稲荷天の報い 3
狐が神格を持った歴史は古い。
「日本における公式な歴史書の最も古いものは古事記と日本書紀なんですが、8世紀に編纂された日本書紀には、すでに神の使いとして狐の存在が書かれています」
晴彦は用意されたメモに『御饌津神 みけつかみ』と書いた。
「稲荷さんっていうと、たぶん、狐の神様を想像されると思うんですけど、実際のお稲荷さんは、このミケツカミのことです。狐はその眷属……お使いをする役目の動物です」
「そうなの? 神様じゃないんだ」
母親は意外そうにメモを覗き込んだ。父親は遠目で話を聞いている。
「神様ではないけど、神様の使いだから、それに準じた地位は持ってます。稲荷さんにお参りするときに、油揚げをお供えしませんか? 油揚げはミケツカミの好物じゃなくて狐の好物です。だから、みんな、本来の神様じゃなくて眷属にお参りしちゃってるんですよ」
笑う晴彦に感心の声を漏らす母親。それを遮り、崇志が、
「荼枳尼天」
と先を促した。
「はいはい。崇志兄はせっかちやな」
一時的に、また京都弁に戻って、晴彦は『神仏習合 神仏分離』とメモ書きを足した。
「いまはお寺さんと神社さんは別々でしょ。でも、最初は明確に分かれてなかったんですよ。それを明治政府が法令で定めて分けたんです。そのことを神仏分離って言います」
「へえ」
そろそろ話についてこられなくなったのか、母親は言葉少なに合いの手を入れた。
「だけど、その法令後も分離しなかったり、また習合したりする寺院と神社があったりして、お寺なのに中に神社を持ってるところがあるんです。稲荷神社の多くは、だから、仏教の仏さんである荼枳尼天を祀ってます」
顔を上げて、崇志兄は理解できてるか、と問う少年に、崇志は軽く頭を下げた。
「つまり、荼枳尼天を祀ってる稲荷神社は、神仏分離がなされていない、イレギュラーな信仰だってことだろ。本来の稲荷神社はミケツカミを祭ったものが純正品だと」
「そうそう、そういうこと」
完結にまとめられた事実に、晴彦はほっと安堵の表情を浮かべた。
「伏見稲荷は純正品のミケツカミを祭っています」
やっと話が伏見稲荷まで戻ってきたことに、今度は母親のほうが安心したようだった。
「よかった。ハルくんは難しいこと知ってるのね。いまの高校ではそんなこと勉強するの?」
「それやったら、オレ、テストの成績一人勝ちしてます」
晴彦は頭を掻きながら苦笑いする。
「母さん、少し黙ってなさい」
どうやら話を脱線させる元は母親にあるらしいと気づいた父親から、注意が飛んだ。