婚約破棄は、こちらでは受け付けておりません
「ヴェルネッタ・ローディア! お前との婚約を破棄する!」
王宮の大広間に、王太子オルディスの声が響いた。
その場にいた貴族たちは、手にしたグラスを止めた。
楽団の演奏も止まった。
壁際に並んでいた侍女たちが、互いの顔を見合わせる。
そして、名指しされた侯爵令嬢ヴェルネッタ・ローディアは、静かに一礼した。
「承知いたしました」
「……何?」
「婚約破棄、承知いたしました」
オルディスは眉をひそめた。
「お前は、何も言わないのか?」
「何か申し上げる必要がございますか?」
「あるだろう! 私は今、お前との婚約を破棄すると宣言したのだぞ!」
「はい」
「はい、ではない!」
ヴェルネッタは首を傾げた。
「では、いいえと申し上げればよろしいのでしょうか?」
「そういう問題ではない!」
オルディスの隣に立つ女性が、彼の袖をそっと引いた。
マノン・リュゼール。
近頃、王太子が頻繁に王宮へ招いている伯爵令嬢である。
「殿下。あまり大きな声を出されては……」
「マノン、心配するな。これは私とヴェルネッタの問題だ」
「ですが……」
「お前は何も心配する必要はない」
オルディスはマノンに微笑み、それからヴェルネッタへ向き直った。
「ヴェルネッタ。お前は王太子妃にふさわしくない。マノンのように、私を支えてくれる女性こそが必要なのだ」
「そうですか」
「そうだ!」
「では、こちらをお願いいたします」
ヴェルネッタは、手にしていた書類の束を差し出した。
オルディスはそれを見た。
書類の一番上には、丁寧な文字でこう書かれていた。
『王太子との婚約解消申請書』
「……何だ、これは」
「婚約解消の申請書でございます」
「なぜお前が持っている?」
「必要になると思いまして」
「必要になると思った?」
「はい」
「いつからだ!」
「三か月ほど前からです」
大広間がざわついた。
オルディスは書類を受け取ろうとしたが、途中で手を止めた。
「待て。婚約を破棄すると言ったのは私だ。手続きは私が決める」
「もちろんでございます」
「ならば、書類は後日提出すればよい」
「本日中に提出する予定でございましたが」
「後日だ!」
「承知いたしました」
ヴェルネッタは書類を引っ込めた。
そして、別の紙を差し出した。
「では、こちらをお願いいたします」
「まだあるのか!」
「婚約破棄に伴う業務引き継ぎ確認書でございます」
オルディスは紙を見た。
「……業務引き継ぎ?」
「はい。殿下が私にお任せになっていた業務について、今後の担当者を決める必要がございます」
「そんなものは後でよい!」
「では、後日」
「そうだ!」
「承知いたしました」
ヴェルネッタは書類をしまった。
そして、もう一度一礼した。
「それでは、私は失礼いたします」
「待て!」
オルディスの声が、再び大広間に響いた。
「どこへ行くつもりだ!」
「帰宅いたします」
「まだ舞踏会の途中だぞ!」
「婚約破棄された身で、殿下の隣に立ち続ける理由がございませんので」
「……」
「それでは皆様、ごきげんよう」
ヴェルネッタは大広間を出ていった。
扉が閉まる。
楽団は演奏を再開した。
オルディスは、手元に残った書類を見つめていた。
その表紙には、こう書かれていた。
『婚約破棄に伴う業務引き継ぎ確認書』
「……何なのだ、これは」
マノンが小さく首を傾げた。
「殿下。ヴェルネッタ様は、何をなさっていたのでしょう?」
「知らん!」
オルディスは書類を近くの侍従へ渡した。
「こんなもの、適当に処理しておけ!」
侍従は書類を受け取った。
「承知いたしました」
その侍従は、翌朝、王宮の第一窓口へ向かった。
そして、書類を提出した。
「こちらの書類は、婚約解消申請書ではございません」
窓口の職員は、書類を一枚ずつ確認して言った。
「婚約破棄の届け出でございます」
「婚約破棄と婚約解消は違うのですか?」
「はい。王族との婚約の場合、通常の婚約解消とは手続きが異なります」
「では、どちらへ?」
「第二窓口へお願いいたします」
侍従は書類を抱え、第二窓口へ向かった。
そこで、別の職員に言われた。
「こちらは王太子殿下ご本人の署名が必要です」
「署名はございますが」
「こちらは代理人の署名でございます」
「……」
「殿下ご本人の署名をお願いいたします」
侍従は王宮へ戻った。
オルディスは執務室で、マノンと茶を飲んでいた。
「殿下。婚約破棄の手続きについて、署名をお願いしたいのですが」
「何だ、今か?」
「はい」
「後にしろ」
「ですが、書類の提出ができませんので」
「ならば、明日でよい」
「承知いたしました」
侍従は頭を下げた。
その翌日、再び署名を求めた。
「殿下。こちらに署名をお願いいたします」
「……何の書類だったか?」
「婚約破棄の届け出でございます」
「まだやっているのか!」
「はい」
「そんなもの、もう済んだ話だろう!」
「手続きが完了しておりませんので」
「……」
オルディスは書類を受け取った。
署名欄に名前を書き、侍従へ返した。
「これでよいのだろう?」
「ありがとうございます」
侍従は頭を下げ、第二窓口へ向かった。
職員は書類を確認した。
「こちらの書類は、婚約破棄の届け出でございますね」
「はい」
「では、こちらの添付書類が不足しております」
「……何が足りないのでしょう?」
「婚約破棄の理由書でございます」
「理由書?」
「はい。王太子殿下が婚約破棄を宣言された理由を、書面で提出していただく必要がございます」
侍従は王宮へ戻った。
そして、オルディスへ報告した。
「殿下。婚約破棄の理由書が必要とのことでございます」
「理由書?」
「はい」
「理由なら、舞踏会で言っただろう!」
「書面での提出が必要とのことでございます」
「……」
オルディスは机を叩いた。
「なぜ、こんな面倒な手続きをしなければならないのだ!」
「王族との婚約でございますので」
「……」
「殿下、理由書の作成をお願いいたします」
「お前が書け!」
「私は婚約破棄の当事者ではございませんので」
「……」
オルディスは、しばらく侍従を睨んでいた。
やがて、紙を引き寄せた。
『婚約破棄の理由』
その下に、彼はこう書いた。
『ヴェルネッタが王太子妃にふさわしくないため』
侍従は書類を受け取った。
「ありがとうございます」
そして、第二窓口へ向かった。
職員は書類を読んだ。
「……こちらでは受理できません」
「なぜでございますか?」
「理由が不明確でございます」
「ふさわしくない、と書かれておりますが」
「具体的な理由が必要でございます」
「……」
「第三窓口へお願いいたします」
侍従は第三窓口へ向かった。
そこで、別の職員に言われた。
「こちらは婚約破棄の理由書ではなく、王太子妃候補者の選定に関する書類でございます」
「……」
「婚約破棄の理由書は第二窓口へお願いいたします」
侍従は第二窓口へ戻った。
「先ほど、第三窓口へ行くように言われましたが」
「こちらでは受理できません」
「……」
「第四窓口へお願いいたします」
侍従は第四窓口へ向かった。
そこでは、職員が書類を確認した。
「こちらは王太子殿下の婚約破棄に関する書類でございますね」
「はい」
「では、王族婚姻管理局へお願いいたします」
「……王族婚姻管理局?」
「はい。王宮の西棟にございます」
侍従は書類を抱え、王宮の西棟へ向かった。
王族婚姻管理局は、王宮の西棟の奥にあった。
扉には大きな看板が掲げられている。
『王族婚姻管理局』
その下に、小さな紙が貼られていた。
『婚約破棄に関するお問い合わせは、第二窓口へ』
侍従はしばらく看板を見つめた。
そして、王宮の第二窓口へ戻った。
「……こちらでは受理できません」
職員は、先ほどと同じ言葉を口にした。
「では、どちらへ?」
「王族婚姻管理局へお願いいたします」
侍従は、書類を抱えたまま立ち尽くした。
その日の夕方、オルディスは執務室で報告を受けた。
「……まだ終わらないのか?」
「はい」
「なぜだ!」
「窓口を回っておりますが、受理されません」
「……」
「明日も、手続きを続ける予定でございます」
オルディスは頭を抱えた。
「もうよい! 私が行く!」
翌朝。
王太子オルディスは、書類を抱えて王宮の第一窓口へ向かった。
窓口の職員は、彼を見て立ち上がった。
「王太子殿下!」
「この書類を受理しろ!」
「恐れ入りますが、こちらの書類は婚約破棄の届け出ではございません」
「婚約破棄の届け出だ!」
「婚約解消申請書でございます」
「同じだろう!」
「異なります」
「……」
「第二窓口へお願いいたします」
オルディスは第二窓口へ向かった。
「こちらの書類は、殿下ご本人の署名が必要です」
「私が署名した!」
「こちらは署名欄が空欄でございます」
「……」
オルディスは書類を見た。
確かに、署名欄は空欄だった。
彼はその場で署名した。
「これでよいな!」
「ありがとうございます。では、こちらの添付書類が不足しております」
「……何だ!」
「婚約破棄の理由書でございます」
「理由書なら、昨日提出した!」
「こちらには添付されておりません」
「……」
オルディスは、書類の束をめくった。
理由書は、確かに入っていなかった。
「……どこへ行ったのだ!」
「お手元の書類をご確認くださいませ」
「……」
オルディスは書類を抱え直した。
そして、執務室へ戻った。
「理由書を持ってこい!」
侍従が慌てて書類を探した。
机の引き出し。
書棚。
書類箱。
執務室の隅。
そして、ようやく見つかった。
「殿下。こちらでございます」
オルディスは書類を受け取った。
「よし。これで終わりだ!」
彼は第二窓口へ向かった。
職員は書類を確認した。
「こちらの理由書には、具体的な理由が記載されておりません」
「……」
「『王太子妃にふさわしくない』という理由だけでは、受理できません」
「では、何を書けばよいのだ!」
「具体的な事実をご記入くださいませ」
「……」
オルディスは書類を見つめた。
そして、ペンを取った。
『ヴェルネッタは、私の婚約者としてふさわしくない』
「……」
「殿下。こちらは先ほどと同じ内容でございます」
「……」
「具体的な事実をご記入くださいませ」
オルディスはペンを置いた。
「……もうよい!」
彼は窓口を離れた。
その日の午後。
ヴェルネッタは、実家の屋敷で紅茶を飲んでいた。
窓の外には、庭師が手入れをしている庭が広がっている。
テーブルの上には、焼き菓子が並んでいた。
「お嬢様。王宮から使いが参りました」
侍女が告げた。
「何の用でしょう?」
「婚約破棄の手続きについて、確認したいことがあるとのことでございます」
「そうですか」
ヴェルネッタは紅茶を一口飲んだ。
「では、こちらの書類をお渡しください」
彼女は机の引き出しから、一枚の紙を取り出した。
『婚約破棄に伴う業務引き継ぎ確認書』
その下には、細かい文字で業務内容が列挙されていた。
王太子の予定管理。
王太子の執務補助。
王宮内の各部署との連絡。
貴族との会談準備。
会議資料の作成。
王太子の食事の手配。
王太子の衣装の確認。
王太子の忘れ物の回収。
王太子の……
「……お嬢様」
侍女が紙を見つめた。
「こちらは、すべてヴェルネッタ様がなさっていたのですか?」
「はい」
「……」
「殿下が婚約破棄をなさるのであれば、今後はご自身でなさる必要がございます」
侍女は紙を受け取った。
「承知いたしました」
その翌日。
王宮の執務室に、業務引き継ぎ確認書が届けられた。
オルディスは、それを見た。
「……何だ、これは」
侍従が説明した。
「ヴェルネッタ様からの書類でございます」
「……業務引き継ぎ?」
「はい。婚約破棄に伴い、今後の担当者を決めていただく必要があるとのことでございます」
オルディスは書類をめくった。
「……こんなにあったのか?」
「はい」
「……」
「殿下。こちらの業務は、今後どなたが担当なさいますか?」
「……」
オルディスは、書類を机に置いた。
「……後で考える」
「承知いたしました」
侍従は頭を下げた。
その翌日。
王太子の予定が、執務室の壁から消えた。
正確には、予定表を作成していたヴェルネッタがいなくなったため、誰も予定表を作成していなかった。
オルディスは朝、執務室に入った。
「今日の予定は?」
侍従が答えた。
「……確認中でございます」
「確認中?」
「はい。ヴェルネッタ様が作成されていた予定表がございませんので」
「……」
「会議の時間も、訪問者の予定も、まだ確認できておりません」
オルディスは机を叩いた。
「なぜだ!」
「ヴェルネッタ様がいらっしゃいませんので」
「……」
「殿下。まずは、こちらの書類をご確認くださいませ」
侍従が書類を差し出した。
オルディスは受け取った。
「……何だ?」
「昨日、各部署から届いた書類でございます」
「……」
「こちらもございます」
「……」
「こちらも」
「……」
机の上に、書類が積み上がった。
オルディスは、その山を見つめた。
「……ヴェルネッタは、いつもこれを処理していたのか?」
「はい」
「……」
「殿下。こちらの書類は、本日中にご確認いただく必要がございます」
オルディスは書類を一枚手に取った。
そして、目を通した。
「……何が書いてあるのだ?」
侍従は答えた。
「王都の水路整備に関する報告でございます」
「……」
「こちらは、地方貴族からの陳情でございます」
「……」
「こちらは、来月の式典に関する資料でございます」
オルディスは、書類を机に戻した。
「……ヴェルネッタを呼べ」
侍従は一礼した。
「承知いたしました」
その日の午後。
ローディア侯爵家に、王宮から使いが訪れた。
「ヴェルネッタ様。王太子殿下がお呼びでございます」
ヴェルネッタは、読んでいた本を閉じた。
「何の用でしょう?」
「執務の補助をお願いしたいとのことでございます」
「……」
「殿下は、ヴェルネッタ様に戻ってきていただきたいと」
ヴェルネッタは、静かに首を振った。
「お断りいたします」
使いは目を見開いた。
「……ですが」
「私は婚約破棄された身でございます」
「……」
「王太子殿下の執務を補助する理由はございません」
「……」
「それでは、ごきげんよう」
ヴェルネッタは本を開いた。
使いは頭を下げ、王宮へ戻った。
オルディスは報告を受けた。
「……断られた?」
「はい」
「なぜだ!」
「婚約破棄された身であるため、とのことでございます」
「……」
オルディスは、しばらく黙っていた。
そして、机の上の書類を見た。
「……もう一度、呼べ」
「承知いたしました」
翌日。
王宮から、再び使いが訪れた。
「ヴェルネッタ様。王太子殿下がお話をなさりたいとのことでございます」
「何のお話でしょう?」
「婚約破棄について、改めてお話をしたいとのことでございます」
ヴェルネッタは、少し考えた。
「では、こちらの書類をお渡しください」
彼女は、また一枚の紙を取り出した。
『婚約破棄に関する追加確認書』
使いは書類を受け取った。
「……こちらは?」
「婚約破棄の手続きが完了していないため、確認事項がございます」
「……」
「王太子殿下にご確認いただき、必要事項をご記入のうえ、第二窓口へ提出していただくようお願いいたします」
使いは書類を抱え、王宮へ戻った。
オルディスは書類を見た。
「……またか!」
書類には、こう書かれていた。
『婚約破棄後の業務担当者について』
『婚約破棄後の王太子妃候補者について』
『婚約破棄後の王宮内における権限について』
『婚約破棄後のヴェルネッタ・ローディアへの業務依頼について』
オルディスは、最後の項目を見た。
「……業務依頼?」
侍従が答えた。
「はい。婚約破棄後、ヴェルネッタ様へ業務を依頼される場合は、別途契約が必要とのことでございます」
「……」
「殿下。こちらにご署名をお願いいたします」
オルディスは書類を見つめた。
「……私は、ヴェルネッタに仕事を頼んではいけないのか?」
「婚約破棄後は、婚約者としての義務がございませんので」
「……」
「業務を依頼される場合は、契約が必要とのことでございます」
オルディスは、書類を机に置いた。
「……わかった」
彼はペンを取った。
そして、署名欄に名前を書いた。
「これでよいのだろう?」
「ありがとうございます」
侍従は書類を受け取った。
そして、第二窓口へ向かった。
職員は書類を確認した。
「こちらの書類は、業務依頼契約書でございますね」
「はい」
「では、こちらの契約内容をご確認くださいませ」
侍従は書類を見た。
『業務依頼者:王太子オルディス』
『業務受託者:ヴェルネッタ・ローディア』
『業務内容:王太子の執務補助』
『報酬:未記入』
「……」
職員は言った。
「報酬が未記入でございます」
侍従は王宮へ戻った。
「殿下。報酬の記入が必要とのことでございます」
「報酬?」
「はい。業務を依頼される場合、報酬を定める必要がございます」
オルディスは眉をひそめた。
「……報酬など、必要なのか?」
「はい」
「……」
「ヴェルネッタ様は、婚約者ではございませんので」
「……」
オルディスは、しばらく考えた。
そして、書類にこう書いた。
『報酬:王宮における食事および宿泊場所の提供』
侍従は書類を受け取った。
「……殿下」
「何だ?」
「こちらでは、受理されないかと存じます」
「なぜだ!」
「業務内容に対して、報酬が不明確でございます」
「……」
「また、ヴェルネッタ様が王宮に滞在されることを前提としております」
「……」
「ヴェルネッタ様は、すでに王宮を離れておられますので」
オルディスは、机を叩いた。
「……もうよい!」
その日の夕方。
王宮の執務室に、マノンが訪れた。
「殿下。お疲れのようですね」
「……マノン」
「何かございましたか?」
オルディスは、書類の山を見つめた。
「……ヴェルネッタがいなくなった」
「はい」
「……」
「……」
「……仕事が終わらない」
マノンは、机の上の書類を見た。
「……こちらは、すべて殿下のお仕事ですか?」
「そうだ」
「……」
「……」
マノンは、書類を一枚手に取った。
「こちらは、どのように処理すればよろしいのでしょう?」
オルディスは答えた。
「……ヴェルネッタに聞け」
マノンは、書類を机に戻した。
「……」
「……」
「殿下」
「何だ?」
「ヴェルネッタ様に、お戻りいただいてはいかがでしょうか?」
オルディスは、顔を上げた。
「……そうだな」
彼は立ち上がった。
「よし。ヴェルネッタを呼べ!」
侍従が慌てて答えた。
「殿下。先ほど、ヴェルネッタ様から書類が届いております」
「……何だ?」
侍従は、一枚の紙を差し出した。
『婚約破棄後の業務依頼に関する回答書』
オルディスは、それを受け取った。
書類には、こう書かれていた。
『王太子オルディス殿下からの業務依頼について、以下のとおり回答いたします』
『現在、私は婚約破棄後の自由な生活を満喫しております』
『そのため、王太子殿下の執務補助をお引き受けする予定はございません』
『なお、業務依頼をご希望の場合は、正式な契約書を作成のうえ、第二窓口へご提出ください』
オルディスは、書類を握りしめた。
「……ヴェルネッタ!」
その声は、王宮の廊下に響いた。
しかし、ヴェルネッタはすでに王宮の外にいた。
彼女は馬車に乗り、窓の外を眺めていた。
「お嬢様。これからどちらへ向かわれますか?」
侍女が尋ねた。
「そうですね」
ヴェルネッタは、少し考えた。
「まずは、隣国へ旅行に行きましょう」
「隣国でございますか?」
「はい。ずっと行きたいと思っておりましたので」
「……」
「それから、帰ってきたら本を読みます」
「……」
「そして、何もしません」
侍女は微笑んだ。
「素晴らしいご予定でございます」
馬車は、王都の門を抜けた。
その頃、王宮では。
オルディスが、第二窓口へ向かっていた。
「この書類を受理しろ!」
職員は、書類を確認した。
「こちらの書類は、業務依頼契約書でございますね」
「そうだ!」
「報酬が未記入でございます」
「……」
「報酬をご記入のうえ、再度ご提出くださいませ」
「……」
オルディスは、書類を抱えたまま立ち尽くした。
そして、職員は静かに言った。
「次の方、どうぞ」
王太子の婚約破棄は、まだ受理されていなかった。




