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黒い神  作者: 小春日和
兄妹の邂逅
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兄妹

 精神安定作用のある薬を服用すると、美耶はすぐに眠りについた。そのまま病院に連れていくべきかを家族と晴彦で思案したが、救急外来に電話し、精神科がないという情報を掴んでからは、誰も腰を上げなかった。

「しばらくは俺が見てるよ」

定位置で寝息を立てている妹の脇で、テレビのリモコンを操作しながら、兄が立候補する。

「それじゃあ、お願いね。私とお父さんは買い物に行くから」

普段から役割を分担しているのだろう。揉めることもなく、美耶の世話は崇志に任された。

「ハルくんも一緒に行ってくれない?」

唐突に母親から誘いを受けた晴彦は、ちょっと驚いて、首を横に振りかけたが、

「荷物が多くなると思うから、手伝ってほしいの」

と言われれば、断ることもできない。


 家の前にしつらえた駐車場まで来て、父親の所持しているセダン車の後部座席に乗りこもうとした晴彦に、母親が小声で囁いた。

「ごめんなさいね、無理言って。崇志に、少し美耶との時間を作ってあげようかと思って」

「ああ、いえ……」

掃き出し窓にかかるレースのカーテンの向こうに淡く映っている兄妹の影を振り返り、少年は得心が行った顔で頷いた。

「崇志兄、周囲に他人(ひと)がいると、美耶ちゃんに対して素直に優しくできないんかな」

当人がいないところでは、むしろ饒舌に彼女のことを語るけれど、この家に戻ってきてからの崇志は、妹に対して笑顔を見せたことがほとんどない。いまさらながら、晴彦はそのことに気づいた。

「そうねえ。やっぱり、いろいろと構えちゃうものがあるみたいよ。美耶も崇志を怖がってるフシがあるしね」

母親は苦笑して助手席に回った。

 父親がサイドブレーキを解除し、車を出そうとしたときだった。駐車場の入口に見知った顔が現れる。

「あれ。お出かけですか?」

快活そうな瞳。黒いショートカットの髪。葉月だ。母親と晴彦が同時に窓を開け、それぞれ、

「どちら様?」

「遊びに来たん? ごめん、今から買い物に行く」

と応えると、少女は、

「うわ、最悪」

と口を尖らせた。

「ハルくんの知り合い?」

少年に対して尋ねる母に、

「うん。石積さんのお孫さんです」

と回答する。と、母親は、

「あらあら」

と言いながら、いったん車を降りた。

「ハルくん、遊びに行ってもらってもいいわよ。買い物はこっちで済ませるから」

そう配慮して後部のドアを開けてくれる彼女に、晴彦は頭を掻きながら、

「どっちかというと行きたくないっていうか……」

と苦笑しながら座席から身を滑らせた。

「やったっ。ありがとう、おばさん!」

葉月が喜色満面で少年の腕に取りつく。


 「……何やってんだ、あいつは」

呆れた表情でカーテン越しに駐車場の光景を見ていた崇志は、目を転じて、安らかな表情を浮かべている妹の顔に視線を落とした。

「美耶……」

名前を呼びながら長い髪の毛を梳くと、美耶が微かに身じろぎをする。

「お前さ……どうすれば正常に戻るんだ?」

深い悔恨を込めて聞くが、かつて呪った存在の少女に答える気配はなかった。


 両親が死に、田舎の情に厚い親族に恵まれた崇志は、父親の弟である早川家に引き取られた。そのころはまだ子どものいなかった早川の夫婦は、3歳の幼児を大切に育ててくれていた……はずだ。幼かった崇志には記憶にないが。

 3年が経ち、小学校に通うようになった不遇の幼子は、そこで自分に対しての揶揄中傷の洗礼に晒された。

「ご両親が亡くなった理由は、あの子がぐずったからで……」

「実親のない子だから可愛げがない……」

「養子なんていつでも解除できる……」

そんな折、すでにお腹の大きくなっていた義母が、嬉しそうな顔で言った。

「ねえ崇志、来月にはお兄ちゃんになるのよ。妹が生まれたら可愛がってね」


 絶望した。

 周囲に見咎められるほど、大人に甘えることができなかったのは、また自分がぐずることで誰かを失くすかもしれないと思ったからだ。未発達な脳に刻まれた事故の記憶は強烈で、幼児から無邪気さと明るさのほとんどを奪ってしまっていた。

 残ったのは独りにされる恐怖だけ。自分を遺して逝ってしまった両親への恨みと、生きていく糧を与えてくれる養父母に捨てられる不安。

 実子である妹が生まれたら、養子である自分はどうなるのだろうか。嬉しいわけがない。可愛がれるわけがない。生まれなければいい。生まれてもいなくなればいい。


 もう一度、妹の髪を分けながら顔を覗きこんだ兄は、

「俺はお前のそばにいないほうがいいな」

と呟いた。もう見納めか、と目を閉じて後悔を払う。


 美耶が無事に生まれ、入院先の産婦人科で義母に赤ん坊を抱かせてもらった崇志は、そのまま5階の病室の窓から乳児を投げ捨てようとした。慌てて引き止めた病院関係者からは、頭がおかしいとのレッテルを貼られた。

 その光景を1日たりとも忘れたことはない。早川家と縁を切り、自分の愚行を消し去らなければ、己の人間性にいつまでも自信が持てないまま生きていくことになる。


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