リーゼは特別な女の子
「お姉ちゃん達早く来ないかな、ってヒューバートが言っているの」
「ヒューバートじゃなくて、フィオナがそう思っているんでしょ。心配しなくても、もうすぐみんな来るから」
ヒューバートはくまのぬいぐるみである。村に住んでいるリーゼという女の子がまだ子供の頃、両親によって贈られて以来、ずっと大切にされている幸せな身の上だ。窓辺においてもらい、ありがたい事に村の子供達の人気者でもあった。
えへへ、と本音を姉のリーゼに見透かされたフィオナが、照れ笑いを浮かべながらヒューバートを抱え直した。
ようやく涼しくなった夕方、二人の女の子は家の外に出て座っている。柵や木箱が並べられていて、子供達が集まるのに便利だった。
「お姉ちゃん、今日から夏至祭りの練習頑張ってね」
恒例の季節行事に、リーゼは今年からはもう楽しむだけでなく、運営する側に回らなくてはいけない。祭りの主役は何と言っても聖歌隊、年頃の女の子達にとって晴れ舞台である。上手な子は数名がソロとして選抜されるけれど、それは来年以降の話だろう。初めての年は雰囲気と役回りを覚え、次からは教える側の役目を期待されていた。
「リーゼ、フィオナにヒューバートまで、こんばんは」
「あ、来た来た!」
その第一回の打ち合わせが今夜教会で行われるので、一番近いリーゼの家に一度集まってから向かう手筈になっていた。姉妹がおしゃべりしている間に一人、二人と友人達が姿を見せ始めている。フィオナは姉の友人達にちやほやしてもらうため、ぬいぐるみのヒューバートを抱えて準備万端だ。リーゼは妹の様子に苦笑しつつ、集まった友人達と今後の展望について言葉を交わしている。
真面目で優しいリーゼは、もちろん良い物にしたいという熱意がある。しかし少し緊張と憂鬱な気分でもあると、親友のヒューバートにだけはこっそり教えてくれた。毎年、聖歌隊の指導はそれなりに厳しいので有名だ。いつもは温厚な祭司夫妻の奥さんが、とても熱心に指導してくださるのである。彼女の技量は街の聖歌隊でも有名だったらしい。そこに上級生の女の子達に加わって、自分達も来年には後進を厳しく育成するため張り切っているのだろうか、と誰かが呟いた。
「どう? みんな集まった?」
「……おおい、こんばんは。お、ヒューバートもいる」
ヒューバートはちゃっかり子供達の中へ入れてもらい、話に耳を傾けていた。フィオナもお姉さん気分でにこにこしている。色々な子に順番に抱っこしてもらい、一周してリーゼの隣に戻った頃、ぞろぞろとやって来たのは、同い年の少年達だった。よう、と幼い頃からの習慣として何人かがぬいぐるみにも挨拶してくれたので、ヒューバートも彼らには聞こえないのはよくわかっていても、やあ、と明るく返事しておいた。
夏祭りにおいて、彼らは聖歌隊ではなく裏方で雑用にこき使われる流れであるらしい。一応、夏至祭りで使用する花飾りのついた背の高い支柱飾りを作るという大変名誉な役回りが用意されている。
「そっちが招集されるのは、明日からじゃなかった?」
「そうそう。そうだけど、リーゼが全員来て欲しいって言うから」
「リーゼが? 何かあるの?」
「うん、ケビンがみんなを集めて欲しいって。用件までは聞いていないけれど。そろそろ来る頃だと思う」
ぬいぐるみと並んで座ったままのリーゼの説明に、みんなは顔を見合わせた。そうなんだ、と誰かが反応し、女の子達と男の子達の間になんとなく気まずい空気が流れた。
昔は分け隔てなく遊ぶ仲だった。けれどみんな大人になって、そしてまだ子供っぽさも残っているというわけである。ケビンという、みんなのまとめ役が街の学校へ通うようになって不在の時間が多いのも影響しているに違いない。
去年の秋の終わり頃にひと悶着あって、表面上は彼のとりなしで和解した事になっていた。けれど年頃になってお互い異性の動向には敏感で、昔のようにはいかないらしい。事情を知らないフィオナだけが不思議そうな顔で、両者の顔を見比べていた。
「……ケビンの奴、なんだろうな? お土産でも配ってくれるのかな」
「ほとんど毎週末帰ってきているのに、クリスマスの時に小さいお菓子を配ったくらいで、そんな気前のいい話は今までなかったじゃないか」
「……」
リーゼは不自然に瞬きして、ぬいぐるみのヒューバートの手をこっそり触った。リーゼとケビンの二人は諸事情により、ヒューバートも加えた三人で、子供の頃から一番の仲良しである。街の学校へ彼が通うようになっても変化はない。むしろ積極的ですらあった。
ケビンはリーゼのところへ顔を出し、街で手に入れたものか、もしくはお父さん経由、そしてケビンの妹エルマが焼き菓子を作るのを手伝って、毎回何かしら持参している。
ヒューバートの可愛いご主人様は私にはくれる、と自慢する気質ではないため、沈黙を貫いた。
何しろこの場にいる同級生は合わせて二十名近く。毎回全員に配っていては学業の傍ら街の服飾店を手伝って小遣いを稼ぐケビンであっても、流石に破産してしまうだろう。
「それにしても、ケビンはさっさと街に馴染んで帰ってこないと思っていたけど、意外だよな」
確かに、とそれはここに集まる子供達の大半が抱く共通認識であった。てっきり彼は魅力的かつ刺激的な街の生活にすっかり魅了され、村での生活は忘れてしまうのでは、とぬいぐるみも密かに危惧していたのである。
実際、そのような結果になる先輩の話を、みんなもよく聞かされていた。行ったきり滅多に顔を見せず、逆に馴染めずに戻って来るとか、街の暮らしの良さばかりに目を向ける年長者の噂は、大人達からよく流れて来ている。
「ごめんごめん、みんな集まってくれてありがとう」
聞き慣れた声がようやく訪れ、集まっていた少年少女は顔を上げた。
みんなの目線はケビンと、その後ろからやって来たやや年上の少年に注がれている。その相手はすらりと背が高く、また涼しそうな素材の簡素なシャツ姿だが、髪型や歩き姿で、なんとなく垢抜けていた。見事な赤毛の持ち主は、ヒューバートも見覚えがある。
「リーゼ、それからフィオナちゃんは久しぶり、ヒューバートも。……他のみんなは初めまして」
「彼がフェルツ。街の友達で、夏至祭りを見て見たいっていうから連れて来た。終わるまで村にいるからよろしく」
ケビンは今回、街の服飾店で働くフェルツ少年を伴っての帰還であるようだ。春に訪れた際、姉妹とヒューバートは既に会っていた。ケビンとは気が合うようで、気さくで服選びのセンスも優れている。街の服飾店は夏季休暇に入って暇なので、一緒に来たのだと明るく笑った。
彼は顔立ちもそれなりに整っている。女の子達はそわそわと顔を見合わせた。お馴染みの村の男の子達とは空気が違い、新鮮に映るらしい。
「そういうわけで、どうぞよろしく。ケビンの家に泊まる予定で。……そうそう、ヒューバートも夏を満喫しないとな。本当はリーゼ達にも何か買うつもりだったけど、ケビンが鬱陶しくてさ」
彼は鞄から小さな麦わら帽子を取り出して、ひょい、とくまのぬいぐるみに乗せた。器の小さい奴だよな、と彼はリーゼに向かってウインクする。
「え? 何々、どういう関係?」
「……ケビンが街で一番仲良くしている友達で、春のお出かけの時に一緒に街を回ったの」
ありがとう、とリーゼはぬいぐるみへの贈り物をありがたく受け取った。夏休みを楽しんでね、と付け加える。相手に聞こえないだろうけれど、ヒューバートも持ち主に倣いお礼を述べた。
その後ろではリーゼとケビンの特別な仲をよく知る同級生達がちらちらとケビンを窺ったものの、彼は目に見える反応を示さないままだった。
「リーゼ、女の子達はそろそろ教会へ行く時間じゃないのか。フィオナはそろそろお家へ入って、手伝っておくれよ」
そこへ、リーゼのお父さんが時間を気にして声を掛けに来てくれたようだ。どの子も口々に挨拶し、もちろんケビンとフェルツもそれに続く。春のお出かけではお世話になりまして、とそちらにはちゃんと手土産が用意されていた。
それじゃ、と女の子達は立ち上がる。その時にリーゼ、とさりげなくケビンが声を掛けた。フィオナが慌てて家の中へ引っ込んでしまったために取り残されたぬいぐるみを、彼はさりげなく受け取った。
「後でフィオナに渡しておくから。明日、時間ありそう? 朝とか」
「そうだね、夕方は聖歌隊の練習があるから、朝だったら。ヒューバートをよろしくね、ケビン」
彼女はありがとう、とヒューバートをケビンに預けた。女の子達とリーゼのお父さんがいなくなって、その場は静かになる。彼はぬいぐるみをひょいと膝上に乗せ手近な木箱に腰かけた。どうやらしばらくここへ留まるつもりらしい。
「ちょっと、フィオナに返さないの?」
「……もうちょっと付き合ってくれよ、親友。フェルツのお手並み拝見と行こうじゃないか」
他の誰にも聞こえない小さなささやきを、ぬいぐるみの耳が拾う。ヒューバートはリーゼのぬいぐるみであるにも拘わらず、何故か持ち主を差し置いて何故かケビンとだけは話せるのだ。何年たっても明確な理由は定かではない。お互い、他のぬいぐるみや子供と同じ事ができる様子もなかった。
一応、世界一可愛い素敵な女の子は誰か、という見解が一致しているからかもしれないというあやふやな仮説がある。
「……さて、と」
再び注目が集まる先で、新顔のフェルツが皆を見渡した。ケビンが街の学校へ通い始めてからできた新しい友人を、こちらに連れて来たのは初めてだった。見慣れない客人に対し、好奇心と緊張がほぐれ切っていない空気が漂っている。
「それにしてもなるほど、みんな仲が良いんだな。ケビンが毎週毎週、律儀に村へ帰るわけだ」
気後れするような空気を気にした様子はなく、フェルツは手近な柵に身体を預けた。彼の眼差しは友好的で、そして魅力的であるのは否めない。
「……いやいやいや。ケビンはリーゼの気を引きたいだけでして」
「ケビンが他所のお家のぬいぐるみに執着して、せっせと着せ替え人形にしている件は説明しなくていいのか? 話が楽で助かるな」
ケビンという少年は同級生の中で一人だけ街の学校へ通っている他、裁縫という女の子向けの趣味に加え、ぬいぐるみのヒューバートを過剰に構うファンシーな嗜好まで持ち合わせている。それは彼の秘密を知らなければ、実に奇妙に見えるに違いない。
同級生達から向けられた軽めのからかいを、ケビンは聞こえないふりをしてやり過ごした。たった今、ぬいぐるみがフェルツから贈られた麦わら帽子の位置や被り方を気にしている態を装っている。
「……あの、フェルツさんにお聞きしたい事が」
「フェルツでいいよ。なんでも聞いて。街にある美味しい店とか、いくらでも」
女の子達が十分に離れたのを見計らって、一人が声を上げた。
「街にいる女の子って、やっぱり可愛い?」
ぬいぐるみにしか聞こえない程度に、ケビンが鼻で笑う気配がする。それを横目にヒューバートが少年達の輪を窺うと、一人が気まずそうに発言者を肘で突いて諫めようとしているのが見えた。皆の中では明るいお調子者として通っているルド少年である。
「なんだよ、ルド。そもそもお前の発言じゃないか」
「……その件はもういいって」
ルド少年が秋頃、街へ出かけた際に可愛い女の子を見掛けた事を発端に少々軽はずみな発言をしたせいで、これまで仲良しだった集団は真っ二つになってしまった。女の子がいる前でこの話はしない、破ったらもう二度と仲裁はなし、とケビンが輪を乱す発言を諫めて仲裁に入ったけれど、まだ火種は燻っているらしい。
「……いや、どっちかって言うと、今の子達の方が可愛い子が揃っていると思ったけどな」
フェルツはルドが突いている子に向き直る。目がきらりと光って、まるで商談にでも入ったようだ。
「どうなの? 具体的に、付き合いたい子がいるとか?」
「いやその……」
フェルツは遠慮しない。しかし結局、全員が決定的な発言を控えた。ケビンに諫められたであろうルド少年は輪の隅へこそこそと移動している。
「でもさ、確かに難しいよな。付き合いが長い分、関係性が固定されていて。『この子はこういう奴』というのがずっと続いているというか」
フェルツが指摘した通り、この子達はずっと同じ村、同じ学校で過ごした間柄である。入れ替わりはほとんどなく、ケビンが街の学校へ通い出したのが唯一の出来事と言っていい。
「ケビンを見なよ。気になる相手を週末ごとに訪ねて、春には街に招待までして。わかりやすい上になりふり構わない姿勢、俺は嫌いじゃない」
ちらほらと離れて様子を窺うケビンとヒューバートのところに、適度な冷やかしの視線が送られてきている。だがあまりやり過ぎるとガキ大将に思い知らされる羽目になるので、みんなそそくさと視線を外した。
「第一印象は大事だけど、誰かと深い仲になりたいなら、熱意を以て望まないと。そういう意味ではケビンは頑張っていて、リーゼも満更でもなさそうなのはみんなも知っているよな」
「……あいつ、打ち合わせにない内容の方が嬉々として喋るよな」
「ふーん、なるほど。二人で何か企んでいるわけだ」
まあね、とケビンは既にフェルツを囲んで更に高密度な輪を形成しつつある友人達を眺めている。ずっと村で子供達の様子を見守って来たぬいぐるみには、彼が街で暮らしている分、少しだけ大人びて見えた。
「……それで、みんな街へ遊びに行ってしまったの?」
昨晩教会で聖歌隊の打ち合わせと軽めの初回練習を終えた翌朝、リーゼはヒューバートを抱えて散歩をする道をいくらも進まないうちに、ケビンと合流した。
年ごろになりつつある二人だけで歩いていると注目の的だが、間にぬいぐるみがいると多少緩和されるらしい。次の新作衣装についての打ち合わせ、で通している。彼が裁縫趣味によって定期的にぬいぐるみを着飾らせている経緯は、村の誰もが知っている。
「そうそう、わざわざ祭司様に許可まで取って」
「どうしてケビンは行かないの?」
たしかに昨日の夕方は見物しているケビンをよそに、フェルツと他の子達は大盛り上がりだった。そしてそのまま明日は街へ遊びに行こう、という計画まで急遽持ち上がった。明日以降本気で取り組みますから、と女の子達が聖歌を練習している教会にまで押しかけた。祭司様を相手に交渉しに行く前にケビンがヒューバートをリーゼの妹に預けたので、結果までは知らなかった。
街から帰り次第必ず真面目に祭事の準備に臨むという誓いの下、彼らは慌ただしく出立したらしい。
「……昨日、街からフェルツを連れて慌てて帰って来て。それで今朝、夜明け前に出立してまたとんぼ返りの強行軍は勘弁して。大体、父さんの手伝いだってしないといけないのに」
ケビンは街での学業に加え、村に帰れば家族を手伝うケビンは忙しいのである。それでもこうして、リーゼとヒューバートのために時間を割いてくれる、いい友達だ。
「今はヒューバートがケビンに尋ねたのね?」
「そうそう。みんなと仲間外れで寂しくないのかって、心配してくれている」
「まあね」
ケビンは春に街へ遊びに行った際、ぬいぐるみとおしゃべりしている事を、ついに彼女にも打ち明けたのである。
リーゼは冗句かケビンによる手の込んだ一人芝居、若しくは言いにくい事をあたかもヒューバートが代弁しているかのように見せているだけなのかも、というような疑いを持たなかった。彼女は元からぬいぐるみを可愛がってくれていたので、それほど困惑する事なく、気味悪そうな視線を向けるでもなく、大事にしてくれている。夜には一日の出来事を教えてくれて、そうして一緒に眠りにつく日々は変わらなかった。
そういうわけで隠す気が無くなったケビンは堂々とヒューバートに喋り掛けるようになったので、ちょっと面白い光景である。
「……」
ケビンは周囲に視線を走らせて、誰もない事を確認した。そうしてから声を潜める。
「それがさ、あいつ。ルドだけど。僕だけ街の女の子と気軽に会えて羨ましいってやたら繰り返すのは何って問い詰めたら、…………実は昔からずっと街の学校に進学したくてこっそり勉強していたけれど、家の手伝いと両立できなくて挫折していたんだって。それが親との約束だったから、結局諦めたみたい」
「……ルドが?」
ヒューバートが知る限りでは、ルド少年はどちらかといえばお調子者で、勉強より身体を動かす方が好き、という気質だと思っていた。同じく付き合いの長いリーゼも驚いている。
「つまり根っこは街の可愛い女の子がどうこうじゃなくて、僕に対する当てつけだったのかも」
彼は少し困ったような表情を浮かべている。元々、ケビンは昔から何でも一番だった。それは街の学校へ行っても変わらず、成績も優秀であるらしい。合間に服飾系の商会を手伝い、そして週末にはけろりとした様子で顔を出す。それは並大抵の事ではない。
「……悪いけど、内緒にしてね。本当は誰にも言わないって約束で。言い方が悪かったのはルドもわかっているみたい」
「うん……そっか、そうだったのか。何も気が付かなかったな」
「そうそう、意外とそういう奴。こっそりお金を貯めていつか飛び出すって、次は親が止めても。最後にはそう言っていたよ」
「すごいなあ……」
「でもまあ、言い方が悪いっていうのはちゃんと伝えておいたから、そのうち気まずい空気もマシになると思う」
本当はリーゼも街の学校へ行きたがっていた。しかしお父さんが街での暮らしを心配して、結局最後まで首を縦に振らなかったのだ。
その経緯を知るケビンが、話の運び方に気を遣っているのがヒューバートにもわかった。
「そういうわけだ。ところで、リーゼはソロに推薦されそう?」
「……まさか。今年は覚えるだけで手一杯」
二人は朝の涼しい時間帯を楽しみ始めている。ぬいぐるみは耳を傾けつつも、ずっと秘密を抱えたままだった二人の友達を思って、しんみりとした気持ちになった。
「男の子達、みんな街へ遊びに行ったのですって。夜が明ける前に集合して、フェルツ君に案内させて」
「なんかそういう話あったよね。先導されて一斉に移動する筋書きの。『笛吹き男』だっけ」
朝の散策を終わると二人はそれぞれの家へ帰って、リーゼは昼過ぎから聖歌隊の練習に合わせて教会へ出かけて行った。
えええ、と当たり前だが集合した女の子達は呆れかえっている。こちらは聖歌隊の厳しい指導に耐えているのに随分お気楽な、と文句を言いながら上級生と祭司様と練習の準備をしている。
ヒューバートは部屋でお留守番かと思いきや、リーゼとケビンの妹達、フィオナとエルマがぬいぐるみを迎えに来た。外には裁縫箱を抱えたケビンが待っていて、腰にはまるで捕縛でもされているかのように縄が括り付けられている。
「聞いてよヒューバート、ケビン君は悪い子なの。他のお兄ちゃん達が街へ遊びに行こうとしているのを知っていて、止めなかった」
「お祭りの準備、しなきゃいけないのに。支柱飾りに聖堂のお掃除、広場の整備に……」
「明日から真面目にやるって願い出て、祭司様もよろしいと仰って下さったんだ」
言い訳無用、と彼は妹達によって教会の聖堂内、聴衆のために並べられた長椅子まで大人しく連行された。彼女達は長い紐を使って長椅子の列を封鎖してケビンを閉じ込めている。そうしてからきりっとした表情で家から持ち出したヒューバートを抱えた。
「ヒューバート看守があなたを見張ります」
「ケビン、覚悟しなよ。ビシバシいくからね」
「……お待ちください、代官殿! ヒューバート看守も、脱走を知っていて止めなかった、同罪ですよ」
それまで静かだったケビンが突然態度を変えた。あたかも牢屋の格子が本当に存在しているかのように、その隙間から懇願するような演技まで付け加えている。
「……」
可愛い二人の思案気な表情がぬいぐるみを覗き込み、そして無情にも紐が囲う一帯へ押し込まれてしまった。
「ヒューバート看守も同罪とします!」
「そんな! 僕は無実です」
「一人だけいい子ぶろうとしたって、そうはいかないぞ」
フィオナとエルマはお縄となった二人の凶悪犯を嬉しそうに見物していた。しかし、一向に脱獄の気配を見せないので飽きてしまったらしい。いくらもしないうちに、手を繋いでどこかへ行ってしまった。
「……まあいいか。ヒューバートも、リーゼが頑張って練習しているところ、聞きたいだろ? 力仕事なんか、あいつらにやらせればいいんだよ。どうせ今頃は楽しく日帰り旅行だ」
虜囚ケビンは妹二人を見送って、持参した裁縫箱を開いてそのまま作業を開始した。聖歌隊に許された特別な衣装のうち、外套と花飾り付きベールの補修は彼の仕事となって久しい。元々、ケビンに裁縫道具一揃いを譲ってくれたおばあさんの役目だったのを、そのまま引き継いだのだ。
大役じゃないかとヒューバートは心配したのに、ケビンはにやりと笑った。どうやら教会へ寄付される布地や裁縫道具を堂々ともらえる事があるらしい。
彼は嬉々として思う存分、日頃からぬいぐるみの衣装を次々と拵えている技量を発揮している。一枚ずつ丁寧に点検して、裾のほつれや破れた箇所を見つけて丁寧に補修していった。
糸と布、時折鋏の小気味よい音に、ヒューバートは耳を澄ませた。
「ねえ、ヒューバート。今年はともかく、リーゼは来年からはソロに立候補するかな?」
「どうだろうね……」
ぬいぐるみが見慣れた作業を見守る少し先では、聖歌隊も集まって練習している。音階の確認に始まって、同じ個所を何回も繰り返す事もあった。女の子達の美しい声、輪唱とソロの繰り返しが教会の石壁に反響した。オルガンの旋律に合わせた指導は、先生も習う方も熱心である。特に祭司様の、平時の温和な姿とは違う力強い歌声には圧倒されてしまう。
祭事の本番では村を練り歩く聖歌隊の行進によって、ヒューバートも家の窓から毎年同じ光景と歌を聞いている。けれどやはりリーゼをはじめとしたよく知る子達が加わると、また違って聞こえるのだった。
「……まだヒューバートが来る前の夏、二人で手を繋いで遊ぶうちに、リーゼとここへ来てさ。僕は早々に飽きてしまったけれど、彼女はずっと『もう少しだけ』って、それで二人で座って聞いていたっけ」
へええ、とぬいぐるみは彼の思い出話に注目した。先ほどのフィオナとエルマがそうであったように、まだ幼い二人が手を繋いで、村のあちこちを探検している情景が、目に浮かぶようだった。その頃から変わらない歌声が、ここには響いている。
「ああ、休憩のついでに衣装を見て欲しいけど、いいかな?」
祭司様が聖堂にいる子供達のために、薄めたシロップを提供してくれた。飲み終えるまで休憩、となった時にケビンが補修し終えたベールを見てもらっている。
お馴染みの同級生達以外からの、男の子なのに裁縫趣味とは変わっているな、というお姉さん達の視線だけれど、ケビンは一向に堪えた様子もない。むしろ自らの技量と出来栄えを見せつけるように素知らぬ顔をしている。
ケビンの仕事は問題なかったようだ。練習が再開され、残りの作業に戻ったケビンに、ヒューバートは話しかけた。
「……ケビンて、良い奴だよね」
昨日、意気投合した少年達は、街からやって来たフェルツの身の上話にまで及んでいた。元々はこの村よりもずっと鄙びた漁村で生まれ、一番上のお兄さん夫婦と折り合いが悪く、街へ出て来たのだという。そのため学校へもろくに通っていなかった。現在は店近くの教会に通いながら独学で勉強を進めて、お店に顔を出すケビンにも教えてもらうのだという。嫌な顔せず応じてくれて助かっている、という村の誰も、親友のリーゼとヒューバートですら知らなかった。
「そう? まあ僕は最大限、人に優しくするくらいでちょうどいい、ってヒューバートから昔、教えてもらったからさ」
「ああ、なるほどね。そんな事もあったね」
「うん、子供の頃にそれがわかって幸運だった。そうでなかったらきっと、今よりずっと高慢ちきで嫌な奴だったと思うな」
どうだろう、とヒューバートは考え込んだ。たしかに知り合った当初のケビンは生意気な悪ガキだった。けれどもう何年もリーゼと一緒に彼に付き合っていると、彼は間違いなく良い奴である。
夕方近くになってようやく、今日はここまで、と号令が下った。女の子達はほっとした面持ちで聖堂内の清掃を始め、ケビンも作業はひと段落したのか、その輪に加わる。埃を被らないように、とケビンはわざわざ手近にあった布をヒューバートに掛けてくれた。
「ごめん、ただいま!」
その時聖堂の入り口が騒がしくなって、ケビンがいち早く顔を上げるのが見えた。どうやらようやく、街から一団が帰還したらしい。どの子も楽しい一日を過ごしたのか、目をキラキラさせて入って来た。女の子達の呆れた視線を浴び、気まずそうに繰り返し咳払いした。
「今日は、今日に限った話じゃないけど、いつも色々ごめん。今からちゃんと真面目に頑張るから」
「これはお土産。街の有名なお店で買って来たんだ。聖歌隊、頑張ってね」
役割と立ち位置、評価が固定化されてしまっている彼らの悩みに対し、フェルツは、いつもと違った行動と思いやり、という回答を彼らに呈示した。
男の子達は並んで謝罪として頭を下げ、それから何か綺麗なものをそれぞれ取り出し掲げるのが見えた。ガラス瓶に詰まった色とりどりの飴玉には、リボンが可愛く結んである。
女の子達は目を瞬いて、それからみんな口元を綻ばせたのが見えた。瓶と飴玉とリボンがきらきらと夕陽に輝いている。
どうぞ、と贈り物を渡す輪の中で、ヒューバートはケビンもみんなと同じように飴を取り出すのを見た。それからルド少年に近づいて目線を交わして笑いあった後、リーゼに歩み寄るのが見えた。ちゃんと彼女が好きな葡萄味の飴玉に、リボンは明るい緑色で、まるで果実の房みたいに見える。
「ありがとう。……じゃあ、せっかくなので」
やりとりを見守っていた祭司夫妻が、一度蓋を閉めたオルガンを開け、聖歌隊は補修を終えたベールを被った。そうしてお礼に、と今日一番上手な明るい声で一曲、心を込めて歌い上げられた。
惜しみない拍手と歓声はなかなか鳴りやまず、さあさあと追い立てられるようにして教会を出た後も、どの子もみんなどこか晴れやかな表情を浮かべていた。
さて、あっというまに本番の日になった。村の集会場は夏至祭りの特別な飾りつけで、中心には恒例の生花で飾り付けられた支柱が立てられた。
ケビンとフェルツも加わった村の少年達は約束通り真摯に、そして一日分の不足を補うように熱心に、文句を言わずに働きどおしだった。花を丁寧に集めて支柱飾りの準備を進めて終わらせると、毎年なかなか手が付けられない土手の草刈りまで終わらせて、これが大変喜ばれた。
フェルツ少年も祭事が始まる頃にはすっかり村に馴染んでいる。そしてケビンと協力し、街で少年達が購入して聖歌隊の女の子達に贈ったリボンを一旦集めた。そうして針と糸で綺麗なお花の形に縫い付けて、お揃いの腕輪の完成である。
彼女達は誇らしげに着飾って、練習の成果を十二分に発揮した。教会から始まって、村を順繰りに行進していく。ヒューバートはエルマとフィオナと一緒にそれを追いかけた。二人が疲れるとケビンが交代してひょいと抱えてくれるので、リーゼが頑張っている姿をじっくり応援できた。
「ヒューバートって本当は女の子なの?」
「いや、今日だけ特別だよ」
いつもは窓越しのぬいぐるみが外へ出てきているのが珍しいようで、小さな子供達にたくさん声を掛けてもらった。ケビンが教会の倉庫から見つけたベールの布地を分けてもらい、ぬいぐるみも聖歌隊の格好である。
陽が暮れる頃にようやく女の子達は役目を終えた。後は村中が好きな場所で好きな人と好きなだけ、ご馳走と語らいを楽しむ場である。少し前まで少々気まずかった少年少女はようやく仲直りをして、あちこちで仲良くしている姿を、ヒューバートは何度も見かけた。ちゃっかりフェルツ少年もその輪へ加わって、彼も楽しい夏休みとなった様子だ。
男の子達の贈り物を見た上級生達とも、本当に仲が良いね、と結局丸く収まったのである。今年の反省と来年以降について、打ち解けた様子で熱心に話し込んでいた。
「……ケビン!」
「ああ、今日はお疲れ様、リーゼ」
ケビンはぬいぐるみを抱え、同級生達の輪から離れて向かったのは、彼に裁縫道具を譲ってくれたおばあさんのお家だった。今年も無事に終わりました、と報告して労ってもらい、ちゃっかり季節の果物までいただいている。それを一度自分の家に置いてから外へ出た時、リーゼが聖歌隊の衣装のまま、こちらへ走って来るところだった。
どこにもいなくて、と息を切らしている彼女にケビンは謝って、裁縫の先生に顔を出したのだと説明している。
「ケビン、色々ありがとうね」
「……僕は何もしていないよ。一緒に買いに行ったわけでもないからね」
嘘つきだ、とヒューバートは彼にしか聞こえない声で茶々を入れた。ケビンは村へ帰ってくる前に、リーゼのお土産として飴玉を購入し、そしてみんなと一緒のタイミングで渡したのだ。
フェルツ少年に手伝ってもらって、真摯な謝罪の姿勢として女の子が喜びそうな物を街で仕入れて来るのはどうか、と示し合わせていたに違いない。
ケビンは誤魔化すように咳ばらいしたので、やはり最初から計画通りだったのだ。
「それはさておき、リーゼは上手だったよ。ずっと憧れていた通り、きっと次はソロに抜擢される」
「…………うん、じゃあ来年は立候補してみようかな」
「いいと思う。来年初めて聖歌隊に加わる子にとって、優しい人が指導役だったら、きっとすごく助かるさ」
おや、とヒューバートは少し意外だった。集団の中で、彼女は決して目立つ立ち位置を好む女の子ではない。そしてケビンは、彼女の勇気を優しく後押ししている。リーゼにも気遣いがわかるようで、少しはにかむような笑みを浮かべて、口を開いた。
「ねえ、ケビン。あのね……」
少し、声が震えている。それは疲れのためではない。ケビンは彼女に向き直って、黙ってぬいぐるみを彼女に返した。リーゼは子供の頃から、心を落ち着かせる時はヒューバートを抱きしめて深呼吸するのだ。少し幼い仕草を、けれどケビンはじっと見守って、その先を促した。
「私達って、特別仲がいいよね」
「リーゼが、そう思ってくれているなら嬉しい」
「うん、ケビンはちゃんと街から帰って来て、私とヒューバートに、これからもずっと一緒にいようって言ってくれるよね。なかなか勇気と自信が湧かなかったけれど、いつも助けてもらって、私の宝物を大事にしてくれているから」
ぎゅう、とリーゼはぬいぐるみを抱き締める。そのような時、ヒューバートは彼女に聞こえないのをよく知っていて、けれどやはりがんばって、と声を掛けるしかできない。
「私達、大人になったら。その時はお互いお父さんとお母さんとちゃんと話をして、一番好きな人と幸せに暮らしていきたいって説明しないといけないよね。そうしたらみんなにも打ち明けて、教会へ行って……ね、そうしよう? そうしてもいい?」
あの頭がいいケビンですら、リーゼの話を全てのみ込むのに、しばらく時間が必要だった。彼も今この時に、彼女からこのように素敵な台詞をもらえるとは全く想定していなかったらしい。
「……ケビン」
「ごめん、ちょっとびっくりしちゃって。……うん、すごく嬉しい。僕の気持ちに応えてくれて。今だったら村の回りを五周くらいは走れそうなくらい」
「……置いて行かないでよ、もう」
リーゼはぎゅっと、彼を留めるためにヒューバートを抱えているのとは反対の手を握っておかなくてはならなかった。
「ずるい、手を握って欲しくてわざとだ。本当は走る気ないくせに。有罪だよ有罪」
「本当だって」
ヒューバートはケビンに文句をつけて、彼は苦笑している。その様子を見て、リーゼが彼に尋ねた。
「……こういう時、ヒューバートは何て言っているの?」
「……まあ要するに、僕とも手を繋いでって事かな」
やれやれ、と彼は満更でもなさそうにぬいぐるみを抱え直す。小さい頃は当たり前のように繋いでいた手を、二人はもう一度取り合った。ヒューバートがいるせいで、何だか二人でぬいぐるみを抱き合っているような、不思議な形の抱擁である。そこには喜びと結束と、未来への不安とそれを上回る希望、そして確かな愛情があった。
リーゼとケビンはしばらくそうしていた後、村の周囲をゆっくりと歩いた。まだケビンがどこかへ走り出すのを少し警戒しているのか、彼女は腕に半ばしがみつくような恰好だった。体重が預けられているのを、ケビンは少し楽しんでいる。
「……」
ぬいぐるみは二人の間を時折渡って、幸せな散策に付き合う事にした。少しずつ暗くなる小道を、二人とぬいぐるみは好きなだけ、ゆっくりと歩き続ける。夜空に現れた月と星々、それからヒューバートで、静かに二人を祝福した。
そうして、何年も月日が経って。街の学校を卒業したケビンは領主様の下で働く事になった。新任管理官として、街とあちこちの村を忙しく行き来するのが仕事だ。都会から来た知らない役人より、顔の広いケビンの方が、みんなもあれこれと要望を伝えやすいらしい。面倒見のいい彼は熱心に仕事に取り組んでいるらしかった。
リーゼも彼と一緒に都会に住むようになり、でも時々はケビンの仕事に合わせて実家にも帰省して、色々と手伝っている。街でもたくさん友人を作って、合唱隊にも加わっている。優しいので誰にでも好かれて、楽しく暮らしている。
「とにかく、まずはお金を貯めないと」
「大変だねえ、頑張ってケビン」
ケビンとリーゼは、将来フェルツと組んで服屋を経営するのが目標である。そのために勉強しなくてはいけない事が山のようにあるらしい。服飾の知識だけでなく金銭管理や法律等、三人とも忙しくしている。
それでも、街の外にもお洒落な流行を届けるのだと張り切っていた。
「のんきな事を言っていないで、ヒューバートもお店を手伝うのだ」
「僕も? どうやって?」
「店の名前で揉めないように、『ヒューバートの店』って事にするから。看板にもくまを描いてもらって、お客さんが試着した衣装をお似合いですねって褒めそやして、僕がそれを相手に伝える」
「……ついに、大人になって仕事の時までぬいぐるみとおしゃべりする気なの? ファンシーな店員だって笑われても、こっちも一緒に笑うからね」
変な奴、とヒューバートは今でも思っている。けれどリーゼが好きで結婚した相手をあまりこき下ろすのも悪いので、口には出さなかった。
彼は律儀に不思議な友情を維持する道を選び、それによって生じた苦労も喜びも享受して、楽しくやっているようだ。
「頼むよ、親友」
「……ケビンがそこまで頼むなら、仕方ないなあ」
本当は嬉しいくせに、と彼は言う。まあね、とヒューバートはいつものように明るく応じておいた。




