田の神の悪意 2
早川家のある新興住宅街を1歩抜けると、田園風景の広がる中、田んぼの持ち主らしい農家の家屋が点在している。藁を混ぜ込んだ土壁の粗末な倉庫に、何台ものトラクターが格納されているのが、共通した特徴だった。
「この辺りは石積さんとその親族の土地なんだが、どこも年寄りだけしか残ってなくて、こういう行事をやる家は、もう石積さんのところだけなんだ」
先導した崇志が向かった先には、垣根のない開放的な広い敷地を持つ旧家が聳えていた。
地均ししただけの未舗装な道路との境には細い溝が切ってあり、今どき蓋もない側溝の中は綺麗に掃除がされている。一部分だけ板を渡してあるのは、家人の車の出入りがあるからだろう。
その端に、80センチほどの高さの石の像が立っていた。
「あ、これ、田の神さんだ」
晴彦が目ざとく見つけて近づいた。荒彫りの石像は、なんとなく人型をしているのは見て取れるものの、表情や装飾はわからない。
「交通事故のお地蔵様じゃないの?」
隣に並んだ美耶の質問に、少年は首を振った。
「違うよ。田んぼの神さん。昔は珍しいものじゃなかったみたいだけど」
オレは初めて見る、と続けて、晴彦と美耶は、崇志に呼ばれるまま、石積家の庭先に向かった。
長い竹と大判の藁、それに縄や南天などが、すでに玄関先に用意されている。当主の石積の老人はその前で待っていた。12月の末だというのに厚着もせずに作務衣1枚。肉の削げた険しい手には、往年の老作業で鍛えた豆が乗っている。
「悪いね、早川さん。婆さんじゃ手伝いにならんもんで」
穏やかな風貌でそう謝罪する老人に、慣れた調子で崇志は軽口を返した。
「そりゃあ、婆ちゃんじゃ無理だろ。年寄りの冷や水で怪我でもされたら、縁起物の意味がない」
当主は笑ってから、
「そちらは、妹さんと?」
目を晴彦に止める。
「崇志兄の家に遊びに来てる大月といいます。一緒に手伝わしてください」
行儀よく頭を下げる少年に、老人の目がますます細くなった。
まず鉈で竹の長さを揃え、鋸で切り口を整えていく。斜めに刃を入れるのが難しく、崇志は、
「ここは俺がやるよ。藁を巻くときに手伝って」
と晴彦に指示した。
手持ち無沙汰で青年の仕事ぶりを見ていた晴彦と美耶に、当主の妻の老女が茶を差し出した。
「どうぞ。寒いのによく来ておくれでした」
頭を下げて受け取ると、老女もそばに腰を下ろす。
「早川さんは、もうお坊さんになってしまったんですかねえ」
剃髪に溜息をつくのを見て、美耶が慌てて否定した。
「ううん。まだ大学生です。来年の3月に卒業……予定」
「そうですか。お坊さんもいいけど、若いうちは人生修行もしておいたほうがいいのにねえ」
口調には出さないが、どうやら老女は崇志の出家には反対らしい。
「あたしもそう思うんだけど、どうしてもお坊さんになりたいんだって。どうしてなんだろうね?」
美耶の科白の後半は晴彦に向かって放った質問だ。
「……いろいろあるんやろ」
晴彦は困ったような表情で答える。