表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/13

9.歴史:因果を追う


 この第九節と続く第十節では、いよいよ世界設定の総土台を作っていくことになります。

 今まで経済と技術、文明と文化とそれぞれペアの形で書いて来ましたが、もちろんこの大要素においても変わりません。


 異世界の土台。

 すなわち人間世界の二つの土台は、歴史と地理、です。

 そのどちらも物語が動いている間は、絶対に動かせません。

 方や時間に、方や空間にどっしりと横たわったもの。それらを作るのは難工事になりますが、異世界の土台を盤石にしたいなら挑戦してみて損はありません。


 さて、では第九節にまいりましょう。

 異世界の二つの土台のうち、ここで扱うのは歴史です。


 歴史と聞くと、中学校や高校の授業を思い浮かべる方も多いと思います。

 私も若い頃は年表暗記などで苦労させられましたし、それが実社会に出てどれほど役に立ったかと言えば、正直さっぱり役に立ちませんでした。


 ですので、そんな退屈な暗記式の歴史なんてスッパリ忘れてしまいましょう。


 私たちが作るべきは、年号でも条約でも、生活様式(これは先の二節でやってますね)でもありません。


 歴史の十問。まずは結論から参りましょう。


 ズバリ、歴史を作るなら流れを作ろう、と。



 ***



Q81.

 なんで歴史の流れから作るのか?


A:

 身も蓋もない言い方になりますが、歴史が流れだからこそ、そこから作る必要があるのです。


 暗記教育の歴史から離れてもらうために、ちょっと例を引きましょう。


 鎌倉幕府の成立年と言えば? 暗記でおなじみの1192《イイクニ》年……と言いたいところですが最近の定説では1185《イイハコ》年だそうですね。

 年は取りたくありませんが、調べてみて驚きました。


 さてこの幕府成立ですが唐突に起こったわけではありません。

 さかのぼれば鎌倉幕府成立の20年も前に平氏の軍事政権時代が始まってますし、その前の半世紀というのは公家社会を武士が侵食し、権力を奪取してきた移行期に当たります。


 けして1185年のある日の朝に、源頼朝が目を覚まして開口一発、


「オレ良い事思いついたわー。武家の政権作るわー。でもって幕府って超イケテる名前にするわー」


 などとほざいて出来上がったわけではありません。


 ここで言いたいことは、歴史は出来事や環境の連鎖によって結びついているという事です。


 源頼朝が生まれる以前から鎌倉幕府への道は整えられてきました。

 その発端はわかりませんが、半世紀にわたる「ボール遊びしてるスカした連中から権力奪い取ってヤルァ!」という脳筋武家集団による一致した意図があったればこそ、彼は1185《イイハコ》をもらう事ができたわけです。


 逆に考えましょう。

 つまり歴史というのは、年号や日付で示されるイベントだけがその主体ではありません。

 むしろそういったものは目立つだけの「イベント」に過ぎず、目立つも目立たないも含めた「日常の連鎖」にこそ歴史の実体があります。


 だから歴史を作る時に年号やイベントに着目する手法は、悪手とまでは言いませんがおすすめできません。


 物語で使用する、使用されなければならない流れに着目し、他の要素はそれに噛み合うようにあとで作っていく。

 他の節でもおなじみの細部からの組み立てをここでも応用し、作品に繋がる「歴史の流れ」から作っていく方が、より少ない労力でそれらしい歴史を作る近道だと私は思います。



 ***



Q82.

 歴史の流れを作ると作品にどんな効果があるのか?


A:

 端的に言えば、歴史の流れを作る事とストーリーを作る事は不可分です。

 ストーリーに歴史がぶら下がっていないというのは、あり得ない事だと思ってください。


 今があれば過去があり、また未来も存在します。

 作品における「今」は作品世界の別の時間にとっては過去や未来に相当しますよね? そしてストーリーを作る方ならば、時間の流れが物語に及ぼす影響はよくわかると思います。

 

 物語として特定の時間を切り取るという行為は、ある連続した歴史の連鎖の、一つのイベントを取り出す事にも似ています。


 バックグラウンド、あるいはベースストーリーという形で映画シナリオではおなじみの概念なのですが、ストーリーの始まりは歴史の始まりと一致しません。


 例えばスターウォーズでは銀河共和国の激動の時期を切り取って映画にしていますが、映画にされていないエピソードが重要な意味を持ちます。

 ルーク・スカイウォーカーはフォースの素質だけで戦闘機を操縦できたでしょうか? いいえ、彼には以前に小型飛行機を操縦した経験がありました。

 ルークという人物の歴史には、ちゃんとデススターを爆破するだけの連鎖があったわけです。


 過去は現在を通じて未来に接続しています。

 過去から引き出され得ない結果は現在にて得られる事もなく、それが未来を変える事もありません。

 物語という現在を作るためには過去と未来、すなわち原因と結果の連鎖をしっかりと認識しておく必要があります。


 作品にとっての歴史の効果とは、すなわちストーリーの大枠に説得力を持たせることです。

 脈略や必然性を欠いた展開は、きちっとした歴史がそこにあればかなりの範囲で抑制できます。


 意外性を理由に歴史の構築を放棄する方がたまにいますが、意外性とは蓋然性の双子、または別の顔とも呼べるものです。

 前後の時間から予測される流れがあるからこそ物語に黒光りする意外性が生まれるのであり、意外な展開を用いるために前後の時間を曖昧にしても、それはデタラメなだけです。



 ***



Q83.

 歴史の流れを作るとはどういう作業か?


A:

 因果を追いましょう。それだけで流れの八割は組めます。


 例えばAという登場人物がいれば、Aの父と母がいる事は必然ですよね?

 (クローンなどは当てはまりませんが、それはそれで別の必然です)

 因果というのはこの関係、つまり結果と原因はセットという事です。


 因果の流れはほぼ何にでも当てはまります。

 それこそ物理法則すら含まれますし、また過去へも未来へも延々と繋がります。

 ごく大きな視点で見れば、A君の存在には宇宙の創造から終焉までの因果が全て繋がっているのです。

 もちろん、その二つが究極の原因と結果とは言いませんよ?


 そしてA君を登場させるために、百億年単位の宇宙の歴史を作る必要もありません。ストーリーの中でA君の行動や存在を説明するに足りるだけの因果が追えればそれで充分です。


 細部から着目して行きましょう。


 A君が十七歳の高校生なら、A父とA母が結婚した(というかAを作った(・・・))のは少なくとも十七年と十ヶ月より前の話です。

 人間には妊娠期間がありますよ。

 できちゃった婚ではないという事実がストーリーに必要なら、上述の情報から二人の結婚の時期はA製造の前と言えますし、逆なら逆の因果が導かれます。


 父母の結婚の日付がどうしたのかって?

 それがすでに歴史の流れの一部なのです。

 なぜなら同じような計算がその父母にも適用できますし、さらには祖父母にも適用できるからです。

 A君の年齢を規定した瞬間に、A家の家系が経てきた歴史上の年代がおおむね判明してしまうのですよ。


 計算の結果、第二次世界大戦のさなかにAの祖父が十七歳だったとしたら。

 当時は(今もですが)よほどの事がないと男子十七歳で家庭は持てませんでした。したがって、A祖父に戦火の中の結婚式という歴史は(原則)付与できません。

 どうしてもそのエピソードが必要なら、Aと祖父との因果に修正を加える必要があります。


 年齢からの因果を追うだけで、一人の人物とその家系にまつわる歴史が作られ、それが修正されましたね?


 歴史の流れを作る作業はほぼ全て、このくり返しとなります。


 つまりある結果を規定し、それを元に知識を使って原因をどんどん逆算していくことこそ、歴史の流れを作るという事です。


 私たちが歴史をイベントの連続と捉えてしまうのは教育はもちろん、実世界において因果が見えづらい事に原因があります。

 現実の世界では因果を解きほぐすには時間と根気、そしてその事物に対する理解が欠かせませんし、それは常人一人が成し得るものではありません。


 しかし架空の世界を作るときには、私たち作者は半分神さまです。

 因果を読み解くのは不得意でも、記すのは簡単でしょう?

 ただし神さまなら神さまらしく、イベントの連鎖という不完全な視点は戒めるべきではないでしょうか。


 歴史は年号や英雄だけでは成立しません。

 結果を求めるなら原因へとさかのぼって書いていく必要があります。



 ***



Q84.

 歴史を作る際の具体的な作業は?


A:

 前問を踏まえて、歴史を作る時の具体的なアプローチに触れていきましょう。


 歴史の出発点となるのは「今」、すなわちストーリーにある事物が登場した瞬間です。その事物が存在に足るようにするのが歴史ですから。


 アプローチの最初の段階は、疑問です。


 「今」に現れた要素について、疑問を投げかけることで過去への流れを作ります。

 例えば王国なら誰がどうやって建国したのか。

 個人ならどう育ったか、誰の子供で、どんな家に生まれたか。

 物なら誰が作り、どんな人々の手を渡ってきたのか。


 疑問は用意できましたか?

 ではアプローチの次のステップに参りましょう。

 次の段階では、最初に出た疑問に答えを用意します。


 ここで焦って「○×△年に建国」などと書いてはいけません。

 イベント式歴史が念頭にあるとついつい書いてしまいそうですが、ここは一歩踏みとどまって、日付ではなく期間に着目しましょう。


 前問のA君の場合ですと、十七歳だから両親の結婚が十七年前だと考えそうになりますが……そうですね、妊娠期間や結婚の経緯で日付はもっと前になるはずですよね?

 同じような事がほぼ全ての事物に当てはまります。

 建国から二十年も経っていない王国が、政治的に安定しているとは考えにくいでしょう。

 物を作るには材料の調達や加工に相応の時間が必要ですし、流通の段階で十年二十年と寝かされる事も考えられます。


 疑問への答えには、原因が結果へと結びつくに充分な期間が含まれている必要があります。

 そして、そういった期間は「おおよそ何年何ヶ月」はわかっても「ピッタリ何年」というふうには決まりません。


 従ってこの段階でのメモは、こんな風に書かれるでしょう。


□□□□メモ例□□□□

 大ホゲモゲ王国(豊かで安定している)


  ↑(なんやかんや政変がありつつも、他国との和睦を押し進めた結果)


 初代ホゲモゲにより、隣国からの領土割譲を受けて建国

 (たぶん五十年くらい前)

□□□□□□□□□□□


 そんなアバウトなと思われるでしょうが、これこそが歴史の流れです。

 豊かで安定した王国を気付くための五十年という努力の積み重ねが、今の王国の姿にきちっと反映されています。


 先に結果を書き、あとで原因や理由を書くのも重要です。

 歴史作りは過去の因果をたどるという際限のない泥沼なので、いつでも水面に、すなわち今に立ち戻れるようにしなければ作業に切りがありません。


 そして切りのない作業の結果が、はたして作品にどれほど反映できるでしょう。

 説明文はリストラ候補の筆頭でしたよね? 無駄な作業は最初からしないに限ります。


 さて、ここまでの結果と原因、そしてそれらを繋ぐ疑問と理由が明瞭になったところで、アプローチの最後のプロセスに移ります。


 それが日付決めです。ようやくです。


 おおよその期間が出ているので、まぁ年単位は楽だと思います。

 ただし時折、ストーリーでは日付が重要になる事があります。

 お祭りのスケジュールだとか結婚記念日だとか、あるいは運命の偶然だとかですね。ですからもし日付を確定するなら、しっかり日単位での設定をおすすめします。


 ここでも優先すべきはストーリーの今です。

 ある日付を定めたがゆえにストーリーを変化させるぐらいなら、いっそのことストーリーに合わせて過去の日付を変えましょう。

 作者の欲しい蓋然性が、読者のそれと一致しているとは限りませんよ。


 また一つの日付を決める事で、繋がる別の因果にも影響が波及します。

 先の段階で敢えてフニャフニャにしておいたのは、この日付決めをまとめて後に回す事で、矛盾の発生を最小限に止めるためです。

 年単位、日単位での時間の固定は必要なもののみに絞って、外に充分な余白を作りましょう。


 まとめると歴史作りのアプローチは、以下の三段階となります。


 ・「今」に着目して疑問を作る


 ・出てきた疑問に充分な期間を付けて解答する


 ・期間と解答から日付を逆算し、手元のストーリーや他の日付と擦り合わせる


 これはあくまでも一つの要素に絞った作業で、実際には疑問と解答の連鎖は延々と過去や未来に向けて伸び続けます。

 因果そのもの姿ですからね。

 従って作者は、いつでも歴史作りを離れられるよう心がけ、常に設定の要不要を把握するべきだと私は思います。



 ***



Q85.

 歴史と神話は同一に扱えるのか?


A:

 ここからは歴史についてのTips、つまり架空の世界の歴史における問題に個別に答えていきます。


 まずは特にファンタジー世界で顕著な歴史と神話の関係性から。


 歴史というのは、まあ大ざっぱに言えば時間と物質が織りなす事実の連鎖です。

 対して神話というのは、人間が宗教上の理由で産み出した空想であったり、あるいは事物を説明するために作り出した物語であったりします。


 私は前節でも言ったとおり「無宗教寄りの消極的仏教徒」なので、神話を事実として扱う事はありません。色眼鏡かもしれませんが、神話は人間の都合が産み出したという見地でお話しします。


 ファンタジーの架空世界で神話と歴史がごっちゃになる一つの要因として、神の実在があります。

 神でも女神も邪神でも、それを崇める宗教を人に興させる存在が実在しているがゆえに、神話と歴史が同一視されてしまうわけですね。


 ですが歴史が時間と物質に刻まれた事実を指すなら、この問題には明快な解答があります。


 神の実在する世界においては、神話は歴史の一部分と言って問題ありません。


 だって神が物質に影響を与えるなら、神の存在もまた因果の内にあります。

 神はたまさか不滅であったり能力がずば抜けているだけの一要素に過ぎません。滅んでいようがこれから生まれようが問題ナッシングです。


 神がいるなら神話は歴史です。

 信徒による脚色は、話を盛っているだけだと大目に見てあげましょう。


 問題は次のパターン。

 神がいないのに神話が横行している場合ですね。


 詳しくは次の問題に譲りますが、神話というのは宗教に付随した「物語」であり、当然作者によるバイアスを受けます。従って神話が歴史と同一とは限りません。

 どころか敵対部族の神を邪神として戦争を聖戦と言ってみたり、大規模な天災を神罰と言って信者を募ったりと、やりたい放題です。


 そういった場合、歴史は歴史、神話は神話として個別に当たる事になります。

 先に作るべきはやはり歴史でしょう。それが動かぬ真実ですからね。

 その上で作った人の見地に立って神話を作るというプロセスが必要になります。


 ここで一つ注意をするなら、作者はどういった意図であれ前節の「宗教の作品での活用」を念頭に置かなければなりません。

 つまりあからさまな悪意や滑稽さを神話に混ぜてはいけません。

 宗教パロディならともかく真っ当に歴史から神話を作るなら、作者が立つべきは宗教者の立場、すなわち人々の苦悩に手を差し伸べる立場でなくてはなりません。


 真に神話として語り継がれるものは、語り継がれるだけの魅力を備え、かつある程度は歴史に沿ったものなのです。



 ***



Q86.

 歴史をどうやって作品に活用するのか?


A:

 説得力の醸成が歴史の役割。

 もうちょっと突っ込んで実際の用法と、そして歴史の悪用について語ります。


 歴史を作品に活用するもっともポピュラーな方法は「語らせる」ことです。

 思い出話であったり、地の文だったりしますね。


 物語における語らせる事の本質は、潜んでいる問題を読者にほのめかす事により、この先のドラマについて心構え、または期待をさせる事です。


 「ロミオとジュリエット」における、キャピュレット家とモンタギュー家の政治的確執などがそうですね。

 恋する両者に大きな溝がある事を読者に伝え、困難の克服についての期待や悲劇への心構えをさせるわけです。

 だいたいシェイクスピアは劇作家という事もあって「語らせる」を多用します。お客さんを数時間も劇場に留め置くためには、冒頭でしっかり物語への期待を煽る必要がありますから。


 語らせる他にも、作者が必要とする歴史というのもあります。

 これは読者に開示されなくとも、神である作者は知っておかなければならない事ですね。


 例えば、幼い頃に物置に閉じこめられたような人物が、何の克服もなく真っ暗な閉所で平然としているのはちょっと違和感がありますよね。

 もし作者がそんなシーンを書いたとすれば、彼の手元には「閉居恐怖症を克服した」か、あるいは「閉じこめられた物置が怖くなかった」という読者に開示しない過去の情報が必要になります。

 もっとも、それは遅かれ早かれ読者に提示する必要がありますけどね。


 どんなシーンでも蓋然性は過去から生まれますから、作者は常に物語に至った歴史をある程度把握しておかねばなりません。

 むしろ歴史を作る利点は「語らせる」よりもこちらの方が大きいとも言えるでしょう。


 さて、ここまで来たところで、悪用の話に参りましょう。


 歴史の悪用とはどういう事を指すのでしょうか?

 ズバリ、それは歴史をねじ曲げる事です。


 それは語る側のキャラクターを作る、そして見せるという演出で重要となります。

 つまりは過去を改ざんするような人物、集団であると読者に開示することで期待する反応を得るわけです。


 軽い例で言うなら酒場の親父の冒険譚ですね。

 どう考えてもその人物にそぐわない過去を話させる事で、人物への不信感を醸成する事ができますし、さらに逆手にとって「人は見かけによらない」という逆接の人物感を与える事もできます。


 しかし悪用の本質はそこではありません。


 一番大事なのは、キャラクターや集団に「主観」を持たせる事なのです。


 歴史、特に後世で語られる歴史というものは、語られた時点で語り部の主観に大きく左右されます。

 前問の神話では侵略の糊塗や神罰による布教に触れましたが、要は都合の悪い事は言いかえたり隠したりするのが人間ですし、むしろ人の語る歴史には主観がすでに反映されているものなのです。

 

 従って歴史の悪用、改ざん、言いかえ、ねじ曲げは、端的かつ如実な人物像の反映だと思って構いません。

 誰かにとって都合の悪い歴史があるなら、その誰かはその歴史を好ましく思わないような「主観」を持っていると、逆説的かつ簡単に表現できます。


 ここで必要なのは真実と目される歴史と、その人物の語る歴史とに、人物なりの主観で脚色を加える構成力です。


 歴史は勝者が作る、というのはいい表現ですね。

 勝った人は事実の描写から巧みに敗者の感情をくみ取る表現を削除して、その代わりに聞き手を高揚させるような表現を組み込みます。

 自分の、あるいは属する集団の良いところばかりを協調して、汚点をことごとく塗りつぶせば完璧です。

 これを国家のサイズに直せば虐殺者を英雄として扱ったり、そもそも虐殺の事実を消したり、弾圧を無かった事にしてしまうでしょう。


 とにかくそれらを通して描けるものとは、すなわち集団やキャラクターの「主観」、言いかえれば「価値観」に他なりません。


 以前に「価値観」の問いの中で、敵対の歴史が価値観を作る手助けだとお話ししましたが、それがここに繋がります。

 敵対が「敵対の価値観」を産み出し、「敵対の価値観」は「歴史の悪用」を産みます。

 この構図を上手く活用する事で、集団のリアリティをグッと高める事ができるでしょう。



 ***



Q87.

 歴史の流れのスパン(間隔)ってどのくらい?


A: 

 事物や文明の質によって異なりますが、大まかな指標を出してみましょう。


 なんといっても、鍵となるのは人の一生です。


 一番最初に考えなければならないのが、一生がおおむね何年かですね。

 私たちは一生がだいたい七十~八十年の世界に生きていますが、それは人類の歴史から見れば異常な時代と呼んでいいでしょう。


 織田信長の愛した「敦盛」に人間五十年と詠まれたように、過去の人間は短命でした。

 それも舞踊や詩を嗜む身分で五十年ですよ? 当時の庶民の平均寿命は四十代より下だったという研究もあります。

 

 ここで一つ注意を。

 平均寿命が○○歳だからといって、その年で皆パタッと死ぬわけではありません。平均寿命を決めるのは最高年齢ではなく「若死にする人の数と分布」です。

 条件さえ整えば現代並みの長生きもしますが、たいていは幼児期や青年期にコロッと逝ってしまうので、平均がグッと下がるわけです。


 なので架空の世界で決めるべき一生の時間とは、平均寿命ではなく最高寿命だと認識してください。

 例えば六十歳を超えた人間が世話できない環境なら、最高寿命は高くて七十歳ぐらいでしょう。そうなれば人間の一生はだいたい七十年と言えます。


 設定で重要になるのは世代が交代するスパンですから、これを三で割って二十三年スパンと考えましょうか。

 なんで三で割るかというと、だいたいその辺が文明における成熟期の始まりと合致するからです。

 早死にする世界なら一人でも多く子孫を残さねばならないでしょう?

 人間は十代前半で出産可能となるのでそれを割り込む事はありませんが、一生が短ければ短いほど、スパンはその数字に漸近していきます。


 世代のスパンが決まれば、そこから一生のスパンが逆算できます。

 人間の原始的な一生は、育つ、子供を作って労働、孫世代を教育する、の三段階といわれています。

 ですから多少の変動があるにしても、幼年~青年期、成熟期、老年期はそれぞれ人生の三分の一ぐらいと見積もって問題ないでしょう。


 まとめると人に関するスパンは、


 最大寿命 ÷ 3 = 世代と人生の各段階のスパン

 (ただし、世代は十数年を下回らない)


 となります。


 人の時間が決定すると、以下のものにもおおよそのスパンが出せます。


・経済的変化(一~三世代:老年からその孫まで)


・技術的変化(一~二世代:手段は教育より実践から普及する)


・文明的変化(二~四世代:変化から安定、浸透まで時間がかかる)


・文化的変化(三~五世代:オリジナルとなる世代はそれを文明と認識する)


 ここで言う変化とは、明らかに違う状態へ遷移時間です。

 私たちの祖父母の時代と比べてみればわかりやすいでしょう。

 経済は今と似ていますがやや違います。技術はほぼ別物で、文明的にはあまり変わっていません。そして文化についてはほとんど変化がないですよね?


 世代間の時間が長くなると、短いものはより短く、長いものはより長くなるでしょう。

 あくまでもおおよその指標ですので環境の変化は除外してください。

 天変地異や大規模な戦争によって、これらの時間は伸び縮みします。


 またスパンがあまりに短期だとこの例は当てはまりません。

 教育を引き受ける老年世代が孫の誕生までに全滅するようでは埒が明きません。

 原始時代の人間が文明を手にするまで十数万年かかった事がその証拠です。


 架空の歴史とはいえ、それは人が日々積みあげてきたもののはずです。

 歴史の流れ、その変化の間隔に悩んだ時は、原点である人に立ち返って類推するべきだと私は思います。



 ***



Q88.

 架空の歴史と現実の歴史は似てくるのか?


A:

 ジャガイモがあるのないの、トマトがあるのないのと、まぁよくも……。

 失礼、個人的な話は置いておくとして、ちょっと歴史における架空と現実の関わりについて考えてみましょう。


 私たち作者は架空の世界の、架空の歴史を作っています。


 細かい事はともかく、歴史を作るなら最高のお手本が、私たちの世界である事に異論はありません。

 似る似ないにかかわらず、主役が人間である以上、同じような歴史の流れになるのは確実だからです。


 前節の「宗教」を思い出してください。

 宗教が人間世界のそこかしこで生まれたのは、それが人間の存在から来る不自由さによるものだから、でしたよね。

 歴史も宗教と同じで、人間存在の不自由さによってその展開を制限されています。


 もし未来や過去が見える人間がいて、それが世界に認知されていれば、歴史とは改変可能な流れになります。

 誰かは歴史を修正しようとするかもしれません。

 でもそれができないからこそ、人間の歴史は瞬間ごとの判断の積み重ねになるのです。

 当然、後世から見れば間違った判断もあります。

 判断基準は人間の性質に委ねられますから、誰も自分が(一時的にでも)不利になりそうな判断なんてしません。


 その結果、架空の歴史が現実の歴史に似てくるのは、当然といえば当然です。


 だからといって現実の歴史に縛られたのでは、架空の歴史を作っている意味が無いと断言したくなります。


 冒頭のジャガイモとトマトは、中世風ファンタジーを作るとよく突かれる重箱の隅ポイントです。

 他にも都市の衛生環境(路地に糞尿)や、衣服の生地(木綿)などで、現実の歴史からやいのやいのと言ってくる手合いはごまんといます。

 でもそれらのツッコミポイントは、おそらく次の問いと比べたら小さな話なんですよ。


 〈その世界、地球ですか?〉


 これに尽きます。ええ。

 だって架空の世界なのですから地球である理由すらないんです。うっかりすると宇宙が違っても、物理法則が違っても同じ事です。

 その世界でトマトやジャガイモが南米原産だといつ決まりました?

 木綿が中央アジア原産だと誰が決めたんです?

 そもそもその世界、南米やアジアがありますか?

 トマトやジャガイモは本当にトマトやジャガイモですか?


 別に揚げ足をとって、作者の都合で何を書いても良いとは言いません。

 ただ、架空の世界の歴史が地球と同じ道をたどる、その理由がないだけの話です。


 現実の歴史と架空の歴史がリンクしているかどうかは、二つの歴史が似ている事と同じ事ではないのです。

 歴史を積み重ねる人間の姿が似ていさえすれば、ジャガイモもトマトも些細な問題に過ぎません。


 この節の冒頭で、私はイベント暗記式の歴史から離れようと言いました。なぜなら歴史はイベントではなく流れだからです。

 作物の渡来がいつだったかなんて些事も良いところです。

 そこに最初からあって、それを受けた歴史を構築できれば事足ります。

 もし自作でそんな指摘をされるなら、不備なのはその作物がある事ではなく、その作物に必要な説得力を設定が欠いているだけに過ぎません。

 そして気付いたなら余白に書き足していけばいいのです。ジャガイモのトマト煮込みがある理由を。


 現実と架空、二つの歴史は確かに似てきます。

 しかしそれは些細な要素ゆえではなく、それが人間が作り上げてきた流れゆえだからです。

 現実の歴史を手本とするのは人類の足跡を読み解いて、まっさらな泥に同じ癖を持つ足跡を刻むためであり、けして上からなぞるためではありません。



 ***



Q89.

 もしかして、の流れはどうやって作るのか?


A:

 異世界とはちょっと趣が異なりますが、IF(イフ)の世界とも言われる、たられば的な歴史の作り方にも触れておきましょう。


 無邪気なたられば話なら、まぁ大した苦労はいりません。

 しかし作品として、現実とどこかでリンクした異世界を構築するなら、かなりの労力を必要とします。


 まず肝心なのは歴史の分岐点です。


 あらゆる歴史が人類の判断の積み重ねである以上、過去のある時点で判断が違えば、そこに連なる全ての歴史が変わるでしょう。

 だからといって早とちりして「この判断をこう変えてやろう」などとはしない方が良いでしょう。

 というのもその判断を下した存在(個人、集団は問いません)にはちゃんと理由があったはずだからです。


 歴史は過去にも繋がっていますよね? つまり分岐点を作るためには、分岐点に繋がる過去への修正は不可欠です。

 さらに言うなら、そのためには過去を充分熟知し、作者による「嘘」が入り込む余地を探す必要すらあります。


 もし「架空戦記」を書いていらっしゃる方がいたら失礼な話になるかもしれませんが、歴史を揺るがす分岐点は、大抵、指導者の英断や一戦の勝ち負けの中には存在しません。

 もっと以前に、それこそ運命の一戦という形で表出する以前に、歴史の見えない場所から分岐は始まっていたはずです。

 その一戦からイベントの連鎖が変わっていったとしても、作者はちゃんと、それに繋がる要素に改変すべき場所を見つけ、うまく人々を誘導しておかなければなりません。


 かかる労力は完全な架空世界より遙かに膨大です。

 なにせ先に挙げたような重箱の隅ポイントを潰すためには歴史書が一冊では足りません。

 書物から得られる情報には、大なり小なり著者の視点が含まれています。

 創作の邪魔になる他者の主観を排除するために、できる限り複数の書籍をクロスチェックし、自分の中にその時代の精密なモデルを作る必要があります。


 もっと過去なら、例えば有史以前なら楽ができるでしょうか?


 いいえ、もっと大変です。


 有史以前というのは、人、もの、文化が移動する以前の状態です。

 確かに記録すらないので改変は楽そうに思いますが、代わりに我々の知るあらゆるものが、自然によって位置をリセットされているという空恐ろしい状況ですよ。


 ツッコミポイントの総数は洒落になりません。

 あなたは小麦や米がどこに自生していたか知っていますか?

 石器の材料の産地は?

 こんな問いをざっと数千問は答えるだけの覚悟と根気が要求されます。


 逆に言えば、世にある「出版されたIF作品」のほとんどが、これらの問題をパスして出ているという事です。

 成し遂げた方がいるというのもすごい話ですが、駆け出しの作者が挑むにしては、少々高すぎる壁のような気がしてなりません。


 最後に、分岐点を未来に置く場合について触れておきましょう。


 VRMMOものでよく見られますが、未来なら不確定だから多少の「大嘘」は大丈夫だろうと高をくくる方がいらっしゃいます。


 お薦めできません。というか、やめましょう。


 歴史は未来にだって連続しています。

 特に近未来の歴史というものは、我々とどこかで地続きになっているはずです。

 分岐点が十年後だろうが二十年後だろうが、分岐するための理由の一部は、すでに我々の中になくてはなりません。

 もちろん外宇宙から異星人がやってきて、ぐらいの大嘘なら付け入る隙は小さいですが、それでも作者は、異星人と関わる我々人間の基本的姿勢を現代のどこかに見いだし、異星人が来るまでに準備させておく必要があります。


 分岐を未来に置くなら学ぶべきは「今」です。

 科学技術の最先端はどこにあるでしょう。

 景気は、世界情勢は、環境問題は?

 未来を作るからといって勉強する必要がないと思ったら大間違いです。


 「架空よりIFが楽だから」……こと歴史に関しては、そんな言葉は通用しません。想像の力を無力化させる「現実」というものが、作者に牙を剥いて襲いかかってきます。

 もしかして、を語るのは、作者にとって高い壁なのです。


 もちろん、乗り越えた時の達成感は折り紙付きですが。



 ***



Q90.

 歴史を作るのに必要なのは知識? それとも想像力?


A: 

 半々、と言ったところでしょうか。


 もちろん刮目するほどリアルな歴史を作るなら、まずそんな歴史を知っている必要がありますから、これは知識と言っていいでしょう。

 しかし歴史書の多くは「事実の羅列」になっていまして、単に読んだからといって歴史の流れは身につきません。


 例えば、小説で自分の体験をネタに使う時、あなたはどんな描写をしますか? 

 おそらく体験したときの心情をスパイスとして織り込み、読者の追体験や共感を得るように書く事でしょう。

 そうでなければ体験をネタにした意味がないからです。


 歴史にも似たような所があって、何年に○△がどうしたと書かれたところで、それに至った○△の心情なんて理解ができません。

 すごい歴史書になると、そこの所をもっと調べて、決断の経緯やそこに至る空気なんかを解説してくれますが、こういった「過去を翻訳」する作業は非常に煩わしく、なかなかそんな本にはお目にかかれません。


 そこで想像力の出番となります。


 普段小説にしているように、歴史の本が語ってくれない「行間」を読むのです。

 ○△が×□家の三男坊なら、平素の扱いがあまり良くなかったかもしれません。

 後に歴史に残るような事件が、元をたどると夕飯のおかずの取り合いだったりしたら楽しくありませんか?


 歴史を作るというのは、結局はドラマを作るという事です。

 お手本にしている実際の歴史も、紐解けば数兆人の演じた壮大なドラマに過ぎません。放映がすでに終わってしまったドラマではありますが、ちょっと不親切な台本なら歴史の本としていくらでも手に入ります。

 映像資料がなくたって、台本の行間を想像力を使って埋めれば充分に役立ちますよ。


 そして実際にあったドラマを知っていれば、それに似た架空のドラマを作る事は、簡単とは言えなくても不可能ではありません。

 知識も想像力も余すことなく発揮して、さらに「現実」という邪魔者がいないところで、作者と読者のための壮大なドラマを紡ぐ事は充分可能なのです。


 歴史とストーリーは不可分だと前に言いましたが、それらを作る力も、そして構成する要素も非常に近いところにあります。

 年号もイベントも脇に置いて、しばし壮大なストーリーに、歴史に想いを馳せ、ひねり回してみても良いのではないでしょうか。



 ***



まとめ:

 歴史とは人の営みの流れであり、年号やイベントだけでは表せません。

 物語は説得力のために歴史を必要としています。


 作る時は因果に着目し、現在から過去へ向かって結果から原因を追いましょう。

 追いすぎは禁物です。


 神さまがいるなら神話も歴史も一緒です。

 神のいない神話とは、どこかの誰かが歴史を利用するために作った作中小説かもしれません。


 登場人物が歴史を「語る」ときには、作者の都合か登場人物の都合があります。そして登場人物が都合を持つのは、ちゃんと彼が「価値観」を持っている証拠です。


 歴史の変化は、人間の一生と時間的な繋がりがあります。

 歴史の流速を決めるのは、そこで生きていた人間の持ち時間です。


 架空と現実、どちらの歴史も人間が主役なら展開は似てきます。

 でもまったく同じになる理由はありません。


 たらればを作るのは意外に重労働です。

 気軽に取り組むのはお薦めしません。


 歴史も、大きな目で見れば「はてしない物語」の一部です。

 すでに物語を綴れるあなたには、構築に挑戦する力があるでしょう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ