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黒い神  作者: 小春日和
兄妹の邂逅
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持衰の能力

 昼を回ったというので、石積邸で食事を出してもらうことになった。大きな窓に面した明るい居間に、厚い1枚板を天板にした座卓が置かれている。老女がすでにその上に皿を並べていた。

「手伝います……」

さすがに自宅と違って怠惰を決め込む勇気のなかった美耶が、老女について台所に入ろうとすると、

「いいわいいわ。葉月にやらせるで」

断って、当主の妻は奥に向かって大声を上げた。

「葉月、ご飯! はよおいで!」

「はあい」

間延びした声が答え、すぐに台所にショートカットの闊達そうな少女が現れる。歳は美耶と同じ頃だろうか。スレンダーで、若干、美耶より小柄な体型。人懐っこい大きな黒目が印象的だ。

「お客さんだったんだね。こんにちはあ」

と笑顔で挨拶をする葉月に、

「こ、こんにちは……」

同じ年代の人間には、まず警戒心を抱く癖のある美耶は、強張った表情で返事を返した。


 「ああ。お祖母ちゃんがよく話してる、お坊さん志望のお兄さんの妹なんだ」

美耶の真向かいの席で、旺盛に箸を動かす少女は、行動ばかりでなく、喋るテンポもリズミカルだった。

「お兄さんは帰っちゃったのかあ。残念。見たかったなあ、あたしも」

剃髪姿だったという崇志に対して興味を示す葉月に、晴彦が、こちらもすでに親しんだ様子で軽口を返す。

「遊びに来たらええし。冬休み中はこっちにいるから」

「晴くんも一緒? だったら行こっかな。ここに1日いるのも退屈だもんね。美耶さんはいいの?」

1番肝心の、家人である美耶の承諾は、葉月にとっては付け足しのようだ。

「いいか。美耶さんに会いに行くわけじゃないし」

と自己完結する。

「……どうぞ」

内心ムっと来ないでもなかったが、美耶には断るほどの気概もなかった。


 早々に食事を済ませた葉月は、家主の守ろうとした静かな環境を気にすることもなく、テレビをつけた。

「特番ばっかりだよね、年末って。夏なら外に探検に行けるけど、冬はやっぱり自分の家にいたほうがいいなあ」

彼女は毎年1人で祖父母である石積の老人宅に遊びに来ているらしい。愚痴をこぼしてチャンネルを変える葉月の前で、シナリオに括弧書きで(笑)と書きこまれているようなバラエティ番組が消え、雪景色を売りにした旅行番組に切り替わる。

「なんで一人で泊まりに来てんの?」

晴彦の質問。高校生ぐらいの年代なら、正月は友だちや家族と過ごしたいものじゃないんだろうか、と思ったようだ。

「お祖母ちゃんの話が面白いから聞きにきてるの。早く聞いとかないと、そのうちに寝たきりとかになっちゃいそうだもん」

祖母をからかって少女が笑うと、老女が、

「なんてこと言うかね、この子は。罰当たりな」

と真面目に憤慨した。家主の長老は目を細めている。


 もそもそと、一向に食の進まない美耶を置いて、晴彦と葉月の会話が進んでいく。

「あたし、こういう田舎の景色が好きなんだよね。田んぼがあって山があって、怪しげな(ほこら)があったり、道祖神(どうそじん)があったり」

「道祖神なんてよく知ってるね」

晴彦の感心に、葉月は得意げに続けた。

「当然ですよお。道しるべのお地蔵様でしょ。知らないほうが非常識」

「そ、そかな……」

苦笑を浮かべる少年の横顔を盗み見た美耶は、ちょっと怒った口調で呟いた。

「ハルくん、ちゃんと言い返せばいいのに」

持衰や田の神なんてマイナーな知識に秀でている晴彦が、知識をひけらかすタイプの葉月に負けるわけがない。もっと自分の能力をアピールして、葉月の独りよがりな自慢を砕いてほしい、と思う。


 「……まあ、常識で知ってるほど一般化はされてないと思うけど……」

なんだか機嫌が悪そうな美耶に気づいて、少年は困ったような表情を浮かべながら、話を継いだ。

「道祖神っていうのはいろんな神さんの複合体で、田の神さんとも同一視されるし、外来の神、猿田彦(さるたひこ)とも言われるし。地蔵さんの姿を持ったのはだいぶ後世だね。『現世での迷いから救い出す』っていう地蔵菩薩の性格を、『旅の迷いや困難から救う』っていう意味に置き換えた結果じゃないかな。初期の道祖神は地蔵さんやないし」

流暢な説明に、まず葉月が浮かべたのは困惑だった。

「ええっ、お地蔵様って仏教だよ。仏教って紀元前から作られてたんだよ。それより前に道祖神があったなんて信じられない」

「派生は紀元前だけど、日本に伝播したのは紀元6世紀頃だから。一方で神さんを祭る神道の考え方は古代からあったし」

「でも、庶民が旅行なんて始めたのは、ごく最近でしょ? それなのに、古い時代から道祖神を作る意味なんてなんじゃない」

負けず嫌いらしい少女が反論する。

「道祖神っていうのは、旅の神様になる前に、村の守り神や大地を守護する地母神としての役割もあったんだ。だから、旅が一般化する江戸時代よりも、ずっと前から存在してたんだよ」

晴彦は簡単に論破した。


 葉月は俯き、それから顎に手をやって、少しの間、考え込んだ。新しい理屈を準備しているように見える。と思ったら急に、

「ねえ。そういうことに詳しいなら、ぜひ見てもらいたいものがあるの。待ってて」

と席を立った。

「え、でも、オレ、今から門松作りの続きが……」

慌てる晴彦に同調して、老女が葉月を叱りつけた。

「いい加減にし、葉月! あんたも手伝いにおいで!」

やだよお、と気の抜けた返事が奥から返る。


 ペースの遅い美耶の『ごちそうさま』を待って、行動が再開された。石積の長老が力強く抑えつける竹に、晴彦が藁を巻いて、縄で締めていく。

 傍らに立つ美耶と葉月は、その様子を眺めながら、途切れがちに会話をしていた。

「ねえ、晴くんって美耶さんの何?」

と葉月。

「『なに』でもない……」

としか答えられない美耶。

「お祖母ちゃんに聞いたんだけど、美耶さんって精神病なんだってね。で、お兄さんがお坊さんになって治そうとしてるんでしょ?」

僧侶と精神疾患に現実的な共通項があるのかわからないが、葉月は、恐らく祖母の思考ルートをそのまま踏襲した妄想をぶつけた。

「釈迦如来に毎日お祈りしてれば、美耶さんを病気にしている悪霊を退散させられるから」

「…………」

効果はともかく、『真言で魔を退散させる漫画に影響を受けた』という崇志の志望動機は、葉月の話で納得できるような気もする。

「そんな理由で将来決めちゃうなんて、お兄さん、可哀想だよね。美耶さんも、もっと積極的に自分で治すように心がけたほうがいいよ」

キツい同年代の言葉に、思わず首を竦める美耶。


 仕上げの南天を隙間に挿していた晴彦の前に、絵の描かれた数枚の紙が、葉月から差し出された。

「これね、あたしが描いたんだけど、もっとおどろおどろしくしたほうがいいかなあ」

視線を移した少年の目に飛び込んだのは、厳しい表情を持つ、仏と思われるイラストだった。髪の毛を立たせたり、甲をかぶったりした頭と、剣や槍といった武具を手に持っているのが見て取れる。

「……八部衆(はちぶしゅう)、じゃないや、十二(じゅうに)神将(しんしょう)?」

風貌から、仏教の守護者と位置づけられる集団名を予想すると、葉月は嬉しそうに相好を崩した。

「わかった? わかってくれた? 学校の友だちと、こういうのを使って同人誌作ってるの、あたし。だから宗教に詳しいんだ」

「そうなんや」

晴彦は柔らかく笑って感心した。

「上手く描けてると思うよ。こっち方面は、オレ、あんまり得意じゃないけど」

「じゃあ教えてあげる。もう手伝い終わったんでしょ。あたしの部屋に来て!」

隙を見せた瞬間に自分のペースに少年を取り込もうとする葉月。

 美耶は溜息をついて、そっと2人に背を向けた。

「……あたし、帰ったほうがいいかも……」


 敷地から出ていこうとする背後で、晴彦が葉月に断りを入れるのが聞こえた。

「ごめん。オレ、仏さんのファンタジーには本当に興味ないから。美耶ちゃんとの話のほうが得るものあるし。そろそろ帰るね」

振り返ると、不満を顕わにする葉月の顔と、家人に丁寧に礼を言う少年の姿が目に入った。


 お互い、無言で田んぼ道を歩きながら、話をするきっかけを探す。

「……よかったの、帰ってきちゃって?」

美耶のほうから口火を切った。

「あたしなんか……精神病のあたしなんかと一緒にいても、つまんないでしょ、ハルくん……」

コンプレックスで潰れかけた自尊心を吐き出すと、晴彦は空を仰ぎながら、答えた。

「精神疾患は、他人に頭痛を引き起こしたりはできんもんなあ……」

そして、首を傾げる美耶に、続ける。

「それ言うなら、持衰だってそんな能力を持ってるとも思われんけど……。でも、美耶ちゃんは、どっちかっていうと、巫女さんに近いでしょ」

髪の毛長いし、と、根拠の浅い理由をこじつけて『精神病よりは生まれ変わりを信じる』と言ってくれる少年。

「……精神病だって思わなくてもいいの?」

どうしても許容できない周囲の判断から、見苦しく逃げようと試みる美耶に、

「いいよ」

晴彦はあっさりと認めて、

「オレもそんなこと思ってないし」

と同意した。


※猿田彦の説明で書いた『外来の神』とは『日本にずっと住んでいた神ではなく、国外からやってきた神』という意味です。

※地蔵の姿を取る前の道祖神は『男女対』『男根』のような形を取ることがままありました。これは、生命を生み出す地母神(大地の神)を象徴したものだと考えられています。

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