シャーマンの能力 4
崇志の部屋のドアをノックすると、低い声で、
「入っていいよ」
と返事があった。晴彦はノブをひねる。
「具合どう、崇志兄……」
言いかけた労いは途中で引っこんだ。外出準備をした青年が、元気いっぱいの様子で荷物をひっさげている。
「おう。石積さんのところから出たら嘘みたいに治った。いまから友だちんとこに飲みにいってくる」
いそいそと部屋を出ようとしたその顔に、少年は無表情のまま、
「オレの悩んだ半日を返せ」
と呆れた声を吹っかけた。
同じ住宅街の中にあるという崇志の友人宅までの道のりを同行しながら、晴彦は愚痴ばかりこぼしていた。
「本当は言うまいと思ってたんや。美耶ちゃんと崇志兄の関係が変なことになっても後味悪いし。でも、オレとお母さんだけ事情知ってて心配するってのも阿呆らしいし」
「悪かったよ。空気読まなくて」
剃りあげた頭をバツが悪そうに撫でながら、崇志は謝る。
「でも、俺、お前から聞くまで、風邪でもひいたのかと本気で思ってたんだ。石積さんの家に向かう途中でも嫌な感じ……っていうか、悪寒をずっと感じてたしな」
「手伝いに行くときはいつもそんなんなの?」
同じ家にいるときには、美耶が崇志に何かをしたという事例はないらしい。ということは、石積邸という場所に起因するものがあったのだろうか、と少年は思う。
「いつもは美耶は同行しないんだ。あいつ、家からほとんど出ないし。俺1人で手伝いに行くときは快調そのものだよ」
兄は答える。やっぱり『美耶と石積邸と崇志』というキーワードを繋げることが重要のようだ。
「石積さんの家と崇志兄の実家との違いって何だと思う? 持衰の立場から見て」
晴彦の質問に、崇志は、少しの間、考え込んだ。それから言う。
「例の丘に近いからじゃないか? 美耶が首を吊ろうとした」
それはあるかもしれない、と少年も考える。
少女が無自覚のまま、言い換えれば持衰に完全に操られた状態のまま、向かった先の死に場所が、意味のない土地のはずがない。現に、昨夜は、その丘に近づいた影響が美耶の手首に痕跡を残している。
ということは、丘に近づくことが、すなわち、持衰の登場を促すことになり得るのだろうか。
「だったら、引越しはかなり有効な手立てになるなあ……」
母親が冗談交じりにした提案が、急に真実味を帯びてきた。
「本当に転居までせんでもええけど、問題の期間だけ、別のところで暮らすことはできんかな」
そう言うと、崇志は、一瞬だけ辛そうな表情をしてから気を取り直し、
「そんなことでいいんなら、今からでも京都に連れていくけどな。でも、見当違いだったら」
次がないからな、と、言葉を濁して呟く。
見当違いを犯すには、余裕のなさすぎる状況だという焦りが、身動きを阻む。
大学が冬休みに入る数日前、母親から崇志の元に連絡が入った。ずっと小康状態を保っていた美耶が、久しぶりに暴れたらしい。そして、その場で、
「次の祓えにて我が身を屠る」
と告げたのだという。
つまり、次の『祓』の儀式で、持衰は美耶の肉体を死滅させる、と言ったのだ。
「次の大祓まで、あと4日か…」
崇志は苛ついた様子で地面を蹴った。12月31日。世間が大晦日として年の区切りを迎える日。この日は古代の信仰において『古い時代の厄を滅し、新しい時代へと移行する』という意味があった。
「古い時代の厄……」
すなわち、役目を終えた持衰のことでもある。晴彦も落ち着かない心持ちで俯いた。
「いっそ、持衰さんに出てきてもらって、話ができんもんだろうか」
かなり本気で提示すると、崇志は苦笑しながら、
「お前は美耶の自殺の現場を見てないからな」
と暗に却下された。持衰はそれほど危険な存在らしい。
「で、そういう状況の中で、なんで飲みに行くん?」
晴彦が、今度は暗にではなく表立って非難すると、情に厚いんだか無責任なんだか測れない兄は、
「だって正月だし」
と平然と言ってのけた。
「そんなんで、よくオレに協力頼めたね。今晩も、また美耶ちゃんが手錠から抜けだそうとしたらどうするん?」
表向き、受験を犠牲にしている自分の立場と、平気な顔を作って不安に耐えている妹の心情を思って、かなりの本気度で不快を示した晴彦に、崇志は、一応、
「悪いとは思ってる」
と謝罪はした。
「でも、美耶は俺を頼らないし、俺も美耶に積極的に関われる立場じゃないしな。だから晴彦がなんとかしてくれないと」
他力本願を決め込む青年は、結局、予定を取りやめる気は、微塵もないらしい。