愛することのもどかしさ。 ある愛の果てに出逢い偏
前作、”ある愛の果てに”の健司とジェニファーの出逢い。そして、美紀との出逢い。
守島との確執の全貌が明らかになる。
人の出逢いって、不思議なもの。
出逢いは人を幸せにするし、不幸にもする。
時に、出逢いは残酷ですらある。
彼女はもういない。
私たちを残して旅たってしまった。
彼女との想い出はいろいろ。
だけど、彼女と一緒に過ごした期間は余りにも短かかった。
そして、私の人生を大きく変えてしまった。
始まり
「アテンションプリーズ・・・・」
スチュワーデス。今では、キャビンアテンダントというのかな。
アナウンス、着陸が近い事を告げている。
「守島主任、やっとつきましたね。」
「ああ。これからさき、しばらくは嫌な生活になりそうだな。」
「どうしてですか?海外で長期に生活できるなんて、そう無いじゃないですか。」
「お前はいいよ。抜擢と言っていいだろうからさ。だけど、俺は、殆ど左遷のようなもんだからな。」
私は、青井電気に就職して、二年経ってすぐにI国に赴任を命じられた。期間は2年間位問い曖昧なものだった。
協力会社のジェネラル・アンダーソン社と協力でI国に収めている音響機器やPA機器の保守管理と、
トレーニングをする仕事だ。
私は、主にアシスタント的な役目という事だった。
自分で言うのも恥かしいが、この時点では、同期の中でも期待されていた。
経験をつませる為の会社の人事だった。
私はI国への赴任は期待しかなかった。
不安は守島主任の人柄だけだった。
最初のトラブル
入管で時間がかかったものの、大きなトラブルも無く、無事入国を果すと、
GAのスタッフが、出迎えに来ていた。
この時が、ジェニファーとの初めての出逢いだった。
「お疲れ様です。青井電気の、守島主任と、佐伯さんですね。私、GAのジェニファー・アンダーソンといいます。」
恐ろしく流暢な日本語を彼女は喋った。
「出迎え有難う。で、早速、ホテルにチェックインして、少し休みたいのだが、
確か宿舎のホテルと、オフィスは近かったはずだから、休憩してから、顔を出していいかな。」
守島が、挨拶をすると、ジェニファーはさも申し訳なさそうな顔をした。
「ホテルで、休憩していただくのは全く問題ないです。ただ、2週間ほどなのですが、我々が使っているホテルが抑えられなくて、
同クラスのホテルで部屋を用意しました。ホテルは悪くないのですが、オフィスまで、車で20分ほどかかります。2週間後には、我々と同じホテルを抑えていますので、
移動して頂く予定です。」
みるみる、守島の顔色が変わっていくのが解った。
「どういうことだ。宿舎が無いというのは。」
意外なほどの守島の反応だった。
面食らった様子のジェニファーが、もう一度説明を試みた。
「あの、誤解が有ったのでしたら、申し訳ありません。宿舎は有ります。ただ、2週間だけ、私たちとは違うホテルを使っていただきたいのです。」
「君たちと違うホテルだろ。それは、我々に不便がかかるという事だ。同じホテルじゃないのなら、宿舎があるとは言わない。来た早々不愉快だ。佐伯。帰るぞ。」
どういった、理屈なのか、私にも理解できなかった。
「守島さん、帰るって何処にですか?」
「日本に決まってるじゃないか。」
当たり前のように吐き捨てながら、回れ右をして歩き出していた。
「ちょっと待ってください。宿舎が無いんじゃないのですよ。2週間だけ我慢して欲しいということですよ。」
「どうしてI国まで来て、不便をしなければならないんだ?」
ジェニファーは今にも泣き出しそうだった。
「すみません。ちょうど、工業博覧会があって、主要なホテルは全て抑えられてしまっていて、そのホテルを抑えるのもかなり大変だったんです。」
「そんなことは、俺たちには関係ない。現地スタッフが、しっかり仕事をしてもらわないと、俺たちが困るんだよ。どうせ、青井電気なんだから、GAと同じホテルでなくていいなんて考えていたんだろう。」
「守島さん、そろそろ止めにしませんか、気に入らないのなら、あなた自身が今から、気に入るホテルをおとりになったらいいでしょ。
日本に帰るのならあなた一人で帰ってください。私は、会社の業務命令通り、残りますから。もし、GAから、本社にクレームが入ったらどうされるのですか?」
ますます、守島の顔が引き攣ってきた。
「佐伯、誰に向かって口利いているんだ。今の態度、忘れるんじゃないぞ。」
不承不承、守島も残ることになった。
このときから、私と守島の因縁が始まったといえるのかもしれない。
接近
私は、入社して間もないものの、技術力には自信が有った。
大学での散々勉強していたし、2年間で相当の経験をしていた。
そもそも、音響は私にとって、趣味みたいなものだから。
I国での仕事もそつなくこないしていけた。現地採用のスタッフの教育もしっかりと行える。それだけの技量は、既に持ち合わせていた。
2週間なんて、正直あっという間だった。
部屋を変わるとき、守島とは離れた部屋を希望した。こっそり、現地スタッフにお願いしておいた。
彼等のほうも了解してくれ、彼は3階で、私は5階でジェニファーの隣の部屋だった。
少し嬉しかったのは言うまでもない。
ただ、たった2週間の間に、守島は、言うもはばかれるような事を、I国のホテルで行っていたのだ。
私は、毎夜彼の部屋から聞こえてくる、声と音に悩まされていた。
それから開放される喜びのほうが遥かに嬉しかった。
私たちのオフィスは、I国の首都カラハンに有った。
綺麗な国で、宗教が国を支配していたが、
外国人には寛大だった。
国民の飲酒は禁止されていたが、外国人が、外国人クラブやホテル内で
飲酒するのは許されていた。
ホテルを替わると守島は、殆どカラハンを留守にした。
そのほうが、私にはありがたかった。
私は、カラハンの放送局の装置の調子がよくなかったので、
それにかかりきりになっていた。
それも、何とか解決したので、
第二の首都イスファンの施設の装置の設置計画に入る事になった。
第二の首都と言いながら、イスファンは、カラハンから車で2時間ぐらいでいける比較的近くにあった。
その日はイスファンの件で調べ事が合ったの、少し残って仕事をしていた。
いつもは、結構みんな残って仕事をしているんだが、週末という事も有って、全員帰って私一人だった。
そのほうが、効率も上がるので、PCを前に図面を眺めて、計画を練っていた。
そのときドアが開いて、ジェニファーが入ってきた。
出張から帰ってきたようだ。
そろそろI国に来て3週間になるが、彼女とゆっくり話す機会はあまり無かった。
年齢は、私より一つ年上という事だが、同年代の異性として、気になる存在だった。
ちょうど、紅茶を入れていたところなので、彼女の分をカップに入れて持っていってあげた。
ビックリしたような顔だったが、嬉しそうだった。
「紅茶好きなの?」
彼女の問に
「コーヒーが苦手なんです。疲れてそうなので、アールグレイはどうかなと思って。」
「私も紅茶のほうが好き。アールグレイはその中でも最も好きな紅茶なの。」
そう言って笑った。
「あれ、あなたに荷物がきているみたいね。」
インボイスを見ながら、彼女は教えてくれた。
「私は彼女の元まで行きそのインボイスを覗き込む。」
彼女の良いかおりが鼻腔をくすぐる。
女性経験が乏しかった私は正直ドキドキした。
だけど、それは、インボイスを見るまでだった。
「ああ、やっと来た。待っていたんっだ。」
「何ですかこれは。」
「ギターですよ。これが無いと。荷物はどれですか?」
「ええと、これだわ。」
フェンダージャパンのストラトを渡航前に事務所宛に送っておいたのだ。
「良かった。ついて。」
私はそのまま、無意識でチューニングを始めていた。
「ギター弾けるの。」
「少しね。」
「何か弾いて欲しいな。」
彼女のリクエストに。
「じゃぁ古い曲だけれど、ジミ・ヘンドリックスのリトルウィング弾いてみようか。
少しブランクがあるので上手く弾けないかも知れないけれど。」
あの複雑なイントロを難なく弾き終え、あまりにも有名なソロを情感たっぷりに弾き終えた。
演奏を終わるとジェニファーが目を丸くして、思い出したように拍手をしてくれた。
「スゴイじゃないの健司。まるでプロフェッショナルの演奏を聴いているみたいだった。」
「それは褒めすぎですよ。」
と言い終わるのと同時に、私のお腹が、空腹を告げた。
すると、ジェニファーのお腹も。
二人で、顔を見合わせて笑ってしまった。
私たち二人の接近は、決して、ロマンティックなものではなかった。
その日、ジェニファーに誘われて、夕食を一緒にとることになった。
外国人クラブの中に有る、イタリアンレストラン。
確か名前をボーノと言ったかな。
私にとって、女性と二人で食事をするなんて、ほとんど無かったことなので、
凄く緊張していた。
「どうしたの健司。硬い顔をして、誘ったの迷惑だったかしら。」
ジェニファーがやや心配そうに聞いてきた。
「いえ、気に障ったら御免なさい。女性と二人で食事なんてしたこと無いし、テーブルマナーが解らなくて。」
「嘘をおっしゃい。日本で1ダースの女性が寂しがってるって話じゃないの。」
「本当です。良ければマナーを教えて貰えますか」
「マナーを知らないのは本当のようね。良いわ。そう正直に頼まれたら、お姉さんが教えてあげるから。ワインは飲む?」
「良いんですか?」
「大丈夫よ。赤で良いかな?」
最初の内は緊張していたが、元々、年も近い二人、話は盛り上がり、
楽しく夜は更けていった。
この時から、ジェニファーを私は憧れの女性としてとらえるようになった。
ジェニファーはとにかく人気があった。
美人だし、よく働く。そして、技術力も凄く高い。
だけど偉そうな態度は取らず、常にフレンドリーだった。
男性スタッフの憧れの的だった。
誰が彼女を落とすか、競争しているという話を聞いたことがある。
私がその競争に加わるというのは考えもしなかった。
次の日の朝、休みと言うことで、少しゆっくり寝ていると、
ノックの音で起こされた。
「グッドモーニング。まだ寝てたの。出かけるけれど、一緒に行こうよ。」
「おはよう。出かけるって何処へ?」
「この辺り、案内してあげるから。買い物もしたいし。ブレックファースト私もまだなの。まずそれからね。」
眠りを邪魔された割には腹が立たなかった。
慌てて着替えて、身だしなみを整えたのは言うまでもない。
「お待たせ。何処でいつも朝食べてるの?」
「外国人クラブのカフェが良いかな。サンドウィッチが美味しいの。」
私達は、そのまま歩いて、カフェに行って朝食をとる事にした。
「ここは来たことがない?私は、休みの日にはたいていここでブランチにしているの。
静かでしょ。本を読んだりするのに凄くいいのよ。ホテルの部屋に入ると、息が詰まりそうで。」
笑いながら、ジェニファーは話し掛けてきた。
「確かに部屋に入ると、つまらないからね。本ってどんな本読むの?」
「いろいろよ。三島幸夫も読んだわよ。こう見えても、文学少女なんだから。」
「少女と言って、罪の意識感じない?」
悪戯っぽく言うと。
「いいの。独身だし、気持ちはいつまでも若く居ないとね。」
と言いながら、テーブルの下では足ゲリが跳んできた。
すっかり打ち解けた雰囲気になり、食後、その近くのミュージアムを周った。
カラハンの町は美しく、女性と歩くのにはピッタリのおしゃれな町だった。
「この町って、本当に綺麗だよね。お金をかけて作ったという感じがする。」
「そうね。だけど、貧富のさもかなり有るわよ。私たちが相手にしているのは富裕層だけど、
貧しい人は、悲惨なのよね。そうだ、楽器屋さんもあるのよ。行ってみる。」
「えっ本当に!是非行きたい。」
私達は、彼女が知っている、楽器屋に行く事にした。
「意外に凄いや。」
「でしょ。」
私の驚きに、彼女は満足した様子で答えた。
民族楽器から、エレキやベースまで、かなりの品揃いで、私が驚くのも無理なかったと思う。
エレキギターに関して言えば、日本の楽器屋と遜色無かった。
それに、値段も、思ったより安い。
「思ったより安いし。これ本物なのかな。」
「もちろん本物よ。」
「近くの貿易都市に殆ど関税無しに入ってくるので安くなってる。それに、このお店事態、富裕層と、外国人相手なので、本国と、値段差があまり出ると不満が出て、商売にならないのよね。だから、結構買いやすい値段になってるの。」
「ギブソンのレスポールがこの値段なら、良いな。」
「試奏してみたら。」
ジェニファーの勧めで、私は、念願のギブソンを試奏してみた。
レスポールを、持つとやはり、ジミーペイジを真似したくなり、天国への階段を弾いてみる。
「やっぱり、いいね。引きやすいし、サウンドも抜群だよ。」
「あなたも抜群らしいわよ。」
周りを見るとギャラリーが私たちを取り囲んでいた。
「凄いね。日本の友達。ここで店を開いて、かなりの試奏を聞いてきたけれど、君が一番だよ。」
「またまた、冗談を。」
「このギター買わないか?君なら、まけてあげてもいい。」
「欲しいけれど、ギブソンは高いから。」
「じゃぁこの値段ならどうだ。」
彼が示した値段は驚くべき値段だった。
「嘘だろ。値札はこの値段だよ。いいの?」
「もちろんだ。プロのミュージシャンになって欲しいという、願いと期待を込めてね。」
今でも、そのギブソンは、私の大切なギターとして、自宅で、私を待っていてくれる。
「いや。驚いた。こんな値段で、ギブソンが買えるなんて。本物なのかな。」
「どう思う?」
「音は間違いなくギブソンだね。弾き心地も。」
「じゃぁ間違いないわ。良かったじゃない。」
彼女も嬉しそうだった。
「私も、あの人から、キーボード買ってるから大丈夫よ。」
「なんだ、君も楽器やるんだ。今度一緒に演奏しようよ。」
「そうね。楽しみ。こう見えても、それなりに上手いんだからね。じゃあ、オフィスに今から行く?そこに私の楽器は置いてるの。」
誘うだけ有って、彼女の演奏は見事だった。
ジャズっぽく即興で演奏してくれた。
私も、それに、答えて、アドリブで合わせていく。
「凄いじゃないか。I国でこんなに音楽が楽しめるなんて、思いもよらなかった。」
「私も。」
演奏後の汗ばんだ彼女の笑顔が私には堪らなくいとおしく感じた。
気がつくと、もう、夕方だった。
「おなかすかない?」
私の問に
「そうね。ぺこぺこ。何か食べに行こうか?」
私達は、ペルシャ料理のお店に行く事にした。
オフィスを出ると、ジェニファーが腕を組んできた。
女性と腕を組んで歩くなんて、経験の無かった私は、心臓がはちきれそうだった。
今思えば、ずいぶん純情だったんだなと気恥ずかしくなる。
チェロキャバブにスープ。焼きトマトをご飯に絡めて食べる。
結構美味しい。
「わりといけるでしょ。」
「そうだね。」
「どうしたの、なんか変だけれど。」
少し、心配そうにジェニファー聞いてきた。
「だって、女性と腕を組んで歩いた事無かったんだもん。」
「そんなこと?本当に珍しく、純情なのね。でもね。興味の無い男性とは腕を組んだりしないから。」
「それって。凄く光栄な事なのかな。」
意地悪く聞くと。
「あなた次第ね。」
彼女も意地悪く答えてきた。
正直に言うと、この時点で、私は彼女にノックアウトされていた。
食事後、私達はホテルに帰り、部屋の前で別れた。
別れ際、ジェニファーが、周りを確認して頬にキスをくれた。
その夜、私はなかなか眠れなかった。
年上の女性の魅力にというより、初めての女性を感じる人との付き合いに、
自分を忘れてしまいそうだった。
コロダイン
週明けに守島が出張先から帰ってきた。
コロダインという町にトラブルで行っていたのだが帰ってくる早々、
機嫌が悪かった。
「佐伯、カラハンの居心地がよさそうだな。」
「どういう意味ですか?」
「ずっと、ここから離れないじゃないか。」
「好きでここに入るわけじゃないですよ。カラハンのトラブルとイスファンの設置計画がありますし。」
いつも以上に妙にからんでくる。
「コロダインはどうだったのですか?」
私はあえて聞いてみた。
「どうもこうも無い。直らないよあれは。」
「どうかしたのですか?」
「報告書を書いてるから読め。なんなら、お前が行って直して来い。」
さらに機嫌が悪くなった。
「そらよ。先輩が出張して、トラブル対応しているのに、カラハンで油売りやがって。」
報告書を投げて渡しながら、さらに毒づきだした。
「だって、ここは産油国ですから。」
言わなくてもいい冗談だったのだが、口が滑ってしまった。
「ふざけるな。貴様。俺を馬鹿にしてるのか。気分が悪い、部屋に帰るからな。」
「どうかしたの健司。」
ジェニファーは心配そうに聞いてきた。
「いつもの守島さんの病気ですよ。俺も、調子乗りすぎた。
コロダインのトラブルが直らないそうです。」
「そうなの?そんなに複雑な現象じゃなかったはずだけれど。」
私は、そのジェニファーの言葉に、もう一度、報告書に目を通した。
確かに、最初の受付の現象は、そんなに難しい現象では無いように思える。
ただ、守島が書いている内容は、かなり難しく複雑なものだ。
これが事実だと、相当厄介な案件になる。
何か人的なトラブルの匂いがする。
手を打つなら早いほうがいい。
「ジェニファー。これを見てもらえますか。ちょっとまずいかもしれない。
これが事実なら、装置のそう入れ換えを考えたほうがいい。営業的にもまずくなるから、一度、私が見に行こうとおもうのですが。」
ジェニファーも、報告書に目を通す。
「確かに。健司の言うとおりね。解ったわ、いっしょに行きましょう。」
「ジェニファーも一緒に行くの?」
「なに?私のパートナーじゃ不服なの?私はコロダインは行った事があるし、向こうの人間も知ってるわ。」
「解りました。」
「そうと決まれば早い方が良いわ。今から、準備していきましょう。」
一旦二人で、ホテルに戻り、荷物を用意して、出かけることになった。
活躍
コロダインは、カラハンから南のほうに飛行機で1時間ぐらいのところにある、南方の中心的な都市だった。
そこの放送設備に装置を収めていたのだが、急に音がならなくなったという事で、サブに切り替えるトラブルが起きていた。
その対応にベテランの守島を行かせたのだ。
それが予期しない結果に。
私達は、その日の夕方には現地入りしていた。
まずは、国営放送コロダイン支局に向かう。
一目でわかる険悪さを肌で感じる。
「ミス アンダーソン。あなたに来ていただいても、状況は改善しないと思うが。」
「どういうことでしょうか。」
「守島はここに何をしに来たのだ。我々を侮辱しに来たのか?装置が壊れたのは、我々の使い方がいけないのだと。
我々にはこの装置を使う能力がないとまで口汚く言ったのですぞ。私達は、このことをかなり重大視している。
あなた方に謝罪要求と、国に対して、GA、青井電気とわが国の取引を停止する事を提案するつもりだ。」
「一体守島はここで何をしたというのですか?」
「ミス アンダーソン。何も知らずに来たのですか。あなたにはいろいろと、対応してもらってるし、助けてもらっている。
それだけに残念だ。あなたに免じてお話しましょう。」
「お願い済ます。アリさん」
「彼は、ここにくるなり、現象を確認した。すると、装置のシャーシーの封印部分が破られているのに気がついたのだ。
我々のスタッフが、直そうとして封印を破ったのだ。そのことに関しては、我々の落ち度といえるだろう。
そのスタッフには、厳重注意をした。だが、彼は、客である我々に対して、罵詈雑言を浴びせた。有償修理になるし、
壊れたのも我々の使い方が悪いとまでいいだした。
そして、使い方も解らないのなら、文明人を装って、ハイテク技術を使うなとまで言ったのだ。
これが許せるかね。しかも、修理代を何とかならないかと交渉しようとしたら、直さずに帰ってしまった。まぁ、だいぶ押さえ気味言ってこのようなことだ。」
「なんて酷い事を」
ジェニファーが涙ぐんでいる。
私の予想は当たっていた。
修理事態は極ありふれたもので、なぜ、直さないのかと思ったら、このようなことになっていようとは。
「それは幾重にもお詫びをします。ですから、修理をさせていただけませんか。後の事は装置が直ってからにして、まず、動いていない装置を動くようにしましょう。」
私は丁重に謝った。兎に角直さなければ、次の段階に移れない。
「君は直せるのか。失礼だが、ずいぶん若いようだが。」
「直せます。今日、今からかかって、明日の朝までには復旧させます。」
「凄い自信だが、装置は直せても、我々との友好関係まで直せるかどうかは解らないぞ。」
「それは、今申し上げたとおり、修理が終わった後の話にしましょう。」
「それと、修理代は払えないかもしれないぞ。」
「そのことも、装置が動いた後の話です。」
私達は、早速作業にかかった。
「やっぱり、アンプ回路だな。」
「そうね。単体ではヘッドフォンで音の確認は出来たから、増幅関係の問題ね。」
ジェニファーも私も、同じ考えだった。
「では、ここの部分なんだけれど、封印を破ってと。」
「ちょっと大丈夫なの?そんな事して、アッセンブリー交換したほうが手間もかからないわよ。」
「それはそうだけれど、私は、封印を破る事ができる社内のライセンスを持っているんですよ。こう見えてもね。それに、アッセンブリー交換では原因まで分からないよ。コストもかかるしね。」
「それはそれは。お見それしました。」
ジェニファーは、おどけながら手を広げる動作をした。
「この波形を見れば解るけれど、入力の波形に対して、出力が出ていない。このICの不良だね。」
「そうね、まさかIC交換するのここで?」
「そうだよ。そのまさかのICの交換をします。」
「マジで?えっもう終わったの?意外に手際が良いじゃない。」
あっという間にICをプリント基板から外し、新しいICを半田付けする。
「ほら、波形が変わったよね。このマニュアルを見て、調整をしてっと。OK。じゃあ全て元通りにして、動作の確認をしましょう。」
アリ局長が心配そうに見ている。
電源ONで、動作確認をする。全て正常動作を確認した。
周りで拍手が起る。
「凄いじゃないか、君が作業をはじめてから、まだ、一時間ぐらいだぞ。」
「いえ、ここまでは、経験を積んだ人間なら、すぐに出来ます。ここからが問題なんですよ。実は。」
怪訝そうにアリ局長は聞いてきた。
「どういうことかね。」
「このICは結構、耐久性に優れているんです。これが壊れるという事は、それ相当の電流が流れた事になります。
おそらくこの装置が壊れた時、停電か何かあったはずです。」
アリ局長は驚いた顔をして、
「どうして解るんだ?確かにそのとおりだ。君はそのときこの近くに居たのかね?」
「いえ、とんでもない。であれば、また、停電になれば同じ事が起きるかもしれません。
この辺りは停電が多いのですか?」
「確かに、日本に比べれば多いかもな。」
やや決まり悪そうに、アリ所長が答える。
「この装置の電源の入力部にヒューズか、安定化電源をつけることをお勧めします。」
「それで、トラブルが減るのなら、お安い御用だが、安定化電源は、なかなかハードルが高そうだ。装置の購入となれば、それ相当の手続きが居る。」
「でわ、ここにヒューズボックスを持ってきています。これを、ここに継げるとしましょう。これなら、何かあっても、たいていの場合、ヒューズの交換で対処できます。」
「完璧だ。君の対応には感謝する。守島の件は君たち二人の対応に免じて、中央へは言わない事にしよう。修理代に関しも。支払うので、後で明細をまわしてくれたまえ。また、安定化電源の件は検討する事にしよう、装置はGAで手配できるのだろ。」
ジェニファーはすかさず。
「ええ。もちろん。ご用命があれば、見積もりいたします。」
「ただし、設置は君たち二人でやってくれよ。少なくとも、守島はよこさないでくれ。」
「そう致します。なるべく早く、彼は不良品として、本国に返品するようにします。」
そう言ったジェニファーの目が笑っていなかったのを、私は見逃さなかった。
だが、周りからは笑いが漏れた。
最初の険悪さは、完璧に払拭されていた。
たった1時間半の作業で、完璧に友好関係まで修復してしまっていた。
その夜の食事は、局内でとった。しばらく動作を確認する必要を感じたからだ。
ホテルに帰った時には0時を回っていた。
彼女を部屋の前まで送り、
「お疲れさまでした。ゆっくり休んでくださいね。」
私は声をかけ、自分の部屋に行こうとした。
「キャー!」
ジェニファーの小さい悲鳴が聞こえたので、慌てて、彼女の部屋に戻り中に入った。
ジェニファーは悪戯っぽく笑いながら、私に抱きつきキスをしてくれた。
「今日のご褒美よ。」
「・・・・・。」
「だって、悲鳴でもあげないと、部屋に入ってこないかなと思ったのだもん。では、おやすみなさい。」
全く、なにを考えていたのか。
でも、そのご褒美は非常に気に入ったものだった。
次の日、眠い目をこすりながら、朝早く放送局に出かけた。
動作の確認をする為に。
装置は順調に動作しており、ホッと胸をなでおろしたところに、
ジェニファーがやってきた。
「健司。何やってるの。こんな朝早くに。」
驚いたようだ。
「そういう君だって、かなり早いと思うけれど。」
私は、にやっと笑いながら答えた。
ジェニファーは怒ったように。
「私は、装置の状態を確認しておいたほうがいいかなと思って。」
「それは僕も同じさ、夕べ遅かったので、起すのは可愛そうだったので、黙ってきたら、考える事同じとはね。」
「起してくれればよかったのに。」
「君も黙ってきているはずだけれど。」
おたがい、顔を見合わせて、笑うしかなかった。
装置は順調に動作していた。
何事も問題なさそうだ。
そこへアリ局長が入ってきた。
「ずいぶん早いじゃないか。」
アリ局長は満面の笑みで話し掛けてきた。
「局長もずいぶんお早いのですね。」
ジェニファーは、そつなく返事を返す。
「君たちの働きには、本当に感謝する。私も、技術畑出身だから、わかるが、
装置は、壊れる。そのときの対応の良し悪しで気分が違うものだ。」
「その通りですね。今回は、大変、不愉快な思いをさせて、恐縮です。」
私は、深々と頭を下げた。
「いや、君たちが悪いのではない。彼の問題だ。」
「いえ、彼も、私たちの社の者ですから。それ相応の対応を検討します。」
「それはいいが、君たちのほうが若いのだから、くれぐれも、気をつけて、対応してくれたまえ。」
この忠告は聞いておくべきだった。
後で、私たち二人は思い知らされる事になった。
初体験
私達は、昼近くまで、立会いを続けたが、
一旦、ホテルに引き上げる事にした。
放送局から、ホテルまでは、歩いてもいける距離なので、
二人で、歩いて戻る事にした。
「何とか、大きな問題には発展せずに済んだようだね。」
「全く、あなたのおかげよ。良く、事態に気がついたわね。」
ジェニファーは感心したように言った。
「それほど難しくないトラブルなのに、直らない理由を、いくつも報告書に書いていたので、
怪しいと思っただけですよ。きっと、人的トラブルを抱えてるんじゃないかなって。」
「流石だわ。」
ホテルまでの通はわりと賑やかで、露店なども出ている。
「結構いろんな露店が出てるんだ。」
「そうね、特に地方都市は多いわね。生活必需品も安く売ってるみたいよ。」
私は突然絶句して、赤面してしまった。
「確かに生活必需品だけど、いいのかな・・・。」
「何が?」
「だって、あれ。」
「もう。すぐ、そういうところに目が行くんだから。男の人って。」
確かに、生活必需品だけど、どちらかというと衛生用品といえる。
コンドームが売られていた。
日本でも、自動販売機が有ったり、コンビにでも売られているけれど。
ホテルのレストランで、ランチをとることにした。
流石に疲れていたが、ジェニファーと居るだけど、気持ちが和んでくる。
「健司って、ギターを弾く割には、手が小さいのね。」
「そうなんだよね、もう少し大きければ、苦労しないんだけれどね。」
「私の国ではね、手のひらの大きさと、男の人のシンボルの大きさが同じって言うのよね。」
私は、危うく、飲んでいた、紅茶を噴出しそうになった。
「どうしたの、健司?図星なの?」
「・・・・・・・」
「意外と、純情なんだ。うふふ」
何と比べてなのか?
どう逆立ちしても、黄色人種の私が、白人と比べられたって勝てるわけが無い。
泣きべそをかきそうになるのもこらえたのは言うまでもない。
「少し私の部屋で、お茶でも飲まない。」
「良いけれど。」
私達は、ランチの後、ジェニファーの部屋でお茶を飲む事にした。
「適当に座ってて。」
ジェニファーは、意外に手馴れた動作で、紅茶を入れてくれた。
ホテルに戻る前に買った、デザートをならべて、私の前に座った。
私は、なんとなく落ち着かなかった。
「健司、日本に彼女いないの?」
「居ないよ。もてなかったからね僕は。」
意外そうな顔をしてジェニファーは、
「どうしてなのかな。とても、フレンドリーだし、かっこいいし。日本の女の子の基準が私にはわからないな。」
一息ついた後にジェニファーが驚くような事を私に話した。
「じゃあ、私を健司の恋人にしてくれるかな。」
24年間生きてきて、初めての経験だった。
頭の中を天使が飛び交っているようだった。
「ありがとう。こちらこそ。」
それを言うだけで精一杯だった。
私は、ジェニファーを抱きしめキスをした。
その日、初めて二人は結ばれた。
ジェニファーがシャワーを浴び。
続いて私が。
二人は、しばらく抱き合って動かなかった。
「最初に言っておいたほうがいいと思うのだけれど、俺、経験が無いんだ。」
「誰もが最初はそうよ。実は私もないの。」
このときほど、こそこそ借りて観たアダルトビデオが役に立ったと思ったことは無かった。
「御願いがあるの、子供はまだいらないから、避妊はしてね。」
ジェニファーの言葉に、やさしくうなずき、コンドームを装着した。
これは、なぜか、日本から、冗談半分にもってきていた、ものだった。
決して、露店で売っている怪しいものではない。
挿入の時も、彼女が耐えているのをやさしくしながら、やっとの事で挿入できた。
その後は、無我夢中だった。
気がつくと、二人抱き合って眠っていた。
私は、ジェニファーの肩にキスをした。
人より遅かったが、幸せな二人の初体験は無事終わった。
報告
その後、放送局は問題なく装置は動いたので、
私達はカラハンに戻る事にした。
報告書を作成し、GA本部にジェニファーが報告した。
間もなく、私の元に、青井電気の総務部から、内密の質問があった。
守島の件で、GAから、相当なクレームが入ったようだ。
私は、包み隠さず、報告をした。
間もなく、青井電気から、守島に叱責が富んだようだ。
「佐伯、はめてくれたな。」
エレベーターを待っていると、守島が詰め寄ってきた。
「何の事でしょうか。?」
「しらばっくれるんじゃない。貴様、コロダインの件、上に報告しただろう。」
血相を変え、つばを飛ばして、詰問してくる。
「ありのままを報告したまでです。嘘の報告は出来ませんからね。」
「貴様、覚悟は出来ているんだろうな。このままではすまさないからな。」
逮捕
部屋に戻って、ソファにー座ると、ノックの音が。
ジェニファーが入ってきた。
私の前に腰をおろして、
「どうしたの?浮かない顔をして。さっき、廊下で守島の声が聞こえていたけれど。」
「だいぶ、脅されたよ。」
「悪いのはあの人じゃない。」
「そうなんだけれどね。」
そこに、新たにノックの音が。
ドアに近づいて、あけると、数人の男が部屋に押し入ってきた。
私は、床に突き飛ばされ、ジェニファーは腕をつかまれて悲鳴をあげていた。
「その手を離せ!何者だ貴様等!」
私は、必死に大声を上げた。
「警察だ。売春の現行犯で、貴様等を拘束する。」
「なに?」
私は目の前がくらみそうだった。
「彼女は、娼婦じゃない。私の会社の同僚だ。そして、フィアンセだ。ましてI国人じゃない。A国人だ。」
「話は、オフィスで聞く。が、あなたは、日本人のようなので、出頭の必要はない。」
「そんな馬鹿な事があるか、売春というなら二人連れて行くべきだろ、一緒に行く。」
私達は、警察官に引き立てられて警察車両に乗せられた。
その途中、なじみのホテルのマネージャーが、声をかけてきた。
「佐伯さん。何事ですか。」
「私と、ジェニファーが、売春と間違えられた。」
「なんだって?」
マネージャーは、警察官に対して、抗議してくれた。
「彼等は、GAのスタッフで、我々の大切な客だ。ホテル側に何の相談もなしにこういう行為は、どういうことか」
「それは本当なのか?」
「嘘をつく理由が無い。」
「あなたも、一緒に来ていただけるか。」
「解りました。当然そうするべきでしょう。」
私達は、警察署に連れて行かれて、取調べを受けた。
もちろん彼女のパスポートで、無罪が証明された。
なんでも、女性が、宿泊客の部屋に入っていったいうたれこみがあり、
以前から、宿泊客が女性を買っているのではという内偵もあり、今回の事件になったという事だった。
実際に彼等は、3階のフロアに目をつけていたのが5階ということで、頭をひねっていたらしい。
「今回は、迷惑をかけてすまなかった。しかし、女性が、男性の部屋に入るのはどうかと思う。
君たちの国では、問題にはならないのだろうが。我々は、やはり、不快に感じる。」
「迷惑をかけたのは、お互い様です。ただ、いきなり突き飛ばしたりの暴力はどうかな。
それに、私達は、結婚するつもりだ。文化の違いは有るだろうが、ホテルではいろんな国の人が居るもんだ。今ひとつの注意が欲しかった。」
ホテルのマネージャーも
「これは、踏み込む前の、我々に連絡をいただきたかった。ミスター佐伯と、ミスアンダーソンは、我々の掛け替えのない友人だ。
彼等が、どういう人間かは、良く知っているつもりだ。」
「とりあえず、引き取りねがって結構だ。」
私達は、釈放された。
マネージャーが、ホテルの車を呼んでくれ、それで帰ることにした。
車中でマネージャーに私は、詫びをいれた。
「マネージャー。すまなかった。」
マネージャーは意に返さず
「いえ、良いですよ。あなた方が悪くないのは解っていますから。ジェニファーさんは大丈夫ですか?」
ジェニファーは手首を抑えながら、小声で答えた。
「大丈夫。少し、手首が痛むけれどね。別に怪我もしていないわ。」
少し、憤慨しながら、マネージャーは独り言のように言った。
「しかし、誰がつまらない通報をしたのでしょう。電話の記録を調べれば解りますが。」
「だいたいの目星はついていますよ。守島さんでしょう。」
マネージャーはそのとき本気で怒りだした。
「えっ!彼ですか?でも、彼こそ、私のホテルで、破廉恥な事をしている張本人なのに。」
「マネージャーさん。気がついていたの?」
ジェニファーの質問に。
「当然です。仕事ですから。」
三人で乾いた笑いをした。
その日の夜遅くに、今度は2階で夕方に有ったのと同じような騒ぎが起きた。
守島が、自室に正真正銘の娼婦を呼んで、ことに及んでいる最中に踏み込まれたのだ。
マネージャーが警察に協力的だったのは言うまでもないが、何処から何処まで、協力したかは不明だ。
しかも、私達は、話をしていただけでも、現行犯だったのだが、彼の場合は正真正銘の現行犯。
言い逃れは出来なかった。
気の毒なのは娼婦だった。彼女は連行されていった。どのような結果になるのかは、だいたい想像できる。
このこともあり、守島は、I国から、追放という事になった。
免職にならなかったのが不思議で、そのため、青井電気では、後々つけを払う事になる。
それはまだまだ先のことだ。
予感
私と、ジェニファーの仲は順調だった。
仕事中は、仕事として割り切っていたが、
オフの時間はいつも一緒だった。
周りも、私たちの仲は公認みたいに扱っていてくれ、
二人は、夜はいつも一緒の部屋で寝た。
そんな幸せなままで3ヶ月が過ぎようとする頃、
出張先から、帰ると、ジェニファーが心なしか元気が無いのに気づいた。
「どうしたの。何かあったの?」
私は、理由を聞いたが、
「何も無いわ。」
そう答えるだけだった。
その日、彼女は自分の部屋で寝るという。
僅かな不安が心に拡がる。
部屋に戻り、久しぶりにレスポールを爪弾く。
ホワイルマイギタージェントリーウィープスが指先から出てきた。
その物悲しいメロディーが余計に不安を煽る。
そのとき、ジェニファーから電話が入った。
「もしもし、健司。やっぱりそっちに行っていい?」
「良いけど。どうしたの?変だよ。」
「なんでもないの。今そっちに行くね。」
そのときの声のトーンは、いつもと変わらなかった。
少し、安堵する。
間もなく、ジェニファーが部屋にやってきた。
ワインボトルを一本もって。
「飲まない?健司」
「良いね。じゃぁチーズがあったと思うから、ちょっと待ってて。」
「健司。私ね・・・」
「なに?」
「あなたのことを本気で愛しちゃったみたい。」
「あなたが出張に出ている間、不安で。」
「ジェニファー。」
私は、ジェニファーを抱きしめた。
「僕も愛しているよ。この先、この国以外のところでも、パートナーになって欲しい。」
これが、私のジェニファーへのプロポーズだった。
「有難う。」
それが、彼女の答えだった。
しかし、次の日にオフィスに行くと、GAのスタッフの様子が妙にピリピリとしている。
何処からその緊張感が来るのか不思議だった。
ビリーという若いテクニシャンに聞くと、GA本部から監査がくるということだった。
本部から監査が繰るなんて、異例だという。
守島のことがあったので、様子を身にくるのかもしれない。
監査は、二日ほどで終わり、
表向き、何の問題も無いようだった。
しかし、このときから、ジェニファーの様子が少しずつおかしくなってきた。
急にふさぎこむようになったり、なるべく明るくしようとしている様では有ったが。
それでも、何事も無く2ヶ月が過ぎ。
ジェニファーは普段の明るさを取り戻したかに見えていた。
そんなある夜、二人で居ると、
「今日は私、安全日なの。だから、避妊具無しで良いよ。」
いままで、避妊にはかなり注意していたのに。
それも懇願するようだった。
私は、そのとき初めて、避妊しなかった。
このときにリンダを身ごもったのだろう。
別れ
何日か、ジェニファーはまた思い悩んでいるようだったが、
私にも何も話してくれなかった。
力になれない事が苛立ち、何とも哀しかった。
数日経つと、ジェニファーに呼び出され、帰国する事になったと告げられた。
「どうして、予定じゃないじゃないか。」
「まあそうね。だけど、命令には逆らえない。」
「たしかに、じゃ、手紙出すよ。そして、俺が、この国の任期が終わったら、結婚しよう。いいね。」
「その話は、今は答えられない。ごめんなさい。」
「どういうこと。」
「私のあなたへの思い、愛は変わらない。それだけは信じて。」
「解った。」
私は、彼女を責めたくなかったので、それ以上聞かないことにした。
ジェニファーが、I国を発つ日。
二人は、長いこと、見詰め合っていた。
口を開くと、泣きそうになるので、黙っていた。
最後に抱き合って、別れを惜しんだ。
彼女が、登場口から見えなくなっても、しばらく私は、そこから動く事が出来なかった。
帰国
次の日、私は、オフィスに出ると、私にも帰国命令が出ていた。
理由を問合せても、「帰って来い。」というだけで、全く理由がわからない。
その日のうちに荷物をまとめ、飛行機を手配した。
帰国し、空港から直接、会社にむかう。
会社では、鈴木部長が、私を待っており、私を応接室に招きいれた。
「お疲れだったね、佐伯君。」
いつもながら、穏やかな、話口調にやや安堵を覚える。
「何があったのでしょうか。突然の理由の無い帰国命令のわけを教えてください。」
「君に落ち度があるとかじゃない。GAのポール社長が、激怒されているんだよ。我々としてもやむおえない措置なんだ。」
「どうして、ポール社長が激怒してるのですか?」
「佐伯君。君はいい青年だ。私は君が好きだよ。多分これからもいろんな人から好かれるだろう。それが、今回よくなかったんだ。
君が、I国で付き合っていた、お嬢さんだが、ポール社長の一人娘だったんだよ。」
私は、顔から血の気が引くのを自覚した。
「まさか、知らなかった。」
「そうだと思う。秘密になっていたからね。」
「しかし、このことで、青井電気は、GAとの合併が白紙になった。ポール社長は、ワンマンな我が儘な性格の方だ。君を処分しろとまで言って来ている。」
「首になるのですか、私は。」
「いや、そこまでは流石に出来ない。君に落ち度は無いし、私は、君に期待をしている。男女間の事だ、何があってもしかたがない。君にしろ、ジェニファーさんにしても、
才能ある優秀な若者だ、二人は違った見方をすれば、さぞお似合いのカップルだろう。しかし、結婚には家族の結びつきも無視できない。
酷いようだが、諦めるんだな。君にはサービス企画に行ってもらう。君にはふさわしくない部署なのだが、こらえてもらえるか。一週間休んでくれたまえ。」
私の頭の中は真っ白だった。
考える事なんて出来なかった。
頭の中に響く言葉は
「なぜ、なぜ、なぜ。」
朦朧とした意識のまま自宅への帰路についた。
部屋に閉じこもっても、明かりさえつける気にならない。
電話が鳴っているようだが、出る気にならない。
留守電が留守を告げている。誰かが喋っているようだが、受話器を置く音がする。
確か以前医者の友人が、海外で眠れない時の為と言って、睡眠薬を処方してくれたっのを思い出した。
それを、手にとって、飲んだ。
だが眠気はやって来そうになかった。
確か、ジャックダニエルを買っていたはず。
コップに、ついで一気に飲み干す。
胃の中が熱く燃えてくる。
数回、繰り返すうちに、意識が遠くなりだす。
誰かが、ドアをノックしているような気がする。
私は完全に意識を失った。
次に気が付くと、酷い頭痛が私を襲った。
起き上がろうとすると、透明な管が私の自由を奪っている。
ベッドの脇には心配そうに篠田明美と岡本真司が私の様子をうかがっていた。
「岡本さん。どうしてここに?ここはどこですか?」
あきれた顔で岡本と篠田は顔を見合わせた。
「何言ってるんだ。何も覚えていないのか?」
「そうよ。あなたらしくないわよ。自殺未遂って。」
私のほうが驚いて、聞き返す。
「僕が自殺未遂ですか?」
「違うの?」
篠田智子は不信な様子で聞き返した。
「何もかも嫌になって、眠ろうと思ったんです。今度目覚めたら、事態が良くなっているのではと思って。でも眠れなくって、それで、以前、医者に、睡眠薬を処方してもらってるのを思い出して、飲んだんです。それでも、眠れなくて、ウィスキーを飲みました。それでも、眠れなくって、何杯かウィスキーを御代わりしたら、意識がなくなって。」
「何馬鹿なことを言ってるんだよ。しっかりしろよ。寝て起きただけで事態が良くなるなら、努力せずにみんな寝て過ごすよ。全く!正直、危ないところだったんだぞ、もう少し俺が着くのが遅かったら、どうなっていたかわからない。」
「いっそ、そのほうが楽だったかも」
「バカよ。女の子と別れたぐらいで、そんなになるなんて。あなたのことを心配している人が、何人居ると思っているの?」
篠田智子は凄い剣幕で私を叱り飛ばした。
そこへ、警察官が入ってきた。
「佐伯さん。事情を伺いたいのですが、自殺を計ったわけじゃないのですか?」
「違います。意図していたわけじゃ有りません。」
「という事は事件性無しですね。全く人騒がせだ。」
そう言って、警察官は帰っていった。
「全く、あの警官が言っていたとおりよ。」
智子の怒りはまだ収まっていなかった。
岡本は、私の大学の二年先輩で、一緒にバンドを組んでいた事もある仲間だった。
卒業後、プロミュージシャンの道を諦め、GAに就職していた。
将来の管理職候補として、早くも頭角を現しつつあった。
篠田智子は、同じく大学の音楽仲間で、私にとって、大切な友人の一人。
岡本は、A国に呼ばれている時に私と、ジェニファーの事を知り、帰国後心配して、私を訪ねてきたということだった。
その途中、私を元気付けようと、篠田を誘っていたのだった。
折りしも私の事故に遭遇して、救急車の手配と、付き添いをしてくれた。私にとっては、運が良かった。
ドアが開き、今度は鈴木部長が入ってきた。
「佐伯大丈夫か?すまない、一人で帰すべきじゃなかった。」
鈴木部長はそう言って、私に頭を下げた。
みんなの気づかいが、申し訳なくて、涙が出でてきた。
「佐伯君。こうやって、あなたのことを、心配して、集まってくれる人があなたには、大勢居るのよ。
そのことを考え直しなさいよ。女なんて、他にも沢山居るんだから。」
その通なのだが、私は素直になれなかった。
「みんなとっては他人事だよ。俺にとっては、そんなに簡単には割り切れない。」
「佐伯、そうだ。みんな他人事さ。それでも。お前に早く立ち直って欲しいとみんな心配しているんじゃないか。」
「兎に角一人にしてくれよ。」
私はそう言って、ベッドの布団を頭から被った。
全員廊下に出て行く気配だけを感じた。
篠田智子
私は、一晩病院に泊まり、次の日、自宅に返された。
智子は家が近い事もあり、毎日、私の様子を見に来てくれた。
そんな智子を私は鬱陶しくさえ感じていた。
少し考えれば、智子の気持ちを理解できたはずだが、私は、親友としてしか見ていなかったので、
智子の私への好意は全く気がつかなかった。
ある日智子が、
「佐伯君。私の事どう思っているの?」
と聞いてきたが、私は、即座に、
「いい友人を持ったと感謝しているよ。」
と答えた。
哀しい顔をして、智子は
「そんなにジェニファーさんの事が忘れられないの。私だって、佐伯君の事好きだったんだからね。」
驚いた顔をしている私に。
「いいの。実はね。親元で、縁談が進行しているの。佐伯君のことを諦めるいい機会かもしれない。明日、東京を引き上げて、田舎に帰る事にした。」
そう言って、彼女は、笑いながら部屋を出て行った。
私が、慌てて追いかけると、ハンカチで顔を抑えて、走っていくのが見えた。
その夜、岡本さんから呼び出された。
会うなり、岡本の強烈な一発を浴び私は倒された。
「貴様、智子に何をした?さっき泣きながら、電話してきて、明日、田舎に帰ると言ってきた。」
私は、切れた口を手の甲でぬぐいながら、
「何もしていませんよ。何も。」
「彼女が私に、好意を持っていたなんて知らなかった。自分の事どう思うか?と言うから、いい友人だと思うと言っただけですよ。」
「それで?」
「そしたら、さっき岡本さんが言われたように、明日、田舎に帰るって。」
「それだけなのか?」
岡本先輩は、何か勘違いをしたらしい。
「しかし、智子は、お前の事が好きだったというのは、有名な話だったんだぞ。知らなかったのか?」
「知るわけ無いでしょ。告白されたのもさっきが初めてだし。」
面食らったように岡本先輩は、
「お前、本当に女の子の気持ちに疎かったんだな。てっきりお前等、出来てたんだと思ったよ。すまなかった。」
悪い噂
それからしばらくして、私は、会社に復帰した。
しかし、そこには、私の身の置き場がなくなるほどに、嫌な空気が流れていた。
総務を中心に、私のよからぬ噂が流れていた。
ジェニファーが、GAの社長の令嬢だということは、秘密だったので、任期途中で、私が帰国させられたのは、
I国で私が、現地の女性にセクハラをしたためというまことしやかな噂が流されていた。
その噂は、相当な速さで、社内をめぐり、守島が行った事件の事まで、私がした事にされていた。
当然、私を見る女性社員の目は非常に厳しく嫌なものだった。
私は、その噂にも打ち勝たなければならなかった。
しかし、真っ向から、否定をするような事をしなかった。
目の前にある仕事を、誠実にこなす。
それが私に与えられた、挽回方法と信じたから。
現実は厳しかった。それまで、同期でも評価の高かった私だったが、
主任に上がるのも、係長に上がるの、同期では一番最後というありさまだった。
乗り込む
I国から帰国後、半年経った頃。
私は意を決して、A国のアンダーソン家に乗り込む事にした。
ジェニファーに手紙を書きつづけていたが、返事は一切返ってこなかった。
自分自身の心に決着をつけるためにA国に行く必要があった。
アンダーソン家の家の大きさにまず圧倒された。
しかし、ここまで来てしり込みは出来ない。
ベルを鳴らし、来意をつげた、
プロレスラーのようなガードマンが現れ、私に、帰れといった。
押し問答がしばらく続いた。
「どうしても、会わせて貰えないのですか。」
「お嬢さんは、ここにはいないんだ。」
「では、ポール社長に会わせて欲しい。」
「社長も、お前なんかに会わない。悪い事を言わない。すぐに帰れ。」
そこへ、偶然、ポール社長を乗せた、リムジンが通りかかった。
「ジョージどうしたんだ。」
ポール社長は、ガードマンに声をかけた。
このときとばかりに私は、ガードマンとポール社長の間に割り込んだ。
「ミスター・アンダーソン。私は、佐伯健司です。名前だけはご存知だと思います。あなたにお会いしたく、日本からやってきました。」
一瞬驚いた顔をしたが、
「知らんな。邪魔だからそこをどきたまえ。」
「いいえ、どきません。お話をするまでは。」
「話すことなんかない。目障りだ、どけ。」
そう言って、彼は、強引に車を発信させた。
すんでのところで、私は、車を交したが、拍子に、道路に倒れ、弾みで、足首を捻挫した。
それでも、そこを引き上げずに、家の前で、待ち続けた。
夜になり、朝が来た。そして、その夜。
ポール社長が、家に入れてくれた。私への侮辱を用意して。
「何をしに着たんだ。」
「ジェニファーお嬢さんとの交際を許していただく為です。」
「それは出来ない。」
「何故ですか?」
「君のようなアジア人にアンダーソン家に入って欲しくないんだよ。」
「そんな世界的企業の、GAの社長が言う事ではないのではないですか。」
「なんとでもいえ。金が目的か?いくら欲しい。手切れ金ぐらい、払ってやる。」
そして、ポール社長は、使用人に言いつけて、金を持ってこさせた。
いくら有ったかは知らない。札束が、いくつか並んでいた。
「私を馬鹿にするのですか?金が目的なんかじゃない。私の目的は、ジェニファーとの結婚だ。」
「だから、それはゆるさん。と言っている。」
そのまま、札束を投げつけられた。
私は、
「解りました。これだけは覚えておいてください。金で、魂は買えません。
あなたが、あのジェニファーの父親だなんて信じられない。でも、あなたに会ったことで、あなたを心置きなく、憎む事ができる。」
そういい残して、札束を丁寧に積み上げ、その場に置き去りして、家を出た。
音楽活動再開
帰国後。GAから抗議や嫌がらせがあると思っていたが、何もおきなかった。
私は、音楽活動を再開することにした。
ボーカルだった、清水修治に声をかけると、すんなりと快諾を得た。
しかし、その後は、メンバー集めに意外と苦労した。
ドラムだった、岡本先輩は、声をかけたが、参加できないという返事が一番に帰ってきたし、
キーボードだった、篠田智子は故郷に帰っていて、実際無理だった。
ドラムには、岡本先輩のライバルと言われていた、鮫島弘に声をかけ、何とか目処が立った。
キーボードにはオーディションで、小笠原麻衣子が決まった。
若干二十歳という、年齢の割にはしっかりしたテクの持ち主だった。
知り合いのライブハウスで、リハビリと感触を確かめるべく、小さなギグを行った。
思いのほか好評で、私のテクがいささかも衰えていないことに、満足し、
また、メンバーのポテンシャルの高さを実感した。
I国から帰国して、5年.
私の音楽活動は、ますます、充実してきていた。
バンド名はリトルウィングとして、アマチュア界ではそれなりに知られたバンドに成長していた。
自主制作CDも作成しインディーズでそこそこ売れ、
非公式ながら、JPOPの女性ボーカルのバックでレコーディングなんてのも会社に内緒で行っていた。
たいして、お金にはならないけれど、音楽をやっているという思いが、生活に幅をもたらした。
音楽活動が充実すると、不思議なもので、会社の仕事面での評価も好転してきた。
悪い噂は、相変わらず、総務部の近くには蔓延していた。
しかし、自分の所属する部内では、完全に払拭されていた。
それどころか、頼りにしてくれる、後輩たちが、男女の関係なく多数現れた。
また、私にさいわいしたのは、鈴木部長が、昇進し、常務取締役になった事だ。
そして、30歳の記念ライブを行った。
このとき、全開のライブから少し期間があいていた。
女性シンガーのレコーディングなんかがあり、2ヶ月ライブから遠ざかっていた。
それだけにオーディエンスも出演者も緊張感を持って、ライブにあがった。
その緊張感が心地よく、演奏は、かなり攻撃的でスリリングでエキサイティングだった。
ライブの後もしばらく動けないぐらいだった。
まさか、このライブが私の何度かある人生の転機になるとは思っても見なかった。
須藤美紀
「あの、佐伯さん。」
「ハイ?」
「私、昨日のライブ観にいっていたんですよ。」
会社で私の音楽の事を知っているのは、極少ないので、かなり驚いた。
それも、話し掛けてきたのは、秘書課の須藤美紀だったから、二度驚きだった。
彼女は、伊東美咲に似た清楚な美人だった。
秘書課での私の評価は、かなり根深く悪い、総務が近い事も会って、最悪と言っても間違いはない。
その秘書課でも美人と評判の須藤さんに”ライブを見ました”といわれたものだから、どう対処していいかわからなかった。
「CDも買ったんですよ。」
この言葉はさらに私を慌てさせた。
差し障り無く、言ってもらえれば、サインしたのにと冗談ですり抜けて、その場を去ろうとした。
悪い噂のことを、聞かれたり、身に覚えの無い事を、言い訳するのもばかばかしくて嫌で、避けていたかったから。
この噂が出るたびに、ジェニファーを思い出す。
いい訳するより、このことのほうが本当はいやだった。
次のライブの話を聞かれたので、持っていたチケットを渡し、早足でその場を後にした。
後で聞いた話だが、彼女と同じ秘書課の職員が、彼女に私の噂の話をして、後輩の後藤が注意したらしい。
その二週間後のライブは、本当にいい出来だった。
演奏するのが楽しくて、バンドのメンバーが一体になっていた。
と言っても、本職はみなサラリーマンだったりするので、終わると余韻もそこそこに会場を後にしなくてはならない。
大急ぎで機材を片付け、表に出る。
「健司、今日の出来は最高だったよ。」
ライブハウスの従業員が話し掛けてくる。
「次はさらに、最高だと言わせるよ。ハハハ」
そんな軽口をたたきながら、楽屋から出てくると、
「サインいただいて良いですか?」
戸惑いながら声をかけてきた、女の子を見て、驚いた。
須藤さん達だったから。
まさか、来てくれると思わなかったし、サインをしてくれと言われるとも思っていなかった。
全く想定外だった。
私は、気安くサインして、次のライブのチケットをプレゼントした。
できるだけ、足早に自然にその場を離れるようにした。
最初は、私は美紀のことを避けていた。
先にも述べたように、悪い噂の事を聞かれるのも嫌だったし、
女性を好きになりたくなかったから。
ジェニファーとの事があって、私はさらに恋愛には臆病になっていた。
そんな姿勢が、女性には冷たく感じられたのかもしれない。
なるべく女性には近づかない。
これは、自己防衛手段だった。
それから、ライブを行うたびに、美紀の姿が目に付いた。
何故だか、彼女に私の音楽が気に言ってもらえている。そのことが不思議で仕方がなかった。
何がそんなに気に入ってもらえたのだろう。
彼女はどちらかというと、ハードロックより、クラシックが似合いそうなのに。
メタルファンばかりのライブハウスの中で、彼女の存在は異彩を放っていたのは間違いが無い。
私は、ようやく美紀が気になりだした。
それは、異性と言うより、何故私の音楽が気に言っているのか。
その興味だった。
接近2
何組かのバンドでライブをやった時に、早い出番だったので、
演奏後に彼女と彼女の友人の席まで行ってみた。
そして、食事に誘ってみた。
私には、凄く勇気の要る行為だった。
彼女は、純粋に音楽が好きで、いろんな音楽を聴いているとの事だった。
クラシックにも造詣が深く、バイオリンやフルートも演奏するとの事だった。
私の音楽で、ソロ部分にクラシックのにおいがあるので、興味が湧いたそうだ。
ネオクラシカルの洗礼を受けて自分なりにいろいろと、試していたのがわかってもらえて凄くうれしかった。
その後、私は自分自身、信じられない事に彼女を、レコーディングスタジオに誘っていた。
その時、人気の哀川夏樹というJPOPの女性ボーカリストのレコーディングを手伝う事があったので、その現場に、彼女を招待してしまった。
これは、自分自身考えられない事だった。ほんの少し、ジェニファーにうしろめたさを感じた。
当日、彼女とはスタジオ近くの喫茶店で、待ち合わせをした。
私が、喫茶店に入っていくと、すでに彼女が待っていてくれていた。
「おはようございます。」
美紀は、微笑みながら、挨拶をくれた。
「やぁ。おはよう。迷わなかった?」
「大丈夫でしたよ。」
美紀はにこやかに答えた。
スタジオに着くと、スタッフはすでにそろっていた。
「健司さん。どうしたの、珍しく女の子連れじゃないですか。」
スタッフの一人が軽口をたたく。
「たまには、いいでしょ。最近水不足だから、雨でも降らさないとね。」
みんな良いスタッフだから、部外者は困るとも言わなかった。
レコーディングルームでは、リトルウィングでキーボードを弾いている、
小笠原麻衣子がリハーサルをしている。
彼女のテイクを録音するらしい。
「あの女の人、佐伯さんのバンドの人じゃない。」
「元々、夏樹さんは、彼女の友人だからね。そのつながりで、私が、レコーディングのお手伝いをしてるんだ。
さて、そろそろ私の出番みたいなので、ウォームアップはじめるよ。」
私はそう言って。愛機のアイバニーズAR300のチューニングをし、スケールを弾きはじめた。
「凄い早いのね、佐伯さんの指って。」
「でも手は遅いのよねこの人。」
振り返ると、レコーディングをおえたばかりの、麻衣子が笑って立っていた。
「何の手?」
美紀が麻衣子に聞き返すに麻衣子はばつが悪そうな笑いにかわっていた。
私は、持っていた、ギターを落としそうになった。
私は何曲かを弾いたが、結構かっこいいテイクがとれた。
ライブには参加しないので、あまり自分らいフレーズは出さない事にした。
順調に、レコーディングと打ち合わせは終わったので、
スタッフ等みんなで食事会という話になりかけた時、
麻衣子が、今日は止めにしましょうよと言い出して、みんなを驚かせた。
健司さんは、美紀さんを送っていかなければならないから。
その一言で、みんなの飲みたいモードを見事に消してしまった。
私たち二人は、先にスタジオを出て、二人だけで食事に行く事になってしまった。
スペイン料理のお店を知っていたので、パエージャを食べようということになった。
「お酒飲めなかったんだよね。ジンジャエールでもどう?」
「なんか子供みたい。サングリアってなに?」
「ワインに果物を漬け込んだお酒ですよ。」
「それ美味しそう。」
「止めときなって、結構周りだすから、おこちゃまなんだから、ジンジャエールにしときなって。」
美紀は、ほっぺたを膨らまして、しぶしぶ同意した。
私は、その顔を見て、胸がうずくのを感じた。
とっくの昔に捨てた懐かしいうずき。
その事に気づき、うしろめたさを感じて慌てた。
そのうしろめたさとは逆に、食事は楽しいものになった。
何年ぶりだろう。女性と二人きりで食事をしたのは。
何年ぶりだろう。こんなに楽しく食事をしたのは。
そう思い感傷的になる。
美紀を家まで送っていく事にした。
それほど遅い時間ではなかったが、一人になるのが私自身怖かった。
「今日は、本当に有難うございました。」
美紀はそういい家の前で、私に笑いかけた。
「今日は、つき合わせて、御免ね。退屈じゃなかった?」
「スタジオなんて、そうめったに見られるものでは、無いし、楽しかった。また、誘っていただけますか?」
私は、耳を疑った。私にはありえないシチュエーションだった。
「喜んで。じゃぁおやすみなさい。」
30歳にもなって恥かしいが、心臓の高鳴りが聞こえてきそうだった。
マンションに帰ると、うしろめたさと自己嫌悪。それに、ときめきが私を苦しめた。
私は、美紀に心を奪われてしまいそうになるのを何とかこらえようとしていた。
また、あの悲しみと無力感を味わうのだけは、なんとしても避けたかった。
そのくせ、美紀の顔が浮かびもう一度会いたいと思う。
会いたいも何も、明日会社に行けば会えるのに。
私はどうしてしまったのだろう。
戸惑いまでも感じてしまう。
そのとき、インターフォンがなった。
先ほどスタジオで別れた、麻衣子がドワの前で立っていた。
「どうしたの?マイちゃん。」
「やっぱり帰っていたんだ。健司さんと少し飲みたいなと思って。付き合わない?」
「いいけれど。」
二人で、近くの、ショットバーに向かった。
静かなジャズが流れる落ち着いた雰囲気の店だった。
「良かったね健司さん。」
「何が?」
私は、とぼけて聞き返した。
「もう。何がじゃないわよ。やっと、呪縛から抜けられるんじゃない。」
少し苛ついた様子で麻衣子は私に言った。
「俺と、須藤さんはそんなんじゃないよ。」
私は、美紀に対する思いに嘘をついた。
「嘘よ。そんなの。」
意外なほどキッパリと麻衣子は言った。
「どうして、そんなこと。。」
麻衣子は少し酔っているようだった。
「もう十分じゃない。昔の女性の影を追うのは。あなたは人を愛さなければ、いけない人よ。
あなたのギターの音はいつも苦悩で苦しんで泣いているような音だもの。」
「そんなに苦しそうかな。」
「苦しそうよ。」
「・・・・・・」
「人を愛せば、音も変わるわ。」
そういいながら、麻衣子は、ソルティー・ドッグを傾けた。
「あの彼女、健司さんのことが大好きみたい。大事にしてあげてほしい。」
「どうして、君はそんな話を俺にするんだ?まさか。」
「それ以上は言わないで。私は、健司さんの音楽が好き。ギターが好き。これからも健司さんのバンドで一緒にいい演奏をしたい。
やっと健司さんも人の気持ちがわかるようになってきたんだ。それじゃ私は帰るわ。」
「最後に言っておくけれど、健司さんは、自分で思っている以上に、女性から見て素敵な男性なのよ。」
そういい残して、麻衣子は店を後にした。
一人残って、ジントニックを飲み干し、溜息を一つついた。
胸のロケットに手をやり、中を覗く。
ジェニファーが微笑んでいる。
そのまま、元に戻し、自宅に向かった。
嫌がらせ
次の日、社員食堂で、一人食事をしていると、
美紀が、私の前の席に当たり前のように着席してきた。
「この席座ってもいいですか。」
「聞く前に座ってるじゃない。」
私は、思わず苦笑した。
「昨日は有難う。楽しかったです。」
「こちらこそ。パエージャ美味しかったよね。」
「本当に。また美味しいもの食べに行きましょうね。」
屈託無く、美紀が笑う。思わず、ドキリとする。
何とも魅力的な笑顔だ。
「須藤さん。私と、こうして食事すると、あなたに迷惑がかかるかも知れないよ。」
私は真顔で美紀に注意をした。
「どうしてですか?」
「だって、私は、総務や秘書課からは、ゴキブリ以下に嫌われているから。」
「私は気にしませんよ。佐伯さんは悪い人じゃないのは、とっくに知っていますから。」
キッパリと言い切る美紀に意外な強さがあることにこのとき気づいた。
「ふん。しばらく大人しくしていたのに、また、たらしこんでいるのか?」
そういいながら、守島が近づいてきた。
「須藤さん。こいつの事知らないのなら教えれあげるけれど、こいつはね・・・。」
「守島課長。遠慮しておきます。私は、自分の見たものを信じます。」
守島の顔が青ざめていく。
「守島さん。過去に私とあなたに何が有ったかは周りの人間には関係の無い事じゃないですか。
あなたが私を嫌うのは、勝手です。人を巻き込むのはお止めになったらどうですか。
それとも、あなたは、I国のホテルであったことをこの場で私に喋らせたいのですか?
私は、あなたに係わり合いになりたくない。だから、いままで、黙った来ましたが、
これ以上調子に乗られるというなら、ことの真実を明らかに致しますが、よろしいですか。
あなたが、余計なことをしないのなら、私も、喋らない。」
守島の顔が、さらに青ざめる。
「ふん。解った。そういうことならな。佐伯。好きにすればいいさ。お前が、何処の女とよろしくやろうと、俺には関係ないからな。」
守島は、汗を吹きながら、その場を後にした。
溜息をつきながら、
「こういうことなんだ。私のせいで、不愉快な思いさせて、申し訳ない。
だから、これ以上私に係わらないほうが、いいよ。須藤さんにとって。」
私は、そう言って、席を立とうした。
「佐伯さん。今日早く終われないですか?なんだか、むしゃくしゃするので付き合っていただけませんか。」
「しかし、今見ただろ。私と一緒にいると・・・・」
「私は、自分の目を信じていますから。」
「しかし、・・・・」
「それとも、私と付き合うのは嫌なんですか?」
哀しそうな顔で、美紀は私を見据えた。
「フーーン。OK。何か食べに行くか。」
なんとなく断りきれなくて、そう答えてしまった。
「じゃぁ、定時後、正門前で待ってますから。」
彼女は、微笑みながら、そう答えた。
ジェニファーにうしろめたさを感じずにはいられなかった。
仕事後、正門前に行くと、ちょうど美紀も来た所だった。
「なに食べに行きますか?」
美紀は手を振りながら近づいてきて、聞いてきた。
「昨日はパエージャだったから、和食がいいんじゃないかな。」
「そうですね。じゃあ、お寿司行きましょうか。」
美紀は、そう言って笑った。
「私の、知っているお店でいいかしら。」
そう言って歩き出していた。
美紀が連れて行ってくれたのは、結構名前の通っている、老舗だった。
意外と美紀は、この店では顔が聞くらしかった。
美紀はアルコールがダメなので、ビールとウーロン茶で乾杯をした。
私は、あえて、守島の話を出さなかった。
噂の話に触れるのはやはり嫌だった。
美紀の前で、ジェニファーのことを思い出したくなかった。
彼女も、守島の事は全く出さず、噂のことも全くしなかった。
もっぱら、音楽の話で盛り上がった。
店を出たあと、二人でカラオケに言って、歌いまくった。
意外と、美紀は歌が上手かった。
女性と二人でいて、楽しいと思ったのは何年ぶりだろうか。
ジェニファーと過ごしたあの時以来だった。
そんなに遅くならないうちに、私は、美紀を家まで送っていった。
玄関先で、別れるときに、
美紀に呼び止められた。
「佐伯さん。」
「何?」
「今、彼女いないんですか?」
「ああ。」
「私を、彼女にしてもらえないですか。」
「・・・・・・」
「ダメなのかな。」
「ダメじゃないよ。今度の日曜日ドライブでも行こうか。」
「ハイ。」
もう、後には戻れない。
少し前向きに生きてもいい頃かなと思い、覚悟を決めた。
私は、その日、部屋に帰り、ロケットを外した。
そして、捨ててしまった。
美紀なら、ジェニファーとの事関係なしに付き合える。
そう思った。
自分自身の人生を歩き出す勇気が出てきた。
怪文書
次の日、会社に行くと、
怪文書が周っていた。
”サービス企画部のS主任が秘書課の花、MSさんを毒牙にかけようとしている。
かつて、女性問題で、海外出張を任期途中で帰国させられたのに懲りない奴だ。
このようなセクハラ野郎は懲戒処分にすべきだ。”
早速、嫌がらせが始まった。
今度は、知らん顔では済ませられないな。
いっそ、守島を潰そうか。
気が重かった。
昨日までの、前向きな気持ちが、一気になえていくのを感じる。
そのとき、鈴木常務が私を訪ねてきた。
「君も大変だね。このような怪文書が回ってしまってわ。」
「申し訳ありません。常務。」
私は、ただ、頭を下げて詫びるしかなかった。
「君が謝る事は、無いだろう。むしろ、きみは被害者なんだから。この件、私に任せたまえ。いいね。決して、勝手に動かないように。」
それだけ言うと、常務は出て行った。
常務の署名入りで、この怪文書に対して、厳重注意を呼びかける文書が回った。
”先ごろ、個人を攻撃、中傷するような文書が回ったが、実に遺憾に感じる。
全く事実に基づいたものではない。S主任が、任期途中で帰国したのは、セクハラでもなんでもない。そもそも、任期など設けていなかった。出張命令書を見れば、一目瞭然。彼の帰国は、サービス企画部が
その当時、人員不足になり、深刻な状態になっていたからだ。今後このような怪文書が出た場合、社としては、厳正な態度で臨むつもりである。すでに、本件に関して、公的機関に相談済みである。”
一気にこの怪文書の件は沈静化してしまった。
そして、私の噂が、会社が、公然とデマで有って根も葉もない事だと言い切ったのだ。
これを気に、秘書課でも私に対する悪い印象は消えてしまった。
これは美紀の力によるところが大きい。
改めて、私は常務を訊ねた。
「有難うございました。おかげで、助かりました。」
私は丁寧に頭を下げお礼申し述べた。
「何、当然のことをしただけだよ。君には本当にすまないと思っているんだよ。もし君が、他社に行けば、どのような事になるかを考えると、恐ろしいよ。それより、今日の夕方、何か予定は言っているか?」
「特に入っていませんが。」
「なら、たまには付き合え。」
その雰囲気には有無を言わせないものが有った。
常務が私を誘うなんて、まず無い事。訝りながらも、従うしかなかった。
挽回
仕事を片付けて、定時に常務のところに行く。
少しだけ、待って、一緒にタクシーに乗り込み見るからに高そうな、料亭に連れて行かれた。
玄関で気おされている私に常務は、
「君に是非有っておいてもらいたい人がいるんだ。気の置けない人だから、気楽にすればいいよ。」
それだけ言って、さっさと中に入っていく。
私も、置いてきぼりは困るので、くっ付いて入っていく。
座敷には、すでに、先客が来ていた。
初老と言うにはやや早い感じの、スリムな紳士が私たちを出迎えた。
「鈴木。わざわざ呼びたてて悪いね。ええっと、その彼は?」
「私のいま、一番目をかけている部下だよ。サービス企画部の俊英で佐伯と言うんだ。彼の事なら、口も硬いし、気にせずにいいよ。たまには、社外の人間とのつながりも必要と思って、連れてきたんだ。佐伯君。こちらは、私の大学時代からの友人で、須藤建設の社長で、須藤孝明氏だ。」
その苗字に引っかかるものを感じながら私は、
「佐伯健司といいます。よろしく御願いします。」
まるで、新入社員のような挨拶をした。
「何か心配事でも有るんだろ。娘さんののことか?」
常務は、打ち解けた様子で、須藤氏に切り出す。
「そうなんだよ。最近、会社で変わったことないか?様子が変なんだよ。」
「どんな風に。」
「聴く音楽が変わった。クラシック好きの娘が、ハードロックなんかを聴きだした。
私も好きなので、喜んでいる反面、急な変わりようが気になってな。
あのぐらいの年になる彼氏が出来ても、仕方がないのだが、内緒にされるのが寂しい。
それに、最近こんな怪文書が投函されてね。見れば、君の会社の便箋だ。親ばかといわれようと、娘は気になる。」
私は、身の置き場に困った。
苗字に引っかかるはずで、社長は、美紀の父親だった。
私は、またしても、実らない恋愛だったと、失望を覚えた。
傷が深くなる前にわかってよかった。
そう一人思いを巡らせた。
怪文書は、社内で回っていたのと、全く同じ文書だった。
「まったく、馬鹿な文書を作成してまわす、愚か者がいるもんだ。この件は、社内でも取り上げて処理したよ。警察にも届けた。心配かけて申し訳ない。」
溜息をつきながら常務が話す。
「そういえば、佐伯君はサービス企画部だったよね。このS主任に心当たりが無いかね。」
須藤社長は話を私に振ってきた。
私は、このとき、鈴木常務に裏切られた気持ちを持った。
私は、開き直るしかなかった。
「そのS主任なる人物は、私の事です。ご心配かけて、申し訳ありません。」
キッパリと言い切った。
話をごまかすのも嫌だし、これ以上、いじられるのも耐えられなかった。
「なるほど、鈴木が君をここに連れてきた意味がやっとわかったよ。」
「どうだ、須藤。こいつはいい奴だぞ。普通、この場で、しどろもどろになるだろうが、そうならない。キッパリと自分に不利になりそうな事も言い切る度胸を持ち合わせている。」
常務は、私を庇ってくれている。
私は、居心地の悪さに、すぐに席を立ちたかったが、出来なかった。
「遅くなってすみません。」
明るい声がして、美紀が入ってきた。
一瞬にして、声が凍りつく。
「どうして、佐伯さんがここに。」
「美紀ちゃんの、彼氏を、須藤に紹介していたんだよ。」
「常務どういうつもりですか。冗談が過ぎませんか。」
美紀が、常務に食って掛かった。
「まあ、待ちたまえ。美紀も、そこに座りなさい。私は、まだ、自分の意見を言っていないんだぞ。」
美紀が、不承不承に席につく。
「美紀、いい彼氏じゃないか。父さんは一目で気に入ったよ。こんな良い彼氏が出来たのに、内緒にする事は無いじゃないか。」
「お父さん。」
私も、美紀も意外な、須藤社長の言葉に思わず、言葉を失う。
「佐伯。だから言っただろう。気楽にしてろって。」
常務が苦笑交じりに、私に言った。
「私も、こういう立場だ。いろんな人に会う。それなりに、人物を見る目はもっているつもりだ。君なら大丈夫だ。美紀を頼む。」
「そんな、買被りです、私から、交際をお願いしにあがらなければならないところですのに。未熟者ですが、よろしく御願いします。」
「お父さんも、佐伯さんも有難う。」
美紀はすでに涙ぐんでいる。
「美紀ちゃん。お膳立てしたのは、私なんだから、私にもお礼を言ってくれないか。」
「もちろん。鈴木のおじ様も有難う。」
しかし、考えたら、このような形で父親に紹介されてしまうと、退路を絶たれたのも同然だった。
逃げるわけでも、逃げたいわけでもないのだが。
それからの食事会は、アットホームな雰囲気で流れた。
私のアマチュアミュージシャンとしての活動について、かなり質問が飛んだ。
須藤社長も昔、ジャズのドラムをやっていたとの事で、かなり打ち解けられた。
I国の話題が出なかったのが、私にとっては、さいわいだった。
デート
そして、約束の日曜日に、私は、愛車スカイラインGT-Rで彼女の家まで迎えに言った。
夜しか行ったことがなかったので、暗くて解らなかったが、
豪邸と言っていいほどの立派な屋敷だった。
気押されながらも、インターフォンを鳴らす。
すぐに美紀が出てきて、車を見て一言。
「かっこいい。スカイラインなんて、意外。」
「どうして。」
「もっと、実用的な車に乗ってるのかなともったから。ツーリングワゴンとか。そのほうが、楽器とか運びやすいでしょ。」
確かに一理ある。
本当は、ワゴンに乗り換えようかと思ったことも幾度かあった。
「ひょっとして、土禁ですか?」
「まさか。」
「良かった。」
顔を見合わせて笑う。
「お父さんは?」
「さっき、裏で、ゴルフの素振りしてたわよ。」
「挨拶だけしたいのだけれど。」
「そうね。ちょっと待っててね。」
そう言って、美紀は、また家の中に入っていった。
しばらくして、須藤社長が、顔を出した。
「やぁ。おはよう。今日は、良い天気でよかったね。美紀を頼むよ。」
ご機嫌で迎えてくれた。
「おはようございます。この前は、すみませんでした。ご馳走になってしまって。」
「ああ。いいよ。そんなこと。それより、気をつけて行ってきてくれよ。」
そう言って、私を手招きして、内緒話をするように私にいった。
「子供はまだ早いからな。」
私は、赤面してうつむいたところを、社長に御尻をたたかれた。
「何してるの男同士で。」
美紀が疑わしそうに私たちをにらみつけている。
笑ってごまかして、車に乗り込み、出かけることにした。
「何はなしてたの?お父さんと?」
車を走らせるなし美紀は、悪戯っぽく笑いながら聞いてきた。
「いや。別に。ただの挨拶だよ。」
そう言って、ごまかす。
「うそ。顔が赤くなってるわよ。いやらしい事いわれたんじゃないの。」
「・・・・・・」
「嘘がつけないんだから。私達は私たちのペースで付き合いましょうよ。ね。」
私たちのペースと言うより、すでに、主導権を握られている。
苦笑をしながらも、幸せを感じている、もう、ジェニファーに対する、うしろめたさも感じなくなっていた。
車は鎌倉に向かっていた。
鶴ヶ丘八幡宮にお参りをして、
海辺に向かう。
夏はにぎわう、砂浜に下り、春の風を浴びる。
砂浜に腰を下ろして、二人で海を眺めて時間を過ごす。
子供たちが向こうで、ボールをけって遊んでいるのを二人で眺める。
平和な春の一時。
取り止めの無い会話。
美紀が作ったサンドウィッチのお弁当をふたりで食べる。
それから、横浜に向かってショッピングを楽しむ。
夜は、スタジオに入る予定になっていたので、スタジオの近くの喫茶店で、
スコーンと紅茶を楽しんだ後、楽器ショップで、ギターを見る。
ギブソン・フライングVの前で、立ち止まる。
「ねえ、どうして、このギターこんな形しているの。」
美紀の質問に
「さあ。ルックスの問題だろうね。でも、このギターでしか出ない音も有るんだよね。」
「そうなんだ。弾き難そうだけど。」
「まあね。」
そこへ、店員がよってくる。
はじめてみる顔だ。
「良かったら弾いてみられますか。」
じゃぁ、ちょっと弾かしてくれるかな。
少しならしてみると、マホガニーのやらかい音が心地いい。
このギターを持ってしまうと、どうしてもシェンカーを弾いてしまう。
ドクター・ドクター、ロックボトム、に始まり、イントゥ・ジ・アリーナ、キャプテンネモ。
少し大人気ないぐらいに余裕のポーズで弾いて見せた。
「どう。」
「ウーーン。弾き難い。」
美紀が爆笑している。
固まっている店員にギターを返して、スタジオに向かった。
スタジオには、メンバーがすでにそろっていた。
二人で入っていくと、
「何珍しい事してるんだよ。」
修治が悪態をついてきた。
「たまにはいいじゃん。」
「今日のスタジオ代、健司持ちだからな。」
「それは無いだろう。」
メンバーのやっかみをいなしながら、早速、練習に入る。
1週間後のライブの為のセットリストつくりもかねているので、みんな気合が入っている。
カバー曲を数曲練習した後、
オリジナル曲を演奏する。
実は、この日、ニューギターを私は下ろしていた。
ESPのカスタムメイド。
ホライズンタイプのボディ。
材はマホガニーのバックにキルティッドメイプルのトップ。
赤のシースルー。24フレットのスルーネック。
フロイドローズのブリッジだ。
一曲目から自分でも、音が変わったのがわかる。
厳しいの荒々しいまでの悲壮感が影をひそめ、
音にやさしが加わっている。
流麗で、みやびかさがでている。
オリジナルを3曲弾いたところで、休憩する。
麻衣子がよってきて
「いったでしょ。音が変わるって。これがあなた本来の音よ。
何処までも、慈愛にあふれるきらびやかな音。
そう思わない?賛否両論でしょうけれど。私は、今のあなたの音のほうが好きよ。」
話しているところに美紀が近づいてきた。
「美紀さん。良かったわね。付き合いだしたようね。健司さんが悪さしたら、私に言ってくださいね。がつんとやってあげますから。」
「有難う。麻衣子さん。そのときは、御願いね。」
練習が終わって、美紀を家に送っていく。
「晩ご飯どうしようか。」
私が、何気なくきくと、
「もし良かったら、私の家で食べていく?」
「でもそれは、あまりにも、厚かましくないかな。」
「大丈夫よ。ちょっと待っててね。」
彼女は、まだ当時珍しかった、携帯で、家に電話していた。
「大丈夫よ。そう言うこともあろうかと、準備していたみたい。」
「良いのかな。でも、お言葉に甘えるしかないようだね。」
彼女の家に着くと、リビングに通された。
「天気が良くて良かったね。」
須藤社長は機嫌良く、迎えてくれた。
「紹介するよ、妻の静江だ。静江、話していた、佐伯君だ。どうだ、いい男だろう。」
「初めまして、静江です。どうか、気を使わずにゆっくりしてくださいね。」
「佐伯健司です。済みません。厚かましく押しかけてしまい。」
ご両親と食事の後、
「今日はね、バンド練習に付き合ってきたの。」
美紀がご両親に報告をする。
「と言うことは、ギター持ってるんだね。一度弾いてみてくれないか。」
「お父さん、それは佐伯さんに失礼じゃない?」
「いえ、良いですよ。じゃあ、車から、ギターとアンプ持ってきますね。」
私は、演奏することを、軽く引き受けた。
このとき、ゲイリームーアの”サンセット”を演奏した。
「素晴らしいわね。佐伯さんの演奏。ねえあなた。」
静江さんは須藤社長に話しかけていた。
「全くだ。これだけの演奏できるとは、想像以上だな。」
「大したこと無いですよ。」
私は、やや謙遜気味に答えた。
「そうだ、健司君。今度私のジャズ仲間が集まって、パーティーをするんだけど、
時間の都合が付けば、君も来ないか?」
「楽しそうですね。」
「再来週の土曜なんだがどうかね。」
ちょうどその日は、練習も、ライブも予定がなかったので、是非参加したいといって答えた。
私は須藤家の居心地の良さに、涙が出そうだった。
インフルエンザ
マンションに帰り、シャワーを浴びて寝る。
幸せとは今のことなのだろうと、つくづく思った。
そのまま、一人で、ワインを飲む。
ギターを弾くと、リトルウィングが。
ふと、ジェニファーとの事を思い出し、涙ぐむ。
運命に翻弄されている自分を感じずにはいられなかった。
次の日、朝起きると、目眩がする。
節々が痛い。
もうすぐ31歳。若くはないんだなと、連日の夜更かしを呪う。
が、どうもおかしい、身体に力が入らない。
体温計を持ち出し熱を計ると、40度近い熱が出ている。
思わず舌打ちをする。
仕方なく、時間が来るのを待って、会社に休むことを、連絡する。
近所のクリニックに行くと、インフルエンザと診断された。
4月にはいったばかりのこの時期、最期のインフルエンザ患者だろう。
特効薬を出すと言われて、特効薬をもって、家に帰る。
家に帰って、ベッドに横たわる。
絞まらない自分が情けなく思う。
お昼ご飯は、自分で、おかゆを炊いて梅干しで食べる。
食べた後、ベットに横たわり、過去を思い返す。
もてなかった、学生時代。音楽が全てだった。
だけど、篠田智美はこんな私を思ってくれていた。
それに気づかずにずいぶん勝手なことをしたもんだと、反省をする。
そして、音楽活動を再開して気を許せる仲間の麻衣子。
彼女もこんな私を、思ってくれていた。
だけど、気づいて、気づかないふりをしていた自分。
一体自分はなんなんだろう、恋愛ってなんなんだろう。
出会うシチューえーションが違っていたら、麻衣子のことも、智美の事も、違った展開に成っていたに違いない。
一体、人の出逢いってなんだろう。
そんなことを思いながら、朦朧とした意識の中で、眠りについた。
どのくらい時間が経っただろう。
インターフォンの音に目を覚まし、応答する。
「はい。どなたですか。」
「健司さん。私、美紀です。どうしたの。」
美紀が、来てくれている。
私は、慌ててドアを開けた。
「どうしたの健司さん。会社休んでいるし。」
私は、インフルエンザにかかっていることを彼女に話し、すぐに、帰るように彼女に言った。
「何言ってるの。食べるものはどうするの。私が、食べるものの何とかするから。それに私はワクチン打ってるから大丈夫です。」
私は、彼女に押し切られ、そのまま、ベットに寝かされてしまった。
彼女は、晩ご飯を用意してくれた。
「酷い汗じゃない。着替えなくちゃ。肌着の着替えはどこですか?」
「それくらい、自分でするから。」
言いかけるわたしに、
顔を赤くして、
「それはそうよね。」
小声で答えて後ろをむいてしまった。
私は着替え、美紀に御両親が心配するから帰るように促した。
彼女は、その場で、電話をかけだした。
「お母さん。健司さんが酷い熱を出してて、インフルエンザだって。看病する事にしたから。大丈夫。私の事は心配いらない。
私は、ワクチン打ってるし。やだ。そんなんじゃないって。私を信じてよ。そんなことなら電話したりしないって。」
そのまま、朝まで、氷枕の交換や私の看病をしてくれた。
朝方、目がさめると、ソファーで居眠りしている、美紀の姿が目に付いた。
新しい毛布を、出してきて、そっとかけてあげる。
朝、朝食の後、美紀は一旦、自宅に帰っていった。
その日の午後には何とか、熱は下がりだした。
午後には、また、美紀が来てくれた。
もう心配ないから、と言ったが、
夕食をまた、作ってくれた。
夕食を二人して食べている時、
インターフォンの呼び出しの音がした。
麻衣子が、来てくれていた。
一瞬、美紀の顔が硬くなるのを、私は、見落とさなかった。
「マイちゃんどうしたの。」
「夏樹さんが、この前のレコーディングのマスターが出来たからって、健司さんにも聴いて欲しいって、私のところに送ってきたんです。
で、持ってきたんですが、お邪魔のようなので・・・・。」
「変な気まわさないの。昨日から、インフルエンザにかかちゃって、美紀が。看病してくれていたんだ。」
「だったら、やっぱり、お邪魔じゃないですか。私も、先月、かかって死にそうでした。」
「じゃぁ、かからないな。少し入っていくか?」
「いいの。」
遠慮がちに、麻衣子は、私の部屋に入ってきた。
「美紀さん、お邪魔して、ごめんなさいね。」
「いいえ。全然大丈夫ですよ。」
流石にこの頃には、美紀の顔から。硬さは取れていた。
「健司さんの部屋に入ったの、初めて。意外に綺麗なんだ。あそっか、美紀さんが掃除してるのかな。」
「だから、余計なことを言わなくていいから。」
私は苦笑を隠せなかった。
「これが、夏樹さんから送ってきた、音源。結構、いい感じにし上がってる感じなんだけれど。」
「そうだね、この曲のギターなんか、結構力抜きすぎたと思ってたけれど、いい感じにまとまったな。」
「でね。夏樹さんが。この曲をシングルにしたいって。」
「まぁいいんじゃないかな。だけど、この前みたいに、売れるかどうかは、わからないけれどね。」
「じゃあ、OKと言っていいですね。」
「俺は構わないよ。だけど、売れなかったからって、俺は知らないからね。」
美紀が怪訝な顔をしている。
「美紀さん。知らなかったのですか?相川夏樹の”エンジェルキャスト”って曲。健司さんの作曲なんですよ。」
「えっチャート一位になったあの曲が健司さんの曲だったの?」
「それ以外にも、何曲か、チャートに上がってる曲も有るんです。」
「凄いじゃない。どうして、教えてくれなかったの?」
心外そうに美紀が聞いてきた。
「自慢するような事でもないし。言う機会も無かったし。」
「自慢するような事じゃない。でもこの曲も凄くいい曲じゃない。”ラブアゲイン”という曲。」
「でも、会社にばれるとまずいんでしょ。」
麻衣子が意地悪そうに、私の顔をみる。
「まあね、だけど、悪い事をしてるわけじゃないから、どうなんだろ。確定申告はちゃんとしてるから、税法上も問題ないし。」
「そんなにお金入ってるんですか?」
麻衣子は、さらに意地悪そうに聞いてくる。
「意地悪だな、マイちゃん。そんなに入っていません。」
そうやって、この話を打ち切ろうとした。
しかし、そんなに簡単に打ち切らせてくれない。
「でも、印税でGT-R買ったて言う話ですけど。」
「そんなこと無いって。」
「でも、印税が入るんだから、お小遣い困らないわよね。」
「おいおい美紀までそんな。」
彼女達はしばらく、私の印税の事で、盛り上がってしまった。
私は、どちらかというと、火消しに回っていたのだが。
プロポーズ
麻衣子は散々私の印税収入の話をして、帰っていった。
「麻衣子さん、素敵な人ね。私、麻衣子さんは、あなたの事が好きなんだと思ってた。」
「それで、さっき、麻衣子が来た時に硬い顔をしたんだ。」
ばつが悪そうに
「ばれてた。」
そう言って、舌を出して、美紀が笑った。
「でもな、この前の夏樹さんのスタジオの後、わざわざ、俺のところへ来て、
美紀の事大切にするんだよって、あいつ言ってたんだよ。」
さらにばつが悪そうに。
「そうなんだ。なんか自己嫌悪になりそう。」
「美紀が気にする事でもないさ。」
私はそう言うしかなかった。
「それより、俺から御願いしたい事があるんだけれど。」
「なに、私にできることなら、何でも言って。」
「美紀にしか出来ない事さ。」
私は、大きく息を吸って、息を整えて、美紀に言った。
「美紀さえ良ければ、この先も死ぬまで、俺の隣にいて欲しい。」
美紀が大きく目を開いて私をみた。
「それって、ひょっとして。」
「ああ。そうだよ。」
「わたしたち、まだ、キスもしていないのに。それでも、私をお嫁さんにしてくれるの。」
「そんなこと関係なく、美紀が好きなんだ。」
「私のほうこそ。嬉しい。」
私は、体調が完璧に治るのを待って、正式に、美紀のご両親に挨拶をした。
須藤夫婦は、私の決断を歓迎してくれた。
一年後に、私達は、神前で結婚を誓った。
長らく子供に恵まれなかったが、3年後に長男が誕生。
そして、その3年後には長女が生まれた。
結婚後も私は音楽を止めなかった。
もちろん、演奏回数は減っているが、身の丈に有った、活動を行っている。
他人への楽曲提供も、隠れてこっそり行っている。
時々チャートの上位に顔を出して、私の懐を暖めてくれている。
すでに、ジェニファーの事を思い出すことは、ほとんど無い。
薄情かもしれないが、それが、人生なのかなと思う。
そんなことを考えながら、日曜の朝にこの小さな神社に散歩するのが好きだ。
「お父さん。」
呼びかけられて、私は、振り返った。