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黒い神  作者: 小春日和
死者の想念
102/104

誤謬(ごびゅう) 1

 密集した常緑樹のわずかな切れ間から星が覗いていた。

 雪……やんだんや。

 晴彦はホッと息をつく。氷点下を示しているだろう外気は、あいかわらず刺すように冷たいが、晴れた夜空を見るのは精神的に救われる。


 祠のあった場所には残骸が散らばっていた。組みあげた石は四方に()かれ、鳥居だったものは、少年が補修に使った蔓が憎々しいとばかりに引きちぎられている。

 土台は下部の土から掘りくずされて、地中に半分埋まっていた。楽な労働でできることではない。蛇神に対する強い憎悪が見てとれた。

 葉月が、祠を構成していた石片の1つを持ちあげようとして、

「重いー。こんなの運べないよぉ」

と諦めた。元の祠の位置から3メートルほど離れた場所まで飛ばされたそれら。もし夢璃がやったのだとしたら、彼女には尋常でない筋力が備わっていることになる。

 御霊さんがとり憑いてるのはまちがいないみたい……。

 稲荷神社で崇志や美耶を襲った夢璃の能力は人外のものだった。けっきょく、夢璃から狐憑きを祓えたと思ったのは、晴彦の勘違いだったのだ。

「騙された……」

ぶちっと不満をこぼす少年に、葉月が、

「え? がんばったらちょっとは動くけど、本当に重いんだってば!」

と慌てた様子で言い訳した。


 同行者を祠のそばに残し、晴彦は周辺の藪に足を踏みいれた。平坦さを欠いてはいたが、ぬかるんだ地面は頑丈な下草の根が支えてくれている。滑る心配はなさそうだった。

「あたしも行っていい?」

1人で残される不安からか、何度もそう問う葉月に、

「んー……蛇でも出そうな雰囲気やから、駄目」

と少年は制した。実態の蛇は冬眠中だが、御霊と巫蠱の霊異の場と化したここでは、何が起こるかわからない。

 黒い蛇神の神体はそう大きなものではない。高さはせいぜい50センチ。しかも、長老の話によると破損が予想されるらしい。藪の中に捨てられているなら、この夜の中、探すのは困難だと思われた。

 ご神体がなくなってしまったことによって、蛇神さんはどれぐらいのダメージを被ったんやろ……。

 神体を隠した相手は御霊、と完全に定めて考える晴彦。巫蠱に対して憎しみを募らせている彼の怨霊は、最終的に巫蠱をどうしたいのだろうか。消し去ってしまいたいのだろうか。

 ……あれ?

 そう筋立てみて、初めて奇妙なことに気づく。

 御霊は、巫蠱のあまりにも強大な力に屈した人間だった。つまり、巫蠱のエネルギーの凄まじさをもっとも理解している立場とも言える。その御霊が巫蠱に対して『消滅』を願ったのなら、神体を隠したり破壊したり、などというちゃちなやり方で終わるだろうか。

 もし御霊さんが本気で巫蠱を退治しようとするなら、大祓まで待ってから行動するほうが得策のはず……。

 御霊自身の力が増し、巫蠱の力が減退する大祓。その状況で巫蠱に対しての攻撃をしかければ、少なくとも、神体を失っても未だ活動を続けている蛇神に対して、もっと有効なダメージを与えられる。

 もしかして、御霊さんのやりたいことは、巫蠱への『復讐』ではなくて……。

 巫蠱を弱らせて、自分の配下に取りいれる。それが目的だったとしたら。

 御霊さんは、もともと巫蠱を自分の思うように使おうとしていた人やもんな……。

 巫蠱の呪いの洗礼を受けて命を落とすことがなければ、御霊は巫蠱を一生……いや、『未来永劫』、下僕として使役しただろう。

 崇志や持衰の行動によって活性化した実母や夢璃たちの執念。その動きをチャンスと捉えて、巫蠱の獲得に再度意欲を見せた御霊。そんな図式が湧きあがるにつれ、少年の心はざわつく。

 ……御霊さん、いまさら何をする気なん……?

 人間の悪心を利用した荒魂だけに、警戒心も張りつめる。


 ひととおり見渡しても、やはり神体は見つからなかった。いったん仕切りなおすために、少年は祠の場所まで戻る。

 留守番をしているあいだに、葉月は美律子から電話を受けとっていたようだった。

「緑の光が見えなくなったって。よかったね」

と伝えて、顔をほころばせる。変化の意味はわからないが、怪現象が消えたのは、晴彦にとっても吉兆と捉えることができた。

「そっか。蛇神さん、落ちついたんかな」

と安堵して、少女の横の樹の根元に腰かける。

 父と石積の長老のほうは、何か収穫があっただろうか。持衰の発見のみならず、巫蠱の神体を見つけだす重要性にも思いが及んだ少年は、

「お母さん、お父さんたちのことは何も言ってなかった?」

と問うた。葉月は、

「ううん。それは何も言ってなかった」

と答えて。

 それから、

「あ、でも」

と続けた。

「晴くんにはもう1つ伝言があったよ。お稲荷さんの森の中で服の入ったバッグが見つかったんだって。マフラーとかトレーナーとかがいっぱい入ってたから、晴くんが持ちこんだものじゃないかなあって、お母さんが確かめたがってた」


 すっかり失念していたが、晴彦は、たしかに、早川家でかき集めた防寒具を持って出た。冷えきっているだろう兄の身を心配して。そして、それを持衰とともに境内に置きっぱなしにしておいた記憶がある。

 稲荷の森で発見されたということは、持衰がそこまで運んだのだろうか。考えられないことではない。寒がりの持衰は使い捨てカイロを愛用していた。バッグの中に忍ばせていたことは知っていたはずだ。

 それオレやと思う、と少年は肯定してから、葉月に告げた。

「今度お母さんから連絡があったら、そのバッグの中に、服だけやなくてはさみが入ってなかったか確かめといてくれる? あったらまちがいないから」

「うん、いいよ。……はさみ?」

行方不明者の探索に向かうには不向きな道具の携帯に、少女は首をかしげる。

「ああ、うん。ちょっと……」

苦笑いして言葉を濁す晴彦。

 単なる閃きだった。なぜ自分がそんな考えを持ったのかも説明できないほど、直感的なものだった。

 その思考の流れを整理するために、少年は葉月に目的を話す。

「はさみは、持衰さんの髪の毛を切ってしまうために持っていったん」


 美耶が自分の頭髪に深い愛着を持っていたことは、他人の葉月からでも充分に見て取れたことだったらしい。

「ええ!? 酷い、晴くん! 美耶さんの髪、勝手に切っちゃおうとしたの!?」

と即座に非難を浴びせ、自分の短く切りそろえた髪までを、なぜか晴彦の目から隠す。

「……そんなにむやみにはさみ使ったりせんから、怖がらんで」

バツが悪そうに頭を掻きながら、少年は順番に説明を始めた。

 神道ではいまでも万物に霊魂があると教えている。現代人よりもずっと信仰心の強かった古代人は、その思想を日常としていた。草木のような自然物に神が憑くという考えはもとより、衣類に使われる麻、食事道具の箸、人間の体の部位にさえも、超自然的な存在が在ると思っていたのだ。

 自分の眼球を指さして、

「たとえば目とか」

と羅列しはじめた少年を、少女は遮る。

「うん、覚えてる。他にも口とか骨とかがあるんでしょ? だから死んだ人の目を閉じさせたり口に詰め物をしたりするんだよね? 前に聞いた」

「お葬式のときの処理は見た目の問題もあると思うけどね」

と修正しつつ、晴彦は葉月の記憶力を褒めた。前回、この祠を訪れたときに、たしかにこの手の話をした覚えがある。

 髪の毛は肉体の中でも特に厳粛に扱われたものだった。『遺髪』という言葉が遺体から単独で表現されるように、死んでもなお故人の意志が宿っていると思われたのだ。巫女である持衰にとって、自分の肉体は同化した神と等しいもの。その中でも別格の髪の毛は、切ることすら憚られる大事な『神域』だったはず。

「だから、オレ、……もし持衰さんが蛇神さんを招魂してしまって、とり憑かれたようになったとしたら、髪の毛を切って、蛇神さんを切り離そうと思ったん」

少年は自らの解説で自分の思惑を再認識した。

 そう。晴彦は、持衰と蛇神を分離させる強制的な方法を、とっくに思いついていたのだ。

 葉月が感心したように言う。

「すごい、晴くん。蛇神なんか、晴くんにかかったらぜんぜん怖くないね」

それに対して、軽く照れ笑いを浮かべた少年は。

 でも、すぐに表情を暗くした。

「ただ……ちょっと心配なこともあるん」


 美耶の中に転生した持衰という魂。それは美耶と持衰が同一存在であるという意味を持つ。つまり、美耶が生きているかぎりは持衰も滅びることはない。美耶の肉体は持衰自身でもあるのだから。

 そこに蛇神が付属してきた。持衰に憑いてやってきた古代の地母神は、本来は生まれかわった持衰には不要なもの。だから切りすててしまってもかまわない。

 これが、晴彦が髪の毛とともに蛇神を切り離そうとした理屈である。が。

 少年は葉月に続きを語る。

「持衰さんが本当に美耶ちゃんとして転生してるんならいいん。けど……もし持衰さんが『転生』という形ではなくて、美耶ちゃんに『憑いている』としたら……。美耶ちゃんの中から蛇神さんを取りだすことは、もしかして持衰さん自身を捨ててしまうことにもなりかねん……」


 持衰には、美耶としての記憶の他に、転生した痕跡がなかった。1800年にわたって持衰としての個を保ちつづけてきたということなのだろう。

 古代においてもっとも強い信仰であった地母神を、死の間際に身内に入れた持衰。その魂は、人の限界を超え、数多の次元をさまよってもなお消滅も転生もしなかったのではないか。神として昇華した持衰には、もう人間としての営みは必要がなくなっていたのではないだろうか。

 それならば、なぜ、いま、持衰は美耶と同化したのか。その理由を、晴彦はこう推察する。

「持衰さんの魂がここに留まったのは、持衰さんの中の蛇神が、ここの巫蠱と感応しあったからと違うかな?」

 持衰の内包する『カガ神』は、持衰の時代において『丁重に祀らねば祟る』祟り神であった。だから持衰たちは『神の機嫌を取るための供物』として葬られなければならなかったのだ。その性質は巫蠱とも類似する。巫蠱も強大な力を特定の人間に与えるために生命を搾取するからだ。

「この丘の神さんがただの蛇神さんやったんなら、信仰も薄れてしまってるし、持衰さんの中のカガ神を喚ぶほどの力はないように思えたん。でも本当は巫蠱やったから。それならカガ神が引きよせられても無理ないかなって」

少年はそう結ぶ。

 しかも、巫蠱とカガ神の共通点はこれだけではない。晴彦の知るところではないが、巫蠱の贄となった子どもたちは、土の中に埋もれて身を溶かした。持衰も、四肢を断たれたあとに埋められた。贄としての彼らもまた、よく似た境遇を辿っているのだ。

 同質の祟り神同士の牽引力。それに巻きこまれて『現世に生まれてしまった』持衰。本来は人として晴彦たちと出会うはずのない、さまよえる神霊。

 でも。

 少年は思う。「『おれ』は消えたくない」と現世に執着を見せていた持衰は、神として孤高の高みに昇ってしまうには、まだ早いのではないか、と。

「いまとなっては、もう、『生まれたのがまちがってたからいなくなっていい人』ではないからな、持衰さんは……」

早川家にとっても、自分にとっても、無に帰してしまうには哀しいその存在を想い、少年は目を伏せる。


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