腐術 4
蛇神が思った以上の厄介な荒魂であったことを知り、晴彦の焦りは、ますます顕著なものになった。
持衰さん……絶対に蛇神さんに協力を求めたりせんで……。
蛇神の一端とでも交信してしまえば、巫蠱の毒が逆流して、持衰を潰してしまうかもしれない。
そしてさらに大きな懸念がひとつ。
もし持衰さんが崇志兄を助けるために蛇神さんを招魂したりすれば、蛇神さんを恨んでる呪術師の御霊からも目をつけられてしまう……。
どちらも晴彦が聞きおよんでいる中では最大級の凶神。たとえ持衰が高い霊力を持っていたとしても、人間として転生を果たしている身では、神の力に勝てるものではないだろう。
やきもきとしている少年に、牧村が声をかけた。
「とりあえず、その崇志くんの所在だけでも突きとめないとね。もし御霊が彼に祟っているとしたら、奥の院までの道すがらで見つかるかもしれないよ。落ちついて区長さんたちを待とうか」
奥の院に向かった老人たちが吉報を持ってくる可能性があることで、晴彦を慰める。
「奥の院は表からは隠されているんですね……。戻ってくるのにどれぐらいの時間がかかるんですか?」
大っぴらに存在を明かせない御霊の居所を問うと、
「いったん下に降りて、東の入り口から、またこの神社の敷地に入るらしいよ。参道の途中までは車が入れると言っていたし、30分ぐらいで往復できるんじゃない?」
と牧村は答えた。
そんな会話があってすぐ。
「……帰ってきたのかな?」
晴彦の想像どおり、老人たちの一団が境内に姿を表した。
その中央に知った顔を見つけ、少年は、
「あ!」
と声を上げた。
両手で鼻を庇うような不自然な姿勢をしているその人物は、崇志の同級生だと言っていた、松原裕貴だった。
裕貴が発見されたのは、奥の院のわずかに手前の位置だったらしい。
「まさかあんなとこに人がいるとは思わんかった」
石積の妻と同じような方言を使う老人が晴彦に説明する。裕貴は、その誰も踏み入らない藪の中に座りこんでいたらしい。
鼻骨が折れているという彼のために、牧村が救急車を呼ぶ。その到着までのわずかな時間、晴彦は裕貴から事情を聞くことができた。
赤い鳥居を染める赤色灯が遠ざかったあと、問いたげな牧村の視線に、少年は応える。
「持衰さんが松原さんの目の前で消えてしまったそうです……」
「持衰?」
初見の名称に、青年は首をかしげる。
消えたってどういうことやろ……。
裕貴の言葉に何か裏の意味があるのではないかと、晴彦は、再度、思いかえしてみた。が、裕貴は、自らもわけがわからないといった様子で、
「急に黒っぽい影が差して、あの子が見にくくなったと思ったら、元に戻ったときには消えてた」
と呟いた。『消えた』のは物理的な事象と受けとってまちがいなさそうだ。
崇志の捜索のために1人で奥の院に向かった持衰の行動は、充分に理解できる。もとより晴彦の助言など聞きわける姿勢はなかったのだし。
そこで、先に入りこんでいた裕貴と合流したのも頷ける。どうしてそんな事態になったのかはわからないが、裕貴は崇志に怪我をさせたらしい。それを知った持衰は焦っただろう。
焦って。
蛇神を招魂して崇志を見つけようとして。
……黒い影に呑まれて消えた……。
そのとき、社務所の玄関口に立った老人から、声高な伝言が発せられた。
「石積さんのほうから、いま連絡があった。水神さんの丘が緑色に光っているそうだ」
境内がざわつく。
『水神』とはおそらく蛇神のことだ、と晴彦は判断し、牧村も、
「……巫蠱の神様のことだよね?」
と同意した。蛇はその形状から龍とも同一視される。龍の神が水をもたらすことから、蛇も水の神の扱いを受けることがままあるからだ。
蛇神の丘に異変が起きている。
持衰を呑みこんだかもしれない蛇神に異変が起きている。
戦慄の空想に没頭しかけていた少年を、牧村の声が引きもどした。
「電話、鳴ってるよ」
青年は晴彦のポケットを指さしていた。
慌てて取りだし、送信先を見ると、美律子の番号が表示されている。
落ちつかんと。美耶ちゃんまでおらんようになったなんて伝わったら、お母さん、ショック受ける……。
努めて平静な声音を作り、
「はい。晴彦です」
と応えた少年に、
「あ、ハルくん?」
あいかわらずのんきな様子の母は、背景に車の走行音を響かせながら、続けた。
「いまね、東海林さんのお宅からお稲荷さんに向かっているところなの。ごめんなさいね、遅くなって」
改めて時刻を確認すると11時。9時ごろに東海林家に向かったにしては、父母の移動は遅すぎる。
その疑問を補うように、母は説明を継いだ。
「あのね、東海林さんが行方不明になってしまったんですって。夕方に出ていったっきり戻ってないの。この寒さでしょ? 東海林さんのお宅ではひどく心配なさってて。だから私たちも、少し捜索のお手伝いをしていたの」
「え……」
晴彦は絶句した。
なぜかこの境内をうろついていた裕貴。
いなくなった夢璃。
まったく痕跡のない崇志。
なぜか崇志を攻撃した裕貴。
憑依されて崇志を襲った夢璃。
まったく痕跡のない崇志。
崇志にまとわりつく実母の霊魂は、稲荷の怨霊の力を受けて、荒魂へと変化していた。
子どもを使った巫蠱を施すことができるほどの、低俗で、醜悪で、強力な呪術師の御霊がとり憑いた実母の念は。
崇志兄を連れていくために、松原さんや東海林さんまで巻きこんだん……?
御霊の恐ろしさというものを、少年は改めて思い知った。
※土地の老人たちが黒い神のことを『水神』と表現しているのは、『蛇神』という響きが忌まわしさを連想させる呼称だからです。同じく『死』『屍』『殺』『戦』などのついた地名や施設名が改変されることはよくあります。




