15 【閑話】魔女の素敵な一日
閑話です。
「魔女殿、何だか疲れているのか?」
「……付きまとわれているんです」
アルセイデス辺境領商業ギルド、オーダーメイド課のジェスは、数ヶ月前に提携をしたハーフエルフの言葉に片眉をピクリと上げる。
ハーフエルフは『魔女』と名乗り、定期的に納めてくれる魔術錬金で製作した刃物類は凪いだ湖面のように美しく、好事家達から高い評価を得ていた。
そんな彼女に付きまとい――おそらく男に絡まれているのだと察して、ジェスは不憫に思うよりも先に納得をしてしまった。
絡んできた相手にはきっちり報復する傾奇者の冒険者。その過激な性格とは裏腹に、纏っているのは身体のラインが分かるほどピッタリとした上質なドレスで、スカートの裾が驚くほど短い。しかもそれを可憐なハーフエルフの少女が纏っているのだから、男共の視線を無駄なほど集めている。
その容姿はドワーフであるジェスから見てもかなり上等な部類に入るだろう。
無表情でこちらから話しかけないと喋らないほど言葉数は少ないが、育ちが良いのか振る舞いも冒険者とは思えぬほど丁寧で、それが尚更、若い男を勘違いさせているのではなかろうかと、ジェスはしみじみ頷いた。
「そうか……。しかし、いつものように追っ払えばいいのではないか?」
「武力が効かない相手も居ます」
「……なるほど」
ジェスはそう聞いて一瞬『貴族』を想像したが、もしかしたら彼女の身の回りの者かもしれないと考え直す。
大抵のことなら権力と武力で、騎士爵程度の貴族なら歯牙にも掛けない商業ギルドの重鎮達も、妻や娘には頭が上がらない者が多い。
下手に感情にまかせて事に訴えれば、巡り巡って自分の生活そのものが脅かされるのだから、事は慎重に進めなくてはいけないのだ。
「……おお、そうだ魔女殿、魔術書が入荷しまたぞ」
「やった」
重くなった空気を払拭する為にジェスが話題を変えると、魔女はことのほか喜んでくれた。感情も声色も平坦なままだが、リアクションの仕草が可愛らしく大きくなるのでジェスでも分かる。
魔女から注文を受けていたのは中級の魔導書だ。第二階級と第三階級の呪文が載っているが、一般の魔術師ですら魔力量の問題で第一階級のみしか覚えない者もいるので、この辺境領では常時取り扱っている商品ではなかった。
「おじ様、上級は難しい?」
「上級になると、系統ごとに分かれるし良い値段がするぞ? 何が欲しいんだ?」
「全部」
「……おい、自分の属性以外は使えないぞ? 『魔女』と名乗るからには趣味で集めとるのかもしれんが…」
「眉唾でもいいから、何でも欲しいです」
「はぁ?」
眉唾な呪文が書かれた過去の魔導師が残した覚書のようなものは存在するが、それを求めるのは、呪文の意味を理解し研究する魔導師だけだ。
「それなら『魔術師ギルド』に頼め。王都の商業ギルドに頼めば集まるかもしれんが、割高になるぞ? 魔術師ギルドに頼めん理由でもあるのか?」
「ん。乙女の秘密」
「またか……」
この魔女と名乗る少女のことは商業ギルドの情報網でもほとんど分かっていない。
海を渡ったイスベル大陸の出身と言うことと、そちらでも最新鋭と思える装備や技術を無造作に使っていることぐらいだ。
特にジェスは、大量の荷物をどこから取り出しているのか気になったが、彼女はいつも『乙女の秘密』で済ませて教えてはくれない。
王家の財宝で、『大いなる袋』と呼ばれる馬車数台分の荷物を詰め込める魔道具はあるそうだが、彼女は手提げカバン一つ持っていないのだ。
もしかしたら、そう言った秘密も含めて、魔術師ギルドに頼むのなら素生を明かさないといけないので、それを警戒しているのか。
「儂も聞いてみるが、出来れば王都の商業ギルドに直に頼んでくれ。紹介状くらいは書いてやるから」
「うん。おじ様、ありがとう」
「いや……」
商業ギルドに居ると、ここまで素直に礼を言われる事は稀なので、ジェスもむず痒い気分になる。
「それで、魔術書の支払いはどうする? 大金貨1枚になるが」
「アレ、売れた?」
「アレか……。本当に他国へ売ってもいいのか? この国でもオークションに掛ければ大金貨10枚以上にはなる、ワイバーンの魔石だぞ?」
「これ以上注目を集めたくありません。本代はそこから引いて下さい」
「……分かった」
貴族達の失態から無かったことにしたワイバーン襲撃だが、その魔石を持ち込んだこの少女は、身バレすることを嫌い、手数料が掛かっても他国へ売ることを希望した。
数々の知識や技術、見るからに製法すら定かではない異様な装備と、商人として客の情報は厳守が鉄則だが、この少女のことを国に報告すれば、いかほどの利益が得られるだろうか……
「…………」
つい魔が差して、そんなことを考えてしまったジェスは、目の前の少女がいつの間にか“魔銃”を構えていることに顔色を無くす。
外見に騙されていけない。こう見えてワイバーンを単独で倒す実力がある凄腕の冒険者なのだ。
「……情報をやろう。辺境伯がお前の噂を聞いて探っている。ワイバーンを何とかした道具に興味があるそうだ」
「おじ様、ありがとう」
***
魔女は一人夜の街を歩く。稀に昼間に現れることもあるが、その活動はもっぱら子供が寝静まった頃から夜が明けるまでだ。
ジェスから情報を貰ったが、実を言えばここ数日、冒険者ギルド周りを冒険者らしくない人物が探っていることに気付いていた。
そもそも一般の冒険者は荒くれ者の日雇い労働者で、実力がある者はそれらと同一で見られることを嫌い奇抜な格好をする『傾奇者』と呼ばれる。そんな中に目立たないように薄汚れた鎧を着た、臭くない小綺麗な人間がいればそれなりに目立つ。
ただそれが何者か分かっていなかったので、手を出すのに問題がない者達だと分かればそれで充分だった。
前世から常にストーカーがいたので、今更後をつけられた程度では慌てない。
「そこの亜人の女、止まれ」
わざと人通りの少ない場所を選んで歩いていると、酔っぱらいさえ見かけない人が居ない場所で、一人の男が声を掛けてきた。
「……?」
とりあえず魔女が振り返って首を傾げると、薄汚い鎧に艶やかな髪の男が彼女に鋭い視線を向けていた。
「お前のことは調べさせて貰った。とりあえず来てもらおう。大人しくしていれば悪いようにはしない」
「……?」
男の言葉に魔女はまた首を傾げ、その態度に男の額に青筋が浮かぶ。
「亜人は人の言葉が分からないのか? 野蛮な連中めっ。おい、コイツを拘束しろ」
男がどこかに声を掛けると、路地の暗がりから同じような格好の男が数人現れる。
「魔銃を持っているらしいから気をつけろ。壊すなよ」
「「「はっ」」」
「……?」
まだ首を傾げる魔女に、男達は魔銃対策か左右に動きながら彼女を取り囲むと、
「Set【Ridill】」
舞うように踊るように華麗に一回転した魔女が、巨大な片刃の剣を一振りして肩に担ぐと、取り囲もうとした男達が一斉に胸元から血を吹き出して倒れた。
「……は?」
ただ一人残った最初の男が、倒れた仲間達に唖然として呟く。
仲間達が唐突な痛みと出血のショックで、声も上げずにのたうち回る中、魔女はまた首を傾げなから男に声を掛けてきた。
「この程度の戦力で何をしたいのですか?」
「………っ」
男はアルセイデス辺境伯直轄の諜報部隊の騎士だった。
辺境伯から直々に、騎士隊を蹴散らしたワイバーンの消滅に関わっているとみられるハーフエルフを極秘裏に捕らえ、それに使用した魔道具などを押収しろと命令を受けていた。
この国では亜人の地位は低い。表だって動けば庶民の反感を買うかもしれないが、貴族が亜人を捕らえて奴隷にする程度では、この国では罪にならない。
辺境伯自身は“忌み子”を子に持つせいで亜人を嫌悪しているが、この魔女と呼ばれるハーフエルフの美貌を見て、騎士爵である男は、事が終われば奴隷として下げ渡して貰うつもりだった。
男はこの辺境で長年辺境伯に仕えてきて信用も実力もある騎士爵だ。魔の森に出る魔狼程度なら一人で倒せるほどの実力がある。部下達も男ほどではないが、ゴブリン程度なら何度も狩ってきた。
そんな部下達が一撃で手加減をされて倒された。
辺境伯はこのハーフエルフが特殊な魔道具を使ってワイバーンを追い払ったと考えていた。もし冒険者が倒したのなら、必ず商業ギルドを通してワイバーンの素材が街にもたらされ、それが辺境伯の耳に届かないはずがないからだ。
だが、もし本当にワイバーンが倒され、その素材を一人の冒険者が隠していたら?
「………」
男は目の前のハーフエルフの実力を見て、そんな考えが浮かんだ。
単独でワイバーンのような化け物を倒せる人間がいるのだろうか? 王都の『剣聖』と名高い騎士団長ならば可能かもしれないが、こんな年若い少女がそれをしたのなら、本当にお伽話に出てくる『悪い魔女』ではないか。
「……ッ」
男はその瞬間、“魔女”に背を向けて逃げ出した。
男には守るべき地位も家もあり、こんな魔女と戦って死ぬ訳にはいかない。まずは辺境伯に報告するのだ。それは重要な任務なのでけして逃げている訳ではない。
「どこいくの?」
「ぐほっ!?」
音も無く前に回り込まれた魔女の拳が男の腹に突き刺さり、男は苦悶の表情であっさりと崩れ落ちた。
翌朝、朝の鐘で目を覚まして仕事に出た街の住民達は、広場の壁にくくりつけられた怯えた男達を発見して驚かされることになる。
男達は非常に怯えていて、捜査協力を依頼された魔術師ギルドによると、第三階級の【畏れ】の“闇魔術”を大量の魔力を使って持続状態にされているらしく、男達は正気に戻っても数ヶ月の治療が必要らしい。
ちなみに、その後も定期的に同じような状態で男達が発見され、それが三十人を超えた時点で対外的に拙いと感じた辺境伯は騎士を送るのを諦め、住人達は『魔女の呪い』だと噂した。
「キャロルお嬢様、今日は機嫌が宜しいですねっ」
「うん」
まるでストレスを発散したようにスッキリした顔になったキャロルに、見習いメイドのマイアがにこやかに声を掛けたが、
「お嬢様、ディルク様がいらっしゃいましたが……」
「「………」」
メイヤの困ったような顔に、キャロルとマイアは同じ表情で眉を顰める。
「キャロルっ、朝から変な顔をしているぞっ。これだから亜人はダメだなっ。菓子を持ってきたぞ、僕が抱っこして食べさせてやるから機嫌を直せっ」
「…………」
やたらと機嫌が良さそうな兄に、三歳のキャロルはストレスに顔を歪めながら、ギュッと小さな拳をプルプルと握りしめた。
セクハラ、パワハラ、ダメ。
次回から王都編になります。