ないのかと思ってましたけど、貴族に売られるからこそ必要なんだと、辺境領のお父様からお達しが来ました。
……面倒くさいんですけど。
「んまぁっ! あなたが忌み子ザマスねっ、本当に何ておぞましいのでしょっ。私のような子爵家の者があなたのような亜人に、」
「【Confusion】」(ぼそ)
「キィイイイッ! ずっと若いなんて許せないザマスっ! その生き血を呑めばわたくしもっ!」
「【Confusion】」(ぼそ)
「そうっ! 短い裾のスカートを履くザマスっ! おみ足で殿方を誑かして、チヤホヤされて貢がせるザマスっ!」
『デボラ夫人、ご乱心っ!!』
『お止めしろっ、うああああああああっ!?』
教師役のデボラ夫人(51)は、何故か突然ご乱心なさって外に走り出していきました。使用人も大変ですね。
また『忌み子の呪い』とか噂が出ましたが、子爵家も噂でアルセイデス辺境伯家に文句も言えなかったそうで、次からは教師役が貴族ではなく商人のご婦人になりました。さすが商人ですね。亜人でも“客”なら気にしてないみたいです。
騎士団の見学も躱せそうにないですねぇ。ディルクとカシミールが友人でも、公爵家の意向を無視できないみたいです。
あのベルトおじさんに会うのも面倒ですが、あのレベルの騎士がうようよ居る場所に進んでいきたくないのですよ。
まぁ、そんないつもの日常はともかく、気になっているのは、あの遺跡の奥に微かに見えた『光』のことです。
私にはアレが外部の光に見えました。時間的には夜でしたが、月明かりでも遺跡に比べればかなり明るく見えるはずです。
遺跡の場所や移動距離と方向を大雑把に計算すると、王都とアルセイデス辺境伯領を隔てる渓谷や大森林があった場所辺りだと思います。
そこは魔の森とは離れていますが、もしかしてそこから魔物が流れ込んでいて、強い魔物の群生地があるかもしれません。
素材を集めてお金稼ぎもしたいのですが……、私はレベル上げをしたいのですよ。
正確に言うと、【剣舞】スキルを上げたい。ベルトおじさんレベルの騎士を、数十人いっぺんに相手に出来る力が無いと不安です。
さすがにスキル90の【遠隔武器】を上げるには古竜レベルを連続で狩らないとほとんど上がりませんけど、スキル70の【剣舞】なら、多少相手が弱くても少しは上がるはずです。
そんな訳でまたお昼寝をして夜中に出発です。
こっそり遺跡の中にマーキングをしていたので、【空間転移】でそこまで跳びます。
遺跡に着きましたけど、特に危険はありませんね。わずかに血臭が残っている気がしますが、気分が悪くなるほどではありません。
VRMMOでは安全地帯でしかマーキングできませんでしたが、今はどこでも出来るので、下手をすると魔物が密集するど真ん中に跳んでしまう危険があるので注意が必要です。
どこかに安全地帯を確保したいところですが、外に出てから良い場所があるでしょうか。
「Set【Ridill】」
最近は頭で思い浮かべただけでも咄嗟に取り出せるようになりましたが、逆に落ち着いている時は色々雑念があるので、口に出して取り出さないと上手く出てこない時があるのです。
あの外の光が見えた通路に足を踏み入れると、やはり光が見えますね。夜で見えにくいですがかえって良かったかもしれません。昼間でしたらベルトにも気付かれていたかもしれませんからね。
30分ほど、散発的に出てくる大ネズミやスケルトンなどを倒しながら進むと、
「あ…」
目の前に広がっていたのは、月明かりに照らされた、どこまでも続くような深い渓谷の底でした。
ちゃんとお外に出ることが出来ました。顔にも声にも出ていませんが、意外と感動しています。でも――
『グルルゥ』
「………」
うっかり遭遇したヘルハウンドらしき魔物が数体、私を睨みながら唸りをあげていました。うっかりです。
『ガウッ!』
そのうちの一体が口から炎を吐いて浴びせかけてきたので、私は幅10メートル、高さは50メートルはありそうな渓谷の岩肌を駆け上がり、詠唱破棄の魔法を撃つ。
「【Ice Storm】」
『ギャインッ』
第五階級の水と風の複合範囲攻撃魔法【氷の嵐】に巻き込まれたヘルハウンド達が悲鳴をあげる。
アイスストームの基礎攻撃力が60で魔法力とスキルボーナスで、攻撃力が194。ヘルハウンドの魔法防御が50のランクEなので、通るダメージが123になります。
ヘルハウンドのHPは300なのでまだ元気ですね。でも最初に氷魔法を撃ったのは体温の低下で動きを鈍らせる事にあります。
「【Fire Ball】」
同じく第五階級の炎の範囲攻撃魔法【火球】です。ヘルハウンドは炎を吐くくせに、炎に対する耐性をほとんど持ってないのですよ。
炎系は燃えるので耐性のない相手は炎上して追加ダメージが入ります。この二発で合計ダメージは250を超えますので、あとは瀕死になった……って、あれ? 五体いたのに二体しか残っていません。
ま、いいか。斬馬刀で斬り捨てます。
『ギャインッ』
もしかして個体差とかありますか? そりゃありますよね。ゲームとは違って人間だってマッチョからガリまで居て、ちゃんと能力に違いがあるのですから、これからはそれも考慮して戦わないといけませんね。
まぁ、それはいいとして……。
「…………」
派手に戦闘したせいで渓谷に居た魔物が寄ってきちゃいましたね。まずはレベル20相当のトロールが数体ですが、
「【Ice Storm】」
開幕のアイスストームで出陣です。さあスキル上げを始めましょう。
『グギャアアアアアアアアアアッ!!』
*
ビュンッ! と斬馬刀を振って血糊を飛ばす。
実を言うとあまり意味はありません。格好つけたいお年頃なのです。あれから二時間ほど戦闘して渓谷を進みながら50体以上の魔物を狩りましたが、斬馬刀には刃こぼれどころか曇り一つありません。
まぁ、一点物なので刃こぼれしても困るのですけど、これ、頑丈すぎませんか?
カバンに収納するだけで血糊は取れますから二年間碌な手入れもしていませんけど、いまだに新品そのものです。
……いえ、本当は仮説を立ててはいるのですけど、あまりにも常識外だったので目を逸らしていたのですよ。
気付いたのは、うっかり攻撃を受けた時に衝撃もダメージもありましたが、攻撃を受けたウィッチドレスに傷一つ付いていなかったからです。
ウィッチドレスは布製です。要所は金属で補強していますが、基本は布っぽいモノです。それが刃物を受けて解れもしないとか、防弾耐刃アーマーもビックリです。
ゲームのアイテムだから壊れない? でも私の理性が現実の世界でそんな設定はあり得ないと囁きます。
そこで思い付いたのはそれよりも荒唐無稽なモノでした。
例えばこのリジルですが、この刃の部分はゲームのポリゴンで一つの形になっています。つまり、それが現実になったことで、刃の形をした“単分子”になっているのかもしれません……。
アーティファクトどころの話ではありませんね。オーパーツですよ。布はどうなってるんですか? 繊維が単分子なんですか? 良く分かりません。
まぁ深く考えるのは止めましょう。壊れなくても衝撃もダメージも来るので、戦い方に変更はありません。
それにしてもここって、王都とアルセイデス辺境領を隔てる渓谷なんでしょうか。
魔の森とは離れていますが、かなりの魔素を感じます。二時間ほど戦闘しながら突っ走ってきましたけど、まだ先がありそうです。
プレイヤー体感だと午前1時くらい。帰りは【空間転移】ですぐに戻れますけど、ここまでの戦闘で半分くらいMPが減っています。
それでもジワジワと回復はしていますけど、このペースで戦闘をしていたら、あと1時間が目安でしょうか。
それからMPの消費を抑えながら魔法控えめ、近接多めで先に進むと、30分ほどで渓谷から出て深い森の中に出ました。
あれ? 魔素が濃い。もしかして魔の森まで来ちゃいましたか? そんなに近くにありましたっけ?
王都から辺境領まで距離的に直線で250㎞くらいだと思いますが、実際に行こうとすると渓谷やら大森林やらで、馬車で10日はかかります。
魔の森もどこまでの範囲か調査が出来ていないので、もしかしたらその端っこに出たのかも。
仕方ありません。どこか良いところを見つけたら、マーキングの一つをこっちに移しましょう。
魔の森とは言え、プレイヤーは夜目も利きますから、人の手の入っていない森は幻想的に思えます。
「……ん?」
また無駄に性能の良い私の長い耳が、遠くから悲鳴のようなモノを捉える。
……また奇妙なフラグですか? こんな魔の森に、まともな『人』がいるとは思えませんけど……。
それでも何となく好奇心が勝って、そちらに足を向けてしまう私、迂闊者。
これでオークに襲われているゴブリンだったりしたらどうしましょ?
森の中をスポーツカー並の速度で駆け抜けること数分、突然目の前に開けた集落の光景。そして魔狼の集団に襲われる浅黒い肌の住民達を見て、私も思わず足を停めた。
「もしかして……魔族?」
次回、魔の森に住む魔族達。
次は月曜更新予定です。




