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黒い神  作者: 小春日和
死者の想念
97/104

相愛

後半、少し改稿しました。すみません。

2012/09/16 13:00

 相当に斜面を下ったと思うのに、境内に着かない。

 電池の切れてしまった携帯の画面に溜息をつきつつ、崇志は周囲の様子から時刻を探った。

 10時は回ってるだろうな……。ああ、でも、この音のなさは、もっと深夜かもしれない。

 身を締めつけるほどの強い静寂に、確信が定まらない。

 持衰の話では、境内には大勢の人がいて、晴彦も来ているとのことだった。けれど、話し声はおろか、足音さえ聞こえてこない。

 早く休ませてやりたいんだけどな。

 自らも疲労を蓄積している兄だったが、おぼつかない足取りであとを追ってくる少女の心配が先に立つ。


「『タカシ』……」

持衰がとうとう足を止めた。

「うん。……迷った」

苦笑いしながら、崇志は、震えはじめた自分の膝を手で抑える。

 明らかな山道が見つからなかったために、適当な獣道を進んできた。それが裏目に出たようだ。目の前には先ほどの覚醒時に見た泥地が広がっている。

「参ったな……。ずっと下りだと思ってたのに、どこで上っちまったんだろう」

疲れと、視界の効かない闇のせいで、錯覚を起こしたらしい。

「ちょっと休むか。このまま歩いても稲荷には戻れそうもないし」

(あし)の枯れ草の残るスペースに腰を下ろし、傍らの少女にも休息を促す。


 湿った雪が、積もることなく、地面に吸いこまれていく。

 寒さからか口数をなくしている持衰は、兄の脇に寄り添うと、幼児のように、崇志が着ている大きなジャケットの中に潜りこんできた。

「……お前、本当は何歳なんだ?」

実年齢17歳の美耶が起こす、思いがけない無邪気な行動。未だにとまどう兄は、それでも、自分の体温を、密着した妹に分けあたえた。

「おそらくは『ミヤ』より上だと思う……。でも、『おれ』は成長をしたくない……」

ぼそぼそと言いわけを呟く、か細い声の持衰の体は、驚くほど冷たかった。

「……凍死すんなよ」

思いのほか脆弱な少女の身体能力に危機感を覚えた崇志は、妹の体に外気が当たらないように気を使う。


 持衰の暮らしていた古代では、歳の感覚というのは、あまり重要ではなかったようだ。

「『おれ』のように生まれてすぐに親に捨てられた場合は特に、何歳(いくつ)になったかなどと気にする者はいなかった。明日があればそれでよかったのだ」

異端の姿をした己には生きてきた歳月を数える必要がなかった、と、ジャケットから少しだけ白い顔を出して、持衰は言う。

 自分の誕生には喜びがあって、自分の人生には意味があって、自分の終焉には泣いてくれる人がいる。そんな、当たりまえの望みすら放棄した古代の巫女に、崇志は強い同情を寄せた。

「お前の考え方は歪んでると思うよ。本当は、さ、自分のことに、そんなに無理に無関心にならなくてもいいんだ」

そう諌める。

 持衰は、その言葉を理解しようとするかのように、無言でじっと崇志の顔を見つめていた。

 が、やがて、

「そうか……」

とだけ返事を返して、泣きそうな顔をひっこめた。


 自力で座っていることが辛いのか、だんだんと姿勢が崩れていく持衰に、

「また寝るなよ」

と忠告しながら、それでも兄は、片腕で少女を背負って下山する覚悟を決めはじめた。

 持衰の異常な衰弱は、崇志を助けたときの精神的な深手だろう。実母や実母にとり憑いていた稲荷神は、翻弄された崇志自身が体感したように、持衰にとっても容易い相手ではなかったはずだ。

 『持衰さんに蛇神さんを招魂させたくない』。晴彦がずっと口にしていた懸念。強大な稲荷神への対抗手段として蛇神を招魂することは、もともと同種の神を身内に内包させる持衰にとって、もっとも取りやすい方法のような気がする。だから、そういう条件を見通す力に優れた晴彦は、盛んに心配したのではないか。

 蛇神っていうのは、そんなに厄介な神なのか?

 仏教の勉強をしてきた崇志には、稲荷神社に祀られた荼枳尼天の祟りは身近だ。けれど『神』となれば、正体が漠然としすぎて、脅威がリアルに迫ってこない。しかも蛇神は原始信仰の1つである。古来から人間のそばで根づいてきた神が、巫女である持衰にそれほどの毒性をもたらすとは思えない。

 まあ、蛇神がどんな存在だったとしても、いいさ。

 今回、持衰は蛇神を招魂したとは言わなかった。おそらく、自分の能力のみで実母と対峙してくれたのだろう。

 それでも、一抹の不安から、兄は、

「……お前、疲れてるだけだよな? 休んだら元気になるよな?」

と確認した。

「もちろん」

力強い少女の即答が返る。


「『おれ』は『タカシ』と一緒に家に戻りたい」

『寝るなよ』と釘を差した崇志の言いつけを守ろうとしているのか、持衰は、姿勢こそ兄の膝の上で横たえているものの、言葉をとぎれさせることはなかった。

「家に戻ったら、しばらく『ミヤ』と交代する。そのあとは……また出てきてもいいか?」

もぞもぞと少女の指先がさまようのを感じて、崇志はジャケット越しにその手を握ってやった。

「いいよ。なんなら出てくる曜日でも決めておくか?」

「そんなに上手く替われる自信がない」

本気で困ったような声音に、兄は笑い声を漏らす。

 美耶の中で覚醒したことは、持衰にとって、ずっと不幸なことだったらしい。

「『タカシ』と『ミヤ』が睦まじくしているのを見るたびに、『おれ』はひどく寂しくなった。『ミヤ』と完全に成り代わってしまおうかと思ったこともある。でも穢れた想いに溺れれば、『おれ』の中の蛇神が『おれ』を侵してしまうだろう。『おれ』は、自分を保つために、お前たちを恨んだ。お前たちという存在が『おれ』を不浄に貶していくのだと思いこんだ。……考えれば、『おれ』こそが荒魂そのものだったのだな」

自分の身勝手を告白しながらも、捨てられたくない不安からか、自分の手を握っている崇志の手をさらに強く包みかえす持衰。

 持衰が発現しはじめたのは、美耶が中学に上がったころ。そのころの持衰は、たしかに、美耶に対して悪行ばかりを繰りかえしていた。

 ああ。だから、俺が美耶の前からいなくなったことで、状態が安定したのか。

 兄は納得する。美耶の狂気の原因については、いままでにいろいろな答えを導きだしてきた。持衰自身に性の自覚が芽生えてうろたえたのではないか、実母の怨霊との攻防で疲弊しきったのではないか、と。どれも根底に『兄への強い執着』があったと知れば、さらに理解は深まる。

 どんなふうに接してやることが、持衰にとって、1番いいんだろう……。

 美耶への愛情を強めれば強めるほど、持衰の孤独は際立っていくという。持衰と美耶をバランスよく愛することなら、崇志には請け負える。けれど、持衰の不遇の過去を丸ごと受けいれて、なお妹の将来を導いてやるとなると、少々、荷が重い。

 無責任な返答を嫌う兄は、

「どうすればいいのか、よくわかんねえな」

と正直に言った。

「お前が美耶を押しこめて、四六時中、俺と一緒にいることを望むっていうんなら、それは駄目だ。逆に、美耶に遠慮して、一切、出てこないというのも却下」

落としどころに迷う。

 ゆっくりと身を起こした少女が、崇志の胸に頭を寄せた。

「……『おれ』は『タカシ』の中に入ってしまいたい。そうすれば、ずっと一緒にいられる」

長い髪が身を這うのを、兄は感じた。いや、髪というより、それは長い体を持った生き物のようだった。

「『ミヤ』ではなく、『タカシ』の中に生まれ変わればよかったのだ。『おれ』はお前と離れていることが耐えがたいのだから……」

細い腕が青年の鍛えられた肉体に絡みつく。

 持衰の魂の受け皿になる。それは、もう1つの人格に翻弄される可能性を捨てきれない行為だった。もしかしたら、美耶のように、持衰と持衰の内包する蛇神の侵食で、自身を危うくするかもしれない。

 その脅威をちらっと考えた崇志は、でもあっさりと答えた。

「そんなことができるんなら、そうしよう」


 じっと黙りこんだ持衰。

 不自然に冷えきっていた爬虫類のような体温が、ゆっくりと温かみを戻す。

「愚か者」

呟く声は、少し笑っていて、少し湿っていた。

実母(はは)で懲りただろう? 荒魂を受けいれるべきではないと」

たしかに持衰の言うとおり、崇志に纏わりつく死者という点では、持衰と実母は一致している。

「うん」

自分の保身を考えるなら、正常ではないものは除外するしかない。それは兄も理解する。

 ただ。

 正直なところ、持衰が己に害を成すかもしれないほどの愛着を持ってくれていると知って、崇志は嬉しかった。同じように、怨霊化してしまうほど自分のことを忘れないでくれた実母にも、本当はずっと感謝をしていた。

 死んでいるからといって、存在する世界が違うからといって、切り捨てたくはないというのが本音だったのだ。

 俺、思うんだけどさ、と、兄は持衰に伝える。

「俺だっていつかは死ぬ。そうしたら、きっと、生きてる身内や友だちと離れたくないこともあると思うんだ。生きるっていうのは、そういう、死んだ人間の情念を背負うって意味もあるんじゃないのか?」


 肉体というちっぽけな器に支配された人間の中には、神と同質の『荒魂』と『和魂』が混在している。なぜ人間は神と同じ精神を持って生まれるのか。なぜ人間は神をめざすのか。

 現実の刹那の中でのみ生きるなら、人間は利己だけを追求すればいい。けれど、実際に人の精神はそれほど冷淡にはできていない。自分の不幸と同様に他人の災難を憂い、死への恐れから死者の気持ちを察しようとする。生きるために必要であるとは思えない『慈愛』の感情を持つ矛盾。その葛藤から、人は、己の中の神を信じ、神に従おうとするのではないか。

 神の性質を内包して生まれおちる宿命を持つ『人』という存在。肉体や社会の制約によって歪められる本質を、できるだけ正しい姿に維持できるように、人は自分の想いに正直であろうとする。自分の中に潜む『正しさ』を見失うまいとする。


「荒魂からただ遠ざかることが正しいとは、俺、思えないんだ。だから……まあ実母さんは仕方ないけど、お前ぐらいは引き受けてやりたいな、とは思う」

懐の大きな信念を見せる崇志に、持衰は、

「お前は治しようがない愚か者だ」

と、言葉とは裏腹の安堵したような声で囁いた。


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