チャプター3 隻眼の闘志
ずり下がってくる眼鏡を左の中指で押し上げながら、俺は再び後ろを振り返った。鬼の形相でゴーキが追ってくるという幻想に、さっきからとらわれっぱなしだったからだ。
「スズシロ、急いで。ゴーキに見つかる。」
前を行くナズナが俺を急かす。
「ああ。分かってる。」
ナズナの肩には、すっかりなついてしまったアグリッパが乗っている。アグリッパのお腹のもふもふに顔を埋めさせてもらたいという俺の隠された願望を、どうにか成就したいと願うわけだが、いまだその機会は訪れていない。いずれこっそりお願いしてみよう。
セリはといえば、大股でどんどん先頭を歩いている。やる気になると大股で歩くのは、セリの昔からのくせだ。気がはやりすぎて、だいたい失敗に終るわけだが、今回ばかりは失敗するわけにはいかない。なぜといって、この道行き、失敗はほぼ死を意味する。
昨日、ナズナは思い詰めた表情で俺とセリをこっそり呼び出した。タイプスを根絶できる方法がある、というのだ。ソースはアグリッパ。アグリッパが言うには、タイプ0の心臓に含まれるミトコンドリアが、他のタイプスにとって致命的な弱点になるというのだ。わずか一矢で、死に至らしめるほどの「毒」を手に入れられる。
この話を俺はにわかに信じられなかった。自分で言っておきながら、タイプス全般に共通する弱点の存在なんて希望的願望の産物だと思っていたわけだし、あったらいいな、という幻想にすぎなかった。だが、アグリッパがその足で集めた情報は、たんなる願望と呼ぶにはあまりに強い現実味をもつ。
セリは、この話を聞くと即諾した。つまり、タイプ0を倒しに行くという。
俺は正直迷った。どこにいるのか定かでもないタイプ0であり、その上ゴーキいわく、他のタイプスとは格が違う、と。現実味を帯びた話と一度は思ったが、その道の険しさは容易に想像できるわけだし、「不可能」という言葉が脳裏にちらついた。
けれど、ナズナだ。ナズナがこの話を「セリ」にしたという、その判断が決定的だった。セリにタイプ0退治の話を持ち出せば、行くと言い出すに決まっている。そうなれば、行くなと手足を縛っても行ってしまうのがセリだ。それを分かってセリにこの話をもちかけたのは、ナズナ自身、本気でやり遂げるつもりであるのに他ならない。
ナズナが俺の隣に並んで、ぼそっとつぶやいた。
「やっぱり、ゴーキにちゃんと言うべきだったかな。」
「・・・いや、言わなくて正解だろ。ちゃんと書き置きだってしてきたんだからな。」
「書き置きしてきたの? 何て?」
「三人で遠狩りに出ます。探す必要はありません。探さないでください、ってな。ふふふ。これで安心だろう。」
「あの、スズシロ・・。なんで、探さないでって、二度書いたの。それって、探してほしいっていうフリに取られるんじゃ・・。」
「え・・! いや、そんなはずは・・。探すなって、念を押しただけのつもりなんだが。」
「はぁ・・。ま、いいわ。それで少なくとも、いきなり何も言わず姿を消したわけじゃないって、伝わったんだから。」
「そ、そうだろ。だいたい、ゴーキが俺達に本気で反対して、押しきることなんてできないだろ。特に、実力行使に出られたらな。」
「うん。」
ナズナの顔が心なしか青ざめた。
俺達が子供の頃、一度だけ、ゴーキが本気で俺達に怒ったことがある。狩りの練習になると思って、生け捕りにした猪の足をわざと傷つけ、三人で取り囲んでいたときのことだ。
俺達のやっていることに気づいたゴーキは、あっと言う間に猪の息の根を止めると、俺達に言った。命をなぶるようなことをしてはいけない、と。宗教じみた観念を押し付けるつもりはないが、狩りは命の糧を得るための神聖な行事に等しい、とも言っていた。ゴーキ、怒りの形相は、今思い出しても身震いする。
食うか食われるかの世界で五十年近く生き延びてきたゴーキは、そのとき、屹立する鬼、そのものだった。人という名のタイプス。俺はそう思った。
雪がしんしんと降り続いているが、幸い、風はない。ゴーキが追って来る気配も今のところなかった。
前を行くセリが立ち止まって振り返る。
「おーい、スズシロ。道、こっちでいいのか?」
これだ。どっちへ行くのかもよく分かっていないのに、先頭きって歩き続けるのがセリという奴だった。
ナズナの肩で、やれやれとため息をつきながらアグリッパが言った。
「セリ。どちらへ行くべきかも分からずに歩いていたのですか。見当違いの方向へ進んでいたらどうするのです。雪原の中、路頭に迷うのはごめんでありますよ。」
「何ぃ? 毛玉木っ端の分際で偉そうだな、アグリッパ。」
「け、毛玉・・・! 失礼な!」
「だって、その通りだろ。だいたい、お前はどっちに行くのか、分かるのかよ。」
「ええ、分かりますとも。スズシロ殿。いずれの方角でしょうや。」
「なんだよ、結局スズシロに訊くんじゃねぇか。」
「訊いてはいけませんか。訊かずに歩くセリが悪いのです。」
「昨日から思ってたんだが、お前、なんで俺だけ「様」をつけないんだよ。ナズナもスズシロも敬称付けなのによ。」
「族内序列の問題ですよ。」
「序列、だとぉ?」
族ってなんだ、族って。にぎやかに言い合うアグリッパとセリは放っておいて、俺は地図とコンパスを取り出した。
「まずはオオノコミュに向かう。あそこにはまだ、数家族が残っているらしいからな。そこを経由して、理学研究所を目指そう。」
ナズナも一緒に地図をのぞき込む。
「オオノまではどのくらい?」
「二日ってところだな。途中、吹雪にまかれなければ、だが。」
「タイプスに出くわさなければ、でしょ。」
俺はナズナの顔を見た。冷たい視線はいつもと変わらないが、固い意志のようなものを秘めた、不思議な色をたたえる瞳だった。
この旅、旅と呼んでも過言ではない行程を、ナズナは最後までやり通そうとしている。俺はその覚悟になかば引きずられるようにしてここにいるわけだが、ナズナの顔を見ていると、俺は勇気の湧いてくる気がしてならない。例えそれが中身のない、まやかしの勇気であっても、俺は自分を鼓舞してくれるそれを信じたい。いや、今は信じるしかなかった。
「会えればいいけれど、カタクラに・・・。」
「そうだな。」
俺達が今目指しているのは、かつて生命兵器工学に関与していたとされる、研究所跡だった。そこにゴーキのかつての友人、カタクラがいるらしいのだ。
らしい、というのは、今彼がどうしているのかまったく分からなかったし、そもそも、ゴーキがカタクラと行動を共にしていないのも何か理由があるようだった。
「何があったのかしら。そのカタクラとゴーキとの間に・・。」
「さぁな。ゴーキが話したがらないんだ。無理に聞き出すわけにもいかなかった。何か、仲違いすることでもあったのかも知れない。いや、今重要なのは、その原因が何だったか、じゃなくて、カタクラが俺達の力になってくれるかも知れない、そっちの方だろ。」
「そうね。彼なら、タイプ0のことについて、色々と情報を持っているかも知れないし。」
「行こう。日が暮れる前になるべく移動したい。」
俺は、どっちの序列が上かで一生懸命もめているアグリッパのセリの間に割って入ると、
「ほら、いつまでやってるんだ。行くぞ。」
と、歩くように促した。
「いや、スズシロ、ちょっと待てって。今、アグリッパの野郎にどちらが上かを教えてやろうとだな・・・。」
アグリッパはひげをぴこぴこと揺らしながら、セリに言い返す。
「上下の関係をセリに決められるゆえんなどありませぬよ。これは私の主観によるものなのですから。」
「へ理屈ばっかり並べやがって。一勝負するか?」
「そうやってすぐ力に頼ろうとするから、格下に見られるのですよ。」
「何を!」
ナズナが、もふ、とアグリッパの頭に手をのっけて言った。
「そこまでよ。セリも。」
ナズナがにらむと、さすがにセリもそれ以上続ける気を失ったようだ。不満げな表情を浮かべたまま、どすどすと足音も荒く歩き始めた。
いつの間にか、ちらついていた雪もやんで、重くのしかかるような雪雲が空を覆っている。風の吹かない雪道は、耳が痛くなるほど静かだった。
俺達三人と一匹の吐く吐息は煙みたいに白くたなびき、さくさくと踏みしめる雪の響きすら、周囲にこだまするかするかのようだ。人口の激減した現代、住まうコミュを少しでも離れて感じるのは、圧倒的な孤独だった。世界に自分達しか存在しないという錯覚が、容易に心を支配した。いや、錯覚と呼ぶほど現実離れしているわけじゃない。周囲数キロに、他の人間がいないのは、疑うのもはばかられる事実だからだ。「面」として広がりをもっていた人間社会は、もはや各地に散在する「点」でしかない。
ひとたび沈黙すると、あのセリですら黙ったままだ。狩りに行くときの俺達のくせだ。黙ったまま、何時間でも歩き続ける。周囲の気配に神経を集中する。風がないのはいい。これなら、タイプスの存在もすぐに分かる。
歩き続けて数時間、俺は辺りを見回しながら、地図を開いて立ち止まった。
セリも気づいて、
「どうしたんだよ、スズシロ。」
と、隣に立った。
「いや、そろそろのはずなんだが・・・。歩いた時間と方角からして、オオノコミュへはすでに相当近づいているはず。」
「んー?」
言われたセリは、じっと雪原の先へ目をこらした。ところどころにこんもりと盛り上がった雪の塊がある以外、あとは枯れ果てた木々の残骸が立っているだけだ。
ナズナが何かに気づいたように、近くの雪塊へ近づいた。
「ナズナ? 何してる?」
「・・・・・。」
ざふ、と雪を手でかき出すナズナ。いったい、何してるんだ。
雪を払った下から出てきたものを見て、俺達は言葉を失った。雪で完全に埋もれた、それは確かに、人の手による粗末な家だったからだ。埋もれ具合からして、もうかなりの間、出入りはなかったといっていい。
「もしかして、ここが・・・。」
俺は自分の声が震えているのを感じた。
「ええ。近づいているも何も、ここがコミュのど真ん中よ。」ナズナが冷たい声で言った。
「な、中に人はいるか?」
「・・・いないみたい。どうする?」
セリは、ぼすっ、と近くの雪を蹴り飛ばしながら、
「何だよ。すでに廃墟じゃんか。」
と、つぶやいた。
「うん・・。多少は食料をもらえるんじゃないかとあてにしてたんだが、これじゃあな・・・。少し、探してみるか。」
俺の言葉に、ナズナはちょっと首をかしげて言った。
「探すって、生き残っている人を? それとも食料を?」
「・・・食料を。」
生き残っている人間なんて、いるはずもない。タイプスにやられたか、あるいは寒さに耐えきれなかったか、いずれにしてもそれまであったコミュが、こつぜんと消滅するのはありうる話だった。
俺達が手分けして探した結果得たのは、兎の干し肉と、しなびて凍った野菜がちょっと。それだけだった。
俺は、集めた食料を見ながら、
「これだけか・・・。」
と、ため息混じりに言った。それでも、ないよりはましだ。鞄にしまおうとすると、ナズナが言った。
「それ、全部持って行くの?」
「そのつもりだが、何で?」
「・・・少し、ここに残しておかない?」
ナズナが何を言いたいのか分かって、俺は彼女を見つめた。案の定、セリが横から口を出す。
「残すって、何でだよ? 残してどうなる。」
「もしかしたら、ここに戻って来る人がいるかも知れないじゃない。それを、こんな泥棒みたいに根こそぎ持って行ったら、困るわよ、きっと。」
「戻って来るかも、だと? 戻って来るわけねぇだろ。お前も見ただろ、ナズナ。ここに人はいない。もう長い間、戻って来た形跡もない。みんな死んじまったんだよ。死人に食い物やったって、腹はふくれねぇよ。」
アグリッパは、腕を組みながら気難しい顔をして言った。
「ふむぅ。ナズナ様のお気持ち、分からないでもありませんが、しかし、この状況でここの方々が戻る可能性は低いかと・・・。」
ナズナ、セリ、アグリッパの視線が俺に注がれた。俺がどう言うかを待っているんだ。
「ナズナ。食料はすべて持って行く。セリやアグリッパの言うように、ここの人達はもうずいぶん長い間戻って来ていない。俺達にはこれ(食料)が必要なんだ。」
ナズナは少しの間、黙って俺を見ていた。落胆、反駁、諦め。それら感情の段階をなぞるように無言の目つきを俺に見せると、ナズナは言った。
「・・・分かった。」
ひとことだけ言って、目をそらした。
ナズナはきっと、寂しかったのだろう。コミュそのものが消滅し、もぬけの殻となった廃墟に、かつて両親を失った自分の境遇と、似たようなものを見たに違いなかった。かつてそこにいた人々の生活の残滓に、せめて何らかの意味を与えたかったのかも知れない。いなくなったんじゃない。いつか戻って来る、長い旅に出ているだけだと。
「・・・今日はここに留まらせてもらおう。じきに日も暮れる。」
俺はそう言って、手近な家へもぐり込むように入って行った。
翌日は珍しく、厚い雲の間に切れ切れとなった青空が見えた。気温もいくぶん高い。ナズナが黙り通しなのが少し気になったが、今はかける言葉を思いつかない。放っておくしかなかった。
研究所までの道のりは決して短くなかったが、幸い、タイプスの気配を感じることなく目的地が見える、小高い丘の上にまでたどり着くことができた。
アグリッパが感嘆の声を上げた。
「あれが研究所でありますか。」
広大な敷地に地上四階の建物が立っている。窓はほとんどが割れ、廃墟と呼ぶにふさわしい様相だったが、しかし、雪に埋もれることなくその原型をとどめていた。
「カタクラ様、というゴーキ様のご友人がいらっしゃるのですね。」
俺はアグリッパに、
「ああ。今もいるのかどうかは分からないが、少なくとも一度は「いた」はずだ。」
と、答えた。
「よーし。入ってみようぜ。」
セリが駆け出そうとするのを、俺は慌てて止めた。
「待て、セリ。いきなり入るのはまずい。まずは様子を見るんだ。」
「何でだよ。」
「タイプスが棲みついているかも知れない。」
「何・・?」
「あの手の大規模遺構には、よくタイプスが巣を張っているって、ゴーキが言っていただろ。うかつに入るのは危険だ。」
「・・・・。」
セリの顔が引き締まり、生唾を飲む気配があった。
「・・・私が様子を見てくる。」
ナズナがそう言って、肩のアグリッパを俺に渡すと、一人歩き出す。
「ま、待て、ナズナ。一人は危ない。」
「平気よ、スズシロ。むしろ、三人で行く方が危ないわ。私一人、そっと近づけば気づかれにくくなる。」
確かにそのとおりだった。タイプスは人間の「集団」を襲う習性がある。単独行動の人間に対しては、あまり鋭敏に反応しないということを、昔ゴーキが言っていた。
「・・・・・。」
ナズナの替わりに俺が行く、と言い出せない自分が情けない。言った所で、無理しないで、スズシロ、と冷ややかに言われるのがオチだろう。
「気をつけろ、ナズナ。」
俺はそう言うのがやっとだった。
ナズナは俺達をちら、と見て微笑むと、あとは静かに、研究所へと近づく。
昨日、食料を全部持って行くと言った、俺への当て付けだろうかと一瞬思ったが、ナズナはそういう態度を取らないとすぐに思い返した。単独行動の方がいいと思ったからそうしているだけで、それ以上の意味を行動に含めるタイプじゃない。
ナズナが研究所の建物に近づき、壁に背中をつけると、割れた窓から中をうかがっている。
たっぷり一分はそうしていただろうか。やがて、俺達に向かって、来い、と大きく手振りで示した。
「大丈夫そうだな。」
セリが、ほっ、と安心したような声で言った。見ると、セリはいつでも飛び出せるように身体を緊張させ、身構えていたみたいだった。
「行きましょう。」
アグリッパに促され、俺達は研究所に近づいた。建物は意外に大きく、近づくにつれその大きさに圧倒されそうになる。俺達のいたコミュにこれほど大きな建物はなかったし、あったとしても、それは倒壊した後の、がれきでしかなかった。
「大丈夫よ。中に気配はない。」
ナズナが俺達に言い、その言葉に俺は嫌な予感が走った。
「気配はない・・・? タイプスがいなかったのはいいとして、他の人間は? カタクラはいないのか?」
「そこまでは・・。少し奥に入ってみないと、息を殺した人間がいるかまでは分からない。」
「ああ・・・。そうか。そうだな。そこまでは分からないよな。」
セリが窓枠のガラス片を払いながら、
「入ってみようぜ。ここでうだうだやってたって、カタクラは見つかんねーよ。」
と、言って窓から建物の中に入り込む。アグリッパも、中に入るナズナの肩へ飛び移り、俺だけが一人、戸外へ取り残されるかたちとなった。
「何やってんだよ、スズシロ。はやく来いよ。」
「あ、ああ。」
俺はセリに返事をしながら、ごくりと唾を飲み込んだ。明かりのない室内には、外の光が届かず暗い沈黙をたたえている。長い風雪によって散乱した椅子や書類が、人間活動の名残を物語るようで、何というか、ひとことでいってあれだ。不気味なのだ。
俺は入るのを躊躇したが、セリとナズナはどんどん奥に入って行き、もの寂しい風の音に、俺は急に不安を掻き立てられた。
「ま、待てよ、セリ、ナズナ。」
俺は辺りの静けさが背中を強引に押すような錯覚にとらわれ、窓枠を乗り越えて研究所の中に入った。
天井からだらしなくぶら下がる電灯はどこか、生き物の内臓のようで、散乱した書類はまるで剥離した皮膚だ。廃屋と化したその研究所内は、死んでただれた科学の残滓と、そう呼ばしめるにふさわしいような気がした。つまり、やっぱり不気味なのだ。
セリとナズナの姿が、廊下の奥に見えなくなってしまうと、俺は慌てて二人の後を追った。
「うへぇ、ひでぇな。」
セリが、部屋のひとつをのぞきながらうめくような声を上げる。何かの爪痕のような、巨大なひっかき傷が壁にできていて、中は物が滅茶苦茶に散乱していた。
「ここも何度か襲われたのかも・・。」
ナズナの言う、襲われた、とは、もちろんタイプスによってだ。
屋内に入り、薄暗い廊下に横たわる不自然なほどの静けさに俺は緊張した。
「本当にいないのか・・・?」
「タイプスが?」ナズナが俺のつぶやきに振り向いた。
「動くものの気配は感じなかったけれど・・。」
セリは、
「ま、闇の中に潜まれちゃあ、気配も何もないけどな。」
と、能天気な声で言う。
「や、闇の中に潜む・・?」
俺は廊下の先に目を凝らす。窓がない。光源のまったくないそこは、真の暗闇だった。
「暗いな。」セリは言いながら立ち止まった。
「ま、待て。火を起こす。」
俺はしょっていた鞄を下ろすと、腕の長さほどの木棒、布きれ、ペンキの缶を取り出した。棒の先に布を巻き付け、ペンキの缶に入れてある、獣脂とガソリンで作ったドロドロの可燃物に浸す。ポケットから綿埃をひとつまみ取り出して、燃料切れのライターについた火打石の火花でもって、息を吹きかけながら小さな種火を起こした。うっすらと煙を上げ始めたら、鉄パイプの先端に載せる。さらに息を吹くと、巻き付けた布が勢いよく燃え始めた。
獣脂の燃える少し焦げ臭い匂いと共に、周囲がオレンジ色の光で染まった。
出来上がった明るさに、俺は思わず安堵した。
「よし、行こう。」
そう言いながら、俺はしまった、と悔やんだ。この即席松明を持っている以上、自分が先頭を歩かなければならない。今さら、セリやナズナに、はい、明かり、と手渡すわけにもいかない。
心臓の鼓動が再び早まるのを感じながら、俺はそろそろと足を進めた。
「しかし、完全にもぬけの殻ですね。」
と、アグリッパの声が後ろから響いた。
「これだけ大きな施設であれば、ここを中心にコミュが形成されてもおかしくなさそうですけれど。」
ナズナは、
「大きな施設だからこそ、タイプスに狙われたんじゃないかしら。奴らはより大きな人間の集団を襲う習性があるから。」
と、アグリッパに答えた。
「しかし、生物は本能的に、自分より多い集団を恐れるものじゃあないでしょうか。」
「ライオンが兎の群れを恐れるかしら。タイプスは戦闘用として人為的に作られた生物よ。人間を恐れていたら兵器として使い物にならない。」
「兵器、ですか・・。人はかくも恐ろしい奴らを創り出したものです。殺すための道具として、生命を生み出してしまうのですから。あ、やや、ナズナ様は別ですよ。人は、と申しましても、十把一絡げに人間を批難して言ったつもりはないのです。」
「変なフォローしなくてもいいわよ。その通りなのだから。私はむしろ、恐ろしいというより、おぞましい行為だと思うわ。目的をもった生命を生み出すなんて。自分達が神様にでもなったつもりだったのかしら。挙げ句、自らの創り出した生命に、自分達の種が脅かされるなんて、皮肉もいいところだけれど。」
「目的をもった生命・・・。」
アグリッパはそう言って黙った。
ナズナは何気なく口にした言葉だが、愛玩生物としてのアグリッパは、まさしく、目的をもった生命、そのものだ。商品として販売されることを目的とした。
戦うためか、ペットとして売り出されるためか、その目的は違えど、生まれた由来というところで、タイプスもアグリッパも似たようなものなのかも知れない。アグリッパ自身、そのことを気にしてるんじゃないか。
俺は前を向いたまま、誰へともなく言った。
「人は大昔から、生命淘汰の原理へ介入してきたんだ。家畜の品種改良や、農作物の改良しかりさ。何も、特別でおぞましいことじゃあない気もする。その延長にタイプスがいるだけなんだから。ただ目的が、戦うことにあるという点が違うだけだ。」
「・・・スズシロはそうやって割り切るのね。」
ナズナが冷たく言った。
「合理的に考えただけだ。冷静にな。」
俺がそう言うのに、セリは笑って言った。
「スズシロは冷静っていうか、冷静を取り繕ってるだけだろ。」
「うぅ・・・。」
痛い所を突かれた。今だって、真っ暗な廊下の中で、手にした松明の明かり、それひとつにすがっているようなものだ。怖くてしょうがないのを、会話で紛らわせているにすぎない。
「取り繕ってなんか、いない。」
それだけ言うのがやっとだった。
長く暗い廊下を進むと、扉に突き当たった。ドアノブはなく、回転式のハンドルを回すことで開くみたいだ。
「行き止まりか。開くのか、これ。」セリがハンドルに手を掛けながら言った。
「開けてみれば分かる。」
俺が言うのにうなずくと、セリは力をこめるが、ハンドルはびくともしない。
「・・・っ! かってぇな! 全然動かないぞ。」
「ナズナ。」
俺はナズナに視線をやって、セリと三人でハンドルを握る。さびついた鉄の感触が手のひらを伝った。
「いくぞ。っせーの!」
三人で渾身の力をこめて回しにかかる。アグリッパはぴょい、とナズナの頭に飛び乗ると、
「私が音頭を取りましょうぞ。それ、回すのです!」
よいしょー、と言わんばかりに俺達はアグリッパの合図でハンドルに全体重をかける。
ほんのわずか、ささやくほどのきしみをあげながら、ハンドルは動いた。一度動き出すと、あとはあっと言う間に回り始めてドアのロックが外れた。
「開いた・・!」
俺は言いながら、恐る恐る扉を押し開ける。
陰気な屋内とは打って変わって、日差しの差し込む中庭が現れた。
「外だ・・。」
ロの字型のひさしが雪風の吹き込みをさえぎってきたんだろう。四方を研究所の壁に囲まれ、吹き抜けになって空が見えている。
溶けることのない万年根雪は積もっておらず、若々しい緑の草が一面にはえ、花までが、かしこに咲いている。
「・・・・!」
セリとナズナも、中庭の光景に声が出ないみたいだった。
庭へ踏み出し、ナズナがつぶやいた。
「きれい・・・。」
確かに、それ以外の言い表しようがない場所だった。
「雪も風もほとんど入ってこないみたいだし、それでいて上から雪溶けの水がしたたるもんだから、こんな場所ができたんだな。」
俺は庭を見回しながら言った。
「何か落ちてるぞ。」セリが何かに気づいて歩き出した。
庭の中央から少し外れた、一番日当りのよさそうなところに、石板のようなものが立っている。
「何かの石碑・・か?」
俺はメガネを指で押し上げながら、石の板を見つめる。何か、表面に書いてあるようだ。凹凸がすり減って全部は読み取れない。
「藍・・なんとか、って書いてあるみたいだけど。」
「アイなんとか? 何だよそれ。」
セリが石へ無造作に近づいて、足で小突こうとするのを、ナズナが鋭い口調で止めた。
「セリ! だめよ。」
ナズナの声が、庭中に響いた。
「な、なんだよ、ナズナ。いきなり叫んで。」
驚いたセリがナズナを見る。
「もしかしたら、誰かのお墓かも知れない。」
「何・・?」
ぎく、と身体を強ばらせて、セリは足を引っ込めた。
「見て。」
ナズナが指差すところを見ると、石の前に、からからにひからびた小さな花の一束が置かれていた。
墓・・・。草に囲まれて一見、石碑がそこへ落ちているだけのようにも見えるが、置かれた花と合わせて見れば、そこは確かに墓だった。
アグリッパが、うむうむ、とうなずきながら言った。
「さもありなん、ですな。ここは日当りもよいですし、一番居心地のいい場所を、永遠の眠り屋としたのかも知れません。死者を見送った方は。」
俺は石碑の、いや、恐らく墓石であろうそれの埃を軽く払うと、
「行こう。ここにタイプ0へとつながる情報はないだろう。」
言いながら、立ち上がった。
庭を後にしながら、俺はもう一度振り返る。
ここばかりは、静寂が美しい場所だと思った。ここを墓に、と決め見送った人間は、きっと優しい人だったに違いない。それはまた、親しい人間への惜別がありあまるほどにこめられていることも意味しているわけで、俺は何だか、胸がざわつくような、息苦しいもの悲しさを感じ、慌てて庭から目をそらした。
研究所を進むと、廊下の壁際に突如、スライド式の大きな扉が現れた。扉は拳の多きさほどの隙間があって、中をのぞける。
「何の部屋だ? おい、スズシロ。松明で照らして見ろよ。」
「ああ。」
光をかざして奥をのぞく。
「・・何かの倉庫、みたいだな。」
「役に立つもんがあるかも知れないぞ。入ってみようぜ。」
「よし。」
壁際に置かれたラックはほとんど空で、何の部品か、ネジやバネが散乱していた。
俺はネジを拾い上げて見ながら、
「がらくたばかりだな。これじゃ、何の役にも立たないだろ。行こう。」
と、言ってネジを捨てた。
「待って。あれは?」
ナズナが何かを指差す。その先、部屋の片隅にはカーキ色の薄汚れたシートが、うずくまった獣みたいな何かを覆っていた。
セリは何の躊躇もなく近寄ると、そのシートをはぐ。
「こいつは・・!」
出てきたのは、黒々と光る砲身、厚大な機関部で構成された銃だった。獣みたいな、という予感はあながち間違いじゃなかった。高速で銃弾を吐き出すこれは、牙をむく野獣、そのものに匹敵する。
「すげぇ・・。これならタイプスとやりあえるんじゃないか。」
セリが砲身をなでながら、感嘆の声をあげる。
俺もあちこちを松明で照らしながら、鉄の野獣たる機関銃を細部まで眺めた。
「ああ・・。三十ミリ機関銃か。これなら、戦力になるだろうな。けど・・。」
「けど、何だよ、スズシロ。こいつがあれば、怖いもんなしじゃないか。持って行こうぜ。」
はしゃぐセリに、アグリッパが言った。
「いや、無理でしょう。」
「ああん? 何でだよ。」
「重過ぎましょう。セリ、それを動かせますか?」
「何? 動かし方なら、スズシロあたりが知ってんだろ。」
「いえ、そうではなくですね。」
「?」
首を傾げるセリに俺は言った。
「操作方法の話じゃないよ、セリ。これを持って運べるか、って話だ。」
「運べるか、だって? 簡単だ。見てろよ。・・ふん!」
セリは機関銃に手をかけ、顔を真っ赤にして持ち上げようとするが、びくともしない。
「・・・っ!」
「無理だろ。三人掛かりなら、この研究所の外くらいまでは運べるかも知れないけど、とてもこの先持ち歩けるものじゃない。」
「・・だー! くそっ。せっかくの武器を、重量制限で諦めるなんてよ。」
ナズナが冷たい声でセリに言う。
「身の程ってものがあるのよ。無理して大きなもの使おうとしても、うまくいかないわ。」
「何だよ、ナズナ。トゲのある言い方だな。つまり、俺が身の程知らずだってことか?」
「正解。」
「正解、じゃねぇだろ。誰が身の程知らずだよ、誰が。」
「だから、セリが、よ。」
「この・・!」
いつもの喧嘩だ。やっぱり、こいつら仲がいいんじゃないかと思うのだが、とにかく今は喧嘩してるときじゃない。
「ほら、やめろ。残念だけどこいつは置いて行くしかない。」
ちっ、と舌打ちしながら、セリは振り上げた拳の下ろし場所に困ったのか、アグリッパの鼻先を、ぴん、と指で弾いた。
「あだっ! 何をするのです!」
「鼻ピン。」
「ああ、デコピンならぬ、って、そうじゃなくですね。」
「アグリッパにあたるの、やめなさいよ。」
ナズナは言いながら、アグリッパの頭をなでた。
「うるせー。」
セリは言いながら、部屋を出た。
研究所内は広大だった。途中、松明に巻いた布を取り替え、火を継ぎ足しながらさらに進むと、一番奥まった場所に重い扉が現れた。取っ手も何もないそれは、恐らく電気で動くタイプなのだろう。ぴっちりと閉まって、蟻のはい入る隙間もない。まるで、俺達のような人間が来るのをあらかじめ分かって、何年も前から閉じ切った、城門じみた扉だった。
「今度こそ、行き止まりかよ。」
セリが扉を押しているが、ぴくりとも動かない。
「あや? こっちは何でしょう。」
アグリッパが指す方を見ると、ちょっと戻った廊下の脇にも扉がある。壁とほとんど一体となっていて、気づかなかったんだ。
「部屋があるみたいだな。」
俺は松明をかざしながら、ぐ、と扉を押した。
この扉もまた、何年も開けられていなかったのだろう。中からカビ臭い、澱んだ空気が流れ出てきた。
誰かの私室、だろうか。壁の本棚にはびっしりと本が置かれ、床には紙の書類が崩れかけたバベルの塔みたいに、科学の頂を目指すその残骸をさらしていた。
「誰かの研究室だったのかもな。・・・それにしても、すごい本の数だ。いくつか持ってけないか・・・。」
本の背表紙を端から追い、ふと気づくと、ナズナ、セリは部屋の入り口で突っ立ったままだ。
「・・?」
二人とアグリッパの顔が青ざめている。まるで、幽霊でも見たような顔だ。
「どうしたんだ。」
セリが俺の方を指差しながら、口をぱくぱくと動かしている。
「何だ、セリ。どうしたんだよ。」
「そ、そいつ・・・。」
「そいつ?」
何のことを言ってるんだ、セリは。俺の様子が何かおかしいのか。ぺたぺたと自分の顔を触ってみるが、別段、おかしなことはなさそうだ。
「俺がどうかしたのか?」
「い、いや、お前じゃなくて・・。それだよ、それ。スズシロの隣に座ってるやつ・・・。」
「隣に座って・・?」
俺は松明を持つ手を振って、自分の立つ隣を見た。ちょっと、視線を落とす。
「! ぅわぁぁ!」
驚きすぎて、松明を手から取り落とした。風のように近づいたナズナが、松明をキャッチして、あやうく床の書類塔に火がつくのを防ぐ。
俺はそのまま後ずさり、壁際の本棚へ背中のぶつかる感触を感じた。同時にそこで、俺の意識は真っ暗闇に閉ざされるのだった。
気がつくと、本棚を背に俺は座り込んでいる。ぼんやりとした視界の先には、セリとナズナがいて、その隣には。やっぱり、いる。見間違いじゃない。俺はよろよろと立ち上がると、デスクにつっぷして、顔だけ横を向いている「それ」をあらためて見た。
乾燥した空気の中、ぱさぱさに渇いたミイラだ。頬はこけ、筋張った皮膚の浮き上がるそれはかつて生きていた人間、というよりも、あらかじめそう作られた、人形か何かに見える。
「ここの研究員かしら・・。」
ミイラの着ている白衣を見ながら、ナズナがつぶやいた。
俺は、自分の声に震えが残るのを恥ずかしく思いながら言った。
「た、たぶんな。ここに一人で残って、研究を続けていたのかも知れない。」
セリは、
「ふぅん。何かタイプス戦につながる情報があるかも知れないぜ。この下にノートみたいなのがある。」
と、ミイラのつっぷした机上の、端だけのぞいている大学ノートが気になるようだった。
「ちょっと、引っぺがしてみようぜ。」
そう言うなり止める間もなく、セリはミイラの肩へ手をかけて、ぐい、と後ろに引っぱった。
ミイラの硬直した身体は椅子に座ったままの姿勢で、後ろにひっくり返った。ばさ、という意外なほど渇いた音と共に、書類の塔のいくつかを倒しながら、ミイラ研究員は仰向けになって、その虚ろな眼窩で床を見つめた。
ミイラの顔はなんだか笑っているようにも見え、最初に見た時の戦慄というか、恐ろしさみたいなものは薄れていた。苦悶ではない、やすらかな表情を浮かべているそれに、俺はちょっとだけ安堵した。苦痛や苦しみの中で死んだわけじゃないんだ、この人は。
俺はセリに向かって、
「おい、やりすぎだぞ。」
と、批難した。
「そうですぞ。まったく乱暴な。デリカシーに欠けるとはこのことです。」俺に同調して、アグリッパもわめきたてた。
「う、うるせー、アグリッパ。そのままひっくり返るなんて思ってなかったんだよ。すまん、ミイラ人間。」
セリはおがむように両手を合わせた。
ナズナはというと、机上のノートに顔を寄せながら、難しい顔をしている。
「何が書いてあるんだ?」
「何か、数式とか、記号とか・・・。分かる?」
俺はノートに松明を近づけながら文字を追った。奔放なみみずが運動会にでも参加したような乱れた文字が、延々と書きなぐられている。何かを計算した後のようでもあるし、たんぱく質の組成に近い化学式が頻繁に現れることから、生体実験の概念ノートとも取れた。
「実験ノートだな。しきりと何かを計算しているようでもあるが・・・。」
ノートをめくって行くと、後半はより具体的な記述に関してメモ書きが連なっている。
セリも頭を寄せてノートをのぞきこんだ。
「汚ネェ字だな。なぐり書きもいいところだぜ。役に立つのか、こんなもの。」
「・・・・。」
「おい、スズシロ。どうなんだよ。」
「・・・・・・。」
「どうしたんだよ、黙って。」
俺はノートの後半を読み進めるにつれ、全身のうぶ毛が波立つ感覚に襲われた。
「タイプスの生成とコントロール・・・。」
「何?」
つぶやくように言った俺の言葉が、セリには聞こえなかったんだろう。だが、ナズナは、はっ、とした顔で俺に迫った。
「それって・・・!」
「ああ。この人、タイプスを自分で製造しようと試みたみたいだ。しかもそれを任意にコントロールしようとした・・・。」
セリが驚いたような顔で俺を見た。
「ほんとかよ。タイプスを自分達で操作できたら、それほど強い味方はねぇだろ。成功したのか、こいつ?」
「それは分からないな、このノートの記述だけじゃ。」
「でも、操作なんてできるのか?」
「理論上は可能だと思う。そもそも、兵器として開発されたものなんだ。人間が操作できなきゃ、役に立たないだろ。」
「ああ。それもそうだよな。じゃあよ、こいつの成果物ってやつを探してみようぜ。この研究所のどっかに、操縦できるタイプスがあるかも、ってことだろ。」
「そうさ。そのとおりだ。探そう。」
俺は興奮を押さえられずにうなずいた。思いのままに操ることのできるタイプスが、ここにはあるかも知れない。もし本当に、自由自在操ることができるのなら、タイプ0を狩るのにも、大きな助けとなるに違いなかった。
俺達のテンションの上がりようとは対照的に、ナズナは何だか浮かない顔をしていた。
「どうしたんだよ、ナズナ。何か不満か?」セリがナズナの表情に気づいて言った。
「・・不満よ。」
「何でだよ。」
「私達の戦力になるとはいえ、タイプス(奴ら)の力を借りることになるわ。そんなの、イや。」
「嫌、って、あのなぁ。タイプスを使えれば、すごい戦力になるんだぜ。もしかしたら、他のタイプスを軒並み蹴散らせるほど強いかも知れねぇ。ようは武器だよ、武器。さっきの銃は重くて使えなかったが、自分で歩いてついてくる武器を手に入れられると思えばいいんだよ。」
「・・・タイプスを生み出した人間も、同じことを考えていたんでしょうね。」
ナズナの声は冷たかった。ナズナは目の前で親をタイプスにやられている。反発する気持ちは分かった。分かったが、やっぱり、自由に使役できるタイプス、という可能性を俺は捨てきれない。
「とにかく、まだ、本当にそんなのがここにあるかどうかも分からないんだ。探すだけ探してみよう。」
俺とセリは部屋を出た。
ナズナはというと、ミイラ人間の上にかがんで、何かごそごそとやっている。
「ナズナ?」
「胸ポケットに何か入ってる。」
ナズナはミイラ人間のポケットの中から、手のひらより少し小さいサイズの、ぼろぼろに腐食した半透明のケースを引っぱり出した。
「何だ、それ?」
「その人のポケットに入ってたの。何かの役に立たないかしら。」
裏返したり、松明にかざしたりして調べてみたが、表面の文字や写真はかすれきってしまって、判読できない。アグリッパが俺の手元をのぞき込みながら言った。
「ふぅん。どうも、IDカードのようですね。」
「IDカード?」
「認証用のカードですよ。セキュリティレベルの高いエリアへ入る時に使うわけです。」
「レベルの高い・・。そうか。これを使えば、あっちの扉が開くかもな。・・そっちは?」
ナズナはくすんだ紙切れのようなものを持っていた。
「その人が握りしめてたわ。」
「握りしめてた? 何かのメモか? まぁいいや。とりあえず、これで扉が開くか試してみよう。」
俺達はさっきの閉ざされた扉の前に戻ると、周囲を探ってみた。固く密閉された扉の脇の壁に、よく見ると小さなスリットがある。
「ここに差し込めってことか・・・?」
俺はホルダーからカードを取り出すと、スリットにそっと押し込んでみた。根本まで入れてしまうと取り出せなくなってしまいそうな気がして、ゆっくりと、奥へカードを進める。
人差し指の幅ほどを余したところで、カードが何かにぶつかる感触があった。
同時に、ゴン、というかすかな振動が足に伝わり、扉が開き始める。
「電源がまだ生きてる・・・!」
電気、なるもので稼働する物体を見るのは、久々だった。ゴーキが若い頃には、あらゆるものがこれで動いていたらしい。歩道や階段までが動いていたというから驚いた。歩けばいいだけのところ、電動で動かそうとまでするその、楽をしたい、という欲求に、何か執念じみたものを感じる。
この扉にしたってそうだ。手で開ければいいものを、わざわざ貴重な電気で動かしている。発電所はとっくの昔に運転を停止しているから、施設のバッテリーででも動いているんだろうか。
「開くぞ。」
セリがじれったそうにしながら、開きかけの扉から中を見ている。
「暗いな。スズシロ、火。」
「ああ。」
扉の奥には、透明のガラスでいくつかに仕切られた、研究室らしきエリアが広がっていた。目を引くのは、縦置きされた円筒状の巨大な容器だ。俺の背丈よりも高いその容器はまるで、ギリシャ神殿を支える円柱のように、幾本も連なっている。
「何だ、こりゃ? 何か入ってたのか?」
容器はほとんどがひび割れたり、傾いたりして、本来の用途を足さない状態みたいだ。割れた容器の底の方には、ぬらぬらとした光沢を放つ、青っぽい液体が残っている。
「何かの液体が入ってたのかもな。」
アグリッパはナズナの肩から飛び降りると、液体の残る容器をくんくんと嗅いだり、辺りを調べ始めた。
「ただ液体を入れる容器にしては、大きすぎるような気もしますね。そもそも透明にするということは、中身を確認できるようにするためでもありましょう。容器に何かを浸していたのでは?」
「何かって、何をだろう。」
俺はアグリッパと一緒になって、松明をかざしながらタイプスと関連するものがないか探す。
「浸すって、これをでしょ。」
俺達の背後でナズナが言った。
「どれを?」
差し向けた光で明るく照らされた、まだ破損のない容器を見て、危うく俺は松明を取り落としそうになった。
液体の中に、人が入っている・・!
中は濁ってはっきりと見えないが、確かに人の形をした何かが、宙空に浮かぶ雲みたいに容器の半ばあたりで静止していた。
セリもやって来ると、容器のガラスに張り付いて、
「すげぇな。誰が入ってんだ。」
と、中を透かし見ようとしている。
「誰が、じゃなくて、何が、でしょ。」
ナズナは冷たく言った。
「何かの実験体よ。人間なわけないわ。」
「実験体・・・。」
そう言われて、俺は急に戦慄が走った。ナズナの言う通りだ。普通の人間をこんな容器に押し込めるわけがないし、いや、人以外の何かを容器の中で育てたにしろ、人間を押し込めたにしろ、何かとてもおぞましい行為がここで行われていたと、そんな風にしか思えなくなった。松明の明りに揺れる研究室の機器が、不気味な意図を孕んでいるようにすら見えてくる。
アグリッパはそばにあったデスクの上で、しきりと何かをやり始めた。兎の前足にしか見えないアグリッパの手が、キーボード上のキーをひとつひとつ打鍵している。
「アグリッパ、何をしてるんだ?」
俺の言葉に、アグリッパは手を止めないまま答えた。
「いえ、扉を動かせるような電源が生きているということは、このラボの機器もまだ動くのではないかと。・・・これか。」
アグリッパがもふもふとした手で何かのキーを叩くと、部屋のライトが一斉に点灯した。まぶしいほど白一色の室内に、俺は思わず目を細めた。
実験体の入った容器の根本の方では、グリーンの小さなライトがいくつか明滅する。アグリッパの前にあるディスプレイに文字やグラフが表示され、同時に低く深い鳴動が、容器から響いてきた。
セリは容器から、びく、と一歩後ずさった。
「動いた。てかさ・・・。」
セリはアグリッパに視線を向けながら、何か得体の知れない三つ足の生き物でも見るみたいな表情で言った。
「お前、何者だ? 本当にただのペットなのか。」
「ペットじゃありません。アグリッパでありますよ。」
「いや、そうじゃなくてよ。どこで覚えたんだよ、そんな操作。」
「長く旅もしていれば、覚えることも多くありましょう。それより、その容器の中に入っているもの、タイプスですね。」
俺達三人の視線が、一斉にアグリッパへ注がれた。アグリッパは目の前のディスプレイを読みながら続けた。
「サイクロプス型、タイプ9の雌、のようです。」
「メスだって?」俺は聞き間違えたかと、アグリッパへ問い返した。
「そうです。」
「タイプスに雌雄の違いなんてあるのか?」
「あります。だからこそ、野生化した後、自力繁殖してきたのですから。」
「そ、そうか・・。言われて見れば、オスとメス、両方のタイプスがいてもおかしくない・・・。けど、メスのタイプスなんて始めて見た。」
セリは容器の内側へ目をこらしながら、
「これがメスだとぉ。ふぅん。まぁ、オスだろうがメスだろうが、化け物に変わりはないだろうが・・・。よぉ、アグリッパ。こいつ、動くの?」
「一応、起動直前のコンディションを保っているようですが・・。えーと。」
かたた、という打鍵音の代わりに、もふふ、という静かな音を立ててアグリッパはキーボードを操作した。
「はい。起動可能です。動きますよ、そのタイプス。」
俺は一気に血の湧き立つような興奮を感じた。
「う、動くって、俺達の命令を聞くタイプスが、ってことだよな。」
「ええ。コマンド受け付けの設定もあるようですから、命令を聞くはずです。」
「すごい・・・! やってみよう、アグリッパ。」
アグリッパの柔らかい脇腹へ顔を近づけながら、俺はディスプレイをのぞくわけだが、かたわらからナズナが不満そうな声をあげた。
「待って。ほんとに動かすの、それ?」
ナズナは、整った顔立ちの眉間にうっすらとしわを寄せている。
「動かすのか、だって? 反対なのか、ナズナは?」
「さっきも言ったわ。だって、タイプスをまた一体、稼働させることになるのよ。それに、もしも命令を聞かなかったら、私達全員、ここでやられて終わりだわ。こんなものに頼るなんて、私は反対だよ。こんな殺戮兵器、消え去ってしまえばいいのに。」
「いや、一から起動するんだし、大丈夫だろ。」
「どこにその根拠があるの? それに、たとえ命令を聞くとしても、私はこれの力を借りるなんて、嫌よ。こいつらを根絶やしにするために、こうして旅に出てるのよ。放っておくか、あるいは殺した方がいい。」
殺した方がいい。そう言ったナズナの目は、いつもの二重が一重に見えるくらいまぶたが落ちて、完全に据わった目つきというやつになっていた。ナズナがこの目つきになったときは、本気だ。もしかしたら、自分は間違っているかも知れない、なんて疑念の生じる隙間がまったくないときの、決意に固まった(decisiveな)顔つきだった。
「けどさ、ナズナ。この先、俺達だけで進むのは厳しい。そもそも、タイプ0の心臓を狙うなんて、生身の俺達だけじゃ絶対に無理だ。だからこそ、ここに来てカタクラの協力を得ようとしたわけだろ。カタクラはいないみたいだけれど、この操作可能なタイプスがいれば、俺達の目的を果たせる可能性が見えてくるんだ。気持ちは分かるけど、ここは割り切って考えた方がいい。タイプスに頼るんじゃない。タイプスを「使う」んだって。」
「・・・・・。」
ナズナは黙ったまま俺から目を逸らした。YESではないが、NOと主張もしきれない、ナズナがやるいつもの承諾だった。
「いけるか、アグリッパ。」
「しばしお待ちを・・・と。」
アグリッパはデスクの上に座り込むと、滑らかな手つきで、というか、前足つきで、キーボードを操る。
アグリッパは気味の悪いほど慣れた様子で操作を続けている。セリが疑問に思ったのもうなずける。アグリッパはいったいどこでこんなスキルを身に付けたんだろう。本や資料を読んだだけで、こうも簡単に操作できるものじゃない。どこかで、実際にやったことがない限りは。
旅を続けている、とアグリッパは言った。自分の根源を探る旅だと。アグリッパは何かを隠しているんじゃないだろうか。俺達には明かしていない事情というやつを。
ふさふさの毛に覆われたアグリッパを眺めながら、俺は底知れない世界の深奥ってものを垣間見る気がした。
「・・・あ。」
「どうした。」
アグリッパの手が突然止まった。
「いえ、認証コードを要求されました。これはハックできません。」
「認証コード?」
ディスプレイを見ると、確かに何かのポップアップが表示され、処理が中断されている。
俺は、ナズナとセリの顔を見た。彼らがコードを知っているわけないのだが、思わずその答えを求めてしまったのだ。当然、俺も思い当たるものなどない。
「認証コードって言われてもなぁ。知らねぇよ。」
セリはぽりぽりと頭をかきながら言った。そりゃ、知らないだろう。知っている方がおかしい。
アグリッパは腕を組みながらため息をついた。
「ふぅむ。困りましたね。コードが分からないと、タイプスの起動シーケンスが完全にブロックされた状態です。あと一歩なんですけどね。」
「そんな・・・。ここまできて。」
諦めるしかないのか。
打つ手がない。そう思ったときだ。ナズナが小さな声で、誰かへ囁くみたいに言った。
「アイナ・・・。」
手に持った。ぼろぼろの紙片を読み上げたみたいだった。さっきの、ミイラ研究員が握っていたメモ・・・?
ディスプレイの裏の辺りから、合成された機械音声がそれに呼応した。
「認証コード positive. 声紋を登録しました。ナイン、起動します。」
低い鳴動音が強くなり、やがて実験体の入った容器内部の液体がするするとその水位を下げた。
容器を覆っていたガラスが天井へ向かってゆっくりと上昇し、青緑色の液体に包まれた、人の形を取るモノが中からすべり落ちて、床へうずくまるようにして止まった。
そばに近づいたセリが、ぎくりとその足を止めた。
「どうした、セリ? そいつ、生きているのか。」
「わ、分かんねぇけど、これ・・・、女だ。」
「女? メスってことか?」
俺は今にも動き出しそうな実験体に近づけないまま、セリの背後に向かって言った。何だか、セリの首筋が赤く染まっている。
「い、いや、メスっていうか・・・、女だ。」
なんなんだ、一体。同じことを繰り返すセリの言うことが要領を得ないものだから、俺は恐る恐る実験体に近づいてみた。
ぬめりのある液体に包まれたそれを見て、俺は息をのんだ。
確かに、女だ。サイクロプスのメスというから、この前襲われたタイプ9の巨体と同じような姿を想像していたのだが、それとは似ても似つかない少女のような容姿をしている。皮膚の色こそ明るい黄緑色だったが、しかし、四肢や体幹は人のそれと変わらない。しかも、その姿は全裸だった。セリが赤くなったのは、このせいだったのか。
横になった卵のようにうずくまる少女の顔には、暗い赤毛の髪がへばりつき、閉じられた片目がのぞいている。オスのタイプ9のように、目が中央にあるわけではないようだった。
俺はその肢体を一巡した視線を慌てて逸らすと、逸らした目をどこに向けてよいか分からず、うろうろと天井や壁へと惑わせながら言った。
「ナ、ナズナ。ちょっと、様子を見てくれるか。この子、裸みたいなんだ。」
「この子・・・?」
ナズナは実験体の少女のそばへ立つと、何の感情もこめられていない、路傍の石を見下ろすみたいな顔で少女を見ている。
「これ、の間違いでしょ。いいわ。面倒を見ろと言うなら見るけれど、あくまでも道具として、よ。」
「あ、ああ。何でもいい。とにかく、服か何かを着せてくれよ。全裸というのはまずい。」
「・・・あなた達は出てって。アグリッパ、手伝ってくれる?」
「もちろんです。」
俺は、
「何かあったらすぐに呼べよ。」
と言い残して、いったん研究室の外へ出た。
「なぁ。」と、セリが廊下の壁にもたれかかりながら言った。
「何だ。」
「ナズナの奴、何か怒ってたな。」
「怒るというより、憎むって感情の方が強いだろうな。タイプスを使うことに、最初から反対だったし。」
「あのタイプス、言うこと聞くのか?」
「さぁ・・・。そればっかりは命令してみなきゃ分からない。」
「いきなり暴れ出すってこと、ないだろうな。」
セリに言われて、俺は急に不安を感じた。ナズナとアグリッパだけで、大丈夫だろうか。一瞬そう思ったが、
「まぁ、ナズナがいれば大丈夫だろう。近接戦じゃ俺達より格上だ、ナズナは。」
と言って、浮かんだ不安を打ち消した。
「俺達って、俺を含めるなよ、スズシロ。」
「セリだって、手も足も出ないだろ。」
「あのときはたまたま・・・! 次やれば、俺が勝つ。」
「何を根拠に。」
「俺だって、毎日訓練してんだ。そのうちナズナなんて、大地に組み伏してやんよ。」
「大口叩くのは勝ってからにしろ。」
「大口って、あのなぁ。スズシロ、お前は俺とナズナ、どっちの味方なんだよ。」
「どっちの味方でもある。そういう二項対立的な考え方、やめた方がいいぞ。俺がどっちにつくとか、そういう話じゃないんだからな。」
「ふん。そいう説教じみた言い方、まるでゴーキだぞ。」
「説教じみた言い方しなきゃならないのは、誰のせいだと思ってるんだよ。」
やれやれだ。相変わらず、セリの子供っぽさというか、青臭さは抜けない。自棄的な蛮勇がそれに伴うものだから、タチが悪い。もう少し、優しさや共感みたいなものを身に付けてくれれば、落ち着くのだろうが、放たれた矢みたいに、一度突っ走ると戻って来ない危うさを、セリは孕んでいた。
「それにしても。」
と、俺は話題を変えた。
「タイプ9のメスがあんな容姿をしているなんてな。野生でもああなんだろうか。」
「知るかよ。戦力になれば何だっていいんだよ。あんな、あんな・・・奴。」
「?」
タイプ9だから、そのまま、ナイン、とコードネームで呼ばれていたのであろうあの少女の、床にうづくまる姿を思い出したのだろうか。セリがまた顔を赤くしていた。
「何だっていいとか興味なさそうなことを言うくせに、顔が赤いじゃないか。」
「あ、赤くねぇよ! どこ見て言ってんだよ、スズシロ!」
「いや、お前の顔だよ。ムキになって否定したところで、赤いものは赤い。」
「赤くねぇ!」
セリは、がぼっ、と着ていた防寒着のフードをかぶると、かがみ込んで黙ってしまった。赤くなるのも無理はなかった。あのナイン、確かに整った顔立ちをしている。つまり、かわいかったのだ。
ずいぶん長い間、そのままの沈黙が続いた。静かだった。この広い研究所に、俺とセリ、二人しか存在しないんじゃないかと、そう錯覚するほど重く、深い沈黙がその場を支配していた。
「・・・遅いな。」
俺はラボの方を見ながらつぶやいた。ずいぶん時間が経つが、中からは話し声も、人の動く気配もない。
急に嫌な予感が脳裏をよぎった。
「ちょっと、見てくる。」
俺はそう言い残して、ラボに入った。
部屋の中央にはあのナインが立っている。そばにはナズナとアグリッパもいる。
ナインは軍用の最前線用重装備(Armor for Frontline)を着込んだ姿で、微動だにせずその場に立っていた。まるで、マネキンみたいだ。兵隊用マーケットに立ちつくす、ディスプレイ用の宣伝マネキン。
セリも後から続いて、ナインを見つめている。
「ナズナ。大丈夫か?」俺はナインへ注意深く視線を注ぎながら、ナズナに言った。
「大丈夫って、何が?」
「何がって、怪我とかしてないか。」
「してないわ。見ての通りよ。何かあったら呼んでるわ。」
「そ、そうか。それで、ナインはどうだ。」
「ナイン?」
「そのタイプスだよ。タイプ9だから、ナイン。」
「ああ。呼び名を付けるなんて、考えもしてなかった。動いたわ。」
「動いたって、命令を聞いた、ってことか。」
「ええ。」
「すごいじゃないか! 本来のタイプスとしての機能を持ってるってことだろ。人の命令を聞くっていうさ。なぁ、セリ、何かコマンドを出してみろよ。」
俺はセリへ振り返っていった。
セリは、ぼんやりと魂の抜けたような顔でナインを眺めたまま、動かない。
「おい、セリ。」
「あ、ああ。ああ?」
「命令だよ。何か命じてみたらどうだって。」
「命令? ああ。そ、そうだな。えーと、あ、歩け。」
・・・・・。
命令が単純すぎるんだろうか。ナインは前を見据えたまま、ぴくりとも動かない。セリの替わりに俺が口を開こうとしたときだ。
ナインの首だけが九十度右に回ったかと思うと、低くはあるがよく通る、澄んだ声でナズナに言った。
「サージェント・ナズナ。前方の二者は敵対勢力、ト、なりますか。」
「違うわよ。違うわ。味方よ。」ナズナは慌ててナインに言った。
敵対勢力と聞いて、俺とセリは、じり、と一歩後ずさった。ナインにとって俺達は敵と見なされていたのか。いや、見なされそうになっていた・・?
「了解、しましタ。二者を友軍と認識します。」
「ナイン。あなたを一個の人格として、名前で呼ぶのは気が引けるけれど、便宜上そう呼ぶわ。これからは、私が脅威と認めない限り、相手を敵対するものと判断しないで。」
「了解、しましタ、サージェント・ナズナ。」
「それと、私は軍曹じゃないと、言ったのはこれで三回目よ。分かった?」
「分かりましタ、サージェント。」
「・・・・。」
大丈夫なんだろうか。俺はナズナとナインのやり取りを見ながら、一抹の不安を覚えた。
俺はナズナへ向かって言った。
「なんか、ナズナとは一応会話が成立しているようなんだが、ナズナの命令は聞くのか?」
「聞くわ。・・・そうね。ナイン。腕立て伏せ。私が止めるまで続けなさい。」
「了解しました、サージェント。」
ナインはナズナの命令へ機敏に反応すると、鼻先が床にくっつくほど腕を曲げては伸ばしきる、それは見事な腕立て伏せをやり始めた。
「聞いた・・・。」
俺とセリは顔を見合わせた。
「命令は聞くわ。ただし、私の命令だけね。」
「どういうことだ。」
「私から、以外の命令は聞かないのよ。アグリッパでもだめ。」
「アグリッパからも? 試したのか?」
デスクの上で、本物の人形みたいにちょこんと座っているアグリッパはうなずいた。
「ダメですね。さっぱり。三角座りをさせてみようと思いましたが、やってはくれませんでした。」
三角座りってなんだ、と思ったが、とにかく、アグリッパの言うことを聞かなかったのは確からしい。
「なぜ、ナズナの命令しか聞かないんだろう。」
「登録された声紋のせいでしょう、恐らくは。」
アグリッパが言った。
「声紋?」
「認証コードを求められたとき、ナズナ様の声で発声したでしょう。」
「ああ、そういえば・・。」
「その時の声紋パターンを、その、「ナイン」へ登録されてしまったのですよ。だから、ナズナ様以外の声では命令を聞かなくなってしまったのでしょう。」
「そうだったのか・・・。」
ナズナはきれいな眉間にしわを寄せながら、延々と腕立て伏せを続けるナインを見ている。ナズナの言うことしか聞かないということは、必然的に、タイプスを使うことへ反対していた当の本人が、命令を出すしかないことを意味していた。
もう二百回以上になるだろう、ひたすら腕の屈伸運動を続けるナインを見かねたのか、セリはナズナへ不満げな声をぶつけた。
「もういいだろ、ナズナ。やめさせろよ。」
「・・・・ナイン、やめ。」
ナズナの重たい声がラボに響いた途端、ナインはぴたりと動きを止め、立ち上がった。呼吸ひとつ乱れていないのはさすがというべきか、タイプスの体力は半端じゃなかった。
ナズナの沈黙が、トゲのある鉄塊みたいに部屋の中へ充満している。俺はその空気に耐えきれず、わざと調子外れに大きな声で言った。
「よし。今日はここに留まろう。じき、日も暮れる。」
アグリッパは嬉しそうな声で応じた。
「そういえば、さっき見かけました部屋にベッドがありましたよ。今日は久々に、あたたかな床で眠れましょう。」
「ベッド?」不思議そうな表情をしてセリはアグリッパを見た。
「あれ? セリはベッドを知らないと?」
「し、知ってるぜ、そんなの。馬鹿にすんなよ。あれだろ。ほら、あれあれ。ま、まあ、案内されてやってもいいんだぜ。」
「ふふん。知らないなら知らないで、素直にそう言えばいいのです。案内して差し上げましょう。あちらです。」
言いながら、アグリッパは、ととっ、とセリの腕を伝って頭に乗っかると、ラボの奥の方を指した。
「おい、頭に乗るんじゃねぇ。」
セリはぶつぶつ言いながらも、アグリッパの案内に従ってラボ奥の部屋に消えた。
腕組みをしたまま、デスクへ腰を預けるようにして立つナズナを見た。その脇には次の命令を待って、彫像みたいに立つナインがいる。
重い。沈黙が重かった。
俺はそんなことをする必要なんて、どこにもないのに、場を取り繕うようにナズナへ言った。
「ナズナ。この先、ナインを連れて行くけれど、いいな?」
「・・・イヤって言っても、無理矢理連れて行くんでしょう。」
「ま、まぁ、そうだが・・・。」
「ナインは私の命令しか聞かないのに?」
「いや・・。ナズナ、そう言うなよ。俺達だけじゃ、旅が苦しくなるのは目に見えてる。ここまでは、運よく他のタイプスにも出くわさなかったが、これから先、どこで遭遇するか分からないんだ。ナインの力は必要なんだよ。」
「分かってるわよ。連れてくわ。その替わり。」
ナズナはそこで言葉を切って、俺を真っすぐに見つめた。冷えきった鉄のドアノブみたく、触れれば思わず手を引っ込めたくなる、そんな目で俺を見る。
「私がどんな命令をナインに下しても、文句は言わないで、スズシロ。」
「あ、ああ。分かった。」
どんな命令も、というナズナの無機質な言い方に俺は一瞬返事を躊躇したが、今はそれを認めるしかない。
「それにしても。」
と、俺はナインを見た。
「感情とか、そういうものはあるんだろうか。ナイン。君は自分の意思で行動したりできるのか?」
「サージェント・ナズナ。」
ナインは、ナズナへ許可を求めるような視線を向けた。こく、とナズナがうなずく。
「私が許可しない限り、特定個人と会話はできない、らしいわ。」
「そうなのか。まるで・・。」
機械だな。
俺は言いかけて、その言葉を飲み込んだ。ナインにどんな人格や感情が備わっているのかよく分からなかったが、なんとなく、機械という表現をするのにためらわれた。それだけ、ナインの少なくとも外見は、人間のそれと近かったからだ。
ナインは、くるっ、と首だけ俺に向けると、口を開いた。
「感情をどのようなものと定義するかによりますが、私には戦闘に必要な知識と、最低限の判断力、コミュニケーション能力しか付与されていませン。人間と同じレベルの思考でないことは、確かでス。前線での指揮系統範囲外に置かれた場合にのみ、自律行動を取ることが許可されていまス。それ以外の状況において、私の行動が私の意志によって規定されることはありませン。」
無機質な響きだが、意外にも流暢な言葉で答えるナインに俺は少し驚いた。
最低限のコミュニケーション能力、とは言いながら、その言語レベルは相当に高いらしい。俺は面白くなって、質問を続けた。
「君はこの研究所で生まれたのか?」
「分かりませン。」
「どれくらいここにいた?」
「分かりませン。」
「カタクラ、という人間を知っているか?」
「分かりませン。」
「君はナズナの命令しか聞かない?」
「はイ。」
「どれくらいの重量を持てる?」
「足場の強度に依存しまス。」
「銃器の扱いは?」
「自動小銃から車載砲まで、たいていのものは操作できまス。」
「格闘能力は?」
「高いと認識していまス。」
「他のタイプスとの戦闘にも通用する?」
「そう認識していまス。」
「なぜ、ナズナをサージェントと呼ぶ?」
「サージェント・ナズナと登録されましタ。登録階級の変更には、さらに上位の士官から承認を得る必要がありまス。」
「何を食べる?」
「人間とほぼ同様の食事でス。ただし、皮膚中の葉緑素により光合成が可能なため、水の摂取と日光に当たることさえできれば、しばらくの間、無補給で活動が可能でス。」
「しばらくとは?」
「およそひと月くらいとなりまス。」
「君の名前はなんだ?」
「ナイン、と呼称されました。」
「君は自分をタイプスだと認識している? つまり、自分は何者か?」
「・・戦闘用生体兵器、タイプ9と認識していまス。」
うん? 反応が、微妙に遅れた・・?
「君は自分の存在を理解している?」
「・・質問の意図が分かりませン。」
「どこから来て、どこへ行く?」
「・・質問の意図が分かりませン。」
「君はタイプスだ。しかし、ナズナは君にタイプスと戦え、と命じるかも知れない。従えると思うか?」
「サージェントの命令に従います。現状態において、私に判断の権限はありませン。」
「君は雌雄の別における、メスの方だと自認している?」
「はイ。」
「君から見て人間は何だ?」
「行動する個人の総体と認識していまス。」
「敵か、味方か?」
「状況に依存します。サージェント・ナズナ、セリ、アグリッパ、スズシロの四者は味方と認識されています。その他の脅威を敵と識別するには、サージェントの許可が必要でス。」
「俺やセリの名前をなぜ知っている?」
「会話の中で聞きましタ。」
「君は仲間となった。そのことをどう思う?」
「・・質問の意図が分かりませン。」
「君は・・・。」
俺が言いかけるのを、ナズナがしびれを切らしたように遮った。
「もういいでしょ。それ以上、これ(・・)の何の知りたいって言うの。命じればその通りにする。それが分かっていれば十分だわ。ナイン。お前はここにいなさい。出発するときにまた呼ぶ。」
「了解しましタ、サージェント。ここで待機しまス。」
ナインは言ってから、すとん、と片膝立ちになって座ると、壁に背をもたせかけた。
「お、おい。一晩中ここ(ラボ)に居させる気か? 結構冷え込みそうだぞ。」
「いいのよ。だって、人じゃないもの。」
ナズナはそう言い残して、セリ達の向かった部屋の方へ行ってしまった。ナズナの後ろ姿が孕む、冷たい余韻のようなものに俺はほんの少し、眉をひそめた。ナズナは本来、こんな態度を取る奴じゃない。いや、相手が人間ならば、という前提が必要なわけだが・・・。
冷たい床に座り込むナインへ、俺は言った。
「ここで平気か?」
「問題ありませン。」
にべもなく言われると、俺はうなずくしかなかった。
「分かった。おやすみ、ナイン。」
「おやすみなさい、スズシロ。」
俺はさっきアグリッパが押していたボタンに見当をつけると、それを押してみる。
ラボの明かりが消えた。暗く塗りこめられた部屋の中で、ナインの静かな息遣いだけが、一点のぬくもりみたいにゆるやかな存在感を示していた。
人じゃないもの。ナズナの言った言葉から、現実感が失われる。
ナインが人じゃない・・・。それは確かだ。人じゃなく、タイプスだ。
けれど、そしたら、人っていったい何だ。ぐるぐると煮え切らない考えに頭の半分を支配されながら、俺は暗くなった部屋を後にした。