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黒い神  作者: 小春日和
兄妹の邂逅
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持衰との対面

 朝の白い陽が窓から差しこむ。いつもの癖で、枕元に置いた電話の子機から母親に連絡しようとして、美耶は自分の手首が自由に動かせることに気づいた。

「あ、そっか……」

夕べは拘束なしで眠ったんだった。3週間ちょっと前に、突然、病院から言い渡された手錠の着用。ほとんど症状のなくなっていた矢先のことだったので面食らったけど、両親の真剣な様子に圧されて、なんとなく守っていた。

「そういえば、ずっと帰ってこなかったお兄ちゃんが急に帰省したのも、変……」

持衰が自らの転生体である美耶に害を為そうとしていることなど知らず、少女は、浅い不安に駆られる。

「あたし、もしかして……」

言いかけて、精神の欠損が自分に重大な結果をもたらすなんてありえない、と頭で否定した。

「ハルくんがいるもん。大丈夫」

ドアの向こうにいるはずの少年を思い、気を落ち着かせる。


 美耶の部屋からのクローゼットを開ける音で、晴彦は目を覚ました。窓のない廊下でも、すでに相当に明るい。

「あ、寝すぎた」

階下からも忙しく立ちまわる母親らしい足音が聞こえる。

「崇志兄は静かだなあ。まだ寝てんのか」

自らも覚めきらない頭を振って、夕べは遅かっただろう崇志の部屋に視線を移す。と、そこで美耶がドアを開けて顔を出した。

「おはよ、ハルくん。寒くなかった?」

「うん。気になる前に寝たし」

真っ直ぐに伸びた黒髪を揺らしながら尋ねる少女に、少年は目をこすりながら答えた。

 また、美耶と古代の思念の存在が重なって見える。


 「もう。あんたは本当に働かないわね」

母親の呆れた声で、いち早く食卓に着いていた美耶は、しぶしぶ腰を上げた。

「だって、自分が食べられないのにお手伝いするのって、なんか虚しいんだもん」

先に台所に入っていた晴彦が笑いながら、

「食べる努力のほうをしたらええし」

と食器を運んできて、座卓に並べる。

「はあい」

不承不承、少年に入れ替わり、台所に向かう。


 配膳待ちの皿に並ぶ料理。卵、野菜、パン、穀類。食欲をそそる匂い。

 ……に混じって、微かな腐臭がした。魚が腐ったような……。湿った磯の香のような……。

「……お母さん、気持ち悪い……」

青い顔になって流しに顔を突っこんだ美耶は、搾りだすように嘔吐をした。

「やだ。どうしたの?」

母親の慌てる声が、耳に遠い。

「……寒い……」

背中をさする母の掌の体温すら、氷に撫でられているような不快感にしか思えなかった。


 急に不調を訴えだした美耶に、晴彦はどうしていいのかわからず、台所の入り口に立ち尽くしていた。

「ハルくん、ごめんなさい、毛布持ってきてくれる?」

母親の指示で、

「あ、は、はい」

と呆けた思考を正常に戻し、客間に向かう。

 単なる病気?それとも……。予測した結果がめまぐるしく回転する。

 毛布を掴み、足早に台所に戻ると、美耶が床に転がって泣いていた。

「足がない……」

そう呟きながら、苦痛の呻き声を上げて身悶えする。

「あるわよ。ちゃんと見なさい。ちゃんと起きて」

母親が厳しい声で叱りつけた。傍らに立った父親が、

「病院に連れていこう」

と渋面で娘の脇にしゃがみこむ。

 瞬間。

「病院は行かない!」

激しい拒否反応を示して少女は跳ね起き、晴彦のほうに走りだした。とっさに毛布を広げて勢いを殺し、少年は美耶を受け止めたが、小柄な体格が災いし、2人で吹っ飛ぶように後方の居間に転がる。

 動物のような威嚇の声を上げて、いち早く体勢を立て直したのは少女のほうだった。晴彦を踏み越えて玄関に出ようとする。

 のを。

 大柄な兄が捕まえた。

晴彦(はる)、その毛布くれ。母さん、何か縛るもの」

細身の少女の肢体を抱えこむようにして、後ろ手に抑えつけると、美耶は諦めたように、兄にもたれて啜り泣きを始めた。


 食卓から可能な限り距離を取った居間の一角で、左手首に手錠をはめられた美耶は、力なく倒れこんでいた。すぐ隣には崇志が、ときおり妹のほうに視線を放りはするが、ほぼ無視した形で新聞を読んでいる。手錠の反対側はその兄が握っていた。

 急いで朝食を掻きこんだ晴彦は、美耶に聞こえないように、小声で父母に問う。

「病院、連れていかなくていいですか?」

母親は、父親と顔を見合わせたあと、軽く頭を振って苦笑した。

「今日から休みなのよ、行きつけのとこ。救急で入れるにしても、もう落ち着いちゃったものね」

「あ、そっか……」

12月29日。主だった施設は今日から冬季休業に入る。

 そっと少女を盗み見ると、さっきの異常性は欠片も残さず、拘束は理不尽だとばかりに兄の手から手錠を取り返そうとしていた。そのたびに、崇志が大仰に紙面を繰って、音で美耶を牽制している。

「お兄ちゃん、怒ってる?」

「別に」

片隅の会話が微かに耳に届いた。


 別人のようになるという美耶のヒステリーを目の当たりにして、晴彦にも迷いが生じている。さっきの行為が持衰が表面化したものだとしたら、持衰は美耶に何を見せたのだろう。『足がない』と少女は訴えた。足がない。足を切断……? 持衰にそんな罰が課せられたことがあったのだろうか。少なくとも、既存の書物の中では見たことはない。

 だいたい、身体を欠損するような行為があったなら、その持衰は死ぬしかない。だが、持衰の役割は船の守護だ。船が沈めばすぐに殺され、無事に戻ったなら栄誉を与えられる。体を刻むような嬲り方をされるというのは、ピンと来ない。


 ゆっくりと食卓を立ち、美耶のそばに寄った。

「崇志兄、代わる」

手を差しだすと、青年は妹の身の安全を繋ぐ手錠を晴彦に渡した。

「離すなよ。1回始まると、繰り返すこともあるから」

そう釘を刺して座を空ける。

 崇志が食卓に着いたのを見て、晴彦は、努めて穏やかに、少女へと話しかけた。

「美耶ちゃん、お腹空かない?」

「……食べたくない」

拗ねたように視線を外す美耶。顔にかかった豊かな髪を掻き分けると、若干、赤面した顔が現れた。

「……ハルくんの前でバカやっちゃったもん。もういいもん」

口を尖らせる少女に、

「あんまり違和感なかった」

と、あえてからかうと、

「あたしって普段からあんなの?」

と情けない応えが返ってきた。

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