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黒い神  作者: 小春日和
死者の想念
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正道

 街灯に照らされた夜気に大粒の雪が映える。

 後部座席に収まった晴彦は、もうすぐ見えてくるはずの蛇神の丘に、軽い緊張を覚えた。

 母はさっきから断続的な質問をくりかえす。

「崇志はどうしてお稲荷さんなんかに行ったのかしら?」

「京都に行かずに喧嘩なんかしていたのはなぜ?」

「東海林さんが蛇の神様を壊しちゃったって、本当?」

「持衰ちゃんは美耶を守ってくれるかしら……」

 ほとんどの問いに『さあ……』『たぶん……』しか返せない少年は、それでも自分の直感に自信を持っているふりをした。

「崇志兄と持衰さんは、蛇神さんを元に戻したら、きっと見つかります。……巫蠱の神さんやって、祟る相手と違う相手ぐらいわかるはず」

「そうね……」

蛇神の成り立ちをかいつまんで聞いていた母は、理不尽な復讐に向かってしまう巫蠱の贄たちの気持ちにも同調して、

「可哀想に……」

と呟いた。


 石積邱の前に車を停めてもらった晴彦は、父や母よりも早く降車して、長老の待つ玄関先に走った。

 途中で電話連絡をしたかぎりでは、長老は快く探索を引きうけてくれた。妙なことに巻きこんだ謝罪も含めて、最初にしっかりと礼をしておきたかったのだ。

 80に近い長老は、この極寒の中、相変わらずの作務衣1枚という出で立ちで戸口の外に立っていた。晴彦を見つけると、顔をほころばせて、閉めきっていた玄関戸を開く。

「葉月、晴彦くんが来たよ」

その一言で急に賑わしくなる屋敷。

「ほんとっ!? ちょっと待って。すぐに出るから!」

ショートカットの少女は、転びそうになりながら、少年の前に進みでた。

「蛇神様を探しに行くんだってね。あたしも行く! 連れてって!」

「えっ!?」

思いがけない依頼に面食らう少年。


 すでに厚着をして外出の準備を完了している少女を、早川の母、それから石積の老女が(たしな)めた。

「もう夜中よ。公園の中は街灯もなくて暗いわ。ここで待っていましょう」

「モレヤさんに神隠しされたらどうする!? 家の中でおとなしくし!」

が、葉月は晴彦の腕に巻きついて舌を出す。

「このままお祖母ちゃんの説教を聞きつづけるぐらいなら、晴くんと行方不明になったほうがマシよ。晴くんは蛇なんか怖くないんだから。お祖母ちゃんがいくら脅かしたって平気なんだからね!」

内心では『いや、オレも平気ではないんやけど……』と弱音を吐いた少年は、でも表面に出すわけにも行かずに、頭を掻いている。

 葉月を連れていくことにメリットは……なくはない。晴彦、父、長老と探索者はすでに3人いるが、深夜の山中という状況を考えると、単独行動は控えたい。とすれば3人で固まって動くことになってしまう。葉月が加われば2人と2人のグループで分かれることができる。

 もちろん、その際に葉月を請けおうことになる晴彦の責任は膨らむが。

 長老が、それぞれの立場を譲らない女性たち3人に、助言する。

「葉月と晴彦くんには遊歩道沿いを探してもらおう。それなら道も整備されているから、谷に迷いこむこともないだろう」

「谷、というと」

父が隣で口を挟んだ。

「公園の裏手にある沼のあたりのことですか? あのへんはかなり高度が下がっていたような……」

美耶が瀕死で見つかった場所のことを言っているのだろう。長老は頷く。

「モレヤさんはもともとその沼に沈められて封じられていた。その扱いではあまりだろうと、儂の祖父が引き揚げて今の祠にお祀りしたんだ」


 父の車で自然公園の駐車場まで来た4人は、降ったりやんだりをくりかえす雪に白い溜息を吐きながら、遊歩道に歩を進めた。

 無言の長老や父と比較して浮かれた様子の葉月は、自分のすぐ後ろ、最後尾を守る晴彦に、ポケットから取りだしたカードサイズの紙を渡す。

「神様の祟りから守ってもらうために荼吉尼天(だきにてん)を描いてきたの。ちゃんと真言も写したんだよ」

少年が手持ちの懐中電灯で照らすと、白い狐に乗った耽美な面持ちの女仏が、紙面で身をくねらせていた。思わず笑みがこぼれる。

「ありがとう。荼吉尼さんの真言札を、オレ、破ってしまったから、御霊さんに憑かれている東海林さんにはナメられるやろうなって思ってた。心強いよ」

礼を言うと、さらにごそごそと数枚の紙片を出した葉月は、

「あたしはこれ! 十二神将様!」

かなりデフォルメされた闘神たちのイラストを自慢げに掲げてみせた。

 場違いの躁狂に父と長老からも哄笑が鳴る。


「それじゃあここからは別行動で」

長老と父が、うっすらと残る獣道に分け入ったのを見届けたあと、晴彦は先導を自らに課して、さらに上にある蛇神の祠に向かった。

 美耶が犯罪に巻きこまれた沼に向かった長老と父。早川家で聞いた限りでは、葦に囲まれた陰気な湿地帯らしい。蛇神は神というより怨霊。霊魂が水辺に集まる、というのは、よく聞く。

 巫蠱も稲荷の御霊さんもみんなそっちに集まっているとしたら、持衰さんも見つかるかもしれん。でも……。

 1度死にかけた場所に誘われた持衰の心情を思って、少年の気は塞ぐ。

 心細いやろうな、持衰さん……。

 崇志がついていてくれることを切実に願う。


「ねえ晴くん。蛇神様が祟るのは酷い目に遭って怒ってるからだってわかるけど、お稲荷さんが祟るのっておかしくない?」

視界の確保に集中して黙りこんでいた晴彦に不安を覚えたのか、葉月は、心細さをむりやり押しこめているとはっきりわかる明るい声で、そう聞いた。

「だって蛇神様を作ったのがお稲荷さんなんでしょ? だったら何に対して怒ってるの?」

「御霊さんも止むに止まれん事情があったんかもしれんね」

少年は巫蠱を施してしまった御霊の立場を推察する。


 安土桃山。織田信長が栄華を謳歌していた時代。

 ここらへんは織田家の同盟国だったはず……。

 信長と親交の深かった英傑の治めていた領地。おそらく適度な気候と水源によって、作柄に恵まれていた土地。その場所が呪術によってケガレチとなれば、領主ばかりでなく、同盟国の信長にも警戒心を与えることができる。

 もし御霊さんが、信長の失速を狙ったとしたら……。

 晴彦がそんな考察をしたのには理由があった。

 稲荷の御霊が巫蠱の力の源とするために持ちこんだ黒曜石の蛇神。この黒曜石は長野県の諏訪の地からもたらされた。安土桃山時代当時、諏訪は、織田の敵であった武田家が治めていたのだ。


「だけど、信長って怨霊なんか怖がるタイプなの? むしろ人殺しも平気でやりそう」

一般的に『冷酷』『合理主義』『非情』と謳われる織田信長の性質を鑑みて、葉月は首を傾げる。

 信長に限らず、常に殺戮の中に身を置く武人たちに『死者への恐怖があった』と見るのは滑稽なことかもしれない。だが、意外なことに彼らは怨霊の報復を恐れた。鎌倉期以降の武士の間に観音信仰が盛んになったことからも、それは証明されるだろう。仏に荒魂の成仏を祈り、己の罪を軽くしてもらおうとの画策。

 牧村が例に出していた『井上内親王』についても同じことが言える。巫蠱を行ったという疑惑から皇后の地位を引きずりおろされた彼女は、ひっそりと暗殺されたあと、祟りを恐れた後世の人々から手厚く奉じられた。

 本来は、自らの悪行を改めることによって、殺してしまった相手に許しを請うのが『供養』である。それなのに、己は何も変わることなく、金を積んで安っぽい救済のみを求める愚者の行動は、残念ながら現代でも往々にして見うけられる。

 信長が武田討伐のために諏訪の地で行った残虐な行為を、少年は説明した。

「諏訪湖の排水口を堰きとめて、諏訪湖そのものを氾濫させたん。だから、諏訪の町に住んでいた何の関係もない人たちが、浸水によって水没したんや」

その状況を記した『小平物語』にはこう記されている。『諏訪中が水びたしとなり、郷村の民屋は浮き流れ、蛇蟲犬鼠は人間とともに命を争う。地獄のごとし』。地獄のごとし、と。


 信長によって理不尽に殺された諏訪の民。その彼らの生き残りが織田への復讐を誓ったとしても不思議ではない。

 実際に巫蠱を行った御霊は、牧村の話によると日本人ではなかったようだ。だが、もともと巫蠱は大陸から伝承された呪術。諏訪の神域にひっそりと住みついていた大陸人が、諏訪の民の願いを聞きいれて、織田に関連した土地に毒を撒き散らそうとした。そう無理のある理屈ではないだろう。


「そうやって考えると、お稲荷さんも被害者だったんだね……」

葉月が神妙に感じ入る。巫蠱を作らざるをえないほど追いつめられたとしたら、御霊も時代の犠牲になった人間には違いない。

 だが。

 御霊のやったことは、武人への報復でもなんでもない。もっとも弱く、もっとも攻撃してはいけない存在への八つ当たりなのだ。

「オレの推察が当たっているとしたら、御霊さんに同情する部分もたしかにある。でも、オレは、御霊さんは、やっぱり卑怯な人やと思う」

晴彦は断じた。

 のどかな田舎に降ったイナゴという災難を利用し、よりによって子どもたちを贄とした。そこにどんな理由が潜んでいるのであれ、実行した御霊に肯定されるべき理由はない。

 そっと横に寄りそった葉月が、少年を見つめながら、言った。

「……あたし、もし戦国時代に生まれるとしたら、晴くんが領主様をやってる地域に行きたいな。間違ったことは絶対にしなさそう」

「えー……」

答えに詰まった晴彦は、頭を掻きながら、眉を寄せる。

「でも、武力を用いずに国の安泰を図るとしたら、身内を人質に差しだすか、政略結婚の道具にするしかないと思うんやけど……葉月ちゃん、やってくれる?」

少年の筋の通った感性に尊敬の念を抱きはじめていた少女は、その一言で、

「馬鹿」

と信頼をとりさげた。


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