弟子と、その弟子
王都から南東の程近いところに、大きく栄えた港街がある。
巨大な港がしっかりと整備されていて、漁船や商船など様々な船が寄港したため、たくさんの物が集った。
人も多く立ち寄り、市へ行けばそこは人種の坩堝となっている。
訪ね歩けば見つからない物は無いと言われる程に色々な商店が軒を連ね、酒場や宿を探せば安価なものから高級なものまで揃っており、あらゆる需要に答えてくれる。
誠実な警備兵達が常に巡回していて治安も申し分無かったし、また彼らは時折芸やちょっとした寸劇を披露して、人々を和ませた。
とにかく賑やかで笑顔の絶えない、平和を絵に描いたような街だった。
男が一人、裏路地を走っている。
警備の兵に追われているようだ。
その手には男性の物とは思えない手提げの袋を持っている。
通りを歩く婦人から引ったくったのだろう。
この街には時折、この男のような者が現れる。
治安の行き届いたこの街で犯罪を完遂して、名を挙げようとしているのだ。
男は脚に自信があった。
このまま逃げ切れる算段で、ひたすら走っている。
その前方からこちらへ少年が一人、歩いて来ていた。
邪魔に思いながらその横を走り抜けて行く。
しかしその瞬間に、彼は地に転がってしまった。
少年に足をかけられたのだ。
全くそんな素振りは無かった。
あれば気付いていた。
男は少年に何を言う間も無く、警備兵達に取り押さえられた。
盗んだ物は取り返され、彼自身の身柄は然るべきところへ連れて行かれる。
対応は手早く、鮮やかだった。
「協力、感謝します。」
警備兵は少年に敬礼し、あとから案内されて来た女性に取り返した手提げを渡す。
十代後半程の、まだあどけなさの残る女性は、少年に礼を言った。
「ありがとう!
とっても助かったわ!」
「どういたしまして。
通りがかりに足をかけただけですので。」
微笑んで手を振り、少年は歩き始める。
女性は警備兵に連れられて、表の通りへ向かった。
少年はそのまま、裏路地を行く。
「お師匠樣!」
表通りへ出た女性は、通りかかった男性に声をかけた。
二十代中頃の、身なりの良い青年だ。
趣味の良い、黒縁の眼鏡をかけている。
「ああ、マーニー。
そんなところから、どうしたんだい?」
青年は警備兵から説明を受けた。
その女性、マーニーが無事である事を喜ぶ。
「うちの子がお世話になりました。
ありがとうございます。」
穏やかに言って頭を下げる。
それから警備兵達は、ひと言二言話して去っていく。
「この街の警備は頼りになるね。」
青年は見送って感心する。
「でもさっきは、可愛らしい男の子にも助けてもらったんです。」
マーニーは、出会った少年の事を話した。
その年の頃で冒険者風の出立ちというだけでも不思議だったが、その上で裏路地を歩いていたのだ。
聞く限りでは、不審な様子だ。
「冒険者風の、可愛らしい、年下の男の子が、裏路地に、ね・・・。」
まさか、と小さく呟くが、考えにくい事だったので否定した。
何よりも今は、やるべき事がある。
二人はギルドを訪れていた。
冒険者と人々を繋ぐための組織で、街に最低でも一軒は置かれている。
人々はそこに依頼を出し、冒険者はその依頼をここで受け取る。
報酬のやり取りは依頼者次第だが、ここで預かる事もあった。
マーニーとその師匠は冒険者ではない。
ここへは、依頼を出すために訪れていた。
今日もギルドは、人で溢れている。
二人と同じく仕事を依頼しに来た者、仕事を探す冒険者、報酬の交渉をまさに今行っている一団も見受けられる。
青年が受付と話している間、マーニーは人々を眺めている事にする。
様々な格好をした、様々な人間が行き交っていて、見ていて飽きない。
その中に、記憶に新しい見知った顔を発見した。
先程助けてくれた少年は、依頼書が貼り付けられている掲示板を眺めていた。
しかし気に入ったものが見付からなかったのか、踵を返し出口へ・・・、つまりこちらの方へ歩いて来た。
「こんにちは。」
つい声をかけてしまう。
少し間があって、少年は気付いてくれた。
「貴女は先程の。
こんにちは、こちらへは依頼を出しに?」
冒険者には見えなかったのだろう。
短めのスカートなど穿いているのだ、当然と言えた。
「連れのお師匠様が、だけどね。
貴方は良いのが見付からなかった?」
「そんなところです。」
厚手の衣服に革製の手甲とブーツを身に付け、短い直剣を一振り腰に下げている。
おおよそ駆け出しの冒険者といったところだ。
これでは出来る仕事も限られてしまう。
先にすべき事があるように思った。
「仲間は探さないの?」
先に会った時も、そして今も少年は一人だ。
恐らくは仲間もいないのだろう。
ここならそちらの斡旋もやっている。
頼めば見付けてくれるはずだ。
少年を連れて行きたいと思う者がいれば、だが。
少年は笑って誤魔化した。
「おやマーニー、知り合いかい?」
少年の後ろから青年が声をかけた。
振り返った少年を見た青年は驚き、そしてその手を取ってギルドを出た。
マーニーは慌てて後を追う。
建物の陰に入りそこでようやく口を開いた。
「お久しぶりです、師匠!」
マーニーは言葉を失った。
「あれから随分経つのに、変わらない様子で。
お会いしとうございました。」
レオロは腰を屈め、少年を抱き締めた。
苦笑いを浮かべていたが、腕を回して背を軽く叩く。
「久しいですね、レオロ。
この街にいたんですか。」
マーニーは師匠のレオロを肘でつつき、説明を求めた。
「ああ、済まないマーニー。
こちらは私の師匠、クウェル様だ。
師匠、この娘は私の弟子のマーニーです。」
「お師匠様!
師匠と言っても、私より年下に見えるのですが!」
マーニーは混乱している。
クウェルよりもレオロの方が十は年上に見えるのだから、無理もない事と言えた。
抱擁を止め普通に立っている二人を見比べると、その背は頭一つ分以上にレオロが高い。
何より、クウェルの顔が若すぎた。
「いいかい、マーニー。
これでも師匠はさん・・・。」
「レオロ。」
止められた
マーニーの視線がクウェルに突き刺さる。
「ああ、そうだ!」
レオロは話題を変える事にした。
「師匠は冒険者でしたよね。
私の依頼、受けてもらえませんか?
師匠なら安心だ!」
レオロの依頼とはマーニーを離れた場所にある町まで連れて行き、そして帰る事だった。
その町には魔法の杖を作る職人が住んでおり、レオロはマーニーの杖を依頼していた。
先日完成したと連絡を受けたが、レオロの仕事の事情により、取りに行けずにいた。
そして、その仕事の目処が未だ立たないので、冒険者に頼もうとしていたところだったのだ。
報酬の額は充分だった。
「久しぶりに再会した弟子の頼みですし、受けておきましょう。」
「よろしくお願いします!」
翌日、彼女はシャツに厚手のコート、短いスカート、ニーソックス、薄い革のブーツという服装でクウェルの前に姿を現した。
もちろんどれも冒険者向けの物ではない。
背に負った荷物も、クウェルよりずっと小さい。
およそ旅に出掛ける出立ちではなかった。
しかし、クウェルは何も言わない。
馬車での旅という事でもあったし、何かあったとしても、自分がどうにかすれば良い話だと考えていた。
ただ、面倒な旅になる予感はしていた。
道中は馬車で三日の距離だ。
とは言え、魔物に襲われれば延びてしまうが。
乗り合いの大きい馬車に乗り込み、二人は動き出すのを待った。
「私、馬車って始めてです。」
マーニーは楽しそうにしている。
口調が改まっていた。
レオロの師匠である事が知れてしまったのだから、無理もない。
クウェル自身も、馬車に乗った記憶は少ない。
旅は基本的に徒歩で済ませていた。
馬車に比べれば倍以上の日数かかってしまうが、道中の色々なものを見付けるのが楽しかったし、金銭的に考えても馬車に乗るより遥かに安上がりだった。
今回は依頼人のレオロが全額負担すると言うので、遠慮無く乗らせてもらう。
同行者の事も考えたら、利用せざるを得ないだろう。
いよいよ出発の時刻になった。
御者は乗客に一声かけて、馬を歩かせ始める。
客は、クウェル達二人以外に四人乗っていた。
夫婦らしき男女と男が二人。
夫婦はまだ若い。
マーニーとそう変わらない年頃に見える。
男二人は冒険者風で、受けた依頼の話をしているようだ。
一人は両手剣を、もう一人は槍を得物としていた。
槍の男は、腰に巻き付ける丈夫そうな袋も持っているので、他にも何か携帯していそうだ。
「ねえ、お師匠様のお師匠様?」
「面白い呼び方ですね。
名前を呼んでもらって構いませんよ。」
愉快な響きだったが、人前ではむず痒い。
マーニーはくすりと笑って従った。
「クウェルさんは冒険者になって、長いんですか?」
確かに長い。
しかしはっきりと年数を答えると年がばれてしまうので、はぐらかす事にした。
「まあ、長いですよ。
十四にはもう、旅をしてましたし。」
あの頃の自分はとにかく弱かった。
剣を持ってはいたものの心得は無く、マーニーには話さなかったが魔法もまだ、上手くは扱えなかった。
そしてこの体格だ。
恩人に会えなかったら、恐らく野垂れていただろう。
「恩人様・・・。
お師匠様のお師匠様のお師匠様?」
二人は顔を見合わせて笑った。
クウェルはそれを認める。
剣も魔法も、何もかもを教えてもらった。
旅の楽しさも街での危険も、魔物の恐ろしさも。
「恩人様は、今もお元気なのですか?」
多分、としか答えられなかった。
もう随分会っていない。
ここから先は、お前では力不足だ。
そう言われて、街で置いて行かれた。
恩人とその仲間達は、魔物の巣食う土地へと旅立った。
少しだけ後を追ってみたが、その時の自分では敵わない程の魔物ばかりが徘徊する土地だったから、諦める他なかった。
今ならばそこが、魔物達が制圧している土地だと知っている。
そして彼らはそこへ、解放のために向かったのだと理解している。
自分の身を自分で守れない者は、連れては行けなかったのだと納得している。
置いて行かれた自分はまだ若く、そして弱かった。
馬車は次の町に着いた。
ここで一泊し、また明日次の町へ向かう予定だ。
若い夫婦はここが目的地らしく、クウェル達にも軽く挨拶して去っていった。
マーニーは少し羨ましそうに、二人を見送っている。
その様子は微笑ましかった。
視線に気付いたマーニーは、頬を染める。
「さ、早く宿に行きましょう!」
足早に向かって行く。
荷物を背負って、クウェルも続いた。
宿屋は酒場と一緒に経営されている事が多い。
この町の宿屋も酒場を開いていた。
大いに賑わっているようだ。
港街へ向かう者、港街から帰る者。
そういった人間はここで一泊していく。
それでこの騒がしさだった。
部屋は一部屋だけ空いていた。
借りて、二人は部屋へ向かう。
「僕は野宿でも構いませんよ。」
提案したが、マーニーは納得しなかった。
クウェルは困った。
女性と同じ部屋に泊まるなど、あまり歓迎したくない状況だ。
「お師匠様のお師匠様ですもの。
信用してます。」
微笑んでそう話す。
レオロに何か話をされたのだろうか。
会って二日目の人間なのだが。
そして信用してくれるのは素直に嬉しかったが、クウェルにとって問題なのはそこではない。
今回のように依頼人が女性であったり、女性冒険者と組んでの仕事であったりして、一つの部屋に泊まる事は過去にもあった。
しかし彼女らは、決まって自分の見た目で油断した。
衣服を着替えるのにいきなり脱ぎだしたり、下着が見えるような体勢を取ってみたり。
こちらはこんななりでも、いい大人なのだ。
人によっては嬉しい事であろうが、残念ながらクウェルはそうではなかった。
仕方なく部屋には入ったが、いつ抜け出そうかと算段を始める。
寝台に座ってそんな事を考えていると、マーニーがもう一つの寝台に向かい合わせに腰を下ろした。
「聞きたかったんですけど、クウェルさんってレオロ師匠の、何のお師匠様なんですか?」
答え難い質問がやって来た。
自分は剣士である、という事にしている。
だから魔法の、とは言いずらい。
しかしレオロは、剣については全くだった。
どう話したものかと思案し、何とか思い付いた事を話した。
「魔法の理論と言うか考え方と言うか、そういう知識なら持ち合わせているので、それを教えました。」
嘘ではない。
ただ全てを話していないだけだ。
無難なところだろう、そう思った。
「剣士なのに魔法の知識があるんですね、すごいです!」
マーニーは感激しているようだ。
だが・・・。
(ああ、白か・・・。
見えちゃってるの、わかってんのかな。)
短いスカートではしゃいでしまったら、当然そうなる。
さすがに気まずい。
顔に出さないよう気を付けた。
「わからない箇所があるのですが、教えてもらっても構いませんか?」
クウェルは困った。
まず、レオロがどのように教えているかわからない。
そして、自分と違う見解を教えている可能性も否定出来ない。
段階を踏んで覚えていくものだから、それを飛ばして先の事を知るのも、あまり良くなかった。
「補足程度なら大丈夫ですが、レオロの方針がわからない以上、あまり勝手には教えられませんよ?」
それでも良いらしく、マーニーは早速クウェルへ質問していく。
彼女はどうやら相当に熱心なようで、レオロも教え甲斐のある生徒を見付けたなと、クウェルは内心で喜んだ。
小一時間程、魔法の理論や杖の役割、働きなどについて話をする。
マーニーは優秀で、質問に対する答えをほぼ万全な形で理解した。
「杖は所有者から魔力を引き出すと言いますが、それなら引き出された魔力は、杖の中に一度蓄えられると考えて良いのでしょうか?」
「以前はそのように考えられていましたが、最近の研究で違うと判明しました。
魔力を引き出した時点で杖は所有者の意図に従って、魔力を既に動かしているようです。」
「仲間を支援するための魔法をかけた際に、距離による遅れが発生しなかったのは、そういう事だったのですね!」
そんな調子で、すぐに吸収するのだ。
うっかり楽しくなってしまって、いつの間にか随分と時を過ごしてしまった。
ある程度のところでクウェルは切り上げる事にする。
酒場が閉まっては、夕食を摂れなくなってしまうからだ。
二人は酒場へ向かった。
酒場はまだまだ盛況だった。
隅に場所を取り、簡単なものをいくつか頼む
本当はエールを飲みたかったが、今日は諦めておく事にした。
この見た目だ。
飲むのは一人の時だけと決めている。
「すごい賑わいですね。
これが酒場・・・。」
興味津々で周りを眺めている。
飲んで、歌って、踊って、また飲んで・・・。
皆、楽しい酒を飲んでいるようだ。
「酒場は初めて?」
聞くと、マーニーは首を縦に動かす。
「今まで興味を持った事が無くて・・・。
皆さん楽しそうで、何か良いですね。」
「こんな時ばかりじゃないですけどね。」
飲んで暴れる者もいる。
飲んで泣く者もいる。
様々な人間がその感情をさらけ出す。
酒場とはそういう場所だ。
「お酒も美味しいんでしょうね。
今度飲んでみようかな。」
興味を持ってしまったようだ。
レオロに怒られなければ良いが、と心配になってしまう。
「飲み過ぎなければ、なかなか良い物ですよ。」
飲み過ぎなければ、ともう一度言って強調しておく。
そうする内に頼んだ料理が運ばれて来たので、二人は一つ一つ手を付けていった。
港街から近い事もあって、やはり魚介類が美味しい。
マーニーの口にも合ったようだ。
「手の加え方が良いですね。
あちらでは食べた事無いです。」
クウェルは何かしらの調理を施した品を中心に注文していた。
生で食べる文化もこの辺りの土地にはあったが、それは港街には敵わないだろうと考えたからだ。
しかし、この酒場の腕前は嬉しい誤算だった。
どの料理もとても美味しく、二人はそれだけで満たされていった。
「素敵な料理でした。
帰りにも寄りましょうね!」
すっかり気に入ったようだ。
クウェルにも異論は無い。
楽しみが増えた。
部屋に戻った二人は、明日に備えて眠る事にした。
戻って程なくマーニーが眠そうにしていた事もあったが、クウェル自身も早く眠ってしまいたかった。
寝台で横になると、すぐに彼女は寝息を立て始めた。
慣れない旅だ、当然だろう。
毛布をかけてあげて、自分も横になった。
「まさか、弟子の弟子と旅する事になるとはね・・・。」
振り返れば、不思議な縁だった。
引ったくりに足をかけ手提げを取り返し、ギルドで再会したと思ったらレオロの弟子と判明して、そして今旅のともをしている。
レオロもすっかり大きくなっていた。
変わりない様子ですぐに気付けたが、彼も歳を重ねたのだろう。
もうちゃんとした大人の顔になっていた。
それが少し、羨ましかった。
朝食もまた、素敵なものだった。
馬車の時間には余裕があったので、じっくり味わっていただく。
こぼれる笑顔から、マーニーも満足している事が伝わってくる。
楽しく食事を終えて、二人は馬車へと向かった。
男冒険者二人組はもう乗り込んでいた。
軽く挨拶を交わし、クウェル達も座る。
荷の中からフード付きのマントを取り出し、マーニーの膝にかけた。
「ここからの地方は少し冷えてきます。
暖かくしておいて下さい。」
感謝を口にした彼女は、嬉しそうにマントを触っている。
きっと使う事になると、前もって手に入れておいた物だ。
なるべく質の良い物を選んだつもりだが、どうやら気に入ってもらえたらしい。
クウェルは安心した。
それから御者が出発の時間になった事を確認し、馬車を進めた。
空は少し灰色を帯び始め、日を陰らせている。
その日馬車が通る道は、木々の中にあった。
整備はされており、警備兵の姿もある。
御者は警備兵と挨拶を交わし、馬車を進める。
道幅は充分広く、林も鬱蒼と言う程には暗くなかった。
だが、クウェルは違和感に気付く。
小さな声で、マーニーに注意を促した。
それから御者に、耳打ちする。
「様子がおかしいです。
動物達の、取り分け鳥の発する音が聴こえません。」
御者は言われて気付き、顔を青くする。
だが戻るか走るか、御者は決めあぐねてしまった。
クウェルが提案しようとしたところで、後ろから声がかかる。
「馬車は止めてもらおうか。」
冒険者風の二人組は、マーニーを捕まえていた。
両手剣の男はこちらに刃先を向け、槍の男はマーニーの腕を掴んでいる。
それを見たクウェルの目が細く、鋭くなっていく。
御者は仕方なく馬を止めた。
力無く項垂れている。
クウェルは御者にだけ聞こえるように呟いた。
「そのまま、手綱は離さないで。」
馬車の周りに人影が現れる。
武装した盗賊の一団だった。
「まあ、よく聞く定番の手口ですね。」
クウェルは軽い調子で話した。
両手剣の男はニヤニヤと嫌な笑いを浮かべている。
「よく釣れるから、定番になるのよ。
身ぐるみ全部と女はいただくぜ。」
クウェルは溜め息をつく。
それからマーニーへと目を向けた。
彼女は酷く怯えている。
自分がどうなってしまうのか、この状況であれば想像は容易い。
だがクウェルにはそのまま、そうさせる気など微塵も無い。
「昨夜の講義は覚えていますね?」
突然話を振られ、その目は呆気に取られている。
クウェルは腰の小剣を外しそのまま前へ、少し離れたところへと落とした。
動作と平行して、言葉は続けている。
「続きと行きますよ。
魔力に指向性を持たせられる事は昔から知られていますので、御存知かと思います。
この話と昨夜の話を合わせると・・・。」
出した手の掌をそのまま前に広げた。
「破裂しろ!」
両手剣の男と槍の男だけが、マーニーのそばから後ろへ吹き飛び、馬車から落ちた。
マーニーは腕を引かれ尻餅をついたが、落ちずに済んでいる。
「御者さん!」
マーニーに飛び付き伏せさせながら、クウェルは声をかけた。
御者はすぐに手綱を打ち、馬を走らせる。
「盾よ!」
先読みして、盾を作った。
追撃の矢を魔法の盾で弾き、防ぐ。
マーニーに目と耳を塞ぐように言い、クウェルは立ち上がった。
その目は怒りにより、鋭く吊り上がっている。
「雷鳴よ、轟け!」
見た目にそぐわぬ低く大きな声が、魔力を事象へと導く。
盗賊の群れに、稲妻が降り注いだ。
悲鳴は轟音に掻き消され、三人の耳に届く事は無かった。
馬車は無事に林を抜け、警備兵のいるところで一旦止まった。
兵達は先の轟音を聞いていたのか、ちょうどこれから出動するところだったようだ。
「盗賊が出たんですよ!
警備はどうなってるんですか!」
御者は声を荒げていた。
無理もない事だ。
危うく馬車を奪われてしまうところだったのだから。
クウェルはマーニーを優しく抱き締め、落ち着かせている
身体の震えも今は治まり、良くはなってきていた。
「腕とか肩とか、痛いところはありませんか?」
穏やかに声をかける。
尻餅をつく程度には引かれたのだ。
痛めていてもおかしくはない。
「肩と肘と・・・、お尻が・・・。」
少し恥ずかしそうに、しかし正直に話してくれた。
言葉を発せられる程度には落ち着いたようだ。
クウェルは安心させるように微笑む。
「少し手をかざしますよ。」
右手が柔らかく光っている。
その手を肩、肘、臀部へと順に向けた。
痛みが消え去り、擦り剥いた痕も無くなる。
マーニーは礼を言って、それから気付いた。
「ど、どうやって魔法を使ってるんですか!
と言うか、魔法やっぱり使えたんですね!」
興奮している。
怖れ、震えていたのが嘘のようだ。
やれやれ、とクウェルは苦笑いした。
「杖代わりの指輪ですか・・・。
便利ですね!」
あの後は大変だった。
やはり勇者である事を疑われた。
馬車の中で騒いでくれたおかげで大事にはならなかったが、面倒だったので指輪を見せた。
説明すれば、何とかわかってもらえた。
「秘密ですからね?」
「お師匠様も知らない秘密、ですね。」
レオロには話していなかった。
教える時も普通に杖を使ったし、今回のような機会も特には無かった。
話す必要の無い事だったので、そのままにしている。
そうして二つ目の町へは、少し遅れて到着した。
夕飯を食べた後、何故か再び一つの部屋で二人は寝台に腰かけていた。
空きが無かったわけではない。
怖いのだと、マーニーは再び震えた。
あんな目に遭ったのは初めてだったろう。
落ち着いたとて、恐怖が消え去るわけではない。
何かの拍子に再発してしまう。
そういうものだと理解している。
だから、応じた。
流されている自覚はあった。
しかし、今にも泣きそうな様子でそう言われては、断りきれなかった。
今はすぐ横に座って、嬉しそうに笑っている。
(騙されたわけじゃ、ないよね?)
元気になったならそれで良いか、と言い聞かせる。
今はまた別の問題が発生している。
彼女のこちらを見る目が、事態を如実に表している。
これまでも無くはない事だった。
助けられて、好意を持ってしまう。
わからなくはない。
だが、それこそ気の迷いと言うものではないか。
冒険者の事なんて好きになるものではないと、その度に話して聞かせるのだが、それが功を奏した事など一度も無い。
結局最後には、自分が逃げ出さざるを得ないのだ。
それをレオロの弟子に対しては、したくなかった。
まだこれ以降も会う機会が来るだろう。
その時にどんな顔をすれば良いのか。
考えれば考える程、頭が痛くなる。
(ああ、腕組んで来たよ。
何か当たってるし・・・。)
クウェルは危機を迎えていた。
マーニーは、こんな気持ちを抱いた事が無かった。
これまでずっと魔法にあこがれ、独学ででも修得する事ばかりを考え生きていた。
レオロに弟子入りしてからは、以前にも増して魔法漬けの日々だった。
理解が及ばなかった事、勘違いをしていた事、あれもこれも教えてもらえた。
毎日が楽しくて楽しくて仕方なかった。
友達やそのまた友達など周りにいる同じ年頃の人達は、当たり前に恋人を作って当たり前に結婚していた。
早ければ子供も出来ていたりする。
羨ましいと思った事が無いでもなかった。
しかし、今は魔法が楽しかった。
魔法の不思議さ、理論の難解さ、そして出来た時の達成感、その全てがマーニーを魅了して離さなかった。
彼らの選んだ当たり前の生活をしていては、魔法まで手が回らないだろう。
それも、嫌だった。
子供は可愛かったし、子育ても楽しそうに見えた。
それでも魔法を選んだ。
後悔が無いとは言いきれない。
それよりも魔法の楽しさが勝っていたからここまでのめり込んできただけだ。
結局恋の一つも知らないまま、十九の歳になってしまった。
そんな時にクウェルと出会った。
年下にしか見えない、年上の男性。
レオロの師匠なのだから、レオロよりも年上なのは間違いない。
それでも構わないと思ってしまった。
優しくて穏やかで、しかしマーニーが傷付けられようとした時には激しい怒りを露にした。
自分みたいな子供に好かれても、きっと迷惑でしかない。
わかっていても、もう止められなかった。
人を初めて、恋しいと思ってしまった。
何処までも突っ走って行きそうになるマーニーを何とか宥め、結局一緒に眠るというところで落ち着けた。
抱き締められているが。
それでも疲れていたのだろう。
二人共すぐに眠りに落ち、目覚めれば朝だった。
マーニーはまだクウェルを抱き締めていたが、先に目を覚ましていたようだ。
おはよう、と言葉を交わす。
そのままでいようとするマーニーを何とか説得して、朝食を食べに酒場兼用の食堂へ向かう。
そこでは御者も食事を摂っていた。
御者は二人に気付き、挨拶する。
「お二人さん、おはよう。
昨日はありがとうね、本当に助かった。」
それから彼は、申し訳なさそうに顔を曇らせた。
そして、今日は馬車を出せないと言った。
「馬達がね、怯えちまっててね。
今日は難しそうなんだ。」
そうなってしまうと、いつ動けるかは馬次第になる。
どの程度かかるかは、それこそ彼らに聞くしかない。
二人は困った。
馬車でなければ、マーニーには辛い旅になる。
かと言って、これという妙案もすぐには浮かばない。
悩んでいても仕方ないので、まずは朝食にする。
この宿の料理は、可も不可もなくと言ったところだ。
無難に、まあ食べやすい。
クウェルは朝食を食べながら、一つ思い付いた事があった。
発想の転換とも言えるそれを提案してみる。
「僕が走って受け取って来ますよ。
マーニーさんはこの宿で待っていて下さい。」
いっその事、マーニーを連れて行かない。
レオロに依頼として、彼女を連れて行くよう頼まれたが、杖の受け取りならクウェル一人でも問題は無いと考えたのだ。
今の彼女に聞き入れてもらえるとは思えなかったが、一応話す事にした。
返ってきた言葉は、やはり予想通り。
「私も行きます!」
そして結局二人の、徒歩での旅が始まった。
最初の内は良かった。
マーニーも調子良く歩き、辺りの景色を楽しむ余裕もあった。
だが、二時間が限界だった。
体力は尽き、慣れない事で足を痛めた。
痛みは、一時的には魔法で何とかなるが、歩いている内にまた痛めるだろう。
「ごめんなさい・・・。」
マーニーは気を落としてしまった。
折角の愛らしい笑顔が、今は曇ってしまっている。
クウェルは彼女の脚を揉みほぐしながら思案したが、妙案などは思い付かない。
結局は力業で行くしかなかった。
荷を背から前に回し、彼女の前で背を向け屈み込む。
「乗って下さい。」
マーニーは渋った。
申し訳ない気持ちでいっぱいなのだ。
「大丈夫ですよ。
遠慮しないで、ほら。
背が嫌なら、抱き上げて行く事になりますが。」
そう言うとようやく、遠慮がちに背に身体を預けた。
立ち上がって、問題が無い事を確認する。
今はマントを着させていたので、スカートの心配も無い。
「ちゃんと食べてますか?
ちょっと軽すぎますね。」
「女性に体重の話はしないで下さい!」
軽口を言って、マーニーの暗い空気を払う。
それからも明るく雑談しながら、何処までもそのまま、背負って歩いて行く。
よく笑うようにして、暗い空気にしないよう心掛ける。
人の通りも無く、歩いても歩いても二人きりだ。
それから、背負われていても身体は疲れる。
様子を見ながら休憩を挟みつつ、二人は進んで行った。
日は沈み、月が代わりに地を照らす。
クウェルは道の脇に火を焚き、野宿の準備を進めた。
保存用に加工した魚の干物や野菜の塩漬けなどいくつかを、水と一緒に用意する。
「慣れてますね。
冒険者の方って皆さんそうなんですか?」
「だいたいは。
冒険者に野宿は付き物ですからね。」
干物を炙ってマーニーに渡す。
気温は下がり飲み水も冷たい。
少しでも温かい物を口にして欲しかった。
「これ、美味しいですね!
干物って何となく敬遠しちゃってたんですけど、こんなに美味しいならちゃんと食べれば良かった!」
「気に入ってもらえて良かったです。
それ、港街で購入したものですし、帰ればいつでも食べられますよ。」
マーニーは嬉しそうに頬張っている。
その様子が愛らしく、クウェルを和ませた。
軽い食事を済ませた後、早めに眠るように言って毛布をかけてやる。
旅慣れない彼女には、この二日間はあまりにも疲れるものだっただろう。
とにかく身体を休めさせ、少しでも回復させたい。
また明日も歩くのだ。
落ち着くようにと髪を撫でた。
それから手を握る。
「子守歌も要りますか?」
二人は笑った。
古いものだが、かつて自分が聞いて育った歌を穏やかに聞かせる。
母がよく歌ってくれた。
自分と同じように、年を取っても若いままの母だった。
懐かしくて、少し感傷的になる。
歌が終わる頃には、マーニーは眠っていた。
焚き火の番をしながら、仮眠を分けて取る。
熟睡出来ないので万全には程遠いが、一人で旅している内に慣れてしまった。
早ければ明日の夜には到着している予定だ。
可愛らしい弟子の弟子との旅は、そこで半分となる。
翌日もマーニーは歩いては背負われ、また歩いては背負われを繰り返していた。
クウェルはずっと背負って行く事も出来ると言ったが、彼女なりに頑張る事にしたのだろう。
意志を汲み取り、しつこく言う事はしなかった。
緩やかに登っていく道はマーニーを苦しめたが、クウェルが思っていたよりはずっと順調だった。
魔物に遭遇する事もあったが、既に使って見せてしまっていたので遠慮は必要無い。
襲い来る魔物に容赦無く魔法を撃ち込む。
ほんの少し魔法についての話を挟んでみると、マーニーの目は途端に輝き、活力を少しは取り戻させる事が出来た。
魔物についての話にも、彼女は興味を示した。
近年、動物が魔物によって駆逐されつつある。
研究者達の話によれば、既に絶滅したと考えられる種もあるという。
それを防ぐ意味でも、冒険者の活動は重要であると言えた。
「初めて知りました・・・。
世界は、恐ろしい事になってるんですね。」
動物達に感情移入したのか、悲しい表情になった。
クウェルに言わせればそれも弱肉強食の、野生の摂理なのだが、魔物が現れなければ、絶滅などという事になってはいなかった。
それは確かなのだ。
だが、魔物達も命あるもの。
食べなければ、死に逝くだけだ。
クウェルがそう言ったところで、魔物は敵だと考えている人々には届かない。
だから、あえて口にしようとは思わなくなった。
それに、優しいマーニーに話そうものなら、彼女を窮地に立たせかねない。
魔物にまで感情移入してしまったら、助けるために動いてしまう可能性がある。
ならばそんな価値観、抱かない方が良い。
聞かせない方が良い。
そう考えた。
とうとう目的の町に到着した。
それも予想よりも早く、日が暮れる前に。
しかし今から訪ねては相手に迷惑というものだ。
二人は宿へ向かい、今日のところはゆっくり休む事にした。
「ここ、湯浴みが出来ますよ!」
マーニーは喜んだ。
奥に小さく一室あり、そこに大きな器があった。
床は水を弾く素材を使っており、部屋の端には排水のための溝が作られている。
見た事の無い作りだ。
手製なのかもしれない。
何にしても、確かに湯浴みのための部屋に見えた。
主人に言えば、湯を用意してくれるのだろう。
「早速頼んでみましょうか。
もちろん先にどうぞ。」
クウェルは主人に声をかけて、湯をお願いする。
思っていたよりも早く、湯を溜めた樽を両手に持って主人が現れた。
「若い婦人がいらっしゃったのでね、用意してましたよ。」
笑って器に注いでくれた。
温かい湯気が部屋に満ちていく。
一度戻ってもう一度樽に湯を入れてきた。
それを部屋に置く。
予備か、或いは二人目の分か。
こちらの好きに使って良いのだろう。
「終わったら、そのままにしておいてもらって結構ですよ。
ゆっくりどうぞ。」
そう言って、主人は部屋を出て行った。
マーニーは目を輝かせてクウェルを見る。
どうぞと笑って答え、装備の点検作業を始めていく。
手甲もブーツも、そろそろ傷みが見て取れた。
長い付き合いだったが、変え時かもしれない。
マーニーはクウェルに礼を言って、鼻唄混じりに湯浴みへ向かった。
この二日間、身体を拭う事も出来なかったのだ。
若い女性には辛かっただろう。
「足りなくなったら、遠慮せずそちらのも使って下さいね。」
自分は少しあれば充分だったし、余らせては冷めてしまってもったいない。
ならば使ってもらった方が良いと考えた。
しかしマーニーは、随分と早く戻ってきた。
「もう良いのですか?」
「はい、さっぱりしました。」
満面の笑顔で返事が来る。
それならばと、クウェルも湯を使う事にした。
もしかしたら、冷めてしまわない内にと気を使わせてしまったのかもしれない。
服を脱ぎ湯を確認してみれば、多少減ってはいるが、まだまだ残っていた。
こればかりは仕方ない。
先に入ってしまうのも悪かったし、無理に使わせる事も出来ない。
ここはありがたく、使わせてもらう事にした。
布に湯を含ませ、丁寧に身体を拭ってゆく。
汗も汚れも落とせば、やはり心地好いものだ
全身綺麗に拭っても、湯はまだまだある。
そして、クウェルは旅の途中で聞いた話を思い出した。
恐らくそのための、この大きさなのだろう。
器は人が入れる程に大きく広い。
王都ではこれを浴槽と呼び、中にたっぷりの湯を入れてそこに浸かるのが流行っていると、以前聞いた事があった。
早速樽二つ分の湯を中に入れる。
ちょうど良い量だった。
服を下だけ穿いて他は手に持ちその部屋を出る。
「マーニーさん、王都で流行りの風呂というのをしてみませんか?」
どうやら知らないようだ。
クウェルは説明した。
途端にマーニーの目が輝いてゆく。
「とても良いものだそうですから、良かったらどうぞ。」
笑って勧めた。
「ありがとうございます!
試してみます!」
喜んでもらえたようで、クウェルも嬉しかった。
彼女はこの二日間、本当によく頑張っていた。
これくらいのご褒美、当然の事だと思った。
それから部屋から出て、主人に夕飯を一時間後に頼んでおく。
長くてもそれくらいにしておかないと、逆に良くないとも聞いている。
適当なところで声をかけ、上がってもらうつもりだった。
声をかけると、既に上がろうとしているところだった。
マーニーは満足したようで、寝台でゆっくりする事にしたそうだ。
「王都の流行りまで押さえているなんて、クウェルさんは物知りなんですね。」
冒険者をやっていると、酒場の利用がどうしても多くなってしまうのだが、そこにいると様々な話を聞く事が出来た。
この流行りの話も、やはり酒場で聞いたのだ。
冒険者にとっては、情報交換の場でもあった。
「意外に重要なんですね、酒場って。
お酒を飲むところ、くらいにしか思ってませんでした。」
普通はそんなものだ。
町に住んでいるのなら、その周辺の情報さえあれば困る事など無い。
しかし冒険者は違う。
依頼でいつ、何処へ行く事になるかわからない。
だから他の冒険者とも話をして、広く情報を集めておかねば命にすら関わる事もある。
そのついでに楽しく飲めるのだから、酒場は実に都合が良かった。
飲めない体質だったとしても、腕によりをかけて作ってくれる料理の数々は、充分に魅力的だ。
酒場の主人も自然と情報に通じるようになっていたりして、彼らと話すのもまた有益だ。
そうして冒険者達は酒場に集う。
翌日、杖を受け取りに向かった。
職人は町外れに居を構えていた。
「レオロのお弟子さんね、少し待っていてくれ。」
まだ若い、レオロとそう変わらない年の男だった。
坊主頭に細面、無精髭を生やした職人は、まとめてある杖の中から一本を選んで引き抜いた。
装飾のあまり無い杖だが、不思議と感性を見て取れた。
受け取ったマーニーは、初めての自分の杖に感動している。
「気に入ってもらえたようだ。」
職人は嬉しそうに薄く笑う。
支払いは先に済ませているらしく、この瞬間から杖はマーニーのものだった。
クウェルはと言うと、陳列されている様々な杖を見ていた。
長く強力な物から短い練習用の物まで、思っていたよりも手広い。
その中で一本、クウェルの目を惹き付ける物があった。
短い杖だ。
短剣程度の長さしかない。
しかし、それが良かった。
そして装飾もほぼ無い。
模様のように線が走っているが、それも数える程度の本数だ。
それもまた、良かった。
値段もそう高い物ではなく、レオロから報酬を受け取っていない今の所持金でも買える程度の額だ。
「少年、それが気に入ったのか?」
声に、クウェルは頷く。
一目で惚れたと言える。
短い杖だ、大したものではないのだろう。
だが、クウェルにとっては些細な事だ。
これを持っていれば、魔法を使ったとてそう怪しまれはしまい。
クウェルの様子に、職人はニヤリとした。
「よほど気に入ったと見える。
良いだろ、レオロの知り合いだ。
半額で売ろう。」
クウェルは勢いよく振り返り、即決した。
金を受け取り精算しながら、職人は話す。
「その杖はな、俺が初めてまともに完成させた物だ。
結局売れずに今日まで残ってしまったが、お前さんを待っていたのだと思ってみると、なかなか粋じゃないか?」
クウェルの好きな感性だった。
理屈になっていない、無謀なまでの前向きさ。
自分がそうなりたい、そう在りたいとは特別思わなかったが、好きな考え方だった。
「大事にしてくれると、俺も嬉しい。」
素敵な職人だった。
彼に会えただけでも、この町に来た甲斐があった。
二人は満たされた気分で、町を後にした。
「良いとこでしたね。」
いずれまた来よう。
そう思った。
帰り道もやはりマーニーはクウェルの背にいた。
「港街に着いたら、お別れなんですね・・・。」
マーニーは感傷的になっていた。
旅は半ばを越え、帰途に入っている。
(こうして抱き締めていられるのも、残り僅か・・・。)
自然と腕に力が入ってしまう。
「何を言ってるんですか。
たまには顔を見せますよ。
レオロもあそこにいると知りましたし。」
そういう話をしているのでない事は、クウェルにもわかっている。
しかし、苦手なのでそらそうとした。
「せめて、その時までくっついていてもいいですか。」
そのあまりにもか細い声色が、何とも可愛らしく思えてしまって。
「・・・いいですよ。」
だから、応じてしまった。
町に着くと背からは下りたが、代わりに腕を組んだ。
歩き難かったが観念する。
行きに乗った馬車は無事運行を再開したようだった。
次の馬車が来るのは二日後。
それまでは、宿に泊まる事にした。
もう慣れてしまった一つの部屋。
「思えば結局、ずっと同じ部屋で過ごしてしまいましたね。」
思い出すと笑ってしまう。
始めはどうやって抜け出そうか考えたりもした。
結局諦めて、流されてこうなってしまった。
はっきりと拒絶出来ない。
自分の弱さを自覚していたが、どうにも治せなかった。
寝台に腰かければ、マーニーは当たり前のように隣へ座り身体を寄せる。
「ぐいぐい来ますね・・・。」
一応わきまえてくれたのか、それ以上は踏み込んでこない。
馬車が来るまでの間、二人はそこで静かに過ごした。
やって来た馬車は、以前乗ったものではなかった。
比較的若い御者が馬を優しく撫でている。
二人は挨拶して乗り込んだ。
ぽつぽつと客が増え、時間が来る頃にはクウェル達を含めて七人程になっていた。
馬が歩き出す。
マーニーは腕を組んだまま、他の客と雑談していた。
冷やかされもしたが、彼女はむしろ喜んでいるように見える。
(明るく笑えているし、それならいいか。)
二人でいるのも残り二日、したいようにさせてあげたかった。
冷やかされるのは慣れないが。
クウェルはひきつった笑顔で応じた。
そうしている内に馬車は盗賊の出没した辺りにさしかかる。
警備兵の数が増えていた。
巡回も複数人で行っており、警戒はしっかりしたものに変わっていた。
「これなら安心だ・・・。」
辺りを見て呟く。
組んでいる腕にかかっている力が、少し強くなっている。
やはりまだ、あの時の事が思い出されるのだろう。
軽く腕を叩く。
そして振り向いた彼女に柔らかく微笑んだ。
腕にかかる力が、違う理由で強くなった。
馬車は何事も無く、港街へ到着した。
隣町の酒場は相変わらず盛況で、料理も美味しかった。
宿ではマーニーも大人しかったので、特別困る事も無かった。
港街も変わり無く、何処を見ても賑やかで楽しげだ。
「それでは、レオロのところに帰りましょう。」
さすがにこの街では身を離すようだ。
マーニーは寂しそうに、クウェルを見る。
「さあ、お師匠様にその立派な杖を見てもらいましょうよ。」
手を引いて、レオロの家へ向かう。
彼女の表情は、嬉しいやら寂しいやらで、複雑な事になっていた。
そしてクウェルはふと足を止める。
「レオロの家は、何処でしょう?」
マーニーの案内でやって来たその家は、どちらかと言えば小さい部類だった。
一人で暮らしているそうだから、充分なのだろう。
一階部分は書斎や研究用の部屋などに使い、二階部分を住居としているという話だ。
合鍵を渡されているらしく、マーニーは鍵を開けて中へ入っていく。
「お師匠様、ただいま帰りました。」
返事は無い。
人の気配を感じないので、どうやら出掛けているのだろう。
クウェルは辺りの様子を窺う。
書斎からは書物が溢れ、薬剤の調合に使っている器材などは散らかったままだ。
「おかしな様子だな・・・。」
レオロは、整理整頓をきちんとする男だった。
少なくとも十年前は。
このあり様は、クウェルには考えられない状況だった。
かと言って、荒らされたようでもない。
散らかってはいるが、それは片付ける前のように見えるのだ。
「まるで、片付ける時間を惜しんでいたかのようだ。」
自分を呼ぶ声に、思索を中断し向かう。
二階の居間から聞こえたようだ。
見ればマーニーが手紙らしき物を持っている
借りて、読んだ。
「マーニーへ。
初めての旅、お疲れ様。
出来上がった杖を見られないのは残念だけど、行くところが出来てしまったので出掛けます。
家は、散らかったままだけれどそのままにしておいて欲しい。
だから、悪いのだけれど僕が帰るまでは入らないで下さい。
また今度、旅の話を聞かせて欲しい。
楽しみにしています。」
やはり自発的に出掛けたようだ。
マーニーに返すと、彼女は手紙をもう一度読み返し始めた。
もう一通手紙があり、そちらはクウェル宛てだったので手に取った。
丁寧に封がされている。
嫌な予感がするが、とにかく開けて目を通す事にした。
「お師匠様へ。
まずは、マーニーに知られないよう配慮願います。
お師匠様であれば賢者の石という言葉に聞き覚えがあるかと思います。
そしてそれが、実際には邪神の石と呼ぶべき物である事も御存知かと思います。
私は第二王子の依頼で、石に関する情報を集め調査していました。
伝承によれば、かつて神の使いとも言うべき勇者の手によって邪神は討たれ、その身体は砕け、塵となって世界に散ったという話です。
それが本当にあった事だと、最近の調査によって判明しました。
ひと月前、失われたとされていた勇者の剣が発見されました。
王都の北、世界一の広さを誇る湖で、調査員が見つけ出したそうです。
そしてその剣に、石と同じ成分が付着していました。
自分はこの剣と調査結果を王都へ持って行かなくてはなりません。
何故こんな事をここに書き記したかと申せば、身の危険を感じたからです。
だから、マーニーを旅に出しました。
あの子を巻き込む事など出来ません。
無事であれば、その時には酒でも酌み交わしましょう。
積もる話もたくさんあります。
それから、報酬は机の引き出しに入れておきました。
少し色を付けておきますので、数日の間だけでも構いません。
それとなくマーニーを見てやって下さい。
彼女の身に何かあれば、死んでも死にきれません。
どうか、よろしくお願いします。
それでは、また会える事を願って。」