腐術 3
禁断の呪術を使うことにより、自らをどす黒い荒魂へと変えていった呪術師。
「そんなん、稲荷さんの力で祓ってしまったらいいじゃないですか」
全国の稲荷神社の総本山である京都の伏見稲荷。その由緒正しい神社と直接の縁を持つこの稲荷なら、生前に強大な呪術を使っていたとはいえ、人間1人の御霊ぐらい、あっさりと浄霊できそうな気が、晴彦には、した。
が、牧村は少年の意見に首を横に振る。
「御霊っていうのは、生前の器では測れないぐらい、恐ろしい祟り神なんだ。人間には善行と悪行の2つが内在しているだろ? 穏やかな死を迎えれば、それがそのまま荒御魂と和御魂に昇華して、いずれ神と同質のものになれる。でも強い恨みを遺して死んだような場合、荒御魂と和御魂のバランスが崩れて、荒御魂のみを抱えるはめになる。想像してみてくれないかな。思いやりの心をいっさい持たない荒れ狂った神様が、自分の生活圏に棲みついてしまった状況を。うかつに浄霊なんかしたら、さらに怒らせるかもしれない。だったら、ひっそりと祀って、時間が解決してくれるのを待ちたくならないかい?」
神道において、人間と神が同質のものであるという考えは、普遍化している。生きているあいだは肉体や社会という制約に押しこめられている人間の本質。それが死後の開放の中で本来の神性を戻していく、という思想だ。
神職である牧村は、やはり、このあたりの理念が自然に身についているらしい。一個人の悪徳を神の荒御魂と同化することにためらいはない。
もちろん晴彦にもその理屈はわかる。人間がいずれ神になる、という図式にも異存はない。ただ。
「でも……それやったら、御霊が鎮まってくれるまでに犠牲が出るのはやむを得ないってことにならんですか? 元は同じ人間やった御霊さんを説得することは、どうしてもできんことですか?」
荒ぶる霊魂の神域で行方を断っている崇志。返してもらうことに積極的になってはいけないのか、と感情が先走る。
牧村は空を見あげて、晴彦の話をどう受けとっていいのかわからないという態度を示した。
「……説得、かあ……。まあ確かに、もとは同じ人間だしね。でもさ」
それからふと、境内の外、南の方角を見やって、続ける。
「そのためには御霊の言うことも聞いてやらなくちゃならないんじゃない?」
「御霊さんの言うこと?」
なんとなく釣られて、晴彦も視線を合わせた。敷地の木々に遮られて見えないが、この方向には蛇神の丘がある。
「うん」
牧村は控えめにそちらを指さして、
「ここの御霊ね、負けたんだよ。自分で行った巫蠱の術に」
と言った。そして、
「その巫蠱の術でできた、ものすごく穢れた神が、この町の南側に祀られているらしいんだ」
とも話した。
「蛇神さんが……巫蠱?」
蛇神のことを地母神だと認識していた少年は、それが数多の生命を食いあわせることによってできた呪いの産物だと知って、愕然とした。
牧村の話を総合すると、稲荷の神体と蛇神はこんな関係になるようだ。
約400年前。戦国末期のこの集落で、大規模な巫蠱が施された。術を行ったのは、たまたま、この村に入りこんだ旅の呪術師。当時、村は深刻な飢饉に晒されており、巫蠱はその飢饉を改善するための方策だと、術師は騙った。
稲荷神社の関係者ではない牧村は、具体的な巫蠱のやり方までは知らされていなかったようだ。が、晴彦にはわかる。イナゴの害が起きたあの忌まわしい年。性交前であることを条件に集められた少年少女たちを、生きたまま土に埋めて、地中の虫の餌にしたのだ。
生きながら別の生物に食われ、隣りあった仲間が死んでいくさまを脳裏に刻みつけながら、それでも生きる意志を捨てなかった子どももいただろう。巫蠱の作成方法を思いだして、晴彦は沈痛な面持ちで目を閉じた。巫蠱は『最期まで残った生物を残酷に殺すことで成立する』のだから。
そうしてできあがった黒い怨念。もとより邪法で作られたこの神が、土地に恵みを与えるわけがない。飢饉は肥大化し、人心は荒廃し、呪術師には不信が向けられた。
そうして荒魂の渦巻くこの土地で、彼は命を終えた。
牧村はそれを、
「巫蠱という危ない呪術を制御しきれずに、呪いを返されちゃったんだろうね」
と説明した。実際には、村人総出の粛清を受けたのかもしれない。
霊力の高かった呪術師が非業の死を遂げた。それは、村人にとって、恐ろしい御霊の誕生を意味した。
多くの罪のない子どもを死に至らしめた。それは、村人にとって、拭えない後悔と深い人間関係の溝を作るはめになった。
2つの、蔑ろにできない祟り神。2つの、敵対する祟り神。
暗黒の信仰は、表から隠され、事情を知っている人間たちのあいだで、ひっそりと受けつがれていった。
※『荒御魂』『和御魂』は=『荒魂』『和魂』のことです。牧村は神職なので、神道に即した言い方をしています。




