チャプター4 Tokyo Great Journey
どこまで行っても、白一色だ。単調。飽き飽きする変化のなさ。偽りの平穏と静寂。俺は足下にある雪の塊を思いっきり蹴飛ばした。
いつもの説教じみた言い方で、背後からスズシロがわめく。
「おい、セリ。不必要に音を立てるな。タイプスが潜んでいるかも知れないんだぞ。」
スズシロはまわりの廃墟群を目で指している。
昔は大勢の人間がここに住んで、生活してたんだろう。大通りの脇に連なるビルの多さが、それを物語ってる。けど、ビルといってもそれは死骸だ。ビルの死骸。死骸地。
魂の抜けた骸のように、それらは崩れかけ、窓は割れ、中の椅子、テーブル、マネキンから役に立たなくなった家電まで、あらゆるものがとっ散らかって、かつての栄光の残滓ってやつか、それをみじめにさらしてる。ゴーキは、人の喧騒であふれかえっていた街が、こうして死んで行くのをどんな思いで見てたんだろうな。悔やしかったか寂しかったか、それとも怒りに燃えていたのか。
そんなこと、俺にとってどうでもいいってとこだけは確かなはずだったが、それでも、Before, After って感じの変化を目の当たりにしてきた、ゴーキの胸の内が気にならないといえば嘘になる。
ビルのいくつかは自分の重さに耐えきれなくなって、隣のビルにもたれかかったり、それだけならまだしも、倒れて通りを大きく塞いでいる、迷惑なやつもあった。
俺は顔だけ横に向けて、スズシロに言い返した。
「雪玉蹴飛ばした程度じゃたいした音は出ねーよ。奴らがいれば、俺達の足音だけでとっくに気づかれてんだろ。」
「俺が言いたいのは、雪を蹴飛ばす必要はなかったということだ。」
「いちいちお前の指図を受けなきゃなんねーのかよ。雪玉を蹴っとばしてもいいですか、スズシロさん、てな。馬鹿か。」
「・・・なぁ、セリ。何をそんなにイラついてるんだ。」
「ああ? イラついてなんてねーよ。」
「イラついてるだろ。いつもはこんなに突っかかってこないじゃないか。」
「うるせーな。」
俺がイラついてる、だって?
冗談じゃねぇ、俺は冷静だ。いつもの通りだ。そう思いながら、視線が勝手に泳ぐ自分に腹が立つ。
視線の先に、ナインがいる。
ナズナの三歩ほど後ろを付き従うように歩くその姿は、まるでリードを付けられた従順な犬だ。人の形をした犬であり、タイプスであり、それは偽りの人型でしかない。そうでしかないはずなのに、なぜか俺の目はナインを視界の端に捉えたまま、逸らすことができなかった。
ナズナと大して変わらない背格好に、三十ミリ機関銃を担ぐそのアンバランスが奇妙な力強さを放ってる。あの重さを軽々と担ぐなんて、まさに化け物だっつーのに、俺はなぜだがその姿が嫌いじゃない。
研究所にあった機関銃は結局、ナインが持って行くことになった。残っていた弾丸はせいぜい数十発ってとこだから、ここぞという時にしか撃てないだろうが。それでもナズナの刀や、俺のナイフ程度の装備しかなかった武装からすると、攻撃力ってやつを考えれば格段に大きくなっている。
俺は前を向き直したが、自分でも無意識の内、再び、後ろを振り返っていた。
ナズナが怪訝そうな顔で俺を刺す。
「さっきから何? 言いたいことがあるなら、言えば。」
ナインを連れて研究所を出た時から、いや、ナインを連れて行くという話が決まったときからか。ナズナの機嫌の悪さが七面倒だ。
「別に。」
「あ、そ。」
凍りつくほど冷たい空気が、俺とナズナの間を吹き抜けた。
毛玉人形たるアグリッパが場の空気に耐えかねたのか、
「しかし、廃墟が続きますなぁ。都市がまるごと廃墟と化して、言うなれば、廃都、ってところですか。」
と、ナズナの肩の上で呑気に言い始めた。
スズシロ、
「ああ。昔はここで人が生活してたんだよなぁ。今じゃ、かろうじて形が記憶をとどめてるだけ、って感じか。」
と言って、辺りの匂いを嗅ぎでもするかのように、くんくんと鼻を鳴らしている。
形が記憶をとどめてる、ってのは、いい。スズシロの言う通りだ。ここにかつての世界を語る奴はいない。ビルの、そこらに転がる誰も座らなくなった椅子やテーブル、開けっ放しになって用をなさない自動ドアの形だけが、過去の記憶をつなぎ止めているだけであって、原形を失うほど朽ち果てたその時には、もう記憶すら残らないんだろう。
「あ・・。ストップ! 止まってください!」
「あん・・?」
アグリッパが突然、その前足をわたわたと上下に動かしながら叫んだ。騒々しい毛玉だ。
俺は、
「どうしたんだよ、アグリッパ。」
と言いながら、ナズナの方に引き返す。ナインも立ち止まって、アグリッパを凝視していた。
「何か、気配が・・・。」
「気配?」
アグリッパは、しきりに鼻先をひくつかせながら、辺りを見回している。
「タイプスか・・!」駆け寄って来たスズシロの言葉に、俺達の緊張は一気に高まった。
油断していたわけじゃないが、コミュを出てここまで、タイプスには一体も遭遇していない。ナインは・・、まぁ、タイプスだが、これは例外。奴らは人の「集団」を襲う習性が強いもんだから、人間のいない土地にはあまり出没しないという、先入観ができあがっていた。
つまり、タイプスなんて当分出ないんじゃネ、っつー安心感。だが、それは願望にすぎないってやつで、安心感というより、慢心感ってやつに近いのは、ちょっと考えれば分かりそうなものだった。油断していないつもりにすぎず、これは油断そのものだった、ということだ。
俺は、毛玉アグリッパに顔を近づけながら、息を殺して言った。
「どこだ?」
「正確な位置までは分かりませんが、一体ではないようです。私達を中心として、環を狭めるように近づいています。」
「なに・・・!」
俺は周囲、360度を見回した。ビルに遮られた視界が、俺達を囲う檻のように迫るのを感じる。
スズシロは雪みたいに蒼白な顔をして、俺達に言った。
「どうする。」
「どうするもこーするもねぇだろ。囲まれてるんだったら、その囲みを破るしかない。」
「囲みを破ると言っても、どうやって。」
「走り抜けるんだよ。」
俺が駆け出そうとするのを、ナズナの奴が鋭く止めた。
「駄目よ。どんな奴らか分からないけれど、脚力任せに逃げて、逃げ切れるものじゃないわ。私達を中心に環を作って囲んでいるのよ。完全に位置を把握されてる証拠だわ。迎え撃った方がいい。」
俺はナズナに食ってかかった。
「迎え撃つっ・・・て、囲まれてんだよ。俺達が不利になるに決まってる。」
ナズナは、馬鹿ねぇ、と言わんばかりの顔をして応える。こいつの小生意気なこの顔を、いつか悔しさで赤く染め上げてやりたい。
「分かってないわね、セリ。馬鹿なの?」
言わんばかりの顔じゃなかった。平然と口に出して言いやがる。
「ただ囲まれるのを待つんじゃないわ。迎え撃つのよ。少しでも有利になるよう位置取りして。」
「ああ? 位置取り?」
馬鹿にされた手前、納得した顔を見せるわけにはいかない。位置取りか。確かに、そこらの廃ビルに隠れれば、不意打ちを喰らわすことができるかも知れない。
どうする? 俺達の視線は、自然にスズシロへと集まった。スズシロはヘタレだが、こういうときの判断は正確だった。臆病だからこそ、生き残る最善の方法を選ぶ嗅覚が鋭いのかも知れない。
「・・・ナズナの言うようにしよう。ここで迎え撃つ。相手の歩速が速かった場合、追い付かれたら終わりだ。」
スズシロは素早く周囲を見回すと、すぐに対策を考えついたようだ。こいつ、ヘタレてさえいなければ、ひとかどの指揮官になってたんじゃないか。
「ナズナ、ナイン。あそこに百貨店があるだろ。二階に陣取れ。通りを見渡せるはずだ。十分に引きつけてからファットネックで撃つんだ。」
ファットネック、とスズシロの視線が指すのは、ナインの手にした三十ミリ(Fat Neck)だ。
「ファットネック?」ナズナが聞き返した。
「その三十ミリ機関銃のことだよ。昨日、アグリッパが呼び始めたんだ。銃身の根っこが足の太さくらいあるから、ファットネック、猪首ってやつだ。いい呼び名だろ。」
「何でもいいけど。」
ナズナが興味なさそうにうなずく。
スズシロは説明を続けた。
「俺とセリはあそこに隠れる。機を見て、相手にとどめを刺す。」
あそこ、というのは、人の身長より高い窓が壁面一杯に広がる、建物の一階部分だ。ガラスのほとんどは割れて、枠だけになっている。元は何の店か知らないが、転がったマネキンにへばりついているぼろぼろの洋服から、服屋か何かだったんだろう。
俺は配置を考えながら、湧いた疑問をスズシロにぶつけた。
「けど、そううまく通りの真ん中に奴らが集まるのか? ナズナ達のいる二階や、俺達が隠れてるとこに突っ込まれたら、終わりだぞ。」
「ああ。だから・・・。」
スズシロは少し言い難そうにして言葉を切った。
「囮を立てる。」
「囮?」
「一人、道路の中央で待ち受けるんだ。」
「はぁ? んなことしたら、真っ先に死ぬだろ。」
「もちろん、限界まで引きつけたらすぐに逃げる。二階からの狙撃射線に相手の身体をさらさせるためだ。」
スズシロはそこまで言って、黙った。じゃあ、誰がその囮をやるっていうんだ。その肝心なところを、スズシロは口に出せずにいるみたいだった。
アグリッパが、毛並みの上からでも分かるほど緊張しながら言った。
「で、では、私がその役目を・・・。」
俺はすぐに返した。
「いや、お前じゃ無理だろ。逃げ切る前に一口で飲まれる。」
「し、しかし、相手からすれば、私ほどお手軽な標的もないわけで・・・。」
「・・・ナインでいいじゃない。」ナズナが、再び降りた沈黙を破った。
「ナインなら、大丈夫よ。」
俺はナズナの顔を見てぞっとした。大丈夫よ、と口が動いて言葉が出てきたものの、頭は全然別のことを考えている顔だ。言葉の裏には、ナインなら死んでもいいという、そういう意味での「大丈夫」を、俺は感じていた。
俺は、自分でもなんでそんなに慌てるのか分からなかったが、とにかく慌てて言った。
「ちょ、ちょっと待てよ。ナインにタイプスを集めさせるっていうのか。相手は複数いんだろ。ファットネックで狙い撃ちつったって、一瞬で全部仕留められんのかよ。」
ナインは俺の慌てようとは対照的に、眉毛ひとつ動かさずに言った。
「私なら問題ありませン。対象にターゲットを絞らせつつ、死角から狙い撃つのは常道でス。生存確率を考慮すると、私が囮となるのが最も効果的でス。」
「効果的って、お前、自分が死ぬかも知れないってのに・・・。」
俺はナインの目を見た。人間的な感覚の欠如した、ビー玉みたいな目をしている。だが、一瞬、ほんの一瞬だけ、その目が恐怖に揺らいだ気がした。整った眉が、ちぎれ雲にさえぎられた太陽みたいに、翳った。口では問題ないと言いながら、やっぱりナインも怖いんじゃないか。
生体兵器といいながら、ナインが生身であることに替わりはない。生物として存在する以上、本能的な恐怖心というものを、持たないわけがない。
俺はぐっ、と唇を一回結んでから、自分でも驚くようなことを口にし始めた。
「・・囮は俺がやる。」
は? という風に皆の目が見開かれた。俺は何を言っている。
ナズナは、
「それこそ死ぬでしょ。ナインにやらせればいいのよ。」
と、反射的に言い返す。
「ナインには狙撃する役目があんだろ。」
囮になんてなったら、死ぬ。
「そんなの、私にだってできるわ。銃を撃つだけなら。」
「この中じゃ、俺が一番身軽なはずだ。俺がやる。」
やるな、ボケ。何言い出してんだ、俺は。くそっ。
死んだら意味がないって、何度も繰り返し思ってきたことなのに。人が死ぬなら、勝手に死ねばいい。そう思って生きてきた。なのに、今、恐怖に揺らいだナインの目を見たら、どうしても、ナインにこの役目をさせるわけにはいかない気がしてきた。
それに、気になることもある。ナズナは、どさくさに紛れて相手のタイプスごと、ナインも撃つんじゃないか。
ナズナの奴がそこまで冷酷なことをするとは思いたくなかったが、ナインでいい、と言ったときのナズナの表情を見ていると、それも本当にやりかねない。
俺を見つめていたスズシロがうなずいた。
「分かった。セリにやってもらう。ただし、近づかれすぎるなよ。囲まれたら本当に逃げ場を失う。奴らがナズナ達の射線に入ればそれで十分なんだ。無理はするな。」
「分かってるよ。お前がそんなに怯えてどうすんだよ。」
スズシロの顔は、自分自身が囮として選ばれたみたいに蒼白で、冷や汗すら浮いている。
「怯えてなんかない。ちょっと・・、心配なだけだ。」
「心配すんなよ。足の速さでもナズナに負けねぇんだ。」
ナズナは、
「速さでも、じゃないでしょ。足の速さで「しか」私に勝てないのに。いいわよ。そこまで言うなら、囮でも何でもやればいいじゃない。どうなっても知らないから。」
と、言って向き直ると百貨店跡へ向かい始めた。
何を怒ってるんだ、こいつは。
「行くわよ、ナイン。急いで。」
「了解、しましタ、サージェント。」
二人は小走りに雪まみれのアスファルトを行った。
「よーし。お前もとっとと隠れろよ、スズシロ。」
「・・・・。」
「何だよ。」
スズシロは俺の顔を凝視したままだ。
「・・セリ、やっぱりちょっと変だぞ。」
「は? 何がだよ。」
「いや、何でもない。逃げるタイミングを逃すなよ。やばそうだったら、接近される前にこっちへ飛び込んでもいい。」
「分かった、分かった。早く行けよ。」
俺は、追い払うように手を振りながら、スズシロを割れ窓の向こう側へと追いやった。
ちょっと変、だと・・。
囮を買って出たのが、そんなに変だったか。
ああ、やっぱり変なんだろう。今までの俺からすれば、自分でこんなことをするなんて考えもしなかったし、それはスズシロやナズナだって、俺に対して同じ考えを持ってたんだろう。自分勝手で、自己チューで、誰が死のうが知ったこっちゃない。それが俺のポリシーみたいなもんだったし、現に、そうして生きてかざるを得ないほど、この世界に余裕はなかった。
ちっ。こうして立ち尽くすと、冷えてくるな。俺はカタカタと震えようとする身体に力を入れて踏ん張った。
そんで・・・、そうだ。余裕はないって話だ。人のことを考える余裕なんて、ない。なのに、俺はどうしてこんなことをする。どうしてここに立っている。
ナインの顔がちらついて、頭から離れない。くそっ。馬鹿馬鹿しい。馬鹿みてぇな考えが頭をよぎっては消え、を繰り返している。
俺はナインに─。
そのとき、俺のぐるぐる回る思考へ無理矢理割り込むかのように、小石がすぐ足下の地面に当たった。
雪の下の氷にぶつかって、かっ、と鋭い音を立てる。
小石の飛んで来た方を見ると、ナズナだ。俺の頭上を指差している。
ビルの屋上を見上げ、ぐっ、と息が詰まるのを感じた。心臓の鼓動が一気に早まる。
「来やがった・・!」
俺はナイフを懐から出し握りしめながら、頭上のタイプスをにらみつけた。
吐く息は蒸気のように白く、雲の間隙にできたわずかな青空を背景としたそのシルエットは、そこだけ切り抜かれたかのように、くっきりと黒い。
タイプ11、狼型のタイプスだ。
道路を挟んだ向かいのビルの上に、もう一体、姿を現す。二体目・・・。
動くか・・? いや、まだ早い。あの位置じゃ、ナズナ達から狙えない。もっと引きつけねぇと・・・。
百メートルほど先の路地から、さらに狼が現れた。三体目。
くそ。多いな。三体か。
ぬらぬらと黒光りするような毛並みが、奴のコンディションの良さを物語っていた。
「いい毛並みしてやがる。元気一杯ってやつかよ。」
街路前方にいる奴が、ゆっくりとこっちへ近づき始めた。身を低くし、頭を肩より下の位置に下げたその姿勢は、いつでも俺に飛びかかるための戦闘体勢だ。ビル上の二体はまだ動いていない。
突然、背後に現れた気配に俺の全身が総毛立った。前に意識を集中したまま、後ろをちら、と振り返る。
十メートルもない。目と鼻の先に、別の狼が姿を見せる。
「四体かよ・・!」
歯ぎしりするように食いしばった口から、俺はうめいた。
ふっ、ふっ、ふっ、という蒸気みたいな荒々しい吐息が、タイプ11の口腔から漏れ出ている。
「でかいな・・・。」
地上から肩の高さまでで、すでに俺の身長を越える勢いだ。頭の先から尻尾までの全長でいえば、四メートル近いだろう。
まずい。
肉迫される前にスズシロのいるビルの中へ飛び込むはずだったのに、ここまで近づかれるとその隙がない。
冷たい汗が背中のシャツを張り付ける。
背後の狼が止まった。距離を保ったまま、うなりを上げ始める。遠雷みたいなうなり声を上げやがる。前方の奴も、止まる。この距離。奴らの体長からすると、一蹴りで俺に飛びかかれる長さだ。同時に襲いかかる気か。ビル上の二体ともタイミングを合わせる気だろう。
狼群とはよくいったもんだ。こいつら、狩り慣れてやがる。
前後の狼は、俺からまったく視線を動かそうとしない。俺の一挙手一投足にまで反応する気満々だ。頭上の二体と同時に来られたら、やられる・・。
「今しかないか・・!」
俺が横っ飛びに走り出そうとしたときだ。
耳をつんざくような渇いた炸裂音が三発、立て続けに響いた。背後のタイプスが断末魔の凄まじいうなりを上げながら、もんどりうって倒れた。ナインの奴、撃ちやがった。
「まだ早い!」
頭上の二体が射線に入っていない。だが、俺の動き出す隙は生まれた。
ファットネックの発射音は、ビルへの反響で音源が特定しずらい。奴ら(タイプ11)が身体を硬直させたそのわずかな隙に、俺は身を投げるようにして走り出した。
それが奴らの本能か、動き出した俺を目がけて三体が同時に襲いかかった。
二射目・・!
短い射撃音と同時に、前方から飛びかかってきた奴の図体が、糸の切れた人形みたいに惰性で泳ぐ。眉間の辺りを打ち抜かれていた。
ナインの奴、いい腕してやがる、と感心している暇はない。上から、向かい合ったビルの壁面をジグザクに飛び交いながら残りの二体が駆け下りてくる。
スズシロのいるウィンドウの向こう側が、遠い!
自分の足がスローモーションで動いてるのかってくらい遅い。ウルフパックの強烈なプレッシャーが、あっと言う間に迫ってくる。
地面に着地したタイプスが、孤を描く軌道で俺に向かって爪を振るった。背中の防寒具、ぎりぎりのところをかすめ千切る。
あと、三メートル・・!
ひゅっ、という鋭い音をたてて、俺の頬近くを何かがかすめた。
ぎゃうっ、と背後から奴の悲鳴が上がる。
「セリ! 急げ!」
「スズシロ!」
スズシロのボウガンが後ろの奴に当たったみたいだ。
俺は残りの数メートルを全力で駆け抜けると、ショーウィンドウの奥、倒れたテーブルの向かう側に飛び込んだ。
「セリ、大丈夫だったか!」
「大丈夫だったか、じゃねーよ。ボウガンが当たるとこだったんだぞ!」
「しょうがないだろ。あの角度で撃たなきゃ、タイプスに当たらなかったんだから。それより、あと何体だ。」
俺はテーブルの陰から顔だけ出して言った。
「ナインが二体やった。ボウガンの命中した野郎は・・?」
ボウガンに目を射抜かれた奴は、怯んで体勢を崩したところを、ナインに狙い撃たれていた。
「よし! ナインが止めを刺した。」
俺が言うと、スズシロが息をついて安堵の声を漏らした。
「全部やったか・・。」
「いや、まだだ。後、一体・・。」
俺が言いかけるのと、ショーウィンドウの枠をぶち破って、最後のタイプスが店内に飛び込んでくるのはほとんど同時だった。
「うわぁぁぁ!」
スズシロが悲鳴を上げた。こいつの悲鳴は、余計に恐怖感を煽りやがるな。
赤く輝くように見える奴の目が、俺達を見据える。むき出された牙とうなりが、闘争本能全開であることを告げていた。
奴が俺達に飛びかかろうと、跳躍する。
だが、店内は奴の身体に狭すぎた。背中を天井に引っ掛け、奴の牙は俺達へわずかに届かず、虚空を噛み取るみたいにその口が閉じられた。
「立てっ! スズシロ! 奥に移動するぞ!」
「あ、ああ・・。」
腰が抜けたのか、へろへろと立ち上がるスズシロの腰の辺りを蹴飛ばしながらうながす。
「早くしろ! 狭い場所で奴の動きを封じるんだよ!」
「わ、分かってる・・!」
俺はスズシロの背中を半ば押すようにして、店内の奥へと進んだ。
かつて、略奪にでも合ったんだろう。店の物は散乱し、ガラスケースは割られている。自然荒廃以外で荒らされた形跡が、人の営みってやつを表しているのが皮肉だった。
狼は店内に散らばるマネキンや陳列棚に阻まれ動きにくそうにしているが、それでも、障害物を弾き飛ばしながら、俺達を追ってくる。
目の前に、わずかに隙間の開いた左右二対の扉がある。
「あそこの奥に行くぞ、スズシロ!」
「い、いや、待て。あれは・・。」
「他に逃げ場所なんてあるか!」
俺は扉に取り付くと、隙間に指を突っ込んで、思いっきり左右に押し開けた。タイプスの気配を、首筋に感じる。
開いた扉の奥に転げ込んで俺は声を上げた。
「い、行き止まりだとっ? 何だよ、ここ!」
「待てって言っただろ。ここは通路じゃない! エレベーターだよ!」
一緒になって転がり込んだスズシロが、ほとんど泣きそうになりながらわめいた。
「エ、エレベーター・・?」
スズシロの言葉に、俺は愕然とした。
そういえば。かつてゴーキが話していたことがある。電気があまねく街の隅々まで行き渡っていた時代、上階への移動にはエレベーターという箱状の乗り物を利用していた、と。
これが、それか・・!
今さらそんなことに気づいても遅い。これじゃあ、自分から檻の中に入って逃げ場を失ったようなものだ。
「早く言えよ、スズシロ!」
「だから、待てって言っただろ!」
「遅いんだよ。」
と、責任のなすりつけあいをしてる場合じゃない。
「くそっ。出るぞ!」
俺が扉の隙間から身体を滑らせるようにして出るのと同時に、奴(タイプ11)が、天井からかろうじて吊り下がる鎖状の装飾を跳ね退けながら突っ込んできた。
「ぅおお!」
間一髪で横っ飛びに避けるが、狼はその勢いのまま、激しく扉にぶつかった。衝撃で扉の中央が大きくひしゃげる。
「スズシロ!」
スズシロが取り残された。箱の中に気を取られているのか、狼は俺に目もくれず前足をエレベーターの中に突っ込んで、中身をかき出すように引っ掻き回していた。
スズシロはもうだめだ。逃げるしかない。
「ぉお!」
逃げるしかねぇだろ、ここは。あー、くそっ。逃げなきゃ俺が死ぬってのに、身体が、俺の足が、すでに狼(タイプ11)へ向かって動いている。
懐から抜いたナイフを逆手に持つと、長い体毛をつかみながら一気に奴の背中へ駆け上がった。
奴は俺をふるい落とそうと激しく身震いするが、手足をヒトデみたいに広げて踏ん張る。
グルルぁっ、と苛立たし気な咆哮が、背中にひっつけた頬越しに伝わった。振り飛ばされたら、一噛みで砕かれる・・・!
奴の動きにタイミングを合わせ、わずかにその動きが鈍った瞬間をみはからって俺は片手を天に向かって上げると、渾身の力でナイフを突き刺した。
「ギャンっ!」
狼が悲鳴を上げる、が、致命傷じゃない。さっきより、さらに激しく身体をゆすって、俺をはがしにかかった。
毛がすべる・・! だめか。
「ぅあっ!」
俺は狼の背中からひっぺがされると、六メートル近くも放り出されて床に叩きつけられた。
中途半端な攻撃による痛みで怒りに目をぎらつかせる奴が、うなりながら俺をにらんだ。
「へっ。ちょっとは痛かったってことか・・・。」
狭い屋内で対峙する奴は、まるで軽トラック並の大きさに見える。
なぜスズシロを見捨てて逃げなかった。俺は、自分があっさりと自分のポリシーを裏切ったことに腹が立ったし、実際、自分が信条としてきたものを俺はたいして信じていなかったと、自分自身の虚ろな実体を、突きつけられた気がした。
「ここまでかよ・・。」
打てる手はつきた。ナイフを持った腕を、だらりと下げかけたが俺は思いとどまる。
・・・いや。この既視感。ついこの前にもあったシチュエーションだ。ナズナの顔が、頭をよぎった。
奴が、その巨体を羽のように躍らせて俺に飛びかかってくる。渇いた炸裂音がまとまって外から響いてくるのを聞きながら、俺の視界は意識ごと、真っ暗闇に閉ざされた。
・・・セリ。セリ。
誰だ、俺のこと呼ぶのは。ゴーキか? 昔はよくおぶられたっけ。俺はゴーキの背中が好きだった。大きくて、広くて、鋼みたいな筋肉はまるで無限の力を秘め、この人にできないことはないと、本気でそう信じていた。
俺が旅先でくたばって、ゴーキは悲しむだろうか。人がどう思うか、なんてあまり考えたことはなかったし、正直どうでもいいと思ってきた。けれど、あのゴーキが顔をしわくちゃにしながら、俺の亡きがらを抱きかかえる姿だけは、どうしても想像したくない。なぜだかとても、悲しくなるからだ。
俺が死んだら死んだで、それはしょうがないことだと思っている。こんな世界だ。死はいつだって隣にある。だが、俺が死んで悲しむ人間の様子を、いつの間にか俺は、考えたくないと思うようになっている。それはゴーキだけじゃない。スズシロやナズナに対してもだ。アグリッパも加えておこう。ナインは。
ナインは、誰かが死んで悲しいという感情を持つのか。分からない。分からないが、俺が死んだとき、ナインに悲しんでほしいと、そう思う自分がおかしかった。我ながら軟弱な感情だったが、正直に思えばそういうことだった。
セリ・・!
まただ。誰だ、俺の名前を呼ぶのは。
「セリ、返事をしなさいよ!」
遠くから響く、くぐもった声。ゴーキじゃない。ナズナ・・か?
いきなり、世界が開けて、重くのしかかる頭上の雲が吹き飛んだ気がした。
いや、雲じゃない。のしかかっていたのはタイプスだ。
「セリ!」
ベシっ、と俺の頬を叩くのは、言わずもがな、ナズナだった。
「・・・・・痛ぇな。」
「セリ! スズシロ、セリが気がついたわ。」
横になった俺を取り囲むようにして、ナズナ、スズシロ、アグリッパ、そしてナインの顔が並んでいる。
「俺は・・・?」
スズシロはメガネを取ると、汚い袖で顔をごしごしとぬぐいながら言った。泣いてんのか、こいつ。
「タイプ11に飛びかかられて、その下敷きになったんだ。今度こそ、死んだかと思ったぞ。」
「・・! や、奴は。」
「ナインが倒した。百貨店の二階から、ファットネックを抱えて飛び降りて来たんだ。」
「ナインが・・・。」
俺はゆっくりと身体を起こしながらナインを見た。節々が痛むが、骨は折れていないようだった。
「タイプ11、ウルフパックの殲滅を命じられましタ。最後の一体が射線上から外れたので、追ったのでス。」
表情に乏しい顔で言うナインだったが、心なしか、微笑んでいるように見えるのは俺の気のせいか。そうあってほしいという勝手な願望が、そう見えさせるだけなのかも知れなかったが、いや、どっちだっていい。
「助かった、ナイン。」
ありがとう、とつぶやくように言う俺を見て、ナズナとスズシロは顔を合わせた。
ナズナは俺の襟首をつかみながら、
「セリ、大丈夫? 頭とか打ったんじゃないかしら。ねぇ?」
と、歪んで役に立たなくなったレンチでも見るみたいな顔をしている。
アグリッパも、
「セリが殊勝に感謝の言葉を口にするなど、絶対におかしいですよ、これは。怪我やショックで性格が変わることもあると聞きます。セリ、私を食べようとしたり、毛玉人形と呼んだりはもうしないですよね。ね。」
と、俺の目の前で暑苦しい前足をしきりに振っている。
「勝手に俺の性格を誘導するんじゃねぇよ・・。」
俺は、ありがとう、などと言ってしまった自分自身を悔やんだ。俺にもっとも似つかわしくない言葉、感謝と寛容を示すありがとうなどと。しまった、と思ったが後の祭りだった。
スズシロはその場に膝をつくと、
「セリ、ちょっとじっとしてろ。やっぱり、内出血でもしてるのかも知れない。」
と、俺の目玉をのぞきこむようにしてくる。
「離せよ、スズシロ。俺は平気だ。どこも打ってねぇし、立ち上がれる。」
スズシロの腕を払いのけながら、俺は立ち上がった。
だが、ふら、と足から力の抜けるような感覚があって、よろめいた。倒れそうになった俺の肩を、ナインががっちりとつかんで支える。
「まだ動かない方がよいでしょウ、セリ。ダメージが回復するまで、少し横になることを推奨しまス。」
ナインの指は、華奢なくせに力強くて、それでいて、柔らかかった。吐息がかかりそうなくらい顔が近いせいで、俺の顔がどんどん赤くなるのを感じる。
スズシロやナズナにそれを悟られたくなくて、俺は奴らと反対側へ身を投げるようにして倒れた。
「分かったよ。しばらく休む。」
「ああ、その方がいい。」
スズシロもナインに同調した。
「無理に動くのはやめた方がいい。雪や風も防げる。今日はここで野営しよう。」
スズシロは口でそう言いながら、すでに、どの階で眠るか、見張りをどうするか、タイプスに襲われた場合、どの経路で逃げるべきかを考えているんだろう。
俺は赤くなった顔が早く元に戻らないかと、いっそ、外の雪に顔を埋めてこようか考える。
夜になって、俺達は一番上の階の一角で焚き火を囲んでいた。元は何の店か知らないが、小さな木工のおもちゃやガラスの瓶が並ぶ、まるでゴーキの部屋みたいな場所だった。
外界と隔てる窓は割れて吹きさらしだったが、風が直接吹き込まない分、寒さはあまり感じない。
フロアに散らばっていた木人形を火にくべながら、壁に背中を押し付ける。あまりの冷たさに俺は慌てて壁から背中を離して、揺らめく炎を見つめた。
いつか炎は同じ形になるんじゃないかと、見つめ続けてみるのだが、それはいつまでたっても形を変えながら、一瞬たりともその姿をとどめない。俺は黙ってこうした炎を見ているのが好きだった。まるで、真っ赤に燃えた形を持たない生き物みたいで、こんこんと溢れる生命力を感じるからだ。
アグリッパは横になったスズシロの懐に収まり、二人そろって寝息を立てている。
スズシロの顔にずれたまま乗っかっている眼鏡が、何だか間抜けだった。スズシロの奴、眼鏡をかけたまま眠るという奇妙な癖がある。寝るときくらい、外せばいいのになぜか外そうとしない。
俺は、一人窓際に立って外を見張るナインに目をやりながら、はす向かいに座るナズナに言った。
「こっちに呼んでやれよ。」
「誰を?」
「ナインだよ。」
「平気よ。寒さはあまり感じないって言ってたし。見張りは必要だわ。」
「あまり、だろ。まったく感じないってわけじゃないんだろ。」
「・・・同情するの、あれに?」
「同情じゃねぇよ・・。恩人だからだ。」
「命の?」
「ああ。」
自分で言っておきながら、取ってつけたような理由だ。
「恩なんて、感じる必要ないじゃない。命令で動いただけよ、ナインは。セリを助けるなって命じたら、その通りにしていたはずよ。」
「お、お前、俺を見捨てるつもりだったのか。」
「違うわ。ナインは自分の意思で動いてないって、そういう話よ。」
俺は冗談のつもりで言ったのに、なぜかナズナはうつむいて黙り込んでしまった。きっと、俺にからかわれたのが気に障ったんだろう。面倒な奴だ。
うつむいたままのナズナに俺は言った。
「なぁ。ナインがタイプスだからってのはあるが、そこまで毛嫌いすることもないんじゃねぇの。俺達の、というか、お前の命令を聞く限り、あいつは仲間なんだからさ。」
「じゃあ、ナインのことを好きになれって? 奴ら(タイプス)は人間の敵よ。何より・・・。」
お父さんとお母さんを殺した。
ナズナは小さくつぶやいた。
「好きになれとは言わねぇけど、迎え入れたらどうかって言ってんだ。運命共同体ってやつだろ、すでに。」
「迎え入れることなんてできないわよ。」
ナズナの瞳に映り込む炎の揺らめきを見てると、考えていることが分かる気がした。こいつ、ナインを好きになれないんじゃない。好きにならないようにしているんだ。
ナインを嫌い、拒絶することで、死んだ両親に、自分の苦しみに義理立てしている。ここでナインを受け入れてしまったら、両親を裏切ることになる。ナズナのはめた、過去という名の足枷が今の行動を決めてしまっている。
ばかばかしい気もした。いつまでも引きずる過去に、何の意味があるっていうんだ。
「親のことか?」
「・・・・。」
「死んだ人間にこだわってたら、何もできないじゃねぇか。忘れろとは言わねぇけど、割り切れる部分じゃないのか。」
「割り切る? 肉親を奪った奴らを許せって、そういうこと?」
「・・・ナインがやったわけじゃない。それで十分だろ。」
「理由はそれだけじゃない。」
「あん?」
何のことだ? 他の理由?
ナズナは、ぱた、と横になると、頭からすっぽり防寒着にくるまった。
今夜は月が出てるらしい。壁にもたれて、外を見つめたままみじろぎもしないナインの顔が、月光に照らされて青白く輝いていた。
人間の敵・・・。
ナズナはそう言ったが、俺はナインを見ていると、どうしても敵だとは思えなくなっていた。そもそも、誰が良い奴で、誰が悪い奴と、そういう世界じゃないのかも知れない。スズシロのしそうな説教なのが癪だったが、善悪で割り切れないんじゃねぇのか。タイプスだって、結局、そういう性だがら人を襲うだけであって、これは野犬が兎を狩るのと変わりない道理だ。俺達だって、獲物を狩って食わなきゃ腹が減る。
俺は頭を振って笑った。
いつの間にか、ナインを嫌わないですむ理屈を、必死になって考えていたからだ。
ナズナが防寒着にくるまったまま、くぐもった声で言う。
「セリ。」
「何だよ。」
「無茶しすぎよ。今日だって、死にかけた。」
「たまたまだよ。たまたまそうなっただけだ。」
「たまたまじゃないわ。まるで、自分がいつ死んでも構わないって、そんな風に飛び出すじゃない、いっつも。」
「・・・・。」
「馬鹿みたい。」
「うるせーよ。」
「セリ。」
「何なんだよいったい。また俺に喧嘩売ろうってのか。」
「死ぬんだったら、私に知られないように死んで。」
「はぁ? 何だよ。そりゃ。」
それきり、ナズナは静かになったと思ったら、すでに寝息を立て始めている。
くそ。喧嘩を売るだけ売って寝落ちかよ。一緒に行動してる限り、知られないように死ぬ、なんてできるわけないだろ。無茶苦茶言いやがる。
あ? ・・・つまり、死ぬなって言ってんのか? 分かりづれー奴だ。だったらそう言いやがれ。
俺も横になりながら、焚き火の向こうにもう一度、ナインを見た。
危うい焚き火の揺らめき越しに見るナインは、まるで別の世界の住人だった。炎という境界の向こう側にあって、決して相容れない存在に思えてしまうのが、癪でならない。
俺は寂しさを腹立ちに紛れさせ、眠ることにした。




