稲荷天の報い 1
内容が複雑でマニアックなので、1話2000文字以内でアップしていこうと思います。
夕食はひどく豪勢だった。帰宅してから、1度、自室に戻り、部屋着に着替えてきた美耶は、居間の座卓で、崇志と父親がすでに日本酒を煽っている席に着いた。
「いつもはお父さんと食の細い美耶と3人でしょ。こういう賑やかなのがいいわよね」
母親の上機嫌は、大人数のせいばかりではない。後ろから晴彦が大皿を抱えて手伝っている。
崇志から借り受けたらしいダボついたジャージを着込んで、ますます華奢に見える少年に、美耶はなんとなく目を奪われた。よく働き、よく喋る。総じてコミュニケーション能力が高い彼に、人望のある兄とは別の意味で憧憬を抱く。
「……お兄ちゃん、どうやってあの人と知り合いになれたの?」
無意識に呟くと、崇志は2杯目の酒を手酌で注ぎながら、
「大学の非常勤講師の息子なんだよ。講師の講義が面白いんで、自宅まで押しかけて勉強させてもらってるうちに、懐かれた」
と嬉しくもなさそうに説明した。
「ふうん」
なぜお兄ちゃんなんかに懐くのかな、と心の中で疑問視すると、
「なんで俺なんかに懐くのか、って、いま思っただろ」
感能力者ばりの推察力で斬り込まれた。慌てて首を振る。
母親の声が台所から飛んだ。
「美耶、お客さんにやらせっぱなしじゃ駄目じゃない」
同時に晴彦からフォローが聞こえた。
「ええですよ。散歩に付き合わしたし」
腰を浮かしかけ、また座った美耶は、
「関西弁なんだ」
と密かに微笑んだ。崇志の大学は京都にある。考えてみれば当たり前か。
「え、方言出てた?」
美耶の隣に座って箸を握った晴彦は、その指摘に眉を寄せた。
「あちゃあ……。気い抜くと駄目だね、やっぱ」
「京都弁嫌いなの?」
柔らかい言い回しが彼らしくていいなと思っていた美耶は、残念に思って問い質す。
「嫌いってわけじゃないけど、大学は他所に行こうと思ってるから、なるべく標準語で喋りたい」
「あら。関西の人って関西弁を直さないって聞いたけど」
母親の追及に、
「それは大阪です」
とやっぱり否定する。
妙なこだわりを見せる彼の顔は、真面目に反省しているよう。睫毛の長い、くっきりとした二重の目は、表情を余すところなく伝えてくれる。整いすぎていて神経質にさえ見えた造作は、苦痛に歪んだとたんに人間らしさを強く浮かべた。
「あの……美耶ちゃん、……あんまりじっと見られると、飯食いにくいんだけど……」
どうやら苦痛を与えていたのは美耶自身だったようだ。
「ご、ごめん」
急いで目を逸らし、自分も箸を取る。
食が細いと母親は言ったが、美耶は小食なわけじゃない。食べている最中に罪悪感が募って、一度には量がこなせないのだ。いまも自分の中の強制的な力に負けて、また箸を下ろす。
「あら。もう終わり?」
母親が慣れた様子で美耶の左隣の席から移動した。
「うん。またあとで食べる」
言い置いて、そのまま、広くなったスペースに転がる。
いつもなら一時的に寝入ってしまうのだが、見下ろす晴彦と目が合った。
「あ、えっと……」
行儀悪いね、と苦笑いしながら、顔を隠すつもりで横を向く。
「いろいろ難儀だなあ」
彼から慰めの声が漏れた。
「うん」
なんだか惨めになって、長い髪の毛で本格的に表情を覆った。
夢うつつの頭に家族の会話が入ってくる。
「美耶はよくなってるのか?」
これは崇志。
「病院の薬は減らしてもらったわ。あ、ごめんなさいね。こんな話を聞かせちゃって」
と母。
「いいですよ。崇志兄から事情は聞いてます」
晴彦の声もする。
あたし、精神病じゃない。心の中でそう訴えた。でも、現実には統合失調症の診断が出ている。精神科というのは恐ろしいもので、本人が絶対に正常だと訴えても、何らかの病名を課してくる。いったん診断が下されたら、もう覆せない。
再度、崇志が言った。
「治ってきてるって判断はどこでされたんだ? 俺には、まだ、普通に見えないが」
「暴れることと、夜中に徘徊することがなくなったの。だからだと思う」
「話すこともまともになってきたぞ。そう思わんか?」
父親の声が割り込んだ。
「そうかあ?」
兄、完全否定。失礼だなあ。美耶は密かに憤慨する。
「オレが喋った限りでは、美耶ちゃんは正常でした」
晴彦のフォローには内心で小躍りする。
あたしの中には別人がいるの。美耶がそう説明したとき、精神科医は言った。そういうふうに思う病気なんだよ、と。だけど晴彦は、『持衰』という存在が古代に実際にいたんだ、と教えてくれた。だから信じる。あたしの中には別人がいる、と。




