ミズユレル
ウッディアレンの映画アーニーホールのようなテイストになりました。
自分としては初めての手法なのでお見苦しい部分もあるかもしれませんが楽しめていただけたら幸いです。
「フミエ」
私には過去がない、なぜなら捨ててきたからだ。だからもといた場所に戻る必要もないしそれについて考える必要もない。
今の私にはメンソールの煙草と、化粧品と着替えの入ったバック、それさえあればいい。
私は八戸から札幌へと向かうフェリーに揺られていた。
喫煙室へと入り、煙草に火をつける。窓からは夜に染められて真黒になった海が月の光を受けてきらきらと輝いている。
ひょっとしたら世界中に溢れてる物は全部、真黒なのかもしれない。そこに太陽や月があって色という物が始めて存在する。
ゆらゆらとゆれる黒い水、その風景は底なしのドラム缶のように空洞化した私の心へとじんわりとで染み込んできた。
いっそ私自身もこの風景と同化してしまいたい。私はそんなことを考えながら黒い海と煙草を吸う私の姿をうつし出したガラスを見つめていた。
「ヤスユキ」
会社なんてやってられるか。これが今の俺の素直な心境だ。
今月は北海道へと出張、そして来月からは中国へ単身赴任を命じられている。
俺は今、札幌へと向かうフェリーに揺られながら、漠然とした不安をいだいていた。
俺は何をしているのだろうか?
何のために生きているのだろうか?
俺には家族がいる。嫁とまだ一才と三カ月の娘もいる。
背負うものがあるから生きている。
そのためか?
いやまだ納得はしていない。
だったら背負うものがないものはなんのために生きてる・・・・
俺はむしゃくしゃしたので、ロビーにあるソファーから立ちあがり船体の南側にある喫煙所へと向かった。
木の壁で仕切られたちっちゃな喫煙室の中には俺の他にもひとり女がいて、窓から見える黒い海を眺めていた。
頭上では耳障りな音をたてながら換気扇が回っている。横に長いこの喫煙所は、海に面したガラスの付いたテラスという感じで、横一列に並んだ椅子に座り海を傍観しながら煙草が吸えるようになっていた。
俺は女の座る椅子の二つ離れた席へと腰をおろし、ポケットから煙草をだし口にくわえお気に入りのジッポのライターで火をつけた。
俺の中から煙という名の不安がもくもくとたちのめて外に出ていくような気がした。
俺は、ちらっと横に座る女へと目をむけた。
長い髪にデニムのジャケットがよく似合う女性。
俺は綺麗だな、そう素直に感じた。
*
ついさっき入ってきたサラリーマン風の男が私の方へと視線を向けてきたのがわかった。
そして彼の視線が私から去った事を感じ、私も彼の事を見た。
疲れた顔をしながら海を眺め、煙草をふかしている。ピッチと決めたスーツ、でもネクタイの結び目がづれていてなんだかかわいかった。
「それ、アメリカンスピリットですよね?」
私はなんだか彼に魅かれたので話掛けてみた。
彼の煙草の銘柄。インディアンのパッケージについて。
「えっ?はい、そうですけど・・・」
不意を突かれた。俺はつい夜の空を移して鏡のようになった海に見とれていた。
いや、その海の鏡に自分を投影していたのかもしれない。
「その煙草って減るのすごく遅いんですよね?」
やっぱこのひとなんかわいいかも。私わ彼の話し方や放つ雰囲気に少し興味が湧いた。
「あっはい・・会社の同僚に勧められて、自分も節約になるかなと思って・・・」
なんだこの女。すごい積極的だな。
「よければ一本どうですか?」
俺は尻を浮かし席を一つずらし彼女の手へと煙草を一本渡した。
「ありがとう。ちょっと前から吸ってみたかったんですよ。」
私は彼から笑顔で煙草を受け取ると、口にくわえて火をつけた。
ライターの明かりが彼女の口元を照らした。
長い髪を耳へとかけ、煙草へと火をつける姿が俺の瞳へと写った。
煙草の煙が何かを暈していたのかもしれない、俺には彼女の輪郭が掴めそうで掴めなかった。
*
「コーヒーでもどうですか?」
俺は彼女を下の階にある自販機へと誘った。
彼女は「ええ」とだけいって俯き、席を立った俺へとついてきた。
船体の地下に位置する自販機の横には起動室があって静まりかえった夜の中、機械の動く僅かな音だけが耳障りに聞こえてくる。
非常灯の放つ光と自販機の放つ光以外に辺りを照らすものはなく寝静まった夜の隙間には俺と彼女だけがいた。
投入口へと五百円玉をいれ、俺はコーヒーのボタンを押した。
鈍い音を立ててコーヒーが落ちてきた。
「どうぞ」
俺は釣銭を彼女へと渡した。彼女はそれを受け取り自販機の前へと立つ。
薄暗い自販機の前に立つ彼女の後ろ姿。さっきの喫煙室でみた掴めそうで掴めない輪郭がそこにはあるような気がした。
俺は彼女に覆い重なるように抱きつき、デニムのジャケットの上から胸を激しく揉んだ。
彼女の体が一瞬びくっと飛び上がり動揺の色を見せた。
「ちょっ・・ちょっと・・・」
突然の事に彼女は抵抗の色をみせ、俯きがちに呟いた。
俺は俺の中にある牢獄で、罪という言葉を見つけて辞書をひいた。
「罪」
道徳・法律にそむいた行い・犯罪・罪悪。
悪いことを犯した責任。人を苦しめたりかなしませたりしたような、無慈悲なこと。また、そのさま。
「俺は何をしてるんだ。」
俺は心の中でそう呟いて、彼女の胸へとあてた手をほどいた。
「・・・・・・」
二人の間に僅かな時間だが沈黙がながれた。
ゆっくりと彼女が俺の方を振り向く、自販機の光を背に受けた彼女の表情は黒く、霞んで見える。
俺の耳元に顔を近づけると彼女はこうつぶやいた。
「いくじなし」
そう呟いた彼女の唇は心なしか微笑んでいるように感じた。
今度は彼女の方から俺の口元へと顔を近づけると舌が絡み合う程の激しく濃厚なキスをしてきた。
俺の中でしぼんでいた欲望という名のぬるい水がまた沸々と湧きあがってきた。
気持ちの高ぶりと共に俺は彼女を自販機へと押し倒すと彼女に背をむかさせ、カーキー色のズボンと共に
下着をおろし、どこにぶつけていいのかもわからない迷子で不安定な欲望の塊を彼女の背中へとおもいっきりぶつけた。
まるで俺達は自販機にたかる夜光虫だった。
そして俺は一夏しかいきれない蝉のように、鳴きたいだけ鳴いてあっというまに果ててしまった。
*
彼が私の事を求めてきた。私が軽く拒絶すると彼は私の胸へとあてていた手をすぐに解いた。
やっぱり彼は優しくてかわいかった。
私は彼のことを包みこんであげたかった。たんぽぽの綿毛と種子のようにただ彼に寄り添っていたっかただけなのかもしれない。
私は彼の唇へと口を重ねた、単純かつ濃厚に。それはきっと私が求めていて行為だったのかもしれない。
欲情した彼は私の事を後ろから激しく突き上げてきた。
波打つ黒い海とその上でゆらゆらと揺れる船、それに水面にうかんで揺れるお月様。私自身の体も揺れていてまるで切り離された世界がやっと一つになれたみたいな気がした。
彼は私が気持ちよくなる前にいってしまった。
でも私はそれでよかった。その時すべてが一緒になれたからそれだけでよかった。
その晩、私は彼を私のベットへと誘った。ベットといってもカプセルホテルのように蜂の巣状になった簡易的なものだ。彼はそこで私の体に包まれるようにしてすやすやと眠った。
*
出会いの夜も唐突であれば別れの朝は必然的にやってくる。
札幌の乗船場について俺は彼女に始めて名前を聞いた。
港へと渡された橋からはずらずらと下船者が下りてきていて俺たちもその群れにそって歩いた。
「そういえば、いまさらだけど名前は?」
「フミエ。」
「へえ、なんか意外だね。ありふれた名前だしさ。」
「あなたは?なんていうの?」
「ヤスユキ。」
「あなたこそありふれた名前じゃない。」
俺達はお互いの顔を見つめあって微笑んだ。
朝の日差しで眩しく輝く海は昨日の俺のみた夜の海とは別物だった。
そして日差しを受けて輝く彼女もまた昨日の彼女ではなく別人だった。
俺達はお互いに笑顔で「さよなら」とだけかわし、別れた。またそれぞれの日常に帰っていく、そんな枝分かれした道のような情景が頭の中にうかんだ。
俺は海岸沿いを別方向にゆく彼女の背中へと叫んだ。
「フミエ!」
日の光に輪郭を奪われた彼女がこっちを振り返った。
「またどっかできっと会えるよな?」
彼女は俺へと手をふりいった。
「ええ、きっとまたどこかで!」
彼女の姿はまるで鉛筆で書かれたデッサンのように美しく、繊細でいてどこか非現実的に俺の目には写った。
俺の体にはまだ俺を包んでくれたあの綿毛のような温もりだけが残っていた。
男女間の上で存在するロマンスの上に佇む現実という壁、その中で我々が本当に他者の事を認めて愛し成長することができた時に本当のロマンスというものが確立されると思います。