*序章*
翌朝、シアはさっぱりとした表情でカーテン越 しからの朝日を浴びながら、背伸びをして体を起 こした。
「んーよく寝た」
ノアに頭を撫でられていると、不思議とあんな悪夢のようなモノは見ない。だからといって毎回ノアに頼むわけにもいかないし、そもそもシアはそろそろ17になる。子供のように甘えていてはいけないと、最近は特に思うようになっていた。
「けど……嬉しいんだよね」
思わず頬が緩む。両手で頬を押さえて緩んだ頬を戻そうとするが、逆効果のように余計にニヤニヤとしてしまう。
その時、コンコンと控えめなノックの音が聞こえた。
「シア? 起きていますか?」
「え! ぁ、うんっ。起きてる起きてるっ」
いきなりのノアの声に、上擦った声で反応してしまう。それにノアが不審な声で「シア?」と聞くが、「だっ大丈夫っ!」と慌てて言い、部屋に入って来るのを止める。
「着替えてから下に行くから先に行ってて」
早鐘のように鳴る胸を押さえながらそういうと、ノアは「わかりました」と言い、下の階に下りる足音が聞こえた。
そこまで聞こえて、シアは長い息を吐いた。
「ふぅ……びっくりしたぁ」
考えていた相手がいきなり現れると、さすがに心臓に悪い。シアはやっと落ち着いたのか、ゆっくりとベッドから下りて服を着替えた。
階段を下りていると、珈琲の匂いが鼻をくすぐる。居間に続く扉を開けると、そこには洋風の食事が並んでいた。
「おはよう、ノア。美味しそうだね」
テーブルの向かいで洗い物をしていたノアは手を止めてシアを見る。
「おはようございます。寝癖、ついていますよ」
「えっ!」
慌てて髪に手をあてて整えようとすると、押し殺した笑い声が聞こえてきた。
「ノアー!」
「すみません、少しからかってみたくなったんです。冷めますから食べてください」
クスクスとまだ笑いながらノアはシアの前に温かい珈琲を置いた。
「もう……。いただきます」
シアは目の前に広がる食事を口にしながら、ふとノアの姿を盗み見た。
整った顔立ち、すらりとした身体つき。人の良い笑顔は、買い物に出掛けると必ず果物やパンなんかを貰って帰ってくるほど。
そんなノアが昔、日本を賑わせた『感情を持つ人形』だなんて、誰も思わないだろう。
かつて日本にはヒューマアンドロイドというモノが盛んに生産されていた時があった。
様々な著名人や科学部門のお偉いさんなどがこぞってそれを造ることに躍起になっていたといってもいい。
そんな中、シアの祖父がアンドロイドの中でも特に難解だとされる人間同等の感情をプログラミングさせることに成功したらしい。
しかし――
何故か祖父は失踪し、数年前にノアがシアの元にやって来たのだ。
何度シアがノアに状況を聞こうとしても教えてはくれず、シアは途方に暮れていた。だがノアはそんなシアを支え、日々の世話をやきまるで父や兄のように接してくれたのだ。
「ねぇ、ノア」
「なんですか?」
シアが食べ終わった食器を片付けながらノアは声に反応する。
「おじいちゃんは何処にいるのかな」
何度も聞いた問いかけ。
「……博士は、シアを見捨てたりしませんよ」
何度も聞いた言葉。
「でも今は僕が傍にいますから」
それでも言葉は変化し、シアに笑顔を連れて来る。
「ノア、最初に来た時より感情がすんなり出るよ うになったよね」
シアは先程の問いかけなど、まるでなかったかのように明るい声でそう言った。
「そうですか?」
首を傾げて不思議そうにするノアがおかしくて、シアはクスクスと笑う。
「そうだよ。いきなり玄関に立っていた時はびっ くりしちゃった」
シアはその時のことを思い出したのか苦笑いをして言った。
「恥ずかしいのでそれ以上は……」
ノアが降参の意思を示すと、シアは頷いてやめた。
「ですが、変わりにシアは少し遠慮がなくなった と思いますよ? この前なんか」
「あぁ、そうだ。私ちょっと散歩に行ってくる ね」
ノアの言葉から逃げるようにシアは既に用意してあった鞄と日傘を持って、玄関まで歩いて行く。
「シア!」
靴を履いていると、ようやく理解したのかノアが慌てたように玄関まで来た。
「大丈夫。おじいちゃんと私の繋がりを知ってる 人はこの町にはいないから。たまにはいいでしょ う?」
にこりと笑顔で言うと、ノアは何事か言おうとするが、最終的には諦めたのか折れてくれた。
「気をつけて、行ってきてください。ですが、」
「早目に帰るから」
先に釘を自分で差して、シアは「行ってきます」と言って外に出た。
「参っちゃう」
日傘をクルクルと回しながら、シアはそう呟いた。ノアの親的な発言は、きっと祖父からきたのだと思い、ため息をつく。
「大体……おじいちゃんもおじいちゃんよ。いきなり手紙とノアを一緒に寄越して『心配するな』なんて」
川沿いの道を歩き、近くにあったベンチに座る。
夏はまだ先だというが、陽射しは強く、空気は蒸せるような熱気を含んでいる。 歩いている同に購入したペットボトルで喉を潤し、空を見上げる。
ところどころに雲が見えるが、十分晴天と呼ぶに相応しい天気。シアは日傘を畳み、温かな太陽の光を浴びていた。
そんな時。
――リン
「……ぇ」
夢で聴いたのと同じ鈴の音が、耳に届いた。
周囲を見回すと、そこに一人の少女が立っていた。赤い目をして、同じ色の鈴をつけた少女が……。
to be continue...