シャーマンの能力 1
帰りついた晴彦は、自分の部屋である客間に戻ると言って美耶と別れたあと、台所に向かった。
母親が、普段は使わないテーブルの一角に腰掛けて、夜の煮物用だろう、里芋を剥いている。
「あら。お帰りなさい」
笑顔を向ける彼女の斜め前に、埋もれていた椅子を取り出して少年は座る。
「……ちょっと話していいですか?」
「どうぞ」
真剣な様子の晴彦に、母親は変わらない大らかな態度で臨んだ。
「崇志兄と美耶ちゃんって、いまも何か確執があるんですか?」
率直に尋ねると、母は、そばにあった台拭きで手を拭いながら首をかしげた。
「仲が悪いかってこと? むしろ崇志はもう少し妹離れをするべきだと思うけど」
京都に行ってても電話がかかってくると美耶のことばっかり話すのよ、と苦笑を浮かべる彼女に、
「崇志兄の本音はオレも知ってます。オレの家に来ても、半分は美耶ちゃんの話ですから。美耶ちゃんのほうは崇志兄のこと、その……敬遠してるとか密かに嫌ってるとか……ないでしょうか?」
再度確認すると、母親は少し表情を曇らせた。
「それ、昔の話をしてるのかしら?」
「いえ。それとは直接関係ないけど。……そうですね、美耶ちゃんが、崇志兄のその頃の行動を知ってるってことはありますか?」
「いいえ」
母は当たり前のように首を横に振った。
「その話をするには、美耶と崇志の関係も話さなきゃならないでしょ。だから言ってないわ」
どうしてそんなことを聞くの?と返す彼女に、
「実は、さっき、美耶ちゃんの変化を目の前で見たんです」
晴彦は石積邸での出来事を話した。
母親は、里芋の皮剥きを再開しながら、ゆっくりとした口調で先を進めた。
「美耶が崇志を恨むってことはないと思うわよ。むしろ、罪滅しみたいに、崇志は美耶を大事にしてあげてるでしょ。お坊さんになるって言ったのだって、美耶のために自分が自宅から出ていこうって考えなんだと、私は思ってるし」
「ああ……それはちょっと違うみたいです」
晴彦は軽く否定して、続けた。
「崇志兄は死んだご両親のために仏門に……っていうか、ご両親のことを忘れないように、こことも距離を置きたいって話してました。ここで家族になってしまうと、本当のご両親に申し訳がないと思ってるみたいです」
「あら、そうなの? 馬鹿ね、あの子って」
あっさりと義息子の信念を否定する義母親。
「うちの子どもになったって、義姉さんの存在が薄れるわけじゃないのに。亡くなった人に義理立てして、自分の将来を決めちゃうような崇志に、お坊さんが勤まるのかしら」
つまらない子に育っちゃったわね、と、芋に向かって諭しはじめる彼女に、晴彦は、なんだか居たたまれない気分になって、語気を強めた。
「お母さんが反対なら、オレ、崇志兄を説得してもいいですよ。オレもどっちかといえば賛成してないし」
けれど母親は、
「ほっときましょ。気の済むまでやらせればいいわよ」
明るい表情を崩さないまま、突っぱねる。
「あの子は、誰に似たのか、頑固だもの。他人に説得されて進路を変えるような甲斐性はないわよ」
誰に似たのかしらねえ、まったく、と嘯く母親の顔が満足気なのを見て、少年は安心して相好を崩した。崇志は義母似らしい。
「それで、話を戻しますけど」
午後の翳り始めた陽が、北側の曇りガラスから差し込み始めたことに、妙な気忙しさを感じた。晴彦は会話を再開する。
「美耶ちゃんが崇志兄を恨んでないとしたら、さっきのあれは何やったんやと思います?」
「よくわからないけど、美耶の中にいる人格の1人が崇志を嫌ってるんじゃないの?」
娘を統合失調症だと疑わない母親は、持衰の可能性を完全排除して、そう答えた。
「ほら、ああいう病気って、何人にも人格が分かれちゃうんでしょ。その中の1人ぐらい、兄妹喧嘩が好きって性格があるかもしれないじゃない」
「統合失調症、即、多重人格って診断は違いますけどね。でもまあ、幻覚や幻聴で、自分の思わん方向に意識が向いてしまうこともあるんかな……」
美耶の中に崇志に対する反発がなかったとしても、歪んだ精神が気まぐれに攻撃対象を求めることはあるかも、とは、晴彦も思う。
「でも、問題はそこじゃないんです。美耶ちゃんが崇志兄に対して悪意を見せたとたんに、崇志兄が頭痛を訴えた。これって、どういうことやと思います?」
質問を変えて繰り返すと、母親は、
「んん……」
と困った顔で天井を仰いでから、
「そうだ」
と顔を綻ばせた。
「美耶にとり憑いてる狐の仕業じゃないかしら」
「そこに戻りますか?」
まともな発想を期待できないと知った晴彦は、
「自分で考えまとめてきます」
と言って台所を出た。